4:炎の国の焼きリンゴ
紹介された宿はカルカッタで一番と謡われる宿で、そのうえフロランが直接オーナーに『世話になった恩人』と伝えてくれた。
これならば甘口派のステラでも辛口派と同等の扱いを受けられるだろう。そう話して去っていくフロランを見送り、ステラとオーランドは客室へと向かった。
用意された部屋はベッドルームとリビングルームが設けられており、客船の部屋よりは狭いが一泊には勿体ないほどの広さだ。ソファやベッドのシーツはワインレッドで統一されており、深い色合いが落ち着きを感じさせる。
窓を開ければカルカッタの景色が広がっており、その光景にステラは見惚れるように深く息を吐いた。
赤褐色のレンガで建てられた建物が並ぶさまは圧巻で、とりわけ今は夕日が差し込みまるで燃えているかのようだ。ひしめく建物はどれも高さがまばらで、レンガ造りと言えども掘り込みや景観は様々。
それらが一つになり、うねる炎を彷彿とさせる。
真っ青な海から一転して、目の前には覆いつくすような赤が広がっていた。
こんなおかしな格差が無ければ、素晴らしい国だと思えただろう。
もしかしたら、この燃え盛る赤褐色の光景に当てられて、辛い食べ物も好きになれたかもしれない。
「……こんなおかしな格差が無ければ」
そう呟き、ステラは軽く頬を拭った。
もちろんその程度でバッテンマークが消えるわけがないのだが。
「ステラ、それが気になるなら夕食はルームサービスを頼もう。メニューも揃っているようだし……。カ、カレーばっかりだ……!」
「そんな……!」
ステラが驚愕し、オーランドの手元にあるルームサービスのメニューを覗き込む。
さすが国一番を誇るホテルだけありメニューは豊富だが、確かにどれもカレーばかりだ。カレーとしての種類は豊富である。
それ以外の料理もあるにはあるのだが、『スパイスの効いた』だの『格別の辛さ』だのと不穏な説明書きがされている。
さすが辛さ至上主義のカルカッタ。これは酒を頼んでもカレー味の酒が出てきかねない。
「カルカッタ、なんて過酷な国なのかしら……。ぼっちゃま、私はここで餓死の道を選びます。ガードナー家のメイド仲間達には、ステラはカルカッタの地で眠っていると伝えてください……!」
「外に出てステラも食べられるものを買って来よう。ステラはそこで待っていてくれ。……餓死しないで」
「畏まりました。ホテルの売店で絵葉書を買いましたので、これに遺書をしたためてお待ちしています……」
「分かった、一緒に行こう」
オーランドに促され、トランクからペンを取り出そうとしていたステラが頷いて立ち上がった。
そうしてホテルを出れば、既に日が半分以上落ちている。
灼熱の炎だった景色に影が差し、カラっとした暑さ漂う風も涼やかに感じられる。日中にこもった熱がゆるやかに冷やされていくのはなんとも言えず心地好い。
荷物は全て部屋に置いて、必要なものだけをポシェットに詰めての気楽な外出。この身軽さもまた風の心地好さを増させるのだ。
「ぼっちゃま、どこのお店にしましょうか」
「だからぼっちゃまと……。よし、一番辛いカレー屋を探そう」
「オーランド様! オーランド様!!」
「そう必死になるな、冗談だよ。フロランにどの店でも融通を効かせてもらうよう一筆書いてもらった。これで大丈夫だ」
「ぼっちゃま!」
安堵するや途端にぼっちゃま呼びに戻るステラに、オーランドがクツクツと笑う。「せめて店までは持つかと思ったがな」という言葉に、ステラが慌てて口を押える。
機嫌を損ねたらどうしましょう……と上目遣いで窺えば、オーランドの笑みが更に強まった。
「まぁ良いさ、ステラの癖は気長に待つよ。それでステラ、甘口のカレーというのがあるらしいから、それを買って部屋で食べないか?」
「甘口のカレーですか? カレーは辛いのに甘口……なんだか不思議な気がしますが、挑んでみましょう!」
「甘口のカレーが辛かった時のために、他にも何か買っておくか。カルカッタは鶏肉が多いらしいな」
露店を眺めながら話すオーランドに、ステラが「鶏肉!」と期待に瞳を輝かせながらその隣を歩いた。
そうして向かったのは、カルカッタの街並みに似合った一件の店。
洒落たスタンド看板が建てられており、中を覗くと小綺麗で落ち着きのある店内が見える。そこそこ客は入っているようだが慌しさは無く、道中何件か通り過ぎた酒場兼食堂のような騒々しさは無い。
雰囲気も有り、それ相応の客層なのだろう。
「私も入って良いのでしょうか?」
「ステラ、どうした?」
「こういったお店はドレスコードがありますでしょう。ドレスにスーツとか……あとは『頬にバッテンマークのお客様は入店不可』とか」
「なるほど。それならステラは店先で待っていてくれ。俺が適当なものを買ってくる」
そう告げてオーランドが店内に入っていく。
ステラが外から覗けば、彼は店員に話しかけ、懐から手紙を取り出すと店主らしき男に渡した。
フロランに書いてもらったものだろう。きっと中にはフロランの名前が綴られ、オーランドが恩人であり、甘口派でも食べれるものをと書いてあるに違いない。
店主が数度手紙とオーランドを交互に見やり、店の奥へと戻っていった。
「……大丈夫かしら」
ステラが不安を抱いて呟く。
その声は小さく、店内にいるオーランドに届くわけがない。……が、まるで聞き取ったかのようにカウンターで待っていた彼がクルリとこちらを向いた。
思わずステラがパチンと瞬きする。
そんなステラの驚きには気付いていないのか、オーランドは自分に視線が向けられていることに気付くと穏やかに笑った。指で小さく丸を作るのは、食べ物の手配が出来るという事なのだろうか。
それを見た瞬間、ステラの胸の内に湧いていた不安がパッと弾けるように消えていく。
だがそれとほぼ同時に、こちらを向いていたオーランドがふっと小さく吹きだすように笑い、慌てて背を向けてしまった。
きっとステラの表情の変わりようが彼の笑いのツボに入ってしまったのだろう。
ステラが慌てて頬を押さえて顔を隠すがもう遅い。店員から紙袋を受け取って出てきたオーランドの口元が不自然に歪んでいる。本人は堪えているのだろうが、これは笑っているのと同じだ。
「ぼっちゃま、失礼ですよ!」
「すまない。だけどステラの表情があまりにも分かりやすくて……。ほら、店で辛くないものを買えたから、これで機嫌を直してくれ」
「私、食べ物ではつられませんよ!」
「そうか? 甘い物も買えたんだがなぁ……。林檎を焼いたものらしい」
「まぁ、林檎を焼くんですか?」
「林檎を焼いて、シナモンという独特な香辛料をかけるらしい。ほら」
オーランドが紙袋の一つをステラの前に差し出してきた。
惹かれるように覗き込めば、カットされた林檎が詰められている。だがその色は本来のりんごよりも濃く、皮も弛んでいる。
その上に散りばめられているものがシナモンという香辛料だろうか。少し鼻にかかる独特な香りだが、焼いた林檎の甘い香りと合わさって食欲を誘う。
スレダリアでも林檎を食べるが、焼いて食べはしない。
未知の調理法に、そのうえこの独特な香りの香辛料。味の想像が出来ず、ステラの期待が高まる。
だが期待で瞳を輝かせれば再びオーランドに笑われかねないと考え、慌てて紙袋から顔を背けた。もっとも、楽しげに笑うオーランドを見るに、今回もまた遅かったのだか。