3:灼熱の国の辛い実態
3話目より先に4話目を更新しておりました。
申し訳ありません…!
女性の名前はアニス、カルカッタで暮らす一児の母であり……そしてカルカッタに蔓延る格差の下層に値する『甘口派』。
甘口派とは、辛い物が食べられず、甘口と呼ばれる辛さを控えたカレーしか食べられない者のことを指すという。目印は頬のバッテンマーク。
逆に辛いものを好むのが辛口派、頬にバッテンマークの無い者だ。
聞けば最近では甘口派は買い物もろくに出来ないのだという。殆どの店で門前払いを喰らい、売ってくれる店があっても高値を吹っ掛けられる……。
招かれたアニスの家でその話を聞き、ステラは慌てて自分の頬を押さえた。
思っていた以上に事態は深刻なようだ。見ればオーランドも難しい顔をしており、「まさかここまでとは……」と呟いている。
「数年前までは格差はあってもここまで酷くは無かったんです。こんな印をつけることもなく、甘口派も平穏に暮らせていました。……すべては王が逝去し、女王が統治するようになってからです」
自宅でさえも話をするのが躊躇われるのか、声を潜めてアニスが話す。
曰く、王が国をおさめていたときは辛口派も甘口派も多少の格差こそあれ食の違い程度でしかなく、甘口派の生活は保障されていたという。人によっては辛口派と変わらぬ生活を送れており、アニスも当時は平穏に暮らしていたのだという。
それが王が逝去し、女王クロリエが統治するようになり変わってしまった。辛いもの至上主義が絶対となり、辛いものを食べられぬ甘口派が迫害されるようになったのだ。
公共施設も甘口派の使用を拒否し、商売を生業としている者達は門前払いを決め込む。温情を見せて甘口派を庇おうものなら、クロリエに目を着けられて自らも被害を受ける……。
「そんな酷いことが……。日々の生活さえも出来ないじゃありませんか」
「ここだけの話ですが、闇市が開かれているんです。必要なものは闇市で探すか、倍の価格で買って凌いでいます。……ですが、この咳止めだけはあの店でしか取り扱ってなくて」
「そうだったんですね」
ステラが労わるようにアニスを見つめ、次いで彼女の膝元へと視線を落とした。彼女の膝では娘のメイヤが眠っている。
幼いメイヤには耐えられない心労だったのだろう、咳止めで苦しさから解放され、家に着くなり母親に身を預けて寝入ってしまった。膝掛に包まり母親の膝で熟睡する少女の姿は愛らしく。だからこそ頬に印されたバッテンマークが不釣り合いだ。
アニス曰く、カルカッタのこのおかしな制度は子供相手でも容赦がなく、子供は五歳になると検査を強いられるという。ステラ達が受けたものと同じ、辛いカレーを食べる検査だ。
そこで辛いものを拒めば、バッテンマークを押されてしまう。まだ幼い子供は取り繕うことも出来ず、格差の中で生きるしかない。
「そんな、一度の検査で決まってしまうんですか?」
「いえ、何度か検査を受ける機会はあります。ですが再検査で食べるカレーは最初の検査時よりも何倍も辛く、偽るようなことは出来ないんです」
「あれよりも何倍も辛く!?」
検査の時の辛さを思い出し、ステラが悲鳴交じりに声をあげた。
あの時でさえ口内に火を放たれたかのように辛かったのに、あれの何倍も……想像するだけで汗が出てきそうだ。
「なんて恐ろしい、それは最早カレーではなく兵器です! ねぇぼっちゃま!」
「あ、あぁ……そうだな。兵器だな。ちょっと食べてみたいなんて少しも思っていないからな」
ステラの勢いに気圧されたのか、オーランドが焦るようにコクコクと頷く。
そんな中、ガチャンと鍵を開ける音が聞こえてきた。ステラとオーランドが音のする方向へと視線を向ければ、バタバタと急くような足音が聞こえてきた。
「アニス!」
勢いよく部屋の扉を開け、飛び込んできたのは一人の青年。
濃紺の髪に黒い瞳、褐色の肌。鍛え上げられているが男臭さはなく、整った顔つきだが今は焦りの色を見せている。
彼は室内に飛び込むとステラとオーランドも目に入らないと言いたげにアニスへと駆け寄り、いまだ眠っているメイヤごと抱き締めた。少し息が上がっているのは、きっとここまで駆けてきたのだろう。
「二人とも無事でよかった。何か買うものがあるなら、俺が戻ってくるまで待っていてくれればよかったのに……」
「ごめんなさい、フロラン。咳止めが無くなってしまって。でもこちらの方々が助けてくれたのよ」
「そうか。妻と子を助けて頂きありがとうございます。アニスの夫、フロランと申します」
アニスとメイヤを抱きしめていたフロランが、改めてステラ達に感謝の言葉を告げてくる。
その頬にバッテンマークが無い事を見て、ステラが小さく「辛口派」と呟いた。フロランが困ったように笑うのは、自国に蔓延る格差を旅行客に指摘されたからだろうか。
「おかしな国と……いえ、おかしいどころか偏屈な国と思われたでしょう。お恥ずかしい限りです」
「いえ、そんなことは……」
「大丈夫です。国民として、そして王子として、自国の恥は自覚しております」
「ですが強いられているのなら……。王子!?」
フロランが口にした単語に、ステラはもちろんオーランドまで驚いて彼を見る。
先程彼は間違いなく『王子』と言っていた。自分を一国民であり王子だと、そのうえで自国の体勢を恥じていたのだ。
確かにフロランの服装は質の良いもので、落ち着いて話をする今は所作にも品の良さを感じさせる。
だが本当にフロランが王子だというのなら……とステラがチラとアニスとメイヤへと視線をやった。二人の頬にはバッテンマーク。カルカッタのおかしな制度を知らなければ、母娘のお揃いのフェイスペイントとでも思っただろうか。
だが実際は彼女達を下層民として晒すためのもの。カルカッタは辛さ至上主義の格差社会。その酷さは先程目にしたばかりだ。
フロランはそんなカルカッタの王子であり、アニスとメイヤは格差の下層に位置する。馬鹿げた基準だとは思うが、明確な身分の差だ。
それをステラが考えれば、言わんとしていることを視線から察したのだろう、フロランが困ったように眉間に皺を寄せた。
「母には……女王クロリエにはこの国の体勢を見直すようにと何度も訴えております。ですが父である王亡きあと、臣下どころか俺の話すら聞くことはなくなってしまいまして……」
「まぁ……」
「かつては厳しさの中にも正しさを持ち合わせた人でした。どうしてこうなってしまったのか」
母の変わりようを嘆くフロランの溜息は深い。
王である父の死だけでも辛いのに、そのうえ母のせいで格差が悪化し、伴侶と娘が迫害される……。彼の心労は相当だろう。
だが労わるような視線が向けられていることに気付くと、途端に表情を穏やかなものに変えた。無理のある笑顔だが。
「せっかくの旅行なのに気分が悪くなるような話をして申し訳ありません。旅行客ならばそう無礼な扱いも受けずに済むと思いますので、どうかカルカッタを楽しんでください」
「……フロラン様」
「宿は取ってありますか? 良ければ良い宿を紹介します。食事も決まっていなければお勧めの店があるんです。甘口派でも旅行客なら辛さを控えてくれる店もありますし」
良い宿がある、食事はどの店がいい、カルカッタには美しい観光地もある、これからどこに行く予定なのか、何泊する予定なのか……。
フロランが強引に話を進める。きっとこれ以上クロリエや格差の話をしたくないのだろう。
その胸中を察し、オーランドが彼の質問に答えていく。ステラは二人の話を聞きつつ、アニスの膝の上で眠るメイヤの頭を撫でた。
まだ幼い子供の髪は柔らかく、さらりと指の隙間を滑る。子供らしいふっくらとした頬を撫でるとくすぐったいのか小さく笑みを零した。
やはりバッテンマークは似合わない。
(フロラン様は、『旅行客なら無礼な扱いは受けない』と仰っていたわ。……でも、メイヤはカルカッタの子供)
そう考えながらステラがアニスをそっと窺えば、熟睡する愛娘を見つめる母の表情には不安の色が見え隠れしていた。