07:帰る場所がまた一つ
船での生活は、たった二泊といえどもステラにとって別世界のようだった。
常にどこかしらで生演奏が奏でられ、ダンスパーティーや舞台といった催しも開かれる。それらを楽しみ、紅茶を片手に感想を語り合う。
賑やかさに疲れたら甲板に出てゆっくりと流れていく海を眺め、心地好い風に髪を揺らして過ごした。視界一面の青い海は見飽きることはなく、朝は朝日が海面に反射して輝き、日中は海鳥が並走して飛び、夕刻は日がゆっくりと落ち、夜は星空が……と、甲板に出る時間によって景色を変える。
そうして船内に戻り、豪華な食事をし、眠りに着く。
ガードナー家の客人達を持て成すメイド生活とは一転して、ここでは持て成される側として時間を過ごすのだ。もちろん、ベッドは部屋に戻ると綺麗になっている。
思い出すだけで胸が高鳴る夢の一時だった。
そう思い出に耽るように話せば、向かいに座るオーランドが満足そうに笑った。両親が贈ってくれたこの船旅が良いものになってよかったと、そう安堵しているのだろう。
楽しい日々で始まるとは幸先のいい旅ではないか。そんな彼の言葉にステラが感謝の気持ちを込めて同感だと頷いた。
場所は船のティーサロン。この船旅の最中に何度もお茶とお喋りを楽しんだ場所だ。
下船の準備が整うまでの間、部屋で待つよりもと二人でここで過ごしている。
船の思い出を話せば下船が惜しくなり、この二日間で親しくなった者達と別れの言葉を交わせば寂しさも募る。だが彼等に世界の楽しさを教わり、そしてこれからの事を二人で話せば期待が満ちてくる。
早く船着き場に着いてほしいような、このまま時間が止まってほしいような、そんな何とも言えない気持ちだ。それをステラが告げれば、オーランドが「また戻ってこよう」と提案してくれた。
「良い船だった。世界中を回っているというから、どこかで巡り合うかもしれない。そうしたらまた乗ろう」
「それは素敵ですが……」
「俺が言い出したんだから、費用が俺が出すよ」
「またそのような優しい提案を……。私は私の目的があって旅をするんですから、ぼっちゃまが費用を負担するなんて駄目です」
自分を律するようにステラが断る。だが次の瞬間にパチンと目を丸くさせてしまったのは、「私達に会いに戻ってきてくれないのかしら」と優しい声を聞いたからだ。
振り返ればカルテアとマルド。寄り添う二人は相変わらず仲睦まじい。
「マダム!」
「今日で船を降りるって聞いて、見送りをしたかったの」
「まぁ、わざわざありがとうございます」
「世界を見てくるのよね。色々なものを見て、色々な人と出会って、そしてこの船に戻ってきて私達に話を聞かせてちょうだい」
微笑みながらカルテアがステラの頬を優しく擽ってくる。
ふわりと漂うのはコロンだろう。甘いその香りにステラが彼女を見つめた。
お土産話をたくさん持ってこの船に戻ってくれば、きっと彼女は喜んでくれるだろう。それを思えばステラの胸が弾む。ガードナー家とは別に、また一つ戻ってくる場所が出来たのだ。
「必ずまた戻ってまいります。今のお部屋より質を落とせば旅費は払えますし、いざとなればガードナー家で培ったメイド技術を活かして、この船の船員となって戻ってまいります!」
「そこまでするなら大人しく頼ってもらいたいなぁ」
オーランドが呆れるように告げる。次いで彼が冗談めかして「ガードナー家一筋じゃないのか?」とステラを茶化した。
ステラがはっと息を呑み、慌てて「他のメイドには黙っていてください!」とオーランドの服を掴んで訴える。傍から見ればまるで浮気現場のようではないか。
このやりとりにカルテアとマルドが楽しそうに笑いだした。
「絶対に戻ってきてね。費用が無かったら、乗船中だけルテンバール家のメイドになっても良いわ。ねぇあなた」
「あぁ、是非また会いにきてくれ。そうじゃないと、妻は君達を待って二度と船から降りなくなりそうだ」
カルテア達の冗談に、今度はステラ達が笑う。
そうして別れを惜しみつつも楽しく話していると、船員が船着き場に到着したことを告げてきた。下船の準備もほぼ整い「ご準備を」と促してくる。
それを聞いてステラが傍らに置いておいたトランクを手に取ろうとし……ひょいと持ち上げられてしまった。もちろんオーランドにである。
「ぼっちゃま!」
「ぼっちゃまはやめてくれ。さぁ降りようか」
「またそうやって私の話を聞いてくれない……。鞄を持ってくれるような優しい方はぼっちゃま呼びです」
「それなら当分はぼっちゃまと呼ばれても仕方ないな」
オーランドがクツクツと笑いながら二人分のトランクを持ち、ステラがそれに並ぶ。ガードナー家嫡男がトランク二つに対して、メイドの自分が小さなポシェット一つとはなんとも落ち着かない。
乗船のときもこのようにトランクを持ってもらい、その結果カルテアに主従を勘違いされたのだ。
だがそれを訴えてもオーランドは譲る気が無いのだろう、その優しさに「頑固なぼっちゃま」と感謝の言葉を返しておいた。
「ステラ、オーランド。私達は甲板から見送るわ。そこが最後まで港に手を振っていられるの」
「ありがとうございます。お二人ともどうかお元気で、楽しい船の旅行を」
「えぇ、貴方達も楽しい旅を。……頑張ってね、ぼっちゃま」
ニヤリと笑ったカルテアの励ましに、オーランドがムグと言い淀む。
それでも答えた「次にお会いするまでには」という言葉は、いったいどういう意味だろうか。ステラが疑問を抱いて首を傾げるも、カルテアは妖艶に笑いながらマルドに寄り添い、オーランドは頬を赤くしつつ顔を背けて誰も答えてくれそうにない。
問いただそうとするも、それより先にオーランドがトランクを持って歩きだしてしまう。まるでステラに問われる前にと逃げるような彼の背に、ステラは首を傾げたままそのあとを追った。
(最後に謎が残ったわ。この謎はセントレイア号に戻ってきた時には解明されているのかしら)
そうステラが疑問を抱きつつ、下船を知らせる音楽に促されオーランドと共に船を後にした。
次話から第2章
舞台は灼熱の土地カルカッタに移ります。




