06:ベッドメイクはメイドの嗜み
美味しい料理とデザート、楽しい会話と紅茶。
夢のような時間を過ごし、最後にオーランドの部屋で明日の予定を決める。
「船であと二泊するとカルカッタに着くらしい。灼熱の国と呼ばれるほど暑いらしいが、数泊する程度なら大丈夫だろう」
「カルカッタなら私も聞いたことがあります。赤褐色の煉瓦造りの家が並び、その光景が燃え盛る炎のようで美しい国だとか。ではそこに行ってみましょうか」
「そこからまた船に乗っても良いが、カルカッタは砂漠に続いているから、らくだを借りて砂漠を超えてもいいかもな」
「一面の海のあとは一面の砂漠ですね」
素敵、とステラがまだ見ぬ光景を想像する。
以前にガードナー家の客人が連れていたメイドから砂漠の話を聞いたことがある。
どこまでも続く砂。遮るものなく太陽の光が降り注ぐそこは過酷だが、どこまでも広がる砂の海は見惚れるほどに圧巻だという。
「私、砂漠も初めてですが、らくだという生き物を見るのも初めてです」
カルカッタも、砂漠も、らくだも、なにもかもステラにとっては初めてだ。
それらを今から一つ一つ見ていく。
世界を巡り、いままで見たことのない景色を見て、今まで触れたことのないものに触れ、そして出会う。これから先カルテア達とのような素敵な出会いに溢れているのだと考えれば、ステラの胸が期待で弾む。
カルテア達とは今後も付き合っていけるだろう。片やルテンバール家、片やガードナー家、一国を代表する名家がこの出会いを無駄にするわけがない。もしかしたらオーランドの代どころか、この先ずっと続く関係になるかもしれない。
だがそんなカルテア達のような出会いとはまた違い、ほんの一時の出会いもあるだろう。もしかしたら名前を交わすことなく終わる出会いもあるかもしれない。
『いつかまたどこかで』
と、そう告げ合って別れるのだ。これもまた旅の一興。
「これからどんな人と出会えるのか、楽しみですね」
「俺としてはいい男とは出会ってほしくないんだが……」
「まぁぼっちゃま、殿方とは出会いたくないんですか? 美味しい料理を作るのに男女の差はありませんよ?」
「この調子なら大丈夫かな」
オーランドが安心したかのように呟く。
それに対してステラはいったい何の話かと首を傾げつつ、ウェルカムサービスのチーズをパクリと頬張った。次いでワインを飲めば、チーズの濃い味と香りがワインに混ざり合う。
甘さの中の苦み、鼻に抜けていくお酒の香りは熱っぽく、飲み込めばゆっくりと体の中に染み込んでいく。
そんな酒の熱に誘われ、ステラがふわと欠伸を漏らした。オーランドが壁に掛けられた時計を見上げ「もうこんな時間か」と呟く。
「移動もあったし今日は疲れただろう、もう休もう」
「えぇ、そうですね」
「そうだ、明日は朝の紅茶も朝食の用意も要らないからな」
「まぁ! 私に暇を出すんですか!?」
突然のオーランドの発言に、ステラが息を呑む。
主人であるオーランドの朝食と紅茶の準備、これはステラの仕事だ。ずっと昔から、それこそステラがガードナー家に務め始めた時から続けている。
それを要らないとは、ステラにとっては解雇通達と同じだ。
突然どうして! と嘆けば、オーランドが慌てたように「違う」とステラを宥めた。
「ステラ、俺達は客人なんだ。朝の用意は全て船員がやってくれる。朝食は食べに行くか、持ってこさせればいいんだ」
「……そ、そうでしたね。私ってばメイドを解雇されるのかと思って、驚いて取り乱してしまいました」
「いや大丈夫だ、俺も言い方が悪かった。……それに、俺がステラを手放すわけがないだろ、ステラがメイドを辞めるときは、その時は、お、俺の……俺のお嫁さんに」
「それならベッドメイクもして頂けるんですよね! 私、ガードナー家のお客様達のためにベッドメイクをするのはいつもの事ですが、してもらうのは初めてです!」
「……そうだな」
豪華客船のベッドメイクならば見事なものに違いない、これは技術を盗むチャンス。普通ならば客人が部屋を出ている間に終えるべきなのだが、希望を言えば見学させてもらえるかもしれない。
一級の豪華客船スタッフによるベッドメイク技術、これはガードナー家のメイド達への土産になる。
そうステラが意気込めば、対してオーランドがガクリと肩を落とした。
そんな彼の姿をステラは不思議そうに見つめ、はたと気付くと「まぁ、ぼっちゃまってば」とクスと笑みを零した。次いで「嬉しいです」と彼の瞳をジッと見つめて告げる。
「う、嬉しい……? ステラ、ようやく分かってくれたのか!」
「はい、ぼっちゃまは私のベッドメイクじゃないと嫌なんですよね。だからガッカリしてるんでしょう」
「……そうだな、ステラのベッドメイクが一番だ」
「そんなに褒めて頂いて、メイド冥利に尽きます。この旅行中もぼっちゃまのベッドメイクは私がいたしますね」
特別ですよ、とステラがクスクスと笑いながら告げる。
それを聞いたオーランドが小さく「特別か」と呟いた。じょじょにその表情が満更でもなさそうなものに代わっていく。「ステラの特別」と改めるように呟くのは、まるで自分の中に落とし込むようではないか。
そうしてどちらともなく時計を見上げ、今度こそとステラが立ち上がった。
就寝の挨拶を交わし、オーランドの部屋を出て隣の自室へと向かう。
今までいた彼の部屋と造りは全く同じ。広く、豪華で、何でも揃っている、メイドには勿体ない部屋だ。
「やっぱり一人になると落ち着かないわ」
誰にともなく話し、手早く寝間着に着替える。ワンピースタイプのナイトウェアで、胸元に洒落た刺繍がついている。海鳥とセントレイア号が並ぶ刺繍のデザインは、きっとこの船自体のマークなのだろう。
そんなナイトウェアに袖を通し、ステラは「素敵、それにとても楽だわ!」と歓喜の声をあげた。
なにせスレダリアで売られているナイトウェアはどれもスレダリアの標準体型……つまりステラには些かきついサイズしかなかったのだ。探し回ってスレダリア基準の大きめのナイトウェアを買い、自分で糸を解いてサイズを変えて……。あの時の屈辱は筆舌に尽くし難い。ーーそれでも女性用ナイトウェアを買うのはステラの意地であるーー
そんなスレダリアのナイトウェアに対して、今着ているこのナイトウェアの楽さといったらない。
「お洒落なナイトウェアを何着か買って帰らなきゃ。それに洋服も、きっと私も着れる素敵な服がいっぱいあるはずだわ。美味しいものも買って帰りたいし……。途中で何度か送ってしまわなきゃ駄目ね」
ガードナー家と同僚達への土産は、いっそ買った先から送ってしまった方がいいかもしれない。陶器や割れ物を買うとしたら、それが割れないように洋服でくるんで送る方が良いだろう。
これからどんな旅になるのか分からないのだから、極力手荷物は軽く……と、そこまで考え、ステラはふわと欠伸を漏らした。
ポスンとベッドに倒れ込む。なんと柔らかいことか。まるで巣に戻る動物のようにもぞもぞと布団の中に潜れば、考えはすぐさま微睡みで溶かされていく。
(これからの事は明日以降に決めましょう。難しく考えず、気楽に、気ままに、ぼっちゃまと楽しく、美味しく…………)
うとうとと半ば眠りながら考え……、そしてカッと目を見開いた。
「初心! そうよ、結婚相手を見つけるために旅に出たのよ!」
忘れてたわ! とステラが己を叱咤し……、
「でもそれも明日にしましょう」
ゆっくりと目を閉じた。