鋼鉄の心臓
「おお、おお、起動できたのじゃ!どうじゃ、我が愛し子よ?ワタシの名が分かるかの?」
老人のような口調で話す幼女。寝起きの私を見て、異様に興奮している。この歳で、変質者の素質がある幼女だ。
「ヴ……ア、ワ、ワワワワワワワワタシワタシワワワタシ」
カタンカタン…カタダダダダダダダダダダ
「あああああ、おおお落ち着くのじゃあああ」
プシュー……
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「今度はどうじゃ!?さあ、我が愛し子よ!おはようのあいさつじゃ!」
またこの子か。嬉しそうに笑いながら、私を期待の目で見つめる。どこの子か知らないけど、私は___
「は、…ォ、エエエエエエエエエ」
ビチャビチャビチャビチャ
「えええええええ!?何でいきなり吐いてるのじゃ!?どこの管が、どうして逆流したのじゃあああ!」
プシュー……
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「おはよう、愛し子よ!おはようじゃ、お、は、よ、う!言ってみるのじゃ!」
どうも、前前回と前回の様子から考えるに、私は機械になっているようだ。体がうまく動かせず、力が空回ってる感じがわかる。指示されたこと、以外の動作ができない。一体、なぜこんなことになったんだ?訳がわからなかった。ただ、目の前の幼女が鍵となっているのではないだろうか。
「おはよう」
素直にあいさつを返す。今の私は、これまでの中で一番調子が良い。
幼女は目を輝かせた。私の手を取って、祈るようにぎゅっと握りしめる。
「できたのじゃ……できたのじゃ!愛いのう愛いのう。ワタシの名が分かるかの?」
「お、おはようおはようおはようおはようおおおおはよおおオオオオオオオオ」
「えっちょっと待っ」
前言撤回。私の回線はたやすくショートした。
プシュー……
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「おはようなのじゃ!」
「おはよう」
「うむ!ワタシは誰じゃ?」
「かあさま」
「うむうむ!ワタシの名は?」
「スーブルキニア=フログランシュ・ローアン」
「ぃ、いい子じゃああ〜!よし、では右腕を上に上げてみるのじゃ!」
「はい、かあさま」
ガガガガガガ……
「ぬう…稼動部が噛み合っておらんのか…?それとも…あ!」
プシュー……
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「おはよう!体の調子はどうじゃ?」
「おはようございます、かあさま。問題ありません」
「うむ!自己診断プログラムはうまく行ったの!では立ってみるのじゃ」
「はい、かあさま」
スクッ
「…………」
「問題ありません、かあさま」
ローアンは私のことをじっと観察した。それから徐々に喜びが溢れてきて…
「やった……やったのじゃ!成功なのじゃ!?ケケケケケケ!!愛いのお!ケケケ!ワタシの子、我が愛し子よ!お前の名前はスーブルキニア=フログランシュ・ケーセラじゃ!」
「はい、かあさま」
ケーセラか。まあ何でも構わない。
「名を与えられたお前は、個としてこの世に確立されたのじゃ。だが、この世は色々と複雑でな。ケーセラのためにも、かあさまといくつか約束をするのじゃ。これを破ることは許されぬ。これを拒絶することも許されぬ」
「はい、かあさま」
「いい子じゃ!コホン。
スーブルキニア=フログランシュ・ケーセラよ。お前は我が子、我が分身。ワタシの命令には絶対服従せよ。
そして、ワタシの剣となり盾となり杖となり、常に我が傍らに存在せよ。剣とは言ったが、無益な殺生はせぬこと。命は等しく尊ぶのじゃ。ただし、ワタシの命令は別である。斬れと言われたら斬れ。殺せと言われたら殺せ。守れと言われたら守れ。
そして、余計なことは言わぬこと。勝手に行動せぬこと。
そして、ワタシに害すること、またそれを間接的に為すことを禁ずる」
「はい、かあさま」
どうも子どもは私を可愛がるだけでなく、物騒なお願いも叶える従者として作り上げたらしい。
聞きたいことが色々あったが、機械の喉は私の望む言葉を言わず、ただ肯定の言葉を返した。その途端、私は私の自由が縛られたことを感覚的に理解した。
「いい子じゃああああ!ではケーセラ、外で一通りの動作を試すのじゃ!」
「はい、かあさま」
「うむ!!うむうむ!」
石造りの部屋を出て、緑豊かな森へ踏み出す。民家はない。ローアンはこんなところに一人で、私を作っていたらしい。見た目は十歳くらいだが、人型の機械をたった一人で作製し、外見にそぐわない老人のような喋り方をする。かと思えばそれこそ子どものように無邪気に笑い、そして恐れるように『約束』でがんじがらめにする。
ローアンは一体何者だろう。
私の動作確認、改善、改良で二月ほどの時間が経った。ローアンはよく笑い、よく悲しみ、よく怒る。私は「はい、かあさま」とだけ繰り返し、ローアンを観察した。結果は、よくわからない。彼女は謎に包まれていた。
私はローアンに従いながら、自分の気持ちも整理した。私はこの体になる前、日本で理数系の大学に通っていた。確か、月蝕の夜に天体観測に行こうとして、通り魔に襲われて死亡。死ぬ前に犯人の耳にボールペンを刺し込んだため、まあ仇は捕まったのではないだろうか。うん。
家族や友人、恩師。日を追うごとに、私の記憶はゆっくりと薄れていく。代わりに、ローアンとの思い出が増えていく。
私は死んだ。そして、今はローアンに造られた人型の機械になっている。ローアンが何を目的に私を造ったのか、よくわからないけれど……。私を見て笑い、私のために泣き、私を心から心配するローアン。私は機械として受けた生を、ローアンのために使おうと決めた。
「ケーセラ!これで全てのテストが終わったのじゃ!さあ……!!我が愛し子よ!街へ行こうではないか!」
私は前世では見たことない、カラスとネズミの合成獣みたいなのから手を離した。真っ黒な体液が滑らかに流れて行く。痙攣を繰り返す合成獣の頚椎を踵で踏み折り、私はローアンへ向き直る。
「はい、かあさま」
__たとえそれが、血塗られた道であっても。
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ローアンが街へ行くと、大人たちは汚いものでも見るような蔑みの目線を、子どもたちは純粋な悪意と石を投げつけた。ローアンは私に命じた。
「さて。次はとうとう実戦なのじゃよ、我が愛し子、ケーセラ。命令じゃ、こいつらを……この街を壊せ?」
ローアンは暗い笑みを浮かべた。それは初めて見る笑顔だった。
「はい、かあさま」
私は目についた街の生物に、片っ端から蹴りを放つ。鋼よりも硬い私の足は、門番の鎧を容易く打ち破り、心臓を貫く。駆けつけた男たちの剣を砕き頭蓋を割り、逃げ出す女の肺を穿つ。震える子どもたちを順に踏み抜き、やっと駆けつけた兵の盾を壊しどてっぱらに穴を開ける。
剣で切りつけられようと、魔術で燃やされようと、弓で射られようと、私の体に傷がつくことはなかった。
「___………あっけないのおー………。ワタシは何を恐れていたんじゃ?こんな、こんなあっけない者共に………」
ローアンのつぶやきが、静かになった街の中に響いた。
「ご苦労じゃった、ケーセラ。今日はここで休んで、明日になったらまた別の街へ行こうぞ」
私が粉砕した領主の館の残骸に腰掛け、ローアンは笑った。感情の読めない笑顔。これも、初めて見る。
「はい、かあさま」
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それからローアンと私は色々な所へ渡り歩いた。いくつもの町を、街を、都を壊しに。討伐隊を組まれたり、籠城されたり、暗殺者が来たり、傭兵みたいなのが来たり、使者が来たりしたが、ローアンはその全てを殺せと命令した。私ははいと言って、その全てを殺した。ローアンは偶に、気が向くと魔術を撃って自分で刺客を退けた。
私が汚れると綺麗に洗って、私が故障するとすぐに修理した。あれやこれや、なんでもないことを私に話して笑った。かと思えばすぐに泣き出す。家を出てから夜泣きが酷い。どうも精神が不安定だ。自分で命令したくせに、私が喋らないと怒ることもあった。
ローアンが汚れて、くたびれて、多分栄養失調と過労で倒れた時。それはやって来た。
「こんにちは。初めまして。耳を、誇りを削がれたエルフの生き残り。たった一人で世界に復讐を果たそうとする反逆者。自分にそっくりのお人形を造った方」
「だ…れぇー、じゃぁ」
「わたくしはあなたと同じ者。一人生かされ、なぶられて世界に復讐を誓った者。龍の生き残り……いいえ、残骸。角を折られて鱗を剥がれ、尾を伐られた家畜」
「りゅう……」
「わたくしはあなたと手を組みたい。わたくし一人では手が足りない。あなた一人でもなし得ない。人間から奪われた物を、取り戻したいと思いませんか」
ローアンは私にお姫様抱っこされながら、しばらく黙っていた。指示を待っていた私は、ローアンの体に力が入ったのを感じた。
「我が、名は………!スーブルキニア=フログランシュ・ローアン………!!かつてのエルフの、頂点……女王として、お主と手を組むことを、承諾する……!」
「……いにしえの女王よ。わたくしはガガ・テラブカラト。かつての龍の王族の血を継ぐ者。共に、世界を変えましょう」
私は黙って、ガガ・テラブカラトを見つめた。人に見えるが、違うらしい。
これが、後に言う魔王誕生の瞬間だった。ローアンの回復と同時に、魔王たちの復讐が始まる。ガガとローアンは更に仲間を増やし、目的のために周到な計画を建てた。ローアンは仲間たちを慈しみ、仲間たちと共に笑い、怒り、泣いた。私は変わらずローアンの側にあったが、彼女が私に話しかけることは日に日に少なくなった。
「ガガ!!明日はとうとうこの国を落とすのじゃ!」
「ああ。ローアン、パリナ、トチェ、ウラバッタの部隊で東西南北の退路を塞ぐ。わたくしはここの防衛に残るが、アバとオーウィの部隊でそちらの補助に……」
「違ああああう!作戦の確認に来た訳じゃないのじゃあああ!!」
「?では…」
「景気づけなのじゃ!」
「飲めや歌えやどんちゃん騒ぎですう」
「ご馳走もあんぞ?」
「ハン。このボクが手配してやったのだ。感謝して喰らえ」
「シュー……崇め奉る。だから食べていい?」
「あら〜、お酌しますわあ。ガガ様、ローアン様?」
「ローアン様……お酒、飲める……?」
「さあ、ガガ。何をボサっとしているのじゃ。皆のもの、宴じゃー!!ガガに酒を浴びせるのじゃ!」
ローアンは本当に嬉しそうに笑う。ガガもまた楽しげに笑って、部下に連れられて大広間に走る。機械の私はローアンが見える部屋の隅で、彼等彼女等の楽しげな空気を味わった。
宴会は夜通し続き、途中でダウンしたローアンが明け方に目を覚ます。大広間は死屍累々としていたが、酒にめっぽう強いガガだけは起きてまだ酒を飲んでいた。ローアンが寝ぼけ眼でガガに近寄る。
「おはよう。早いね。」
「うむ……って、まだ呑んでおるのか。酒臭いぞ」
「そうかな。ローアンだってここにいたのだから、似たようなものだと思うよ」
「ぬ。ワタシが?ぬぬぬ。自分ではわからぬな」
「……みんなを見ながらね、思い出してた。わたくしたちは、ずいぶん遠くまできたね」
「なんじゃ、突然。酔っぱらいの自分語りかの」
「ハハハ、そうだね。自分語りだ。聞いてくれるかな」
「ケケ。ワタシでよければ、存分に語るがよい。お主の声は心地よい」
「照れるなあ。ローアン。思えば、あなたがわたくしの始まりだった。檻に繋がれて反抗の気力もなくしたわたくしに、たった一人で戦うあなたの話が聞こえたんだ」
「あぁ。あの頃は見境なかったからのお。目に写る人間全てを殺そうとしか考えとらんかった」
ガガはゆるりと笑って酒をあおる。
「人間はあなたにおびえていた。あなたを殺すために沢山の人間を送った。檻に繋がれて鑑賞されていたわたくしには、色々と声が届きやすくてね。それで……人間にとって都合が悪いからと、歴史からエルフの存在を消そうと聞こえた時……。わたくしは、なんというかな。目の前が暗くなった。同朋を殺され、こんな惨めな思いをして、種の存在まで都合が悪いから消すだなんてさ……。気がついたら檻を壊して、人間を食らっていた」
静かに酌をするローアン。
「人間はおぞましいほどに傲慢で、浅はかだ。ずる賢く、脆い。そのくせ、自分たちのことを最高の種族だと公言してはばからない。聖人のように、自分たちを清らかで正しいものだと思い込んでいる。都合が悪いことを消して、恩恵だけを剥ぎ取り、最初からそんなものがいなかったことにする愚かな人間に、一泡吹かせたくなったんだ。あなたのことを知って、ただ大人しく座して死を待つのが嫌になったんだ」
「ワタシだって、似たようなもんじゃ。深く考えてはおらんかった。お主が迎えに来てくれたから、この先を考えるようなった。同じ境遇の者を集めて、人間を減らし、もう一度ワタシのような者達が暮らせる場所を創ろうと……やっと未来を思えたのじゃ」
「ハハッ。あなたの役に立てたなら良かった」
「うむ。感謝しておるぞ。ここにいる全員がの」
ガガはその言葉につられて、辺りを見まわす。
棲み家を汚染された泉の精霊、森を拓かれたライカンスロープ。生き物の血を食すため迫害された吸血鬼に、異形の見た目で悪魔の使いと追われた蛇人。魔力と体の強さに奴隷とされた魔族と、身体の有用性から家畜化された樹人。ありとあらゆる種族が手を取り合って眠っている。
「助けられたのは、わたくしの方だ。皆に支えてもらって、やっとここに来れた……」
「あと、もう少しじゃ。大国を落とせば、ようやく他の人間の国と対等の位置に立てる。もしかすればそれ以上にの。交渉の席が出来れば……ワタシ達の領土を認めざるを得なくなるじゃろう」
「ローアン。未来を見つめる方。わたくしの一番の友。……ずっと一緒にいて、わたくしと国を造ってくれるかい?」
「今更何を言うんじゃ。スーブルキニア=フログランシュ・ローアン。この身はまだ見ぬお主との国のために使おうぞ」
ローアンは誇らしげに胸を張る。ガガはうつむいて、涙を堪えていた。
「ありがとう……」
「ふん。酔っぱらいは涙もろいのう」
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「___何故だ!?どうして、人間はわたくし達を認めない!!」
「どこまでも……コケにしおって……!!周辺国で連合を組んで……ワタシ達に降伏しろじゃと!?奴隷だの、家畜だのッ!!ふざけおって……ッ!!」
一国を落としたローアン達に待っていたのは、8カ国の連合軍。交渉に出された使者は、惨たらしく殺された。連合軍は落とされた国を大義名分に、宣戦布告もなく向かって来る。
ローアンはギラギラと光る目で、久しぶりに私を見た。
「来るのじゃ、ケーセラ!!目にもの見せてくれようぞ……!!」
私も久しぶりに声を出す。
「はい、かあさま」
人間と、亜人の……魔王軍の、全面戦争が始まる。
魔王。王の血脈の竜。ガガ。
魔王。人形遣いのエルフ。ローアン。
私は戦った。沢山の矢を受け、魔法を浴び、槍で突かれ、剣で切られた。全て…とはいかなかったが、私の体はそのほとんどの攻撃をはね返した。ローアンを守り、ローアンが魔法を紡ぐ間の盾となった。
気がつけば、体のそこかしこに傷ができて。気がつけば、ローアンが笑うことがなくなって。気がつけば、周りにあんなに沢山いた仲間達も、随分数が減っていた。そして気がつけば、8カ国の連合であったはずの敵は、その倍以上にも数を増やしていた。
「やあ、ローアン。わたくしの相棒」
「おぉ、ガガ。どうしたのじゃ」
ガガは、片目が潰れ、美しい顔の半分にやけどの痕を作っていた。今は見えないが、足の指もいくつかなくなって、左胸にはくっつききらない傷がある。
「いい知らせがあるんだ。以前から探させていた、新しい陸。人のいない、新天地がね……見つかったんだ」
久しぶりに見る、ガガの柔らかな笑顔。ローアンは、言葉の意味がわからないように、首を傾げる。
「新天地。見つかった……?見つかった。見、つかった……!?」
「そうだよローアン。見つかったんだ。ここに来て、ようやく」
ローアンはふらふらとガガにすがりついた。そうして、静かに泣きはじめる。
「そう、か……。見つかったんじゃな。……っ、く、……」
「ローアン。すぐに移動しなければいけない。決して人間達には見つからないように。そして、怪しまれないように。わたくし達は姿を消さなくてはいけない。この下らない戦争を、終わらせる時が来たんだ」
「、そうじゃな。ああ、そうじゃ。おなごやわらべを先に、いや。結局彼女らを支えられる男手がいるかの」
「そうだ。そして……決めなくては。最後の道化を」
ローアンが、泣き腫らした顔を上げた。ガガは柔らかな笑顔のまま、しゃがんでローアンと目線を合わせた。
「お主……まさか」
「わたくしの、最初の、最後の希望。最高の相棒。ローアン。あなたは先に、新天地で仲間の指揮を取って欲しい。わたくしは有志を募って、ここで最後の戦いを演じ、奴等の目を欺く」
「ならぬ。それはならぬ。お主、お主、それでは……死ぬ気じゃろ。魔王と呼ばれたその身を囮に、人間に勘違いさせたいんじゃろ?ガガが死ねば、奴等はまあある程度納得するであろう。魔王を討ち取ったと天狗になって、しばらくは利権争いに必死になるかもしれぬ。新天地に逃げた仲間の、目隠しになるかもしれぬ。でもそれは結局、一時しのぎにしかならぬ!ワタシ達は目立つからのお、すぐに誰かが思い出すはずじゃ。それで探索隊が出て、土地が見つかれば最悪じゃ。ガガ、お主の提案は問題を先延ばしにしただけで、なんの解決にもなっとらん!」
ローアンは必死だった。なんとかガガを思いとどまらせようと叫んだ。
「ローアン。落ち着いて聞いてほしい。わたくしはもう長くない。胸に受けた傷が塞がらないんだ」
「___……え……?」
「わかるんだ。一秒ごとに、自分の命が減っていくのが。ここ最近は無茶をしどおしだったからね。
……わたくしは怖かった。このまま、同族の仇を討てず、あなたを残して、何もなせずに死んでいくのが、本当に怖かった。
ねえ、ローアン。大切な人。ごめんなさい、わたくしはあなたを、仲間を置いていく。でも。だから。最後はあなた達の役に立ちたい。あなたによく似せた死体を作ろう。精々派手に立ち回って、人間の目を逸らそう。だから……だから……仲間を、わたくしの分も、仲間を守って欲しい」
「お主だって仲間じゃ!!守ってみせる!!魔素の濃い土地で療養すれば……きっと」
「ローアン。わかっているはずだ。他に道がないことも、時間がないことも」
「嫌じゃ……嫌じゃ……。ガガ、あぁ……お主もワタシを置いていくんじゃな……」
「ローアン……」
「わかって……おる。ガガ。誇り高き、最後の竜よ。ワタシは……スーブルキニア=フログランシュ・ローアン。この身はまだ見ぬお主との国のために。……民を守ろう。お主の願いを……聞き届けよう……」
「すまない……ローアン。すまない……。ありがとう」
ローアンは、ガガの頭を抱きしめる。ばかもの、とかすれた声がわずかに聞こえた気がした。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
拠点の奥深く。誰にも見つからないよう細心の注意を払った場所で、巨大な魔法陣が浮かび上がる。
分厚いフードを被って、たくさんの仲間を連れたローアンが、ガガに言う。
「ケーセラを置いていく。ワタシの代わりになるじゃろう。ケーセラ、お主はここに残れ。ガガに従って、せめてガガを苦しませぬようにな」
「はい、かあさま」
「……いいのかい?ここに残すなら、この子は、返せなくなる」
胸が軋んだ気がした。
ガガは珍しく化粧をしていた。真っ白な頬に指す赤で、随分健康的に見える。
「よいのじゃ。ガガにさびしい思いをなるたけさせたくないからのう。ケーセラはエルフの秘宝、かつて世界を救った異国の神が残した結晶石で作ったゴーレムじゃ。力は存分に示してきたつもりじゃ。役にも立つじゃろ。……さて、ガガ。これで最後じゃな?ここまで、すまんかったのう。……ありがとう」
「それはわたくしの方だ。すまなかった。そしてありがとう。わたくしの希望。わたくしの光。さあ、もう行くんだ!決して振り返ってはいけない。生きて、どこまでも生きてくれ!」
城に残るのは四肢に欠陥を持ったり、先が長くない怪我を負った者ばかりだった。皆が笑顔で見送る中で、ローアンもまた笑った。
「お主を、お主らを誇ろう!その武勇を語り継ごう!ワタシは絶対に、亜人が平和に暮らせる国を作るぞ!」
その言葉を最後に、ローアン達は姿を消した。誰もが無理矢理作った笑顔で、堪えきれずに涙を流している。
私は消えゆく魔法陣を目に焼き付けながら、軋む胸でため息をついた。
「決戦だ。ものども……存分に暴れるがいい!!」
『ぉぉぉぉおおおおおおおおぉぉぉおおおお!!』
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
「魔王…!!」
「ハハッ。いかにも。愚かなる人間ども、よくここまで来た」
「お前だけは許さないぞ…!!お前達魔王軍のせいで、どれだけの人が死んだと思ってるんだ!!」
「ハ…笑わせてくれる。どれだけの人が死んだ、だと?人間など、もっと死ねば良いのだ。醜悪なる者よ。貴様も、せいぜい苦しんで死ね」
「てんめぇええええええ!!」
衝突。激しい閃光。衝撃。ガガの命が目に見えて削られていく。それでも、死に場所を定めた彼女に迷いはなかった。
『どこを見ておるのじゃっ!ワタシを忘れるでないぞ!』
事前に仕込まれた録音を再生して、私も戦闘に加わる。ローアンがよく使っていた風の魔法陣。転写して、力を流す。旋風がほとばしった。
一瞬、ガガがこちらを見て目を見張る。それから愛おし気な顔で、泣きそうな顔で笑う。
「お前は……魔王のッッ!!クソッタレェ!!」
かまいたちのごとく敵を斬り刻む風。敵に直撃したと思ったそれは、どうやらあちらの魔法使いに阻まれていたらしい。
「……やあ、危ないですね。勇者、私はこのエルフの相手をします。あなたはそちらに集中して下さい」
「賢者!!よくやった!ならそっちは任せたぞ……死ぬなよ!」
「二人とも、援護は任せて!」
「ローアン…愚か者に、あなたの力を思い知らせてやれ」
『ふん、ガガ。こちらのことは任せておくのじゃ』
アドリブが飛んで来て焦った。それっぽい録音を再生しておく。
敵は近接距離のアタッカー、遠距離の魔法使い、サポート系の回復職の3人。ガガとアタッカー、私と魔法使い、プラス両方に回復職の構図になった。セオリーとしては回復職を最初に始末しておきたいが……魔法使いが正面にいると辛いな。私はどちらかというと接近戦が得意だ。使用可能な魔法には限りがある。だが、今の私はローアンの影武者なのだ。ローアンはバリバリの魔法使いタイプだったから、ここで私が突っ込んで行ったらいけない。仕方なく魔法陣を転写して魔法を撃つ。
「くっ、流石は魔王の片割れ……!内包魔力量がとんでもない魔法をつかいますねッ」
弾かれた。今度は魔法使いに荒れ狂う台風の魔法を撃つ。一気に3つ。
「なっ!この速さで超級の連発!?〜っ、光よ!」
シールド系か。3つの台風とせめぎ合う光の壁の中で、魔法使いが杖を掲げる。
「はっ、くぅっ……!流石に、強い、ですねッ!ですが、僕には泉の精霊の結晶石に、吸血鬼の骨、樹人の心臓を使った、人類の最高傑作が……いいえ、人類のっ、希望がっ!託されているんですッ!!」
光が強まる。台風も弾かれてしまった。
泉の精霊……吸血鬼に、樹人……?
意外と口の悪いおっとりした泉の精霊。いつもお腹減ったと元気に叫んでいた吸血鬼。気位の高い樹人。戦争で亡くして、遺体も奪われた仲間の存在を思い出した。
「賢者殿!支援しますッ!」
回復職が首から下げる蒼い魔石は、計算高い魔人の鎖骨に埋まっていたものと酷似していた。
「いいタイミングです、聖女様。さあ……今度こそ終わりにしましょうか、魔王」
紅蓮の炎が、私を囲む。
「超級魔法……メテオランス!!」
上空から真っ赤な槍が、指定された空間に雨となって降り注ぐ。私の視界が赤で埋め尽くされて、床が崩れて土砂に埋もれる。魔力を使い果たしたのか、魔法使いが膝をつく姿が見えた気がした。
「っ! ローアン……ッ!!キサマらああああああああああああああ!!」
咆哮。振動。ガガが人から竜へと転じる。傷だらけの竜に。
「ハッ、でけえ的だぜ!ここらでフィナーレといこうや!!俺たちの思いをッ!!思い知れまおおおおおおおおおおおおおお!!」
ガガのブレス。戦士が光り輝く剣を振りかぶって突き進む。衝突。散らされたエネルギーが熱と光に変換されて、世界が白く染まっていく。
「死ね……人間!!」
「負けるかああああああああああああああああ!!」
そして。
光が治まったとき、そこには喉を刺し貫かれたガガと。
胴を爪に刺し貫かれた戦士が。
彫刻のように、真っ白い石となって遺されていた。
魔法使いと回復職が叫び、駆け寄って泣き出す。ガガ。死んでしまった。妙な話し方をする、不器用な人だった。遺品の回収はできないけど、これなら人間が、ガガの体をバラバラにして利用することもないだろう。
悲しみに暮れるのは後。私は私で、出来る限りの人間を殺して、兵力を削らなければ。ローアンは、私を手放した。彼女はこれから、一人で戦う事になる。その時が少しでも遅くなるように、戦わなければ。
背後から音もなく忍び寄って、抱きしめるように回復職の首を折った。目を見開いた隣の魔法使いの腕を引いて、顔面を床に叩きつける。バウンドした頭を、拳で叩く。頭蓋骨が陥没して、魔法使いは息を引き取った。二人の首をねじきって、万一にも蘇生しないようにする。血まみれになった体を翻して、今だ激しい戦闘音のする城下へ向かった。
「おい……誰か、出てくるぞ!」
「勇者か!?」
「いや…!あれは…ローアン!」
「違う!ローアンの人形だ!!」
魔法使いと回復職の首を投げる。それに混乱したところへ一気に突っ込む。何人も何人も殺した。裂いて、ぶん投げて、なけなしの魔法を撃ち込む。関節が軋む。反応が遅れる。穿たれる。燃やされる。私も、そろそろ限界なのだろう。歪んだ視界で敵を見据える。
ローアン。
あなたが、今度こそ笑って過ごせますように。
幸せになれますように。
「人形がァ…!!これで、終いだッ!!」
最後まで一緒にいてあげられなくて、ごめん。
「………」
最後に見上げた夜空に、懐かしさを感じた気がした。
「───笑った…?」
───ドカアアアアアン!!
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1897年。30年にも渡る亜人戦争終結。最終決戦時の死者は、10万人以上と言われる。魔王ガガ、ローアンの死亡を確認。しかしこの戦いで最も多くの死者を出したのは、魔王ローアンの機構人形の自爆攻撃であった。
人類はその後、全亜人の絶滅を確認。これを期に、人間界統一の戦争期に突入した。