ティータ対盗賊王 1
――大きな袋は破られるさだめにある。
「イェーツ地方のことわざ」
ピルムがミャエンバッハの森を抜けてしまったときには、顔は泥だらけ、服は血まみれで、息がかすれそうなくらいにあがっていた。
「バテたか。ん?」
ピルムとは対照的にティータは聖室からでたときと同じ、きれいな顔、きれいな服のままだった。
「なんでそんなに強いんだよ……」
「はっはっは。そりゃ俺はおまえみたいなお坊ちゃんとは違うさ。十三で家を出てから四年間、たった一人で生きてきたんだからな」
ティータはピルムの手首をつかんだ。ティータの顔が黄金の腕輪に映っている。
「ほう、おまえ、いい腕輪してんな」
「こ、これは渡せない! 長老からもらった大事なものだ」
「そんな安物奪うつもりもないね。それより、おまえ、そのちんけな腕輪についている宝石が何か知ってるか?」
「知るもんか!」
「言い方には気をつけろってさっきも言ったよな」
ティータはピルムのあごをつかみながらどすのきいた声を出した。とたんにピルムは黙りこんでしまう。
「まあいい、教えてやろう」
ティータはピルムのあごから手を離して言った。
「その宝石はラピスラズリ。邪を払い、魔を遠ざけるという……」
そう、言い終わるが早いか、ティータはピルムから腕輪を奪い取ると、地面に投げ捨てた。
「な、何を……」
「こんな腕輪いらねえよ」
「いらない?」
ピルムは地面に落ちた腕輪を急いで拾うと、汚れを払いながらそれを再び手首に通した。
「強さってのはそんなまじないや迷信から生まれるんじゃないってこった。おまえはどうやって獣たちから逃げた? どうやって獣をぶっ倒した? 自分の足で逃げ、自分の手で倒したんだろうが。強さってのは力だよ。それも圧倒的な力だ。俺にはそれがあって、おまえにはない。単純な話さ」
ピルムは不意に涙が出てきてしまった。自分の力が弱いことが情けなくて、自分の手で村を守れないことがつらくて、もう止まらなかった。
「泣くんじゃねえ!」
ティータは一喝した。
「おまえはもっと強くならなくちゃいけねえ。さっきからおまえの弱さに一番いらだってるのは誰か分かるか?」
ピルムは涙を拭いながら、首を横に振った。
「俺だよ! おまえに一番強くなってほしいのは俺なんだ。さっき、おまえから渡された手紙を読んだ瞬間から、おまえに強さを求めてた。おまえは強くなくちゃいけないんだ」
何で僕だけ……。そんな思いがピルムを渦巻く。何で僕だけが森に行かなければならない? 何で僕だけが獣と戦わなければならない? 何で僕だけが強くなくちゃいけない? 何で? 何で? 何で? そんな思いが溢れかえり、涙となって、ピルムの頬を濡らした。
「どうしようもねえやつだなぁ」
ティータはため息をついた。
「これ以上泣くなら置いてくぞ。俺は急ぐ」
「そうだ……、盗賊が……、マヤエ村を」
「そうじゃねえ」
「え?」
「今から大雨が降る。とてつもない大雨がな」
ティータの言ったとおり、それからすぐに大粒の雨が降り出した。
二人は駆けていた。全速力で駆けていた。ぬかるんだ道をものともせず、水たまりをいくつも飛び越えて。
「どうして分かったの?」
降り注ぐ雨音に負けないようにピルムは大声で聞く。
「あ? 何がだ?」
「雨だよ。どうしてこんなに雨が降るって分かったの?」
「逆におまえは分からなかったのか? あれだけ重い湿り気が充満してたってのに。おまえは十二年間、どうやって生きてきたんだ?」
ピルムは黙ってしまう。
「もう一つ教えてやろう。雨が降る前には虫たちは低く飛ぶ。さっきもトンボたちが地面すれすれに飛んでた。虫たちは俺たち人間よりも天のことを知ってる」
「なんで?」
「あ?」
「なんで虫は雨が降ると低く飛ぶの?」
「そんなこと俺が知るもんか。雨が降るとき、虫たちは低く飛ぶ。それだけ覚えておけばいい」
「……」
「ほら、速く走らないと、盗賊と戦う前に風邪引いちまうぞ!」
雨脚が強くなった。二人は白い雨の中、マヤエの村の方向をめがけて走った。
夕方が終わり、夜が始まるころ、二人はようやく村にたどり着いた。
マヤエ村はしんと静まっていたが、あちこちに明かりが見え、パンの焼けるいいにおいも雨の隙間から漂っていた。
「この様子だとまだ盗賊どもは来てないらしいな」
「よかった。なんとか間に合った」
「まだ安心はできないがな。とりあえず休みたい。おまえの家に泊めてくれないか?」
ピルムは首を横に振った。
「僕の家は西のはずれにあるんだ。西の集落へは橋を落とされちゃったから山一つ越えて行かなきゃならない」
「もう日も暮れてきたし、雨も降ってるし、山を越えるのはちょっとやだな」
「そうだ。ゴッズの家に泊めてもらおうか。僕、ゴッズの家に泊めてもらう約束をしてるんだ」
「ゴッズ?」
「この村で肉屋をやってる人。僕は小さいころからすごくよくしてもらってる。奥さんもすごくいい人だよ」
今度はティータが首を振った。
「俺は追われてる身だ。男一人ならまだしも、所帯持ちで、悪人と同じ屋根の下、いい気がするとは思えない。他に泊まれそうな場所はないか?」
ピルムは考えこんだ。
「そうだ。長老の家なら。長老はティータさんを連れてくることを提案した張本人だし、きっと喜んで泊めてくれるよ」
ティータは深くうなずいた。
「とりあえず、その長老とやらのところに連れていってくれ」