ミャエンバッハの森 3
その石造りの建物は、そこかしこが欠けており、蔦が全面にからまっていた。
「ここだ」
男がピルムの方を向いて言った。
「ここが、おまえの探していた聖室だ。中に入ればおまえの求めていた人に会えるだろう」
「でも……」
探している人。それは銀髪のティータそのものだ。しかし、ティータは危険な人物である。中に入ったら最後出てこれないかもしれない。
ピルムは、目線で男に助けを求めた。だが、男は短く、そして厳かにこう言った。
「恐れるな。行け」
それだけを言ってしまうと、男は背中を向けて、もと来た道へ戻ろうとする。
「待って!」
ピルムは男の肩をつかもうと手を伸ばした。その伸ばした指先が男に届くことはなかった。
ピルムの指は、男の身体をすり抜け、空を切った。
男の身体はだんだんと透明になり、やがて消えた。
ピルムはひとり、ミャエンバッハの森に残された。
耳鳴りのするような緊張の中、ピルムは聖室のまえで立ち尽くしていた。
そして、この森から帰るのも、ティータを連れて村へ戻るのも、自分にしかできないのだと悟ったとき、ピルムは聖室の重い石戸に手をかけていた。
外の光が細く聖室の中に差し込んだ。
ピルムは真っ暗な聖室の中をきょろきょろとうかがいながら、その人の名前を呼んだ。
「ティータ……、いや、ティータさん。おられますか。僕はマヤエの村からあなたを探しにきたピルム・サーダという者です。おられたら……」
首のあたりに鋭く薄いものが押しつけられた。そのあまりの冷たさにピルムは後ろを振り向くことすらできなかった。
「動くな!」
ピルムの心臓の鼓動が大きくなった。
「動けばこのナイフでおまえの喉をかっ切る」
喉に押しつけられたナイフの感触が強くなった。一筋自分の首元から血が流れていくのを感じた。
「なぜ、ここがわかった。なぜ、ここに来た。今はまだ大祭の時期ではないはずだ」
ピルムの口はまったく動こうとしなかった。だが、ここで答えなければ殺される。そう思ってどうにか答えを絞り出した。
「マ、マヤエの村に盗賊が来たんです。それであなたに助けを求めようと……」
「くっ」
首への圧力が急に弱まった。
「くっ。わははははは」
先ほどまでピルムを殺そうとしていた相手が、大声で笑い出した。
「冗談だろ? 俺を誰だか知ってるのか? 俺は三公国をまたにかける賞金首ティータ様だぞ」
ピルムはその場にへたりこんでしまった。
「その扉を開けろ。今のままではおまえの顔すら見えない」
ピルムは言われたとおりに聖室の扉をすべて開けはなった。
「あなたが、ティータ……、さん?」
「ああん? なんか文句あっか?」
相手がピルムを冗談っぽくにらみつけながら、顔を近づけてくる。
「……子ども」
ティータは噂通りの銀髪だった。髪を短く切りそろえていて、目つきも鋭い。だが、その背丈はピルムより頭一つ大きいくらいの、童顔だったのだ。
「誰が子どもだよ。このやろう! おまえ、いくつだ。俺よりもちびじゃねえか」
ティータは唇をとがらせながら、ピルムの髪をぐしゃぐしゃにした。
「……十二」
ピルムはティータの乱暴にあらがいながら、やっとのことで言った。
「俺は十七。ほら、おまえより五つも年上だ。もうちょっと敬え」
「……もう、十分敬ってるつもりですけど」
ピルムは伏し目がちに言った。
「口答えすんな。コラ」
ティータの攻撃はさらに強くなった。
「……っつ、と」
ピルムはティータの手を振り払った。
「こんなことをしてる場合じゃないんです。村に盗賊が襲ってきて、あなたに助けてもらいたいんです」
「それはさっき聞いた」
ティータは不機嫌な表情を隠さずに言った。
「はい」
「なんで俺がそんなことをしなくちゃならないんだ? 義理もねえ。義務もねえ。おまえとは友達でもなんでもねえ」
ティータはピルムに指をさしながら吐き捨てた。
「分かってます。いちおうここにお金を用意してきました」
「ふうん」
ティータはピルムが差し出した袋を開いて中をのぞき込んだ。
「ぜんぶ金貨か。結構入ってるみたいだな」
「じゃあ……」
ティータは待て、のジェスチャーをした。
聖室の隅に置いてあった秤を持ってくると、自分の懐から金貨を一枚出して、一方の皿に置いた。
秤が大きく右に傾く。
次にティータはピルムの革袋の中から金貨を一枚出して、もう一方の皿に置いた。
秤はぴくりとも動かない。
「贋金だ」
ティータはピルムに革袋を投げつけた。
「知ってるだろうが、俺はいろんなやつらから追われる身なわけ。こんなものを使ってバレちまった日には、絞首台か一生暗い牢獄の中だ」
ティータはピルムを追い払うように手を動かした。
「残念だったな。帰りな」
ピルムは背嚢をまさぐった。
「帰れっつってんだろ。こっちがサービスで生かして帰そうとしてやってんのに……。ん、なんじゃそりゃ」
ピルムはティータに長老からもらった書状を差し出した。
「そんな紙切れじゃ何も変わらねえよ……」
ティータはしぶしぶ書状を受け取ると目を通し始めた。
最初はいやいやながら読んでいたティータの表情が徐々に真剣な目に変わっていく。
最後まで読み終え、書状を置いてしまった瞬間、ティータはピルムの裾をまくり上げた。
「な、何するんですか!」
「いいから見せろ!」
あらわになったピルムの太ももには幾何学的な模様が浮かんでいた。光の加減に合わせて、まるで呼吸をするように薄くなったり、濃くなったりしている。
「変でしょ」
ピルムはさみしそうに言った。
「小さいころからあるんです。それ。よく村のガキ大将にいじめられました。ピルムは変だって。そんな変な模様があるのは親なしだからだって」
ピルムは少し気分が落ちこんでしまったが、ティータは気づいていないようだった。
「金になるかもしれねえ」
「は?」
「おまえがだよ。おまえ。盗賊退治なんていうかったるい仕事引き受けるつもりは毛頭なかったけど、気が変わった。助けてやる。おまえと、おまえの村を」
ピルムはまだ腑に落ちなかった。
「その手紙に何が書かれてたんですか?」
ピルムはティータの手の中にある書状をとろうとした。
「おっと」
ティータはピルムの届かない位置まで手を伸ばした。
「こいつは見せられねえ」
「なんでですか? 僕にかかわりのあることなんですよね」
ピルムはむきになっていた。目の前の相手が大悪人だと言うことはすっかり
忘れてしまっていた。
「俺はどちらでもかまわないんだが……」
ティータは含み笑いをした。
「悪いな。この手紙に、おまえには何も話すなと書いてある」
「教えてくださいよ!」
「時間がないんだろ」
ティータは立ち上がった。
「さっさといこうぜ」
ピルムは黙りこんでしまった。相手の方が正しかったからだ。
「おやおや、お客さんのお出ましだ」
聖室の外には妖化した獣たちがところ狭しと集まってきていた。
「悪い。俺がおまえの首をちょっと切っちまったからだな。あいつらはおまえの血のにおいに惹かれてきたんだ」
ティータは剣を抜いた。
「さあ、はじめようか。俺のあとについてこい。一歩も遅れるなよ」
「でも、あんなに大勢……」
「見くびるなよ」
ティータは剣を構えた。
「俺は三国一の賞金首、銀髪のティータ様だ!」
ティータの剣が一閃する。獣たちの身体から血が噴き出し、海を割るようにティータの行く先に道ができる。
そのとき、獣の牙がピルムの背中をかすめた。
「痛っ……」
「ぼうっとするな。そこに下げている剣は飾りか! おまえになんかかまってられねえぞ。こっちはこっちで精一杯なんだ」
獣がピルムに襲いかかる。頭からかぶりついてしまいそうな勢いだ。
「やれ!」
ピルムはがむしゃらに剣を抜き、がむしゃらに振り下ろした。
「うあああああっ」
獣の首が地面に転がった。
「やればできるじゃねえか。さっ、急ぐぞ」