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ピルム・サーガ  作者: 尾瀬月都
盗賊王の襲来
3/7

ミャエンバッハの森 1

 ――その人は自らを咎人とがびとと呼んだ。だが、世人せじんはその人を賢人と呼んだ。          「『伝国紀元』第二 ランシュール伝」

「さあ、お食べ。まずは腹を満たさねば。これから半日はかかる旅路になる」


「は、はあ……」


 ピルムは言われるがままに、パンと木の器に入った温かい山羊の乳を手に取ったが、なかなか口に入っていかない。


「心配か」


 長老がピルムの顔をうかがう。


「無理もない。ミャエンバッハは禁忌の森。神の森とも言われる森じゃ。マヤエ村では特別なとき以外、一歩中に入ることすら禁じられておる。このわしとて、足を踏み入れたことは数えるほどしかない。だからこそ、ティータもあの森に潜んでおるのじゃろう。……ちょっと待っておれ」


 長老は奥の部屋に向かうと、一つの腕輪を持って現れた。


「村に伝わる腕輪じゃ。邪をはらい、困難を打ち砕くという。これを持って行けば並大抵の獣なら襲ってこん」


 その腕輪は金細工で作られており、側面に宝石が埋め込んであった。


 長老が何かまだ話していたが、ピルムの耳にはまったく入ってこなかった。


 その腕輪のきらびやかさに心を奪われていたのだ。


「さあ、はめてみい」


 ピルムはおずおずと腕輪に左手を通した。


「見ろ。ぴったりじゃ」


 ピルムは窓から差し込む陽の光に腕をかざした。


 金の腕輪がぴかぴかと瞬く。


 ピルムは身体の奥底から力がわいてきたような気がした。


「よし。そして、これじゃ」


 テーブルの上に革袋が置かれた。


 大人の手のひらほどの革袋がはちきれそうに膨らんでいた。


「村の者たちから集めた金じゃ。けっして落とすでないぞ」


 ピルムは緊張しながらそれを受け取り、ゆっくりと背嚢はいのうに入れた。


「しかし、相手はなんと言っても銀髪のティータじゃ。これだけでは動いてくれんかもしれぬ。念のためにこれを渡しておこう」


 長老は懐から一通の書状を取り出した。急に長老の表情が険しくなる。


「いいか。よく聞いておけ。これはややもすると、今渡した金なぞよりもはるかに重要な書状じゃ。けっして落としてはならん。けっして人に見せてもならん。そしてティータが金で心を動かされなかったとしても、この手紙には心を動かされるじゃろう。大悪人とはいえ、いやしくもビルマージュ王国の一国民であるならば」


 ピルムはうなずくと、その宛名のない書状を震える手で受け取った。


「そして、これがミャエンバッハの森の地図じゃ。この×印の書いてある場所におそらくティータは潜んでおる。隠れるとすればここしかないからの。ここは聖室せいしつと呼ばれる建物じゃ。聖室で村の代表者は身を清め、神への祈りをささげる。それほど迷う場所ではない。距離はそれなりにあるが、ミャエンバッハの森の入口からまっすぐに進めば必ずたどり着く」


「長老……」


 ピルムは小声で長老の話をさえぎった。


「僕はまだうかがっていません。なぜ僕なんですか? なぜ僕がティータを呼びに行かなければならないんですか? 村にはたくさんの僕よりもずっと頼りがいのある大人がたくさんいるのに!」


 長老は慌てて言った。


「そ、それはおまえが子どもだからじゃよ。大人が行けば、きっとティータは警戒する。子どもならそれも少しは……」


「子どもなら村には山ほどいる! 僕なんかじゃなくていいはずだ!」


 長老はため息をついた。


「困ったのう。わしはおまえさんがパンを食べている間じゅう、言うべきか、言わざるべきか考えていた。むろん、おまえが理由を聞きたいのは百も承知のうえでじゃ。わしがこれまで言わなんだのは、ピルム、おまえのためを思ってのこと。それで許してはくれんかの」


「嫌です。教えてください。そうでなければ僕は絶対に行きません」


 長老は観念した様子だった。


「仕方がないのう。全部は教えることができんぞ」


「はい。それで結構です」


「……それはの、ピルム。おまえがピルムだからなのじゃ」


「は?」


「おまえがピルム・サーダだからなのじゃ」


「答えになっていません」


「それでもそれが答えなのじゃ。これ以上は教えることができん」


 今度は長老が強情になる番のようだった。これ以上、何も引き出せないと見るや、ピルムは観念して言った。


「……分かりました」


「そうか。分かってくれたか」


 長老はにっこりと微笑んだ。


「少し時間がかかりすぎてしまった。もう陽が真上に昇り始めておる。そろそろ出発せねば。ピルム。これがわしからの最後の餞別せんべつじゃ」


 長老は一振りの古びた剣を取り出した。


「これはわしが先王にお仕えしていたときに、使っていた剣じゃ。わしはこの剣とともに八年戦争を戦った。気の遠くなるほど古いものじゃが、先ほど取り出してみたら使えないほどではなさそうじゃった。なまくら刀だが、持っていないよりはましじゃろう。持って行け」


 ピルムは長老から剣を受け取った。ずっしりとした重みが身体中を走った。


「さあ、行け。表にゴッズが馬を用意してくれておる」




「長くかかったみたいだな」


 外に出ると、ゴッズが家の壁に筋肉質なその身体をもたれていた。


「今日、仕事は?」


「仕事?」


 ゴッズがあきれたように言った。


「今日はみんなそれどころじゃねえ。てめえの家に身を隠してぶるぶる震えてやがる。外に出たら盗賊に襲われちまうかもしれねえからな」


「じゃあ、ゴッズはなんでここに来てくれたの?」


「そりゃあ……、おめえ……」


 ゴッズは頭をかきながらうつむいた。


「おまえをおまえの親の次に抱いたのは俺だ。おしめをかえてやったのも俺。遊んでやったのも俺。俺はいつでもおまえの歳の離れた兄貴だった。違うか?」


「うん……」


 ピルムは涙がこぼれそうになるのを必死で押さえながら、ゴッズにうなずいた。


「バ、バカ、泣いてる暇はねえ。さっさと後ろに乗れ、出発するぞ!」


 ピルムは涙をぬぐうと、ゴッズに続いて馬に飛び乗った。


「ピルム!」


 後ろから聞こえる叫び声にピルムは振り向いた。

 金髪の少女、マーシャがこちらに走ってきていた。ピルムは慌てて馬から飛び降りる。


「マーシャ、危ないじゃないか! 一人でこんなところまで来るなんて。盗賊はまだそこらにいるかもしれないんだぞ」


「平気よ。ママと一緒に来たんだもの。ほら、お母さんはあの木陰で待ってるわ」


 たしかに遠くの方で見守っているマーシャの母親の姿が見えた。


「だからって……」


「だって心配なんだもん!」


 マーシャがピルムに抱きついてくる。


「とっても危ないところに行くんでしょ。けがして帰って来るかもしれない。もしかすると死んじゃうかもしれない。私のお父さんみたいに!」


 ゴッズが頭をかきながら言った。


「お嬢ちゃん。気持ちは十分わかるけどよ。ちっと、こちとら急いでるんだ。ピルムから手を離してくれねえか?」


 マーシャは恨めしそうにゴッズをにらみつけると、ゆっくりとピルムの身体から手を離した。


「さあ、出発だ。もうああだこうだ言う時間なんてないぞ!」


 ピルムはしっかりうなずくと、ゴッズの差し出した手につかまりながら馬にまたがった。


「じゃあ、行ってくる」


 いつの間にか長老が見送りに出てきていた。


「ピルム、しっかりな」


「はい!」


「ピルム、気をつけて」


「うん、ありがとう」


 ピルムとゴッズ、二人を乗せた馬は、村のあぜ道を飛ぶように駆け、村境いの門をくぐった。




「俺は今でも分からねえよ」


 ゴッズは手綱をしっかりとにぎりしめたまま言った。


「何が?」

 

「長老がおまえを行かせたことだ」


「それは……、いまさら言っても仕方ないことだろ」


 ピルムはゴッズの腰につかまりながら苦笑する。


「もちろん、長老がおっしゃるこった。なにか訳があるのに違いねえ。俺らみたいな能なしには分からないような立派な理由がな」


 ピルムはよっぽど言ってしまおうかと思った。僕が選ばれたのは、僕がピルム・サーダなのだからだ、と。そう思って、思いなおした。自分が分かっていないことをゴッズに言っても意味がない。


「でもなあ、理屈で分かっても、ここには、心には分からねえのよ。俺はおまえをティータのとこになんか行かせたくねえ」


「ゴッズ……」


「今年の秋には子どもが生まれる。うちの母ちゃんのおなか大きくなってただろ。おまえにも俺の子どもを見てほしかったなあ」


「大丈夫だって。僕はきっと帰ってくるよ」


「すまねえ。縁起の悪いこと言って。でもよ、俺はもうおまえとは会えなくなるような気がしてならねえんだ」


 二人とも黙ってしまった。


 馬の歩みが徐々に止まり始めた。


 うっそうとした森が目の前に広がっている。


「着いたぞ」


 ゴッズが息をのみながら言った。


「ここがミャエンバッハの森だ」



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