マヤエの村 【後編】
「ピルム。今日は俺のうちに泊まれ。今日は寝るところもないだろ。うちのかあちゃんにも許可はとってある」
ゴッズが歩きながら言った。バグニダッドは無言。長老も何か考えこんでいる。
「う、うん。ありがと」
「どうした。まだ怖いのか? 無理もねえ。おまえはまだ十二になったばかりだからな」
「えっと、そうじゃなくて……、いや、それもだけど……」
「なんだ。じれってえなあ」
「僕、今日はずっと眠ってて……、起きたら村が焼けてて、牛乳屋のおばさんが倒れてて、いったい村に何があったの?」
「おまえ、何も知らねえのか? 本当にのんきなやつだ」
ゴッズはあきれといらだちの両方がまじった声で言った。
「盗賊に襲われたんじゃ」
長老が代わりに答える
「盗賊!?」
ピルムは大声を出した。
「あっという間じゃった。盗賊どもは月が少しかたむくあいだに、村中の家に押し入り、金目のものを盗みだし、あげくの果てに村へ火をつけたのじゃ」
ピルムは言葉が出なかった。
「愚図が」
バグニダッドは吐き捨てた。
「いつまで子どものつもりでいるんだ。親がいないからって甘えてるんじゃないか。盗賊に殺された村人は十本の指では足りないんだぞ」
バグニダッドの声に怒りが混じっていた。
「許してやりなさい。眠っておったのじゃ。人間誰しもみな眠る。盗賊に対するいらだちをピルムに向けてはいかんぞ」
「くっ」
「盗賊どもは明日も来るじゃろうの。襲われたのは村の西側だけじゃ。次は東側を狙ってくるは必定。さて、明日をどうやり過ごすか」
「盗賊たちはなぜ、こんなちっぽけな村を?」
ピルムが尋ねる。
長老は煩わしそうにピルムに言った。
「ピルムよ。人に聞く前にまず自分で考えてみるがいい」
ピルムは考えこんだ。
「……分かりません」
「それでは昨日は何があったかの?」
「あ、そうか!」
マヤエ村は辺境の小さな村である。大きな町や都までは遠く、買い物もままならない。そこで、数ヶ月に一度、隊商が村を訪れ、食べ物、衣服、宝石といった珍しいものを持ってきてくれる。また、村人も、そのときに野菜やチーズ、手編みの帽子などを隊商に売るのである。
「盗賊たちは村に隊商が訪れたことを知っておったのじゃ。村に金や物がありあまっておることも。そこで、隊商が来た翌日の今日、村を襲った」
「でも、なんで盗賊は村全部を襲わなかったんですかい?」
ゴッズは首をかしげている。
長老はため息をついた。
「馬鹿にされておるのじゃ。今日一日で奪わなくとも明日来ればよいと。明日来てもこちらには為す術がなかろうと。橋を焼いたのも気休めにすぎん。山づたいに襲ってこられたら一巻の終わりじゃ」
「戦おう!」
バグニダッドが声を荒げた。
「俺たちだって一人前の男だ。盗賊に一太刀報いることくらいできる。村の人間が殺されて、このままにはしておけん」
「どうやって戦うのじゃ」
長老は後ろ手に手を組んだ。
「ここは長いこと平和な村じゃった。争いも人殺しもなかった。むろん、武器もない。武器になりうるとすれば弓矢くらいのものかの。しかし、それも狩りのためのものじゃ。やつらの凶悪な武器とは比べものにならん。おまえさんがいかに弓の名手とはいえ、しょせん一介の猟師。対して盗賊どもは生粋の手練れ。人を殺すことには慣れておる。残念じゃが、おまえさんじゃ先ほどのように不意打ちを食らわすのが精一杯じゃろうの」
「じゃあ……、このまま殺されるのを待つしかないってのか!」
長老は腕組みをして考えていた。眉間の皺がますます深くなる。
「一つだけ方法がある」
「長老! 早くその方法とやらを教えてください。俺は村が助かるためなら何でもしますぜ」
ゴッズは口中から泡を飛ばしながら叫んだ。
「まあ、慌てるでない。明朝じゃ。東の端に陽が昇るころ、生き残った村人全員を大広場に集めるのじゃ」
細く差しこむ朝日の中、大広場に集まった村人たちは、みな憔悴しきった顔をしていた。
家族を亡くして目がうつろな老人。寝不足のためにまぶたが閉じかけている子どもたち。火事のために顔を真っ黒にした女……。そんな村人たちの中をかきわけて一人の少女がピルムに駆け寄ってきた。
「ピルム!」
「マーシャ! 無事だったんだね」
マーシャは人目もはばからず、その美しい金髪をぐちゃぐちゃにして、ピルムに抱きついた。
「ピルムも! 生きててよかった。昨日、何回もピルムが死んだ夢を見たのよ」
「僕がそう簡単に死ぬもんか。おじさんとおばさんも無事かい?」
急にマーシャの顔が曇った。
「お母さんはなんとか無事。でも、お父さんは……」
マーシャの瞳へみるみるうちに涙があふれ、それを隠すようにマーシャはピルムの胸元に顔を押しつけた。
「ごめんなさい」
マーシャはひとしきり泣いてしまうと涙混じりの笑顔で言った。
「ピルムはお父さんもお母さんもいなくなっちゃったんだった。私がこんなに泣いてちゃだめよね」
「マーシャが泣くことで少しでも気が休むならどんどん泣いたらいいよ。僕は気にしない。でも、そろそろ一時中断だ。長老の話が始まるらしい」
長老が、大広場の高台の上に立った。
ざわめいていた村人たちは水を打ったように静まりかえる。
「みな、突然のことにまだ心が落ち着かんことじゃろう」
長老は眼光鋭く村人を見わたす。
「家族を亡くした者もおるじゃろう。親しい者を亡くした者もおるじゃろう。けがをしてしまった者もおるじゃろう……」
広場のあちこちから嗚咽が漏れる。
「じゃが! わしらには感傷にひたっている余裕はない。なぜなら、今晩にも盗賊がまた襲ってくるだろうからじゃ」
村人がまたどよめいた。
「そして、わしらには盗賊を止める手段がない。これもまた厳然たる事実」
ざわめきがまた大きくなる。
「住み慣れた村を枕に全滅するのもまた一興かもしれん。みながそれを望むならそれもよかろう。じゃが、わしはこの村の長として、そんなことはしたくない。みんなを守りたいのじゃ」
「長老。何かお考えがあるのですか?」
若い男が聞いた。
「うむ」
「それは……?」
「銀髪のティータを呼ぶ」
村人全員が凍りついたように固まった。
銀髪のティータ。ピルムもその噂は聞いたことがあった。三公国にまたがって賞金をかけられているお尋ね者。残虐非道。腕はたしか。だが、金にもがめついという。
「不満そうな者もおるようじゃの」
長老は声を立てて笑う。
「すまぬ。わしには他によい方法が思いつかなんだ。時間があれば別かもしれん。じゃが、盗賊どもは必ずやってくる。今日でなければ明日。明日でなければ明後日。それなら手を打つのは早ければ早いほうがよい。どんなに稚拙な策であったとしてもの」
長老は咳払いをした。
「そこで、じゃ。きゃつを、銀髪のティータを呼ぶには金が要りようになる。はした金では足りん。村中の金をかき集めねばならん。みなの協力が必要じゃ」
あちらこちらから不満の声が漏れた。隊商に野菜を売って小金を手にした村人が少なからずいたのである。
「……考えてみるがよい。この村から村人がいなくなり、金だけが残ってなんになる。わしらはすでに善良な村人、親しい友人を何人もなくした。どこか人ごとだと思ってやせんか? 明日は我が身じゃ。いや、今晩にも自分自身の命がないやもしれんのじゃぞ」
一同は静寂に包まれた。しばらくすると、一人。また一人と賛同の声が聞こえてきた。そして満場一致、それぞれの財産を持ち寄るということが決まったとき、長老が言った。
「よろしい。それでは話を進めよう。確かな筋からの情報によると、銀髪のティータはここから北東、ミャエンバッハの森の廃屋に潜んでいるとのことじゃ。そしてこの大役を任せられるのは……」
長老はそこでいったん押し黙った。
村人たちの心は再びざわめいた。誰が選ばれるのだろうか、という好奇心。そして、それはもしかすると自分かもしれないという不安。その両方が大広場に渦巻いていた。
「ピルムしかおらぬ!」
「ちょっと待てよ!」
バグニダッドが大声を出した。
「なぜピルムを行かせようとする? やつは先日ようやく十二になったばかり。しかも、昨日の晩は盗賊たちが村を襲っている中、一人だけ眠りこけていたんだぞ。村の一大事を任せるには荷が重すぎる」
「それではお主は誰がいいというのじゃ?」
「それは……、俺が……」
「お主がいなければ誰がその間村を守る? それにわしがピルムを使いに選んだのは、ゆえあってのこと。この村の長老としての判断じゃ。先ほど、ティータを呼ぶかどうかは村人全員で決めた。じゃが、これに関して一切の有無は言わせん」
バグニダッドは何か言いたげに長老の方を見上げていたが、歯を食いしばってゆっくりと引き下がった。
それを確認した長老は、高台から降り、ピルムのもとに近づいていった。
「さて、ピルムよ。今までの話を聞いておったろうの」
ピルムは小さくうなずいた。
「そしてなぜおまえが選ばれたのかと考えておるのじゃろう」
ピルムは深くうなずいた。
「そのあたりも含めてわしの家で話そう。朝食をとりながら。焼きたてのパンと山羊の乳を用意しておる」