第一章3 『超能力?!』
口が半開きのまま固まった二人を横目に、僕は教室に足を踏み入れた。
僕はゆっくりと歩いて、白い槍の前で静止した。
『ゴクリ』
後ろを振り替えると、いつの間に二人とも僕の後ろまで歩いて来ていた。
「……」
改めて見ると、黒板に突き刺さった槍がいかに異様なものかわかる。僕の太もも程度の太さがあるそれは、多少の破片を出しながらも黒板を貫いてなお原型を保っている。恐ろしい強度だ。何で出来ているか気になる。触っても大丈夫かな。触った瞬間に感電して死ぬとか無いよな…… まあ周りの黒板が変色してるとかもないから大丈夫だろうけど。
いやまてよ、僕を殺そうとした女神様の放った槍だぞ。触った瞬間、魂が吸いとられたりして…… まあ、たぶんちょっと触るくらいなら大丈夫だよな。ここで迷っていても仕方がない。
僕は深呼吸をすると、覚悟を決めて白い槍に手を伸ばした。
『……』
白い槍に触れた瞬間、手から冷気が伝わってきた。それ以外特に何も起こらない。ちょっと拍子抜けした。
「……どうだ?」
仁が不安そうに聞いてくる。
「冷たいね。多分これ、氷で出来てるんじゃないかな」
僕の後に続いて、二人もおそるおそる手を伸ばした。
「どれどれ……、おっ本当だ」
「ひゃっ、冷たい!」
少しの間、三人とも手を伸ばして槍に触れたまま静止していた。
気がつくと、僕の左側のすぐ近くに宮坂さんの顔があった。
や、やばい、すごく良い香りがする。生暖かい吐息が僕の首筋にかかってこそばゆい。心臓が早鐘を打ち始めた。僕は慌てて離れようとして、右側にいた仁の足を思いきり踏んでしまった。
「いてっ!」
「ご、ごめん」
僕は急いで足をどかそうとしたが、焦って足を絡ませて、隣にいた宮坂さんを巻き込んで転倒してしまった。
「きゃっ?!」
なんだ、この感触は…… 柔らかくて温かいナニかが僕の顔を優しく包み込んでいる。僕が頭を動かすとそれに合わせて形を変えた。
「ひゃっ! あっ、やめっ!」
ああ、このままこの極上の楽園で眠って全てを忘れてしまいたい……
って、ぁあアアアア!!
僕は慌てて宮坂さんの身体の上から飛び起きて、そのまま空中で一回転して綺麗に土下座を決めた。
「す、すいませんでしたぁぁ!!」
宮坂さんは顔を赤らめながら上体を起こし、両腕で身体を抱いた。
「わ、わざとじゃないんだよね?」
「はいぃぃ! もちろんですぅぅ!」
「そ、それならしょうがないかな? も、もう少し気を付けて、ね?」
「はいぃぃ! 二度としません!」
はあぁぁ! 僕は何てことを! でも、服の上からだとわからなかったけど、意外と大きいんだな宮坂さん…… って、いかんいかん反省しなきゃ。
「はぁー」
仁が呆れたように大きなため息をついた。
「そ、それにしても、この黒板修理するの大変そうだよねっ、仁?」
「……」
「ねっ、じーん?」
「ああそうだなたくさんお金かかりそうだな」
「だよねー!」
はぁー、疲れた…… まあ、自業自得なんだけど。
それにしても、もしこの槍が氷で出来ているなら、なんでまだ溶けていないんだろう? 女神様がこの槍を撃ってから随分時間が経っているはずなのに……
「それで、さっき言ってた女神様って何だ? 何でこんなものが黒板に刺さっているんだ? ちゃんと説明してもらうぞ」
そういえばまだ説明して無かったっけ。でもなんて説明すればいいんだろう? 正直僕も何が起きたのかよくわからないしな……。まあ、そのまま伝えればいっか。
「女神様が僕にこの槍を飛ばして殺そうとしたんだよ」
……
「はっ?」「えっ?」
いやいや、そんなに綺麗にハモられても……。まあ、確かに信じられないだろうけど。
「……おい、玲生。お前、暑さで頭がおかしくなったか?」
「仁だけには言われたくないよ!」
「か、柏木くん。保健室、行く?」
「やめて! 可哀想な子を見るような目で僕を見ないで!」
「いや、だってなぁ。突然、女神様に殺されそうになったなんて言われて、信じる方がおかしいとおもうぞ?」
「じゃあ、この槍はどうやって説明するんだよ!」
僕は、白い槍を指差して言った。
「まあ、確かにそうなんだが……」
「わ、私も女神様はちょっと、信じられないかな……」
二人とも困惑した表情を浮かべている。まずいな、これじゃあ本当に僕がおかしな人みたいだ。どうしたら信じてもらえるんだろう……。
「だいたい、玲生は何をしでかしたんだ? 女神様に殺されそうになるって、相当悪いことをしたって事だろ?」
「いや、別に何もしてないと思うんだけど……」
「それじゃあ、女神様じゃなくて悪魔なんじゃないか?」
「いや、あれは間違いないなく女神様だったよ」
「なんでそんなことがわかるんだ? 背中に羽でもついていたか?」
「えーと、白髪に碧眼で全身白いワンピースを着ていたよ」
『……』
あれ、なんか変な事言ったかな? なぜか二人とも目が潤んでいる。
「玲生……。白髪碧眼って、ここは日本だぞ。モテなさすぎてついに幻覚を見るようになったのか……」
「仁に言われるとムカつく! 確かに彼女いない歴イコール年齢ですけど!」
「は、早く病院に連れていってあげないと……」
「ちょっと宮坂さん?! 携帯取り出して何してるの?!」
「やめとけ蒼。もう手遅れだ」
僕は病院に電話をかけようとしている宮坂さんを慌てて止めた。そして仁、僕は今すぐお前を病院送りにしてやりたいよ!
「あー、もう! どうしたら信じてもらえるんだよ!」
あー、頭が痛くなってきた。もしかしたら本当に僕の頭がおかしくなってしまったのかもしれない。ちょっと自信が無くなってきたぞ。
「そもそも女神様とやらはあんなデカい槍をどうやって発射したんだよ? 呪文でも唱えたのか?」
「うーん、それは、ちょっと……ぼうっとしてて覚えてないというか……」
「なるほど。つまり白髪碧眼の美少女に見とれてフリーズしたってことか。はぁー、これだから童貞は……」
「だ、か、ら! 仁に言われたく無いっていうの!」
あー、くそっ。仁と話すと疲れるな。ほら、宮坂さんも首をかしげてるよ。
「め、女神様と魔法はちょっと信じられないけど、超能力者ならいるって聞いたことがあるよ?」
「うーん、でも多分宮坂さんが聞いたことあるのって、スプーン曲げるやつとかでしょ? さすがに氷の槍を飛ばす超能力とかはないんじゃないかな?」
超能力かぁー、そういえば中学の時に読んだバトル漫画のなかにいたなー、氷を使って闘うキャラ。まあ、敵キャラだったからあんまり人気無かったんだけど。
「超能力者の方がまだ現実味があるな。少なくとも女神様よりは。もしかすると俺にも、気づいていないだけで何か能力があるかも知れないな」
「仁に超能力? そんなことあるわけ――」
「闇の力よ我が手に集え。ダークチェイン!」
『……』
時間が凍結した。
えっ、ちょっと待って、痛すぎるんだけど。何? 闇の力って? 中二病かよ。
「す、凄いね時枝くん。か、カッコいいと思うよ」
宮坂さん…… そこはスルーしてあげようよ。
「……グレネードファイヤー! ウィンドカッター! サンドブレス! シャイニングシュート!」
勿論何も起こらない。あー、もう自棄になってるな。
「はぁ、はぁ、これでわかっただろ。超能力なんてアニメや漫画の中にしか存在しないんだよ。女神様だって同じだ。ほら、もうここに用はないだろ? とっとと家に帰るぞ!」
「いやいや、仁が試したのは魔法でしょ。超能力ってなんかちょっと違くない? もっとこう、……はぁああ! みたいな?」
僕は手の平を氷の槍に向けて、念力をかけてみた。まあ、どうせ何も起こらないだろうけど……
結局のところ、僕は女神様の存在から目を背けたかったのだろう。仁や宮坂さんに信じてもらえないことで安心していたのだ。
――パリンッ ガシャン
「えっ?」
黒板に突き刺さっていた氷の槍が、先端から裂けて教室の地面に落下し、音をたてて粉々に砕け散った。
「おい、玲生。お、お前今何をした?」
「か、柏木くん。い、今のは?」
「い、いや、ただの偶然でしょ。きっと」
「そ、そうだよな。たまたま、氷が溶けて落ちただけだよな。脅かすなよ玲生」
「び、ビックリしたぁ」
「う、うん。偶然だよ偶然」
違う。何かが手から放出された感触があった。僕は手のひらを確認した。しかし、特に変わったところは無い。
「……おい、これはどういう事だ?」
仁の声を聞いて顔を上げると、先ほどまで溶ける気配も無かった氷の槍の破片が、空間に溶けるように消えていっていた。数十秒後には氷の槍は跡形もなく消え去り一滴の水さえ残らず、大きな穴の空いた黒板だけが残された。
「き、きっと氷じゃなくてドライアイスで出来ていたんだよ」
「それじゃあ冷たすぎて触れないだろ!」
『……』
静寂が僕らを包み込む。
「で、でもほら。これで、女神様が存在してもおかしくないって思えてきたでしょ?」
「……」
得体の知れないモノがヒタヒタと僕のまわりに押し寄せて来ているような気がする。僕は今すぐこの場から逃げ出してしまいたかった。
「そ、そういえば……」
「何? 宮坂さん?」
「わ、私の見間違えかもしれないんだけど…… 落ちて割れる前、槍の中心が一瞬黒く光ったような……」
「黒く光るってなんだよ! 黒色は光をすべて吸収するから黒色に見えるんだぞ!」
「お、落ち着いて仁!」
「この状況で落ち着けるか!」
仁はいつも、焦ると正論を言うようになる。
でも、僕にはそんなことを気にしている余裕は無かった。
「ね、ねぇ、柏木くん。なんか向こうから足音が聞こえるんだけど……」
「っ?!」
――パタッ パタッ
耳を傾けると、階段を登って近付いてくる軽い足音が聞こえた。今は夏休みの真っ只中。高校棟には誰もいないはずだ。
ただ一人を除いて……
「ひっ! ど、どうしよう。め、女神様だ。こ、殺される!」
僕のただならぬ反応を見て、仁と宮坂さんも顔に焦りの色を浮かべた。
「め、女神様って玲生くんを殺そうとした恐い人なんだよね?」
「何だと?! それヤバいんじゃないか? おい、玲生! どうにか出来ないのか?」
「そんなこと聞かれてもわからないよ!」
足音がどんどん大きくなってくる。
「や、やばい! 逃げなきゃ!」
「逃げるって言ったって、どこに逃げる場所があるんだよ!」
「そうだ! 窓から逃げればいいんだよ!」
「か、柏木くん。ここは四階だよ? 落ちたら死んじゃうよ!」
「ここにいたって、女神様に殺される運命だよ!」
「おい、もう来るぞ!」
「あー、もう闘うしかないよ!」
「よ、よし。そうだな。俺の超能力を見せてやるか」
僕たちが各々に女神様を向かい打つ構えをとったその時。
教室の後ろのドアが開かれ、一人の少女が白い髪をたなびかせながら顔を出した。
僕らはまさしく硬直した。彼女が醸し出す圧倒的なオーラの前に、闘おうなんて気持ちは一瞬のうちに消え失せた。
最初に動き出したのは仁だった。 さすがの宮坂さんも、この時ばかりは素早かった。僕は少し出遅れた。
女神様がゆっくりと僕の方に手を伸ばした。
やばい、氷の槍がくる―― 僕は本能のままに死に物狂いで走った。前を走っている宮坂さんに追い付こうとしたが、足がもつれて転倒してしまった。
「か、柏木くん?!」
教室を出ようとしていた宮坂さんが後ろを振り返った。
「何をしている! 急げ!」
先に教室から脱出していた仁が慌てて叫んだ。
「で、でも……」
「早く!」
仁に手を引かれ、宮坂さんは泣きそうな顔をしながら廊下に消えていった。
「――!」
待ってと叫ぼうとしたが恐怖で声が出なかった。女神様がゆっくりと近づいてきて僕の前で静止し、僕に向かって透き通るように白い右手を伸ばした。
――殺される
僕が死を覚悟した次の瞬間。
「大丈夫?」
女神様のぷくりとした桃色の唇が動かされた。
*
職員棟の最奥にある校長室。普段は教師でさえほとんど誰も入る事が無い辺境の地に、一人の中年の男がドアを開けて躊躇なく入っていった。
中には誰もいないように見えたが、男は迷う事なく部屋の奥まで歩いて行き、壁にかかっている掛け軸をめくり上げた。裏の壁に現れた他と色が違う部分を男が両手で強く押し込むと、少し間が空いた後、ゴトンという鈍い音がして、部屋の隅に地下に降りる階段が現れた。
階段を下りた先にある白い無機質な扉を開けると、一変して豪華に装飾された派手な部屋の奥に、白髪の老人が待ち構えていたように座っていた。
「よく来たのう。茶でも飲むかい?」
「いや、いい」
楽しそうな顔をしている老人と対照的に男は顔をしかめていた。
「単刀直入に問おう。貴様はあの少女をどうするつもりだ?」
「少女? はて、なんの事やら」
「とぼけるな! こっちは全て知っているんだよ!」
男は顔に青筋を浮かべて叫んだ。
「ほう、さすがは教育委員会じゃ。情報の入手が速いのう」
「貴様もわかっているだろう。あの少女は特異体質だ。すぐに研究所の奴らが取り返しに来るだろう。そうなれば、学校中の生徒を危険に晒すことになるんだぞ」
「あの程度の若輩者など儂が外に放り出してやるわい。それに、今さら危険を顧みてどうする。もう革命は始まっているんじゃぞ?」
「き、貴様のそういう考え方が、あの悲惨な事件を招いたんだろう!」
男の声が怒りで震えた
。
「はぁ、それを言われると心が痛むのう。確かに、あの子らには申し訳ない事をしたと思っておる。じゃがもう同じ失敗は繰り返さん。儂は歩みを止めるわけにはいかないんじゃよ」
老人はのんびりとした口調で話していたが、目の奥の光は一瞬たりとも揺らぎはしなかった。
男は老人の表情を見て諦めたようにため息をついた。怒りの表情が和らいでいく。
「……やはり、覚悟は揺るがぬか。もとより、今回の件に関して我々が動くつもりは無い。だがこれだけは忘れるな。私は今でも革命に反対だ。もしも生徒の命が失われるような事があれば、私を含めた教育委員会の全てを敵にまわすことになると思え」
「善処するわい」
老人が短く答えた次の瞬間、扉が勢いよく開かれ、白衣を着た男が入り込んできた。額に大粒の汗を浮かべていることから、急いで走ってきた事が伺える。
「水元さん! 南雲が現れました! 朝比奈汐里を取り返すのが目的のようです!」
「やはり来たかい。そろそろだと思っておったわい」
老人はよっこらせと声を出しながら立ち上がった。
「ま、まて! まだ話は終わってないぞ! 少女の処遇はどうするのだ? 彼女は身寄りが無いんだぞ?」
「それについては心配要らぬわい。 儂に考えがあるからのう」
老人が杖で地面を突くと男の後ろに黒い穴が出現した。
「ちょっとまて、お、おい、考えってどういううぉぁぁ――」
男が吸い込まれると同時に黒い穴も閉じた。老人は白衣の男の肩をポンポンと叩いて労うと、扉を開けて地下室を後にした。