第二章2 『女神様?!』
静まり返っていた無人の廊下にパタパタと足音を響き渡らせ、僕は廊下を疾走していた。
「はぁ、はぁ」
高校棟の階段を下り、三階にある渡り廊下を渡って中学棟に入ると、やっと暴走していた足の動きが止まった。
「な、何だったんだ……?」
廊下の壁に手をついて荒い呼吸を整えると、止まっていた頭が急激に活動を再開した。
あの白い女の子、手から槍を発射したよな? あれが当たってたら、僕は死んでいたんじゃないか? いったいあの子は何者なんだ?
思考が巡りめぐって、僕の頭の中に一つの答えが浮かんだ。
女神様?!
確かにそれならあの容姿といい、だいたいが説明出来るけど……
いやいや、そんな事あるわけあるわけ無いでしょ。まったくもう、僕は今まで何年間この星で生活してると思ってるんだよ。女神様なんて、マンガやゲームの世界にしか存在しないでしょ。だいたい、うち無宗教だし。だ、だからね、女神様なんているわけないよ!
(普通の女の子が、手から槍を飛ばして攻撃するでしょうか?)
うん、まて少し落ち着こう。仮にあの子が女神様だったとしよう。仮にだよ? 僕は出会ってすぐに天罰を食らわせられるような悪行を犯しましたか? 答えは否です。しかし、僕は教室のドアを開けたらすぐに、白い槍で串刺しにされそうになりました。ここに矛盾が生じます。よって、あの子は女神様なんかではありません! Q .E .D! いやー、背理法を使った完璧な証明だね!
(素晴らしいですね。さきほどまで数学の補習受けていた方のお言葉とはとても思えません)
だめだ…… いくら理屈で否定しようとしても、女神様は僕の頭の中で存在を強く主張してくる。それほどに、あの女の子の容姿と行為は強烈で衝撃的で、僕の目に強く焼き付いていた。
いや、でもさすがに女神様っていうのは非現実的でしょう。
じゃあ、何?
宇宙人?
異世界人?
食物連鎖から外れて増えすぎた人間を間引くために、自然が産み出した新たな生命体?
……。
「はぁー」
やっぱり女神様でいいや。わからない事はいくら考えても時間の無駄だ。僕は無理やり思考を終了した。それに、あの子が何であろうと、できる限り関わりたくない。初対面でいきなり殺そうとしてくるやつに近付くなんて冗談じゃない。
僕はまっすぐ家に帰ろうと、中学棟の廊下を歩きだした。
が、途中で足が止まる。
……そう言えば、転校生の案内をしに来たんだっけ。
あっ……
そこで、またもや一つの考えに行き着いてしまう。
まさか……
ぎこちなく首を動かして振り返った先には、薄暗い廊下がパックリと口を開けている。
「……」
……そうだ、霧島先生なら何か知ってるかもしれない。ていうか、知らないはずがないじゃないか!
「チクショー、ハメラレタ!」
僕の声が反響して、廊下に虚しく響き渡った。今にも白い槍が前から飛んできそうな気がして、自然と手足が震えてきた。
「誰に嵌められたんだ?」
「うわぁ!」
突然背後から男の声がした。
「なぜに、そんなに驚く?」
「な、何だ仁か……」
「俺で悪かったな」
同じクラスの時枝仁。美術部所属で、金髪をだらしなく垂らしている。趣味でマンガを書いているようなやつだ。僕とは去年からクラスが同じで、それなりに仲が良い。隣には、仁の幼なじみで同じ美術部の宮坂蒼もいる。茶色い髪を中くらいの長さに切り揃えた宮坂さんは、天使のように優しい事で有名で、一部の男子から熱烈なアプローチを受けているほどだ。
「仁……」
二人の姿を見たとたん、急に力が抜けて膝から崩れ落ちた。
「おいおい……」
「だ、大丈夫? どこか体調悪いの?」
宮坂さんは本当に優しい。一度も同じクラスになったことがない僕にさえ、優しく話しかけてくれる。
「ありがと宮坂さん、大丈夫だよ」
そう言って立ち上がろうとすると、宮坂さんがすかさず手を差し出してくれた。
……可愛い。
彼女いない歴イコール年齢の僕は、正直、惚れそうになった。宮坂さんは誰に対しても優しいだけ。必死に自分にそう言い聞かせた。
僕はまた、「大丈夫だよ」と言って自分の力で立ち上がった。
「仁と宮坂さんは部活帰り?」
「そうだ。コンクールの閉め切りが近いからな、最近は毎日部活に出ている」
「へぇー、コンクールねぇ。仁も真面目に部活することあるんだー」
「はぁ? 俺はいつも真面目だぞ」
授業を聞かずにマンガを描いているようなやつだから、全くもって信憑性がないのだが。
「と、時枝くんも頑張ってくれてるよ。……さ、3割くらいは」
「おいおい蒼、心外だな。今日は半分くらいは手伝ってただろ」
あー、やっぱりそうだったか。 仁が真面目に作業するわけないかー。
「……」
「おい、玲生。なんだ、その顔は」
「ところで宮坂さん、何をコンクールに出すの?」
「おい、無視をするな」
サボり魔がなんか言っているが、聞こえないふりをした。
「あ、え、えっと、部長の提案で、みんなで何か大きな物を作ろうってなって、割り箸アートをすることになったんだ」
「あー、なるほど。それじゃあ仁は完全に戦力外だね」
「おい、どういうことだ?」
「だって仁、絵以外からっきしじゃん」
たしか、中学の頃の美術の授業で、自然の素材を使って立体作品を作ろうという課題が出たときに、木の枝をひもで縛っただけの物を、「未完」という題で提出して、先生に呼び出しをくらっていたのを覚えている。作品のコメントカードに、「あえて、不十分な形で留めることで、未完成な美しさと、無限の可能性を表現しました」と書いたのが先生の逆鱗に触れたのだろう。
「決めつけるのは良くないな。真面目に取り組んだことが無いだけだ」
「はぁ、そうですか」
あー、小学生の時にいたなー。 「俺、本気出したら最強だから」って言うやつ。だいたい、そう言うやつは、勝負で負けそうになると、「はっ? 俺、本気出して無かったから」とか言うんだよなー。
「と、時枝くんにも出来る事はあるよ。割り箸を割ったり、部長にお茶を入れたり……」
おっと、ここでフォローが入ったか。やっぱり宮坂さんは優しいなー
って、ちょっと待て。
「宮坂さん、それフォローになってないと思うよ……」
「えっ、嘘? で、でも、時枝くんはうちの美術部に必要な存在、な時もある、よ?」
宮坂さんは、ちょこんと首を傾げながら、僕に視線を向けてきた。
「……」
「……俺、泣いていいか?」
宮坂さんの優しさは時に凶器となるということが、仁の犠牲をもって僕の心に深く刻みこまれた。
*
いつまでも油を売っていては時間がたつばかりなので、僕たちは廊下を歩き出した。仁が高校棟に用があると言い出したから、仕方なく高校棟に戻る事にしたのだが、さっきまでは底知れない恐怖を感じていたのに、二人と一緒にいると、不思議と大丈夫な気がしてくる。
「仁、高校棟に何の用があるの?」
「ああ、教室のロッカーに忘れ物をしてしまってな」
「忘れ物って?」
「物理の教科書だ。あれが無いと宿題が解けないからな」
「ふーん」
話題も無くなったので、それから暫くの間沈黙が続いた。廊下には、ただ三人の足音だけが響きわたっていた。
「ちょっと止まって」
階段を登って高校棟四階にたどり着いた時、僕は二人を手で遮った。
「なんだよ?」
「えっ、何?」
「……」
僕は二人の質問には答えずに、一人でそろそろと歩き出した。1年A組の教室はすぐそこにある。心臓が波打つのを感じた。
「おい、どうしたんだよ?」
「しー!」
素早く振り返って、人指し指を唇の前で立て、訝しげな顔をしている仁を黙らせた後、屈みながら教室のドアの前まで移動した。
やっぱり怖い。もしかすると、僕は今とんでもない事件に関わろうとしているのかもしれない。でも、ここまで来たら、もう後戻りなんて出来ない。
声が漏れないように小さく深呼吸をした後、ドアのガラス部分から、素早く顔だけ出して教室の中を確認した。
「はぁー」
大きく安堵の声が漏れた。
幸い、女神様は何処かにお行きになられたようだ。
僕は、手招きして二人を呼び寄せた。
「おい、本当になんなんだよ?」
「誰かいるの?」
二人が慌ただしく近づいてくる。
「いや、もう大丈夫だよ」
「大丈夫って……、何がなんだかさっぱりわからなくて、俺の頭はちっとも大丈夫じゃ無いんだが……」
「そういえば、会ったとき『嵌められた』って言ってたよね? そのことと何か関係があるの?」
「……」
正直、僕には上手く説明出来る自身が無かった。
だから、無言で教室のドアを開け放った。
「なんだよ、無視するな……よ」
「教えて、柏木く……ん」
黒板に突き刺さった白い槍を見て二人は、文字通り硬直した。
そんな二人に今度は僕が問いかけた。
「ねえ、女神様がいたって言ったら、信じる?」
*
玲音たちが教室に到着する少し前。
「ちっ、まずいな」
霧島先生は、教室に残された氷の破片を手に取って呟いた。
転校生の仕業か? それとも……
校長から何も情報をもらっていないせいで、何が起きているのか全く把握出来ない。 しかし……
「これは死ぬぞ……」
教室の壁に深く突き刺さった白い槍は、人を殺すのには十分すぎる。
柏木が巻き込まれていたら……
それは絶対に駄目だ。あいつは私の希望だ。死なせる訳にはいかない……
胸が騒ぐ。今すぐにでも教室を出て、柏木を探しに行きたかったが、足が止まる。
……情報が得られる絶好のチャンスなんだ。 この機会を逃すわけにはいかない!
霧島先生は眼鏡を外して、白い槍に顔を近づけた。
「っつ?!」
なんなんだ……、これは……?
氷で出来ていると思われる槍の中心部で蠢く黒いナニか。怪しい光を放つそれは、とてもこの世のものとは思えなかった。
氷を砕いてもっと詳しく調べれば、何かがわかるかもしれない。しかし、時間がかかってしまう。柏木の身に何かあったら取り返しがつかない事になる。やむを得ない、今回は諦めるしかないか……。
霧島先生は唇を噛み締めながら、ポケットから携帯電話を取り出し写真を取ると、早足で歩き出した。
……だが、なぜ槍は一本だけなんだ? もし、ここで戦闘が起きたとしたら、もっと大量の槍の残骸が残るはずだが……
――
「っ?!」
廊下に出た直後、爆発音と共に体が宙を舞い、地面に強く叩きつけられた。
「くっ……」
右肩に猛烈な痛みを感じるが、左手をついてなんとか立ち上がる。
……何が、起きたんだ?
「ふはははっ」
カツン、カツンという足音と共に、男の笑い声が聞こえた。
「――っ!」
「いやー、久しぶりだね響子ちゃん。また会えて嬉しいよ。」
廊下の先には、二度と見たくないと思っていた憎い男の顔があった。
男は右手を突きだしながら、へらへらと近づいてくる。
「遮断」
霧島先生がそう呟いた瞬間、辺りは漆黒の闇に包まれた。
「――っ!」
しかし、すぐに闇が霧散し、ナイフを右手に握った霧島先生が、男の前で仰向けに倒れていた。
「くっ……」
「ねぇ、いきなり攻撃するなんてひどくない? ちょっとお仕置きが必要かな?」
男は右手を突きだしたまま、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべた。
「それにしても、やっぱり響子ちゃんの能力はすごいな。光と音を遮断するなんて、何でも盗み放題じゃん! でも、残念なことに範囲攻撃が出来る俺には通用しないんだな。俺の爆発も見えなくなっちゃうだろ? じゃあ、汐里ちゃんを回収するまでちょっと眠っててね」
男は嘲るように笑うと、倒れている霧島先生の方に手を差し向けたが、
「――ト」
霧島先生が途切れ途切れに呟くと、再度廊下が闇に包まれた。男は前方をでたらめに爆破したが、手応えがなく、ややあって闇が晴れたときにはもう霧島先生の姿はどこにも無かった。
「ちっ、やっぱり逃走に使われたらどうしようもないか……。まあ、別に逃げられてもいっか。笠谷さんには教師陣は排除しろって言われてるけど、どうせ響子ちゃん一人じゃ何も出来ないだろうし。……それじゃあ、汐里ちゃんを捕まえに行こっかな」
男はしたなめずりをして再び歩きだした。唸るような暑さの中でも、男の頬を伝い廊下に落ちた唾液はいつまでも蒸発しようとしなかった。