転生の恋人達
「うわああああああ!!」
「グローッ!! 死ぬなーーッ!!」
勇者ルトラの叫びもむなしく、獣戦士グローは業火に包まれた。
炎・氷除けの防御魔法は、充分に掛かっていたはずだ。
グローの鎧そのものにも、わずかながら熱や電撃を防ぐ特殊効果があった。
だが、魔神メリヴォーラの放った地獄の溶岩は、あっさりとそれらを突き破って、パーティ随一の戦闘力を持つ獣戦士を葬ったのであった。
世界を闇で覆い尽くしている魔神軍。
その魔宮を守る四天王を斃し、ようやく暴いた秘密は、人間界に慈愛を説くムステリダ聖教の教主こそが、世界を滅ぼそうとする魔神の正体であるということだった。
ムステリダ聖教の主教会に踏み込んだ勇者ルトラのパーティは、凄惨な現場を目撃する。
司教や弟子達の死体が転がり、血に染まった礼拝堂。
そこで哄笑する黒幕、メリヴォーラと対峙した。
メリヴォーラには、もはや部下も、逃げ場も無い。勝利は目の前のはずだった。だが、メリヴォーラの強さは、予想以上だったのだ。気づけば六人いたパーティはもう、勇者ルトラと僧侶戦士メレスの二人だけとなっていた。
メリヴォーラが呪文の詠唱を始めた。先ほどグローを焼き尽くした呪文だ。
それがおそらく空間魔法であり、地獄と現世を接続して、地獄の炎たる溶岩流を直接相手にぶつけるものだろうと、僧侶戦士であるメレスには予想がついた。
だが、そうだとするとメレスの持つ防御魔法はどれも効かない。
炎や熱そのものならまだしも、流体の溶岩を防ぐ魔法など存在しないからだ。
「……死ぬな。これは」
先頭に立つルトラがぼそりと呟いた。
彼はほぼ無傷なはず。だが、あの溶岩流はすべてを飲み込む。そして防ぎようが無い。
この世界に蘇生術は無いのだ。死は絶対のものであり、覆せぬ摂理でもある。
その時。ふと、ルトラがわずかに後ろを見たようにメレスは思った。
強敵を前にして、そのようなことをする男ではない。
どうしたのか、と問いかけようとして、メレスははっとした。
ルトラの体全体が、わずかに緑に輝いて見える。この色は転移魔法の発動だ。
だが、彼の持つ転移魔法は、『自分以外の味方一人』にしか使えないはず。
そして、今いる味方はメレス一人。
メレスははっとした。ルトラは恋人でもある自分を逃がし、自分は死ぬ気なのだ。
(ダメだ。そんなコトしたら、あたしは助かってもルトラは死んじゃう。それに、世界も救えない……最強の勇者ルトラじゃなきゃ、このメリヴォーラは……斃せないっ)
この世界のため。
勇者ルトラの勝利のため。
メレスに出来ることは、もう一つしかなかった。
メリヴォーラの指先に黒い空間が口を開ける。今にも放出されようとする地獄の溶岩のその前に、メレスは走り出た。
「装備魔法……ゴーレムアートッ!!」
それは本来、自然の岩石や木々を自分の体にまとい、生ける鎧のようにして戦う魔法であった。
それをメレスは、地獄の溶岩に使ったのだ。
メレスの全身を地獄の溶岩が覆い尽くし、炎の巨人と化す。
だがしかし、高熱の溶岩はメレスの全身を容赦なく焼いていった。
「うああああああ!!」
苦悶の叫びを上げながら、メレスは炎の拳をメリヴォーラに叩き込んだ。
『な……何ぃいいい!?』
そのような戦法を全く想定していなかったのであろう。
不意を突かれた魔神は、真正面から溶岩の拳を食らってよろめいた。
その次の瞬間。
黄金に輝く大剣が、メリヴォーラの心臓を貫いていた。
一瞬の隙を逃さず、ルトラが襲いかかったのであった。
『ば……ばかな……この俺が人間ごときに殺されるなど……』
魔神メリヴォーラの体は液状化し、いくつもの小さな泡となって弾けていく。
勇者の剣・シーオッターは、海の魔力を秘めた剣だ。そこにルトラの持つ光の魔法力が加わると、敵の体を沸騰させ、水分を蒸発させてしまうのだ。
さしもの魔神メリヴォーラも、水分が無くては生きられない。断末魔の叫びを上げた魔神は、両手を高く掲げた姿で固まると、次の瞬間、砂のように崩れ去ったのであった。
「メレスーーーッ!!」
ルトラが駆け寄った時、メレスはもう虫の息だった。
「なんであんな無茶をッ……今……今、回復魔法を掛けてやるからッ!!」
叫ぶように言うルトラに、メレスは力なく頭を振った。
溶岩のゴーレムアートは解いたものの、全身に負ってしまった火傷は内臓にまで達している。どんな治療魔法であっても、もう回復しようがないことは、メレス自身が一番よく分かっていた。
「なんでだ!? なんであんなマネをした!? 俺は……お前さえ生きていてくれればと……そう思って……ッ!!」
メレスは、自分を抱きしめる勇者の頬に手を伸ばした。
熱く伝う涙が、指先に触れる。
この人の力になれたことが、メレスにはとても嬉しかった。
「ひとつ……だけ……約束して……」
「なんだ!? なんでも言え!! 約束なんかじゃなくていい!! 命令してくれッ!! 俺は死んでも、それを守るッ!!」
「長生きして。あたしの……ううん……あたしたちのぶんも……」
「……わかった」
強く頷く勇者に、メレスは満足そうに微笑む。
「俺からも……ひとつだけ頼みがある」
「な……に?」
「生まれ変わっても、俺ともう一度出会ってくれ。いや、俺の方から探し出すから、今度は、魔神なんかいない、魔法も無い世界で会おう。今度こそ一生かけて、幸せにしてやるからッ……」
それを聞いたメレスは、かすかに微笑んだ。
「それ……って……プロポー……」
メレスの頭が、がくりと落ちた。
誰が鳴らすのか、戦いの舞台となった聖教主教会の鐘が鳴り始める。
花びらが天から降り注ぐ。
鐘の音と勇者の慟哭は、いつまでも止むことがなかった。
「――――というお話。面白かったかしら?」
白髪の老婆は、そう言って微笑んだ。
「悲しいお話ね。久仁江さん。それ、ファンタジー小説?」
若い介護士は、しゃべりながらもせわしなく手を動かして、久仁江と呼ばれた老婆のベッドメイクをこなしている。
ここしばらく、何度かに分けて聞かされていた冒険譚は、どうやら最終回を迎えたようであった。
「いいえ。これはわたしがね、実際に体験した話なのよ」
「え? 体験? ですか?」
「転生、ってご存じでしょ? あの世界で私は、メレスって名前だったの」
若い介護士は、きょとんとした顔で久仁江を見つめた。
「じゃあ、ルトラって勇者の人は?」
たしかこの老婆は、生涯独身であったはずだ。
あの話が事実なら、生まれ変わったルトラと結婚していたであろう。おそらく、孤独感からそんな妄想を作り出してしまったのではないか、と、若い介護士は思った。
それにしても、剣と魔法の世界から転生してきたなんて、まるで最近のラノベだ。お年寄りの世界でも、そういうものが流行っているとは驚いた。
「さあ……生まれ変わっても、なんて言うもんだから、私はずっと期待して待ってたんだけど、結局現れなかったわねえ。まあ、同じ世界に転生できたとは限らないし、この世界に転生していたとしても、何十億人もの中から私を見つけ出すのは無理だったのかもねえ……」
老婆は、悲しげに呟いて窓の外を見た。
彼女の年齢は八十五歳。
右足が悪く、個室でほぼ寝たきりの生活をして二年になる。もう施設の外へ行くことも出来ないかも知れない。
もしも、転生前からの恋人がこの世界にいても、探し出すことは出来なさそうであった。
その時。
廊下の方が騒がしくなった。聞き慣れた介護士の声に混じって、施設ではなかなか聞けない、子供達の元気な声が聞こえてくる。
「あ、そういえば、今日は近所の保育園の子供達が、敬老の日のプレゼントを持ってくるんだった。ちょっと待って」
清掃中の看板を外し、カーテンを開けると、部屋の入り口から数人の子供達が駆け込んできた。
「おばあちゃん。はじめまして」
「これ、プレゼントだよ。長生きしてください」
口々にそう言いながら、子供達は久仁江に折り紙で作った首飾りや、手製の貯金箱などを手渡す子供達。
「あらあら。こんなにたくさんいただいていいの? 一生懸命作ったんでしょう?」
今日一番の笑顔を見せながら、久仁江が顔をふと上げると、一人だけ入り口から動かない男の子がいた。
まん丸く見開かれた目は、久仁江の顔に注がれ、その手に持った折り紙製の剣が、ブルブルとふるえている。
「ぼうや? どうしたの? おばあちゃんがこわいの?」
心配そうに声を掛けた久仁江に、少年が返した言葉は、彼女の想像を超えていた。
「…………メレス」
「え?」
「メレス=メリナエ、だよな?」
若い介護士は息を呑んだ。
久仁江は、僧侶戦士のフルネームを一度も言っていない。では、そのフルネームが当たっているのだとしたら……
「俺だよ。ルトラだ。ルトラ=アンブロニクスだよ」
「え? ……なんで? だって……」
久仁江の声は、少女のように震えている。
勇者ルトラのフルネームまでも知る人物。その園児が、久仁江と同じ記憶を持つことは、もはや疑いようがない。
「おまえが、長生きしてくれ、なんて言うからさ。あれから俺、八十年生きたんだ。で、それから転生したんだ。そしたら八十年も年が離れちまった……せっかくお前を追っかけて、同じ世界の同じ地域に生まれたってのに……これじゃあ……」
園児の目には、涙が浮かんでいる。
「……ごめんなさい。私が変なこと言ったから……」
「もうしょうがないさ。でも、この次の人生は、こんなことがないようにしたい。お前が寿命で死んだら、俺もすぐ死ぬよ。今度は同じ年齢で、同じ世界の同じ時代に生きよう……」
「ダメよそんなこと!! この世界のあなたにはまだ、たくさんの未来があるのに!! 今のご両親だって傷つくわ!!」
「いいんだ。お前のいない世界なんて、俺にとって何の意味も無い……あの世界で八十年生きてみて、それが分かったんだ」
歩み寄り、互いの手を取り合い、見つめ合う園児と老婆。
若い介護士は、いつのまにか自分が床にへたり込んでいたことに気がついた。
介護士は頭を振って立ち上がる。まったく想像も出来なかった事実だが、そういうことなら都合がいい。実は介護士は、理事長から頼まれていることがあったのだ。
「あ……あのう……もし、それが本当に本当の話なら……私、お手伝いできるかも知れません……」
一ヶ月後。
とある施設の地下に、久仁江とあの園児の姿があった。
周囲には、半透明のカプセルに入った人影がずらりと並んでいる。それは、一見して棺桶のようにも見えた。中の人間は老若男女、赤ん坊から老人まで、あらゆる世代と人種が揃っている。
久仁江は、冷凍冬眠の被検体に志願したのだ。
つい先頃、長年の研究を経て完成したコールドスリープシステムは、臨床試験段階に入っていた。
その無料被検体として、すべての世代の男女が、それぞれ一人ずつ募集されたが、八十代女性の枠だけが、どうしても埋まらなかったのだ。
そこまで年を取ってから、数十年も先の知り合いもいない世界に目覚めることに、誰も意味など感じなかったせいだろう。
介護士は、その枠に久仁江を推薦した。
「じゃあね。ルトラ。私、八十年間、寝てるから……迎えに来てね」
「ああ。俺が八十五歳になったら、すぐに迎えに来るよ。そして、同じくらいの時期に死のう。この次の人生は、失敗しないようにしないとな」
「ちゃんと迎えに来てね。八十年間、死んじゃダメだよ? あと……浮気も……」
「分かってる」
大人びた笑いを返した園児は、八十五歳の恋人の額にそっと口づけた。
「おやすみなさい」
「ああ、また、な」
八十年ぶりに出会ったばかりで、また離ればなれになる二人だが、不思議と涙はなかった。
寂しくはない。転生する恋人達にとっては、永遠の別れなどないのだから。