2. 結
数々の偶然に後押しされ、遼一と宝の仲は、お友達と言える間柄まで進展した。
1限からの日は一緒に登校するし(1年目なのでお互いほぼ毎日1限始まりである)、休日は一緒に近所のカフェでブランチまでする。ただ、宝はなかなかガードの堅いところがあり、お互いの家を行き来することは(まだ)ない。また、宝が夜遅く帰る日は、連絡をくれれば駅まで迎えに行くと言ってあるのだが、実際にお願いされたことは(まだ)ない。
その日の夜も、遼一に頼ろうかと思いつつ、やはり申し訳なさが先に立った宝は、ひとり駅から暗がりに踏み出していった。
恋人でもないのにいちいち呼び出すのは気が引けるし、頼ったらその分だけ、対等な友人でいられなくなりそうだ。いざとなったら自分には例の秘策があるのだから、いつも通り帰宅すればいい。
特に見通しの悪い痴漢ホイホイ地点に差し掛かり、歩くペースを速めた宝は、ぴったりと着いてくる足音に気づいた。内心舌打ちしながら勢いよく振り向き、できたばかりのとっておきの新作を披露する。
「くゎtろぉぉ・・・kわtろぉぉふぉるまっ痔ぃぃ・・・・・・!」
ひらがな以外も大胆に取り入れた意欲作である。ちなみに宝はこのピザにハチミツをかけて食べるのが好きだ。
通常、まずこの時点でヘンタイは恐れをなして少し後退するのであるが、本日のヘンタイはしぶとく、微動だにしない。それどころか、ずいと近づいてきて、嬉しそうに宝に向かってささやいた。
「もぅ演技なんてしなくてぃぃんだょ・・・」
ぎょっとした宝は、思わず一瞬真顔に戻ってしまう。どうでもいいが、このヘンタイは女子高生のような話し方で気持ちが悪い。ニュータイプのヘンタイである。
「かわぃそうに、もぅぉびぇなくてぃぃょ、ぉれがずーっとずーっと守ってぁげるからね・・・」
話し方どころか話す内容も、そして陶酔しきった表情もかなり気味が悪い。もしこれが演技だとしたら、宝と互角かそれ以上である。
ゆっくりと、だが確実に近づいてくる男から逃れようと、宝も一歩、また一歩と後ずさる。
いつもとは逆の状況。まさか不気味さで競り負けるなんて屈辱だが、もうこれは無理だ。追い払えない。
宝は意を決して、全速力で逃げ出した。あの角を曲がればすぐマンションのエントランスだ。鍵はポケットに入っている。要領よくやれば、エントランスで振り切ることができる。
「早く・・・はやく・・・!」
緊張でこわばる手でつかみとり、ドアに挿そうとした鍵は、無情にも音を立てて地面に落ちた。
宝の両腕は、暗闇からにゅっと伸びた手で拘束されていた。振りほどこうともがいても、びくともしない。
「ひっ・・・」
「ぅふふふふ・・・つかまぇたぁ」
ヘンタイは後ろから体を密着させ、宝のうなじの辺りを嗅いでいる。宝は冷静になれ冷静になれと自分に言い聞かせながら、震える声で男に話しかけた。
「ど、どうして演技だってわかったの・・・?」
時間稼ぎである。マンションのエントランスなら、住民が行き来する可能性が高い。少しでも長く会話を続け、男の気を逸らしている間に誰か通りかかればラッキー、通りかからなかったら、最後の手段で大声をあげる。
「んん?宝チャンがぁのモヤシとぉ話してぃるのぉ見たんだょぉ・・・もぅほかのぉとこと話したりしたらダメだょぉ」
ヘンタイは上機嫌であれこれ喋くりながら、宝の両手首を後ろに回し、ガチャンと手錠をかけた。人肌でぬくもった金属の感触に、背筋がぞっとする。
そして、男が「じゃぁ、そぉろそぉろ、ぉれの部屋にぃこぅかぁ」と宝を抱き上げた瞬間。
ピッという、小さな電子音が辺りに響いた。
「お、お前の悪行は全てここに録画した!これをバラされたくなかったら今すぐその子を解放しろ!」
宝とヘンタイが振り返ると、そこには印籠のごとくスマホを構えた遼一がいた。
ズボンの裾がかすかに震えているのはご愛敬。若干遅すぎるヒーローの登場である。
ヘンタイは一瞬ひるんだが、所詮相手はひょろひょろのモヤシ。とっさの判断で宝に手刀を当てて気絶させると、スマホを奪うべく遼一に向かって突進してきた。しかしそれは遼一の予想の範囲内。ヒーローはさらに隠し持っていた奥の手で応戦する。
「待て!動画はすでにYoutubeにアップ済みだ!そしてお前、向かいのアパートの603に住んでる鈴木だろう!実名まで晒されたくなかったらすぐにこの場を立ち去れ!オタクなめんな、ご近所さんなめんなよ!!」
個人情報まで握られ、さすがに分が悪いと思ったのか、ヘンタイあらため鈴木は諦めて去っていった。体はモヤシ、頭脳はオタクの即席ヒーローの完全勝利である。宝に聞こえていないのを良いことに盛大に自己申告してしまったが、遼一は外見を裏切らぬ立派な鉄オタであった。
「宝、しっかりして!もう大丈夫だから!」
ぐったりした宝を揺り起こし、調子に乗って下の名前を呼び捨てる遼一。頬を叩いたりして少し待っても意識が戻らないので、やむなく自分のアパートに連れ帰ることにした。あくまでやむなく、で、断じて他意はない。
手錠のかかった美少女を自宅に運び込む姿をもし目撃、最悪通報されたらと思うと気が気ではないが、幸運なことに誰にも見られなかったようである。疚しいことは何もしていないが、疚しい外見を持つ自分がかわいそうでちょっと泣けてくる。
部屋に入って、ベッドに宝をうつ伏せに寝かせ、ペンチで手錠をねじ切る。ちゃちな安物だったらしく、すぐに外すことができた。
それから仰向けに直して毛布をかけてやり、遼一は少し遅い夕食を作り始めた。もしかしたら宝も空腹かもしれないので、念のため2人分。もし要らなくても、明日また自分が食べればいい。
『宝が気に入るように、チーズをたくさん使おう』
イタリアンの厨房でバイトしている遼一にとって、チーズはなじみ深い食材である。まずは軽く、モツァレラにトマトとバジルを合わせたカプレーゼ。メインは作り置いていたミートソースにパルミジャーノをたっぷり。どちらもササッと作れてしまうので、デザートにリコッタのパンケーキも用意した。タネのまま置いておいて、もし宝が食べられそうなら焼くことにする。
手に火傷やあかぎれができるし、長時間立ちっぱなしのわりと過酷な職場ではあるが、本日のディナーの出来栄えを見て、遼一は続けてきて良かったとしみじみ思った。
フォークとスプーンをセットし終えたところで、宝がもぞもぞと動いて目を空けた。タイミングのいい起床である。遼一と、すぐ横のごちそうを見つけて目を見開く。
「あ、そっか、東くんが助けてくれたんだ・・・ありがとう」
「勝手にうちに連れてきてごめん。しばらく目を覚まさなかったし、手錠も早く外してあげたくて・・・」
「ううん、いろいろ本当にありがとう」
怖い思いをした直後、狭いワンルームに2人きりだが、今のところ宝に怯えや動揺は見受けられない。それよりも好物の並んだちゃぶ台に対する興味の方が勝るようである。
「あのさ、もし良かったら、夕飯一緒にどうかな?おなか減ってる?」
一も二もなくうなずく宝に、遼一は、『まずは胃袋からつかめ』という先人の教えの偉大さを体感した。
結局、宝はどの皿もきれいに平らげてお代わりまでして、食後のパンケーキもタネがなくなるまで食べた。最後の一切れを飲み込んでなお、お口に残るふんわり感と幸せを満足げに噛みしめている。
しかし人心地ついたところでふっと冷静になったのか、ひとつため息をついて、目線を手元に落とした。
「あんなことって、本当にあるんだね。私、痴漢を甘く見てた」
宝の、さっきまできれいに上がっていた口角がだんだんと下がっていく。気を静めようとゆっくり吐く息が少し震えているのを、遼一は痛ましげに見守った。
「つかまれた腕・・・どんなに動いてももびくともしなくて、ぞっとした。東くんが来てくれなかったら、私・・・」
「うん、偶然通りがかってよかった。これからは、夜遅くなる日は連絡くれないかな。駅から送るくらい全然大した手間じゃないし、北野さんに何かあることの方が嫌だ・・・」
早く、怯える宝を安心させてやりたい。遼一は、普段使い慣れない分野の脳みそをフル稼働させて、さらに言葉を続けた。
「それにあのヘンタイ、俺が北野さんに事情を説明してもらってるところを盗み聞きしたって言ってたよね。そもそも俺が北野さんと関わらなければ、今日もいつも通り撃退できていたかもしれないと思うと、責任を感じるんだ・・・」
「東くん・・・」
神妙な顔で見つめあう2人。冷静に考えると、誰がいるかもしれない公道でネタばらしをした宝が迂闊なだけなのだが、ものは言いようである。
「まあ俺、ケンカ弱いから、あんまりかっこよく助けることはできないけど・・・実はさっきも足ガクガク震えてたし・・・」
わざとおどける遼一に、宝のこわばりが少し解ける。
「ふふっ、そうだったね。あ、今思うと、『悪行』って私テレビ以外で初めて聞いた」
「俺も人生で初めて使ったよ・・・あんまり思い出さないでくれるかな、恥ずかしいから」
顔を赤らめて、そっぽを向く遼一。内心、『あれ、これちょっといい雰囲気なんじゃね!?』と心弾ませていることはおくびにも出さない。
実は、『録画した!』の決め台詞で盛大に舌を噛み、現在進行形でじんじんしていることは更におくびにも出さない。
「私がかっこよさとか気にする人間じゃないこと、東くんよく知ってるでしょ。助けてくれて本当にありがとう。これからは、迷惑かけちゃうけど、お言葉に甘えて頼らせてもらうね」
少し照れ、はにかんで笑う宝は、遼一の知る限り世界で一番かわいい。
ふっと、一瞬だけ鬼婆の哄笑がフラッシュバックしたが、速攻で脳内から切り捨てる。『そういえばそうでした。あなたも割となりふり構わない人間でした』という正直な感想も抱かなかったことにする。
「迷惑なんて全然思ってないよ、いつでも連絡して。北野さんの力になれれば嬉しいし」
「うん・・・ありがとう」
更にいい雰囲気が場を支配し、沈黙のほほえみ合戦が始まった。なんというか、お互いの恥じらいがピークに達する。きまずい。
これが青春マンガであれば適当に花が飛び始め、時空移動して次の日――-と続くところであるが、そう都合よくはいかない。
2人はほぼ同時に『会話の糸口』で脳内検索をかけはじめ、先にヒットが出たのは宝の方であった。
「そ、そういえば!もしかして私が気絶しているとき、宝って呼びかけてくれた?」
このタイミングでそれか。恋愛学級ヒヨコ組の遼一にとってはかなり重いジャブである。
「ごめん!ついとっさに・・・」
「ううん、いいの。よかったら、これからもそう呼んで・・・私も、そうだな・・・遼ちゃんって呼ぶね」
タカラ は リョウイチ に リョウチャン の しょうごう を あたえた!
リョウイチ の しんぱくすう は カンストした!
『もうこれ、チューの一つくらいいけるんじゃね』とゲスい考えが頭をもたげるが、あいにく遼一は、ちゃぶ台を挟んで向かい合う今の状況からうまくチューに持っていく高等スキルを持ち合わせていなかった。
さらに、初チューがほんのり血の味というのも風情がない。自分の滑舌の悪さがにくい。
やむなく、了承の意味の微笑を浮かべるにとどめたところで、やっと良い具合に花が飛び始め、本日はこの辺でお開きとなった。
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それから、宝は遼一の力を借りて日常を取り戻していったが、やはり完全に今まで通りというわけにはいかなかった。
男性が接近してくると、特に背後に立たれると身がすくんでしまう。暗がりの中も一人で歩けなくなった。
あのとき適度な距離を守り、チューもしなかった遼一、大正解である。
人込みや夜道を歩くときはいつでも一緒。それはここ東京では、ほぼずっと一緒ということに等しく、そんな状況で愛が芽生えない方がおかしい。逆に言うと、そもそも愛が芽生えているからこそ、そんな状況に甘んじていられるのである。
最初はマンション前で別れていたのが、次第にかわりばんこの手料理披露になり、ついには同じ部屋から一緒に登校するまでになるのに時間はかからなかった。
そして今日、宝の19回目の誕生日。
遼一は緊張した面持ちで、スマホをちらりと見た。宝が来るまで、あと5分。バイト先のイタリアンは、通常、ランチは予約できない人気店なのだが、従業員特権でゆったりした奥の席を確保してもらった。
テーブルの向かいには、ちょこんと小さなギフトボックスが乗っている。中身は、なけなしのバイト代で買った、ちょっとお高めの指輪。
食事中に渡すタイミングなんて計れる気がせず、宝の到着と同時に強制的にイベントが発生するよう仕向けた遼一は、相変わらずのチキンである。
厨房では、遼一のオーダーしたピザが石窯で焼かれている。宝の好きなものを寄せ集めたクワトロフォルマッジ。
そのチーズしか乗っていいない究極のピザが焼き上がり、ハチミツとともにテーブルにサーブされた瞬間、宝が息を切らせて店に入ってくる。
彼女はピザ、プレゼント、遼一と視線を辿らせて、それから花がほころぶように、笑った。
お読みくださり、ありがとうございます!
これでまずはひと区切り。爽やかな読後感で終わりたい方はブラウザバックをお願いします。
次回から、タネ明かし的ヤンデレが始まります・・・