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(―――話は現在に戻る)
クレーンで吊った鉄筋の束が上空に迫ってきて、俺ははっと我に返った。すぐそばに、真上の吊り荷を見上げながら、「左旋回、左旋回」と無線合図する仲間が寄ってきて、「材料、この辺に下ろせばいいな?」と言った。俺はうなづくと仲間と一緒に荷下ろしをして、ワイヤーを抜いた。
夕方までにその日の計画通りに、鉄筋の溶接作業が終わった。俺は溶接ケーブルや材料をまとめると、足場を下りる。親方と明日の段取りを決めると、会社から与えられている軽トラックに乗り込んだ。現場は山中の沢筋の途中なので、舗装されていない工事用道路をガタガタと下りていく。
(せっかく思い出したんだ、今日はこのまま、あの河川敷まで行ってみようか)俺は思いついて、いつもと違うルートへと軽トラを回す。
―――俺は高校を卒業すると、現在勤めている建設会社に就職した。高校時代にさんざん建設のアルバイトをやっていたから慣れていたし、なんだかんだこの仕事が好きで、性に合ってるかもしれないと思ったからだ。現在は会社に近いアパートを借りて、ひとりで住んでいる。
地元の町からは30km以上離れているが、両親がまだあのボロ長屋に住んでいるので、たまに行くことはあった。だが用事が済めばさっさと帰るので、あの河川敷まで行ってみるのは、地元を離れてから初めてだ。つまり8年以上経っているということだ。
大介とは北海道に引っ越してから何度か電話で話しただけで、以来音信はない。お互い年賀状や手紙を書く柄でもないので、その後のことはわからなかった。親友といっても離れてしまえばそんなもんだ、とお互い思っているだろう。
軽トラにはエアコンなど付いていないから、両方の窓を全開にしても外の暑い風が入ってくるだけだが、それでも順調な国道の流れに乗れば、それほど不快でもない。西陽に向かって片側一車線を走っていく。
(あの横倒しになった丸太は、今もそこにあるだろうか。10年も経てば朽ち果ててしまっているか。・・・理恵がいつもやって来たあの小径は、その形を残しているだろうか。雑木が成長したり藪が繁殖していれば、面影は残っていないか。・・・そして10年経った俺が、何か見つけられるものはないだろうか)俺は河川敷に忘れ去られた、俺たちのカケラみたいなものを見つけたくなった。
やがて地元の町に入り、河川敷へ続く交差点を左に曲がった。サイクリングコースになっている堤防を駆け上がり、坂道を下る。(・・・!)目の前の光景を見て、俺は愕然とした。
俺たちがスクーターを停めていた平らな場所は広く整地され、プレハブの工事事務所が建っていて、その前には数台のライトバンやトラックが停まっている。俺は川の方へ目をやった、かつては川面が見通せないほど生い茂っていた雑木林は一本も残さず切断され、撤去され、切り株だけが寒々と残っていた。
下草すらなくなり、彼方まで丸坊主になってしまった平場には、理恵が微笑みながら歩いて来た小径の形跡もなにもなく、どこを見てもキッカケなど転がってもいない『別の場所』に変わり果てている。「これは・・・」俺は息を呑んで絶句した。
軽トラを停めて下りると『跡地』と化した場所へと歩く、だが途中からは『立ち入り禁止』の看板が取り付けられたオレンジ色のネットフェンスに遮られて、思い出の地に入ることさえ出来なかった。俺はネットに手を掛けて、その向こうを茫然と眺める。
ヘルメットをかぶった工事関係者らしき男が近づいてきた、「何かご用ですか?」清潔そうな作業着姿の男はおそらく現場所長だろう、丁寧な口調でそう言ったが、歓迎の眼差しではない。「ここ、どうするんですか?」俺は男に向き直って聞いた。
「護岸工事ですよ、このあたりは川幅が狭いのでそれを拡げて、雑木林だったところにコンクリート二次製品を敷き詰める計画です。それによって護岸の侵食と河川の氾濫の可能性がかなり減ります」男は近隣住民への説明で慣れているのか、決まったセリフを流暢にしゃべった。
「護岸工事か・・・」俺が呟くように言うと、「雑木の撤去が完了したので、明日からは抜根と掘削作業に入ります」男は俺の身なりから同業者と察したらしく、作業内容を聞かせた。「そうですか、・・・わかりました」頭を下げると男もヘルメットの縁に手を掛けて、「それでは」と現場事務所の方へ去っていった。
よく見るとネットフェンスの片隅に、工事の標示板がいくつも掲げられていて、工期や発注者を明示した看板に、『護岸を整備しています』と、青くて大きな文字が並んでいた。俺はもう一度フェンスの向こうを眺める。
「ヒグラシの声も姿も今はなし、儚いものだ。・・・これで思い出は俺の記憶の中だけになっちまった。・・・もう二度とここに来ることはないだろう」遠くに見える河岸に向かって、ひとり言を呟くと、俺は軽トラに乗り込み、振り向きもせずに堤防を駆け上がった。
―――その時の俺は、2日後に耳を疑うようなとんでもないニュースに遭遇するとは、夢にも思っていなかった。