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― 夏煙、七月 ―  作者: 村松康弘
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「よう、遅かったな」大介は待ちくたびれたように、虚ろな顔を向けてきた。上半身は作業着を脱いでTシャツ姿だ。俺は大介と並んで丸太に腰を下ろした。「急遽、遠い現場に行ってくれって言われて、現場を5時に出たのにこの時間だよ。・・・ところで理恵は?」俺はあらためて周囲を見回した。

「来てねえよ、いつもならとっくに来てる頃なんだがな。・・・昨日は来たのか?」振り返った大介の目が、いくらか怪訝そうだった。そして「昨日は来たのか」と聞かれて胸がズキンとなる。「いつも通りの時間に来たよ」俺は目を逸らしてハイライトをくわえた。

「ふうん、それで今日も来るって言ってたか?」大介が俺の横顔を凝視しているのがわかる、言葉にも何かを探るような響きを感じた。多分、俺の心拍数は上がっているだろう。「ああ、言ってたよ。湯島のなんとかっていうレコードを持ってくるともな」俺は『あのこと』以外は隠さずに話そうと思った。

「湯島のなんとか?なんだそれ」大介は眉をひそめて、指で唇をなぞりながら言った。まるで探偵が推理でもしてるような仕草だ。「なんか古い歌のレコードらしい、こっちの家にあるはずだから持ってくるってな」俺はようやくタバコに火を点ける。

大介は腑に落ちないような顔で、「ふうん」と言うと、「・・・昨日はなんか変わったこととかなかったのかよ?」と聞いてきた。途端に俺はギクリとなって、タバコをくわえようとした手が一瞬止まった。大介は変わらず俺を凝視しているようだ。俺は動揺を悟られまいと必死で平常な顔を作って、「別になにもねえさ」と目を合わさずに答えた。

結局その日は俺の到着時間も遅かったので、しばらくすると解散した。大介は別れ際に、「夏風邪でもひいたんかな」と呟くと不機嫌なまま帰っていった。


翌日も理恵は来なかった。不思議なもので、理恵が現れるまでは、俺たちふたりだけで大笑いしたり盛り上がったりしていたのに、今となってはヤツがいないと抜け殻になったように、話も弾まなかった。そしてその翌日もやはり理恵は現れない。「きっと、急に東京に帰ることになって、俺たちに別れを言うことも出来なかったんだろう。連絡先も知らせてなかったし」俺たちは勝手にそう結論づけた。

しかし俺はひとりになると、理恵に会えない淋しさが耐え難いほどの苦痛だった。バイトしている最中でも、理恵のちょっとした表情や仕草が頭に浮かんで、ぼんやりしては親方に怒られていた。(夢の中でもいいから、現れてくれねえか、理恵)と、眠りに落ちる寸前までそればかりだった。


そしてその翌日の31日は、大介の出発の日だった。俺は前日にバイト先に休むことを伝え、午前中から大介の自宅へ行った。ヤツの家は社宅だがそこそこ大きい一軒家だ、会社が借上げて社宅扱いしているようだ。スクーターで到着すると、家の前の道路には4tの箱トラックが横付けされていて、引越し業者の作業員が汗だくで家具や段ボール箱を詰めている。

あわただしく動いている中に、大介の姿も見えた。俺に気づくと両手が箱でふさがっているので、首と目で合図した。俺も家内に入り運び出しを手伝いはじめた。2階のヤツの部屋には荷物を詰めた段ボール箱が、ところ狭しと重なっている。ふたつ重ねて階段を下りていくと、大介の母親が気づき、「まあ、誠くんまで来てくれたの、ありがとうねえ」と言った。

作業員3人と、大介と両親、妹、俺で運びだすから、家の中の物は次々となくなっていく。あれほど沢山あった家財道具や箱は、4t車の荷台にきれいに収まっていった。昼が過ぎたころには一切の物が片付いていた。

大介が俺を呼んだので、ふたりでヤツの部屋へと上がっていく。こないだまで雑多な物であふれ返っていた部屋も、空っぽで何もない。部屋の床に座り込み、ペットボトルのお茶を飲みながらタバコに火を点けた。「なんにもなくなっちまったな」「ああ」俺たちの声は壁にはね返って響く。

大介は首にかけたタオルで顔を拭う、今となっては清々しい表情をしていた。すべてが吹っ切れて、新天地への希望に燃えているといった感じだった。俺といえば、残される者の淋しさ感情に襲われ、ただ切ないだけだった。

「この部屋にも、いろいろ思い出あるよな」ふたりで見回した壁は、ヤニで黄ばんだクロスの中に、はがしたポスターの跡が四角く白く残っていた。俺たちはこの部屋で高校受験の勉強をしたのだ。インスタントコーヒーを何杯も飲みながら遅くまで勉強して、最後には一升瓶の焼酎をくみかわして寝る、そんなことも懐かしく思い出した。

「理恵はとうとう来なかったな」大介は最後にポツリと言った、その顔にはやはりひと目でも会いたかったという淋しさが浮かんでいた。俺は、「ああ」とだけ言ってタバコをもみ消す。


大介の家族が乗った車を見送ると、俺の胸にはポッカリと大きな穴が開いてしまったように、何をする気もなくなった。夕暮れまで自分の部屋でぼんやりすると、河川敷に向けてスクーターを飛ばした。いつものように丸太に座ると、もうここには大介が座ることもないと実感する。

それでも、今日は理恵がやって来るかもしれないと、雑木林の小径の方を何度も振り返る。「こないだは体調崩しちゃったんだ、ごめんね」そう言いながら、俺に約束のレコードを手渡す、そして俺の左となりに腰かけ俺たちは寄り添う。そんなことを考えてみたが、あたりはヒグラシの声ばかりで、人間の姿などどこにも現れはしなかった。

やがてあたりはすっかり暗くなり、タバコの穂先の赤しか見えなくなる。俺はため息まじりで煙を吐き出すと、腰を上げた。遠くに見える橋の白い照明が、やけに淋しく見える。まだ8月になっていないのに、俺の夏は終わったと思った。

そしてそれ以来現在まで、俺の前に理恵が現れることはなかった。


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