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― 夏煙、七月 ―  作者: 村松康弘
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体を揺さぶられて目を醒ました。頭の上で蛍光灯が点いて、お袋が、「電話だよ、こんな時間に」と眠そうな声で言った。俺は片目だけ開けて、「誰だよ」と聞きながらしぶしぶ上体を起こす。「大介くんだよ、・・・誠はもう寝てるって言ったけど、どうしてもお願いってさ」そう言ってお袋はあくびをしながら寝床へ行った。

茶の間の棚の上の受話器を取り上げて、「俺だけど」と言うと、「悪いな、こんな遅い時間に」と、大介の声が聞こえてくる。俺は、「どうした?」と聞きながら壁の貧相な時計を見た。午前0時を少し過ぎている。「明日、お前が出かけちまえば連絡取れねえと思ったからさ」大介は自宅から掛けているのだろう、小声で用件を話し出す。


大介の家である西原家が一家で引っ越すまであと5日となり、明日の夜、大介の父親の兄弟家族が集まって、ささやかな激励会をしてくれることになった。大介は普段から親戚関係と折り合いが悪い上に、今は父親に対して猛烈な嫌悪を感じているため、「そんなもんには行かねえ」と突っぱねると父親と口論になった。

そこへ普段の怒りがこみ上げて、つかみ合いになりかけたところに母親が止めに入り、今まで父親が大介兄妹に対して如何に一生懸命だったかを泣きながら聞かされると大介は少し考え直し、最終的に父親の顔を立てるために、激励会に出席することにしたという内容だった。

「だから明日は河川敷には行かれないってだけのことなんだが、・・・今日の帰り、なんかちょっと気まずい感じだったから、お前にはどうしても言っておきたかったんだ、ごめん」大介は泣きそうな声でそう言った。

俺は話を聞いてるうちに、大介がいよいよこの町からいなくなってしまうことを実感して、思わずため息が漏れた。「わかったよ、わざわざありがとう」とだけ言って電話を切る。


翌日、俺はバイトが終わるとスクーターにまたがり、今日は河川敷に行くべきかどうか迷った。事情をなにも知らない理恵はいつも通りに現れるだろう。そうすると必然的に俺とふたりだけになる、俺としては背筋が震えるほどドキドキして胸がときめくが、同時にそれは大介に対する抜け駆けのような裏切りのような、故意ではないにしろそういう後ろめたさを感じてしまいそうな気がする。

けれど俺が行かなかったら理恵は、それこそなにも知らずに待ちぼうけの時間を過ごすことになる。それはかわいそうな気がした。電話番号でも知っていれば連絡も出来たが、理恵が滞在している親戚の家がどこなのかも聞いていなかった。(理恵が現れるのを待って、今日は大介が用事で来ないからと告げて、早めに解散しよう)俺はそう決めると、半帽をかぶってスクーターを発車させる。

途中、いつものタバコ屋へ立ち寄った、戦前からやっているらしいタバコしか売ってない小さな店だ。歯医者の受付のような小窓の滑りガラスを開けて呼ぶと、小人のような婆さんがちょこちょこ出てくる。俺の顔を見ると、棚からハイライトをつかんで差し出してきた。「今日も暑いねえ、兄ちゃんちみたいな外で働く人たちは大変だねえ」そう言うと、俺が出した小銭を受け取った。俺のことを高校生だと知っているかどうかは不明だ。

今年は空梅雨のまま明けてしまい、ここ二週間まともな雨も降っていないので、どこもかしこもカラカラに乾いている。俺はもうもうと土埃を上げて河川敷に到着すると、スクーターを下りてひとりで丸太に座る。(今ごろは折り合いの悪い親戚たちに囲まれて、しかめっ面でメシでも食っているのだろうか)と、大介のことを考えた。

理恵がやって来るのはいつも暗くなりかけの頃だ、俺はヒグラシの声の渦のど真ん中にいるように黙ってそれを聞いていた。傍らに錆びついた20リットルのペール缶がある、俺と大介専用の灰皿だ。日々そこへ放り込む吸殻で、もうすでに底が見えなくなっていた。


やがて理恵がいつものように小径を歩いてきた、俺の姿を認めると微笑みながら足を早める。「あれ、大介は?」そう言いながら目の前に立った理恵は、今日は紺色のワンピース姿だがノースリーブなので、少しだけ目のやり場に困る。肩先から手の先までちっとも日焼けしてないのか真っ白だ。

俺は大介の状況を説明し、「だから今日は早めに・・・」と言いかけると、理恵は左となりに腰を下ろす。そしていつもより少しだけその位置が近いのか、理恵の方から石鹸のようなシャンプーのようないい匂いがしてきた。俺はドギマギしているのを悟られないために、そっぽを向いてタバコに火を点ける。

「大介、もうじき北海道へ行っちゃうんだもんね。・・・私もずっと長野にいるわけじゃないし。せっかく知り合えたのに、なんか淋しいね」理恵の言葉に振り向くと、横顔にはこないだと同じ翳りが見えた。俺はそれに気づかないふりをして、「東京は夏休み長いんだろ?」と聞くと、「うん、8月の終わりまであるよ」理恵は翳りを消すように振り向いて答える。少し首を傾げて白い歯を見せる、俺がドキッとする仕草だ。

「長えな、こっちもそんだけ休みがあれば、俺は400買えるぐらい貯まるかもしんねえよ」俺が言うと理恵は無邪気な笑い声をあげる。「誠は見かけによらず、働くことが好きなんだね」と言うとまた笑った。「好きなわけじゃねえよ、バイトきついし。・・・欲しいもんがあればがんばれる、ただそれだけのことさ」それは本当の気持ちだった。

「誠のそういうところが好きだよ、私」理恵は河岸の方に目を向けたまま、さらりと重たいことを言った。「え、」俺は固まったまま黙りこむ。「ねえ、私たち、知らない人が見たらアベックだと思われるね、きっと」理恵は急に振り向いて言った。俺はなおさら固まるが、理恵の言葉に思わず吹き出した。

「アベックって、今どき使わねえぞ。それを言うならカップルだろう」俺は理恵の顔をまじまじ見つめて言えた、こんなことはこいつと出会うまでは考えられなかった行動だ。「そうかな」理恵はそう言うと黙ったまま俺を見つめてきた。沈黙の中にいつもと違う空気が漂う。俺は少しだけ息苦しくなってきた。

(来る時が来ちまったってことか、これは・・・)俺は心臓が破裂しそうなほど高鳴ってくる、おそるおそる理恵の両肩に手をかけた。素肌がひんやりと指に吸いついてくるような感じだ。俺は息を止めて自分の顔を近づける、理恵が目を閉じる。俺もそうすると、そのすぐあとに柔らかいものが唇に触れた。


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