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― 夏煙、七月 ―  作者: 村松康弘
3/10

翌日の夕方、俺が河川敷まで下りると、いつもの場所に大介の赤いスクーターはなかった。いつもは大介の方が先に来ていて、小石を拾っては雑木に投げつけている頃に、俺が駆けつけるのだ。スクーターにまたがったままハイライトを出すと、ぼんやりと吹かす。中学校のグランドで練習している野球部の声が、かすかにしている。

やがて堤防の向こうに50ccの軽いエンジン音が聞こえてきて、大介が河川敷への坂道を下りてくる。砂埃を上げて俺のすぐ隣に停めると、半帽を脱ぐ。そして「今日は早えじゃんか、・・・さてはあの女にまた会えるかもしれねえと、張り切って飛ばしてきたな」と、でかい声で笑った。

「そんなことはねえさ、俺はいつも通りの時間だぜ。お前が遅えんだよ」俺はそう言ったが、(・・・あいつ、今日も来るかな)と内心少しは期待をしていた。不意に昨日の白いワンピースと、さらさらな黒髪の中の笑顔が頭に浮かんだ。

「スタンドでガソリン入れて来たんだよ、そんでこの町とももうじきお別れだって、トシさんと話してたら長くなっちまってな」大介はそう言うと、淋しさがぶり返してきたのか顔をゆがめた。トシというのはガソリンスタンドでアルバイトしている、俺たちの高校の先輩だ。

「そんで、なにもねえからこれでも持ってけって、こいつを10個もくれたよ」大介は作業ズボンの太もものポケットを探ると、使い捨てライターをまとめてつかみ出した。「半分お前にやるよ」と言うので、俺は1個だけもらった。赤いライターに『(有)玉井給油所』と白い文字が印刷してあった。

そして俺たちはいつものように丸太のところまで行き、いつものようにとりとめのない話をはじめる。俺たちは互いに話したいことが山ほどあって、夕暮れが夜に変わるまでの短かい時間じゃ到底足りなかった。その日はお互いの現場にいる、嫌なヤツの話になり、いつも以上に盛り上がる。


ヒグラシの合唱が四方から押し寄せた頃、大介が俺の頭越しに、「あれ、今日もきたぞ、あいつ」と、雑木林の方を向いて言った。振り向くと理恵が小径をやって来るのが見えて、途端に俺の両耳が熱くなる。理恵が近づいてくるのと比例するように、心臓も高鳴った。

水色のイラスト入りのTシャツに、白いショートパンツの格好の理恵は、俺たちの前に立つと、「ほんとに今日も来てたんだね、えーと、誠くんと大介くん」と言って笑った。俺は大介より先に名前を呼ばれたことが妙に照れくさくて、どんな顔をしていいかわからずに、そっぽを向いてポケットのタバコを探る。

「お前こそ、今日も来たじゃん」大介はそう言いながら立ち上がると、林の中に転がっていたプラスチックのバケツを拾ってきて、逆さにするとその上に腰を下ろした。理恵は何気ない仕草で、大介が立ち上がった丸太、つまり俺の隣に腰を下ろす。昨日と同じ正三角形の位置だが、今日は変に意識して緊張した。

「いつまで長野にいるの?」大介はくわえタバコのまま、見上げるように聞くと、「まだ決めてないんだ、・・・東京に帰っても、・・・暑いし」理恵が呟く。俺はふと理恵の横顔を盗み見た、少しだけ翳りがかかった気がする。「こっちだって涼しいわけじゃねえぜ、都会よりいくらかマシってだけだよ」大介が笑った。


それからの一週間、建設会社が休業でバイトのない日曜日以外は、俺たちはいつも集まり、理恵も毎日そこに加わった。そして女と話すのが苦手な俺も理恵とは、いい加減普通に話せるようになる。俺と大介は『理恵』と呼び捨てにして、理恵も俺たちを呼び捨てにするようになっていた。

理恵はとても気さくで快活で、よく笑う明るい子だった。俺にとって今や、幼馴染みのような錯覚さえ覚えるぐらいの、親しみを感じている。だが理恵に対する恋愛的な感情も同時に高まっていて、複雑な心境でもあった。


その日、理恵はいつもと同じ時間に帰っていった。俺と大介は雑木林を抜けて、スクーターにまたがった。エンジンを掛けようとしていた最中、「誠」と大介が呼びかけた。俺はセルを回す手を止めると、「お前、理恵のことどう思ってる?」大介が唐突に聞いてきた。

俺は意表を衝かれてドキリとする、理恵に対する気持ちが、大介にバレてしまったかと思ったが、「どう思ってるって、別になにも・・・」俺は目を逸らしながら答えた。そして少し待ったが続きの言葉が来ないので、大介の顔を見る。ヤツは今まで見たこともない真剣で神妙な、それでいて切なげな表情を浮かべていた。

俺はその顔を凝視しないまま、「そういうお前こそ、どう思ってんだよ?」と聞き返した。大介はすぐには答えなかった。ヤツの沈黙のせいで、お互いの間の空気が澱んだように重くなる。それでも俺は大介の言葉を待った。

「俺は、・・・俺はもうじき北海道へ行っちまうし、理恵もいづれ東京へ帰るだろう。お前はこのまま長野にいるだろうから、その、・・・今は楽しくても、みんなばらばらになっちまうなと、・・・そう思ってるだけさ」ようやく口を開いた大介をちらりと見たが、ヤツも目を逸らしたままだった。・・・その日は俺たちらしくない、ぎこちない別れ方をした。多分俺たちが出会って以来、こんなことは初めてだろう。


俺は暗くなった道を飛ばして自宅の狭いアパートに帰ると、シャワーを浴びてからお袋が作った晩飯を食った。食い終わるとつけっぱなしになっているテレビの画面を眺めながら、理恵と出会ってからのことをぼんやりと考えていた。

(俺はやっぱり理恵のことを好きになっちまってるだろう、しかし大介もきっと理恵のことが好きだ、・・・あの真剣な顔はそのまま理恵への気持ちにも見える。・・・理恵はどう思ってんのか、俺たちのこと、いや俺のことを)

背中を叩かれて振り返った、「誠、なにぼんやりしてんのよ。さっきから何度呼んだと思ってんの」不機嫌な表情のお袋が怒鳴った。「なんだよ」俺はお袋の顔を眺めながら、この貧乏暮らしのなにもかもがみじめに思えてうんざりした。

「今日、担任の先生から電話来て、進学か就職か進路希望を休み明けに聞くから、考えといてくれってさ。お前はどうすんだい」お袋は茶の間のテーブルに頬杖をついたまま聞いてきた。「進学なんてするわけねえだろう、たとえ俺が進学を希望したって、このボロ長屋に住んでるウチに、そんな銭なんかねえだろう」俺が言うとお袋は、「はあ・・・」とため息をついた。

お袋のため息の意味も聞くにならなくて、俺は扇風機がぬるい風をかき回す中、ぬるくなった麦茶をひと息で飲み干した。


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