六月のそれから 3
入り口の扉が開いた。
彼が帰ってきたのだ。
「おかえりなさい」
わたしが駆け寄ると、彼は
「ああ、ただいま」
と返事して、おもむろにその手を伸ばす。
彼の指がわたしの頬に触れたのを感じて目を閉じる。
毎日彼はこうしてわたしの顔を確かめるのだ。わたしはこの時間が好きだ。彼の繊細な指先が瞼を撫で、鼻すじを通り唇に触れる。くすぐったさに思わず首を竦めそうになるのを我慢する。あごから耳にかけてなぞり、最後にゆっくりと髪を撫でると、彼は手を離した。
「次はわたしの番ですよ」
椅子をふたつ引っ張り出して向かい合わせに置くと、片方を彼に薦め、わたしはもう片方に腰掛ける。
スケッチブックを抱えると、わたしは彼の似顔絵を描き始める。そうしてできた似顔絵を、彼に講評してもらうのだ。別に画家を目指しているという訳では無い。ただ、納得できる出来栄えになるまで彼の似顔絵を描く事が、わたしの当面の目標なのだ。
「……今日も似ませんでした」
描き上げた似顔絵を眺めながら、わたしは肩を落とす。そんなわたしを彼は隣からいつも慰めてくれる。
「そんなことはない。ほら、ここの影の付け方なんか、昨日より良くなっている」
「でも、実物はもっとかっこいいのに……」
すると、彼が固まったようにその動きを止める。耳が少し赤くなっている。こんな可愛らしいところもあるのだ。わたしは思わず笑い声を漏らす。
「こら、からかうな」
彼がこちらに手を伸ばす。それから逃れるようにわたしは椅子から立ち上がり、笑い声を上げながら遠ざかる。けれど、こじんまりとした部屋の中ではすぐに行き場を失い、わたしは部屋の隅へと追い詰められる。目の前に立った彼がわたしの腕に手をかけ、軽く引っ張ると同時に、わたしは彼の腕の中に飛び込んだ。彼もそれをわかっているからか、優しく抱きしめてくれるのだ。今度はわたしが耳を赤くする番だった。
こうしてわたしは、わたしだけの家族を手に入れた。
それまではわからなかった、これこそが本当の家族の温もりなのだろう。甘美な幸せに浸りながらも、その温もりを少しでも逃すまいと、わたしは彼の背中に回した手に力を込めた。
(完)




