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六月と蒼い月  作者: 金時るるの
六月の秘密
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六月の秘密 6

「ええと、アウグステ……って呼んだほうが良いのか?」


 鐘つき塔を下りた後、歩きながらクルトが躊躇いがちに口を開く。


「いえ、今まで通りで構いません。だって、わたしは最初から本物のユーニなんですから」

「え?」

「イザークに話したことは、わたしの作り話です。わたし、急に怖くなってしまったんです。あんな恐ろしい人たちと同じ血が流れているってわかったら、逃げ出したくなって……それで、咄嗟に嘘を。確かにわたしの足には火傷の跡があります。でも、それは自分でやったものなんです。わたし、自分の痣がきらいでした。お風呂ではいつもからかわれて、『魔女の印だ』なんて言われたりして。だから、痣を焼いてしまおうって思ったんです。今思えば馬鹿げた思い付きですけど、あの時はまだ小さかったから……」


 もしかすると、アウグステは本当にわたしのスペアだったのかもしれない。本物のユーニになにかあった時に、アウグステをユーニとして名乗らせるために、一緒の孤児院で育てていたのではないか。今となっては真相はわからないが。

 わたしは俯く。


「……わたし、前にクルトに偉そうな事言ってしまいました。たとえ騙されても、裏切られても、絶対に家族を見限ったりしないって。少なくともイザークの話を聞くまではそう思っていました。そう思っていたはずなのに……できなかったんです。あの人は、わたしの姉であるはずなのに」

「……あんな状況なら仕方ない。俺だって同じ事を思うだろう。それよりもお前、もしかして何もかも自分のせいだと思ってるんじゃないだろうな? 自分のせいで孤児院が焼けたんだって考えてないか?」


 彼の言うとおりだった。わたしは悔恨の念に駆られていた。自分さえいなければ、孤児院は焼失することなく、今でも皆仲良く教会の庭で鬼ごっこをしていたかもしれないのだ。それを思うと胸が痛んだ。

 そんな考えを見透かすようにクルトは続ける。


「俺はお前がいてくれて良かったと思ってる。でなければ、ねえさまと今のような関係を築けなかっただろう。感謝してる。きっと、ねえさまだって……もちろん孤児院や教会の人たちの命に比べたら、そんなのは些細なものだろうけど、それでも俺は、お前に救われたんだ」


 それを聞いて沈んでいた心に光明が差した気がした。わたしこそ、その言葉に救われたようだった。


「クルト、ありがとう」


 ごく自然にその後の言葉が口をついて出てきた。


「わたし、学校をやめようと思います」


 クルトが一瞬立ち止まるが、思い出したようにまたすぐに歩き出す。


「……本気か?」

「ええ。わたしがここに入学させられた理由もわかったし、あの人達の言う『お父様』のこどもではないわたしが、今のままの生活を続けられるとも思えません。追い出される前に、自分で出て行きます」

「……そうか」


 クルトが短く答える。彼もわたしの決意を感じ取り、納得したのだろう。

 どこかから雲雀の声が聞こえる。地面に落ちる二人の影が濃くなった。長かった夜が明けるのだ。





 わたしは学校に退学願いを提出し、あっさりと受理された。もしかしたらイザークが手を回したのかもしれない。そう考えても不思議ではないほど、なにもかもがスムーズに進んだ。だがそれも、イザークにしてみれば、秘密を知っているわたしを追い出したいが故の事だったのかもしれない。


 結局、わたしは逃げたのだ。『お父様』や『機関』から。

 イザークに対して告げた言葉は本心からのものだったが、一介の子供であるわたしはあまりにも非力だ。得体の知れない『機関』や『お父様』を破滅させるだなんて常識的に考えても難しいだろう。それでも、自身の秘密を暴かれたイザークには効果があったのかもしれない。こうしてあっさりと退学できたことからもそれは予想できた。解放する代わりに関わるなということなのだろう。

 結局わたしと彼女とは、分かり合えることはなかったのだろうか。





 学校を去る朝、校門の前で、わたしとクルトは向かい合って立っていた。


「クルトは、これからどうするんですか?」

「これ以上こんなところにいられるか。ここからそう遠くない学校を探して、近いうちに転校するつもりだ」

「そうか。近くの学校じゃないとロザリンデさんに逢えませんしね」

「そういうことだ」


 彼は肩をすくめた。


「お前こそ、学校を出ると決めて、これからどうするつもりなんだ?」

「ええと、実は、やりたい事があって……」

「やりたい事って?」

「それは……あの、耳を……」


 手招きすると、クルトは怪訝そうに身を屈める。その耳元に囁いた。


「え?」


 わたしの言葉を聞いた途端、クルトが驚いたような声を上げる。


「や、やっぱり、無理だと思いますか……?」


 不安まじりに尋ねると、クルトは少しの間思案していたようだが


「……いや、お前にならできるかもしれないな」


 そう言って笑みを浮かべた。それはその場しのぎの慰めではなく、彼の心からの言葉のようだった。

 その笑顔に励まされた気がした。


 不意に二人の間に沈黙が降りた。別れの時が近づいているのだと本能的に理解する。

 その静けさを打ち破るようにクルトが口を開く。


「――思い返せば、お前と一緒にいる間、退屈しなかったな。なにしろお前ときたら、騒がしくてお節介。ときどき驚くほど冴えているのに、普段は頼りなかったりする。そこが放っておけなくて……なんていうか、俺にとってまるで――まるで、そう、妹みたいだった」


 その言葉にわたしは目を瞠る。


「わたしも――わたしも、クルトのこと、おにいちゃんみたいだって思ってました。クルトが怒ると思って言いませんでしたけど……」

「だと思ってた」


 二人の顔に笑みがこぼれた。

 次の瞬間、どちらともなく二人の影が近づいた。お互いが、お互いの背に手をまわす。

 柔らかな温もりに顔を埋めながらわたしはささやく。


「今までありがとう。わたしのおにいちゃん」

「ああ。元気でな。俺の妹」


 暖かな風が吹いていた。もう冬が終わる。

 わたしの心の中にも穏やかな風が吹いているようだった。

 クルトには感謝してもしきれない。最初は交換条件からだったとはいえ、彼は何度もわたしを助けてくれた。彼がいなければ、あのつらい時も乗り切れなかっただろう。これからは、彼の助け無しで、自分の力で生きていかなければならないのだ。

 ありがとう、クルト。

 心の中でもう一度呟いた。

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