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六月と蒼い月  作者: 金時るるの
六月の秘密
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六月の秘密 5

 鐘つき塔の階段を下りようと、わたし達二人は無言のままイザークの脇をすりぬける。

 その時、イザークの微かな呟きが聞こえた。


「なんで、なんで……せっかく――なのに……僕はまだ――ひとりなの?」


 その瞬間、わたしは微かな哀しみを感じた。この人は孤独に苛まれているのだ。きっと、この人も幼い頃から特殊な環境下で育ったに違いない。わたしには孤児院のみんながいたし、今だってクルトがいる。でも、今のこの人には誰もいないのではないだろうか。もしかすると、今までにわたしの事を妹だと認識していた事もあったのかもしれない。けれど、やっと肉親に逢えたという気持ちも、今ここで裏切られてしまったのだ。

 『お父様』に駒のように扱われている事を知って、自分の存在について思い悩む事もあっただろう。誰かが傍にいてくれたら、この人はこんなふうに捻くれることも無かったかもしれない。

 ふと、そこである可能性に思い当たった。


 わたしは足を止めてイザークへ向き直る。


「イザーク」


 イザークは返事をせず、こちらを見ようともしない。わたしは構わず話し続ける。


「例の”少女像”の事ですけど……」

「……今更なんだって言うの?」

「わたしは、あの彫刻を作ったのは、あなたの父親なんじゃないかと思っていました。そしてその父親はもうこの世には存在しない。だからあなたはあの像に拘っていたんだと。けれど、今の話では、あなたの『お父様』は健在だという」

「……だから?」

「不思議だったんです。あの像について『位置が違う』と作者が言ったこと。それなら、作者本人が学校側に申し入れるなりなんなりして、正しい場に置き直してもらえば良かったのにって。でも、その一方で、それをしなかったのは、あの像の作者には、正体を公にできない事情があったんじゃないかとも考えました。あの像に作者のサインがなかったのも、同じ理由で。それで思ったんです。あの像を作ったのは、たとえば、社会的に地位の低い女性――もしかして――イザーク、あなたの母親なんじゃありませんか?」


 イザークの肩がびくりと震える。


「わたし、聞いたことがあるんです。芸術の世界では、女性という理由だけで、不当に低い評価を受けることがあるって。だからあの少女像が自分の意に沿わない場所に置かれてしまっても、訂正の声を上げることができなかった。そんな事をして、作者が女性だと露見したら、作品の評価を不当に下げられて、あの場所から撤去されかねないし、そこからあなたの秘密が回りに露見するのを恐れたのかもしれません。だから作者は、あの像の位置についての異議を、近しい人へ漏らすのみで留めていたのではないでしょうか。わたし、あの像をどこかで見たような気がしていたんですけど、思い出せなくて……でも、やっと気付きました。あなたに似ているんだって。あの像は、あなたの幼い頃の姿を模したものなんじゃありませんか? 女の子の姿だった頃のあなたを」


 イザークが振り返る。その目は微かに見開かれていた。

 わたしは続ける。


「どういう経緯でそうなったのかは知りませんが、普通に考えれば、あの像をこの学校に置くのは簡単なことでは無いでしょう。さっきも言ったように、像が発端になってあなたの秘密がばれてしまう恐れがありますからね。それを考えても、ユーニと違ってあなたは相当優遇されているみたいです。いかに後見人に力があるからといって、はたして女の子であるあなたがそこまで手を掛けてもらえるでしょうか」

「……なにが言いたいの?」

「つまり、あなたが『お父様』に愛されている、という証なんじゃないかと思ったんです。『お父様』だけじゃありません。母親にだって……おそらくあなたの母親は、あなたがいずれ男子校に入学させられると知っていた。だからあなたを模った像を作ってこの学校に置くよう後見人か『お父様』に頼った。そして、像を通じてあなたに自分の事を忘れないで欲しいと願ったんじゃないでしょうか。誰かに触れられて汚されるこのとのないように、高い場所へと置くつもりで」

「なんなんだよ……なんでそんな事、わかるんだよ……!」

「もちろん、わたしの想像でしかありません。でも、ユーニやわたしには、そんなふうに両親から受け継いだものなんて何もないし、遺されたものも何もありません。それだけであなたが特別だってことがわかると思います。わたしは……あなたが羨ましい」


 それはイザークに対する慰めでもあり、わたしの本心でもあった。孤独なこの人の心を少しでも和らげることができるのならと思い。それを口にした。

 イザークは暫く言葉を失ったようにこちらに瞳を向けた。わたしよりも、その先にある何かを見つめているように。

 やがて長い長い溜息と共にイザークは瞳を閉じた。


「もういいよ」

「え?」

「どこにでも行っちゃえば? ……約束は守るからさ」


 いつもの居丈高で皮肉めいた、けれど少し寂しそうな雰囲気を纏いながら、イザークはそう言った。

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