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六月と蒼い月  作者: 金時るるの
六月の秘密
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六月の秘密 1

 その日、授業を終えたわたしが自室へ戻ると、既にクルトが部屋にいた。彼はソファに腰掛けて手紙のようなものを読んでいたが、わたしの姿を見ると、はっとしたように顔を強張らせた。


「どうかしました? 幽霊でも見たような顔して」


 戸惑っていると、クルトがゆっくりと向かい側のソファを指差す。


「……ちょっと話がある。そこに座ってくれないか」

「なんですか? 改まって」


 言われたとおりに大人しく腰掛けたものの、クルトはなかなか話し出さない。腕組みしたり、それを解いたりと落ち着きがない。

 辛抱強く待っていると、やがて彼は重い口を開いた。


「……前に約束しただろう? お前にもしもの事があった時に孤児院を援助するって。だから、調査したんだ。お前が育ったっていう孤児院について」 

「えっ、本気だったんですか? クルトって真面目……」


 わたしの軽口にも言い返すことは無く、クルトは静かに話を続ける。


「その報告をついさっき受け取ったところなんだが……落ち着いて聞いてくれ。お前の育った孤児院と、それを運営していたアーベル教会だが……数ヶ月前に火事に見舞われたそうだ」


 その言葉にわたしは一瞬ぽかんとしたのちに、慌てて尋ねる。


「か、火事って……!? 教会や孤児院のみんなは!?」

「……教会は石造りだったが、他の建物は違ったらしいな。おかけで教会そのものは無事だったが、孤児院は――すべて焼失したらしい。建物も……住人も」


 クルトは目を伏せると、ゆっくりと首を横に振った。


「……その冗談、笑えませんよ」


 クルトをたしなめるつもりで発した自分の声に、動揺の色が混じっているのを感じた。クルトがこんなひどい冗談を言う人間ではないとわかっている。けれど、彼の言葉をにわかに信じる事もできなかった。


「……嘘ですよね? それじゃあ、神父さまやシスター達は……?」


 なおも確認するように尋ねるわたしに対し、クルトは再び首を横に振る。その顔はどことなく苦しそうだった。


「……運が悪かったことに、火事の起きたのが夜中だったそうだ。それで、発見が遅れて……」

「そんな……」


 呟く自分の声をどこか遠くで聞いていた。まるで自分のものではないみたいに現実感がない。


 うそ。うそだ。全部焼失した……? そんな……教会も、孤児院のみんなも――アウグステも? 


 孤児院を離れてからも、たびたび皆のことを思い出すことはあった。本当の家族ではないとわかってはいたが、自分にとっては家族も同然なのだ。たとえもう逢えなくても、健やかでいてくれたらそれでいいと思っていた。

 それなのに――みんないっぺんにいなくなってしまったなんて。


 ――わたしは本当にひとりぼっちになってしまったんだ。


 そんな事を考えた途端、「ひとりぼっち」という言葉が錘のようにずしりと響いた。

 視線を落とすと、膝に揃えて置いた自分の拳が小さく震えていた。


「おい、大丈夫か? 顔色がよくない」


 いつのまにかクルトがすぐ隣にいた。心配そうにわたしの顔を窺うその様子から、先ほどの言葉が真実なのだと確信した。と、同時に、胸の奥に何かがつかえたように重くなった。苦しくて吐き出そうとすると、それは何故か涙となって頬を伝う。

 クルトは、いつものように「泣くな」とは言わなかった。ただ、いつかのように気遣わしげにわたしの背に手を置く。 

 彼のその手が触れた瞬間、張りつめた糸が切れるように、わたしはクルトに縋りついて嗚咽を漏らした。






 小さな話し声に、わたしはうっすらと目をあける。

 あれからどれくらい経ったんだろう。どうやら泣き疲れて眠ってしまったみたいだ。ゆっくりを身を起こすと、身体に掛けられた毛布がゆるりと滑り落ちた。


「……具合が悪いらしくて……そう……ああ、そうしてもらえると助かる……」


 声の主はクルトだった。ドアのところで誰かと話をしている。働かない頭でその声を聞いていると、やがて話を終えたクルトが戻ってきた。


「マリウスが様子を見に来た。夕食の時間なのに姿が見えないからって。だから、お前の具合が良くないって伝えておいた。後で食事を持ってきてくれるそうだ」

「……いりません」


 クルトが驚いたように目を瞠る。


「……おなか、空いてないので」

「……気持ちはわかるが、何か口にした方がいい。食事が嫌ならお菓子でも、なんでもいいから。それに、俺が誤魔化すにも限界がある。酷なことを言うようだが、このまま具合が悪いと言って部屋に引きこもっているわけにもいかない。お前も知ってるだろ? 病人は”隔離”されるって事」


 そうだ。この学校では病気になった生徒は、専用の部屋へと隔離されて、そこで看病を受ける。


「そんな事になれば、お前の秘密がばれて、大変な騒ぎになるかも――」

「もう、いいんです」


 わたしは弱々しい声で続ける。


「孤児院が無くなったら、わたしがこの学校にいる意味なんて無いも同然ですから。今さら性別のことなんてどうでも……そうだ。わたし、学校やめます」

「急に何を言い出すんだ」

「……さっきも言ったとおりです。これ以上ここにいても意味が無いし……」

「おい、冷静になれ。そんな状態で外に出て、一体どうするつもりなんだ」


 そんなの考えていない。わたしがゆるゆると首を振ると、クルトに肩を掴まれ揺さぶられる。


「とにかく俺は反対だ。少なくとも、お前が冷静に物事を考えられるようになるまでは。気力が湧かないというのなら、俺の言うとおりにしているだけでいい。しばらくは大人しく今のままの生活を続けるんだ。わかったな」


 クルトがそう言うなら、それでもいいのかもしれない。なんだか周りの景色がぼやけて見える。ぼやけた灰色の世界。なにも考えたくない。何も考える気がしない。もう全てがどうでもいいのだ。

 クルトの声を、どこか遠くの出来事のように聞きながら、わたしはこくりと頷いた。




 それからは、授業にも身が入らず、毎日楽しみにしていたはず食事の時間でも食べ物がろくに喉を通らず、味さえもよくわからない有様だった。ただ機械的に身体を動かし、食べ、眠る。その繰り返しだ。

 そんなわたしの様子をよほど変に思ったのか、マリウスが声を掛けてきた。


「ねえユーニ、なにかあったの? 最近調子が良くないみたいだけど」


 ぼんやりしている間に、傍にいたクルトが慌てたようにマリウスの耳元に口を寄せ、何事か囁く。するとマリウスは眉を寄せる。


「ああ、なるほどね……それは、気の毒に」


 一体なんて説明したんだろう。ちらりとそう思ったが、クルトに確認する気も起きなかった。






 気がつくとそこは、明るい陽が差す教会の庭だった。あたりはこども達の笑い声に包まれ賑やかだ。やがて誰かが鬼ごっこをしようと言い出して仲間を募る。

 わたしも――言いかけて、わたしは自分の声が出せないことに気付く。まるで喉に何かが詰まっているようだ。慌てて近くのこどもに助けを求めようとするが、身体も上手く動かせない。足が泥にでも浸かっているみたいに重たい。

 そんなわたしをよそに、こども達は鬼ごっこを始める。青空の下、歓声が響く。


 ――だれか、助けて。動けないの


 必死に声を上げようとするも、誰一人わたしの方を見ようともしない。そこになにもいないかのように。

 日差しが強くなる。その中に、遠ざかるこども達の輪郭が溶けてゆく。まるで光の中に消えていくかのように。

 わたしはその中にアウグステの横顔を見た。


 ――アウグステ! ねえ、まって、どこに行くの? わたしを置いていかないで!


 出せない声で叫んだときには、彼女の姿はすでに光の中に吸い込まれ、あたりは真っ白な、なにもない世界が広がるだけだった。




 わたしは目を開けた。

 柔らかいベッドにあたたかい毛布。部屋の外はまだ暗い。

 ――今のは夢だったんだ。

 そう理解したものの、胸は早鐘を打っていて、わたしは暫くの間動けないでいた。

 やがてそろりと身体を起こす。あたりはしんと静まり返り、全ての生物が活動を停止したように錯覚する。

 あまりの静けさに、急に心細くなった。自分の寝床を抜け出すと、クルトのほうへと近づく。

 ベッドの傍に腰掛けると、シーツの上に肘をつき、彼の様子を眺める。

 薄暗闇に彼の白い顔が浮き上がる。微かな寝息と、呼吸をするたびゆっくりと上下する毛布で、彼が生きているのだと確認できた。


 ――クルトはここにいるよね? 夢じゃないよね? どこかに消えたりしないよね?


 当たり前ではないかと思う反面、妙な不安を感じて、わたしは自分の腕に顎を乗せ、クルトの顔をじっと見つめた。

 どれくらい経っただろう、彼の長い睫毛が震えたかと思うと、すっとその目が開いた。

 突然のことに動けずにいるわたしと、お互い目があったまま数秒の時が流れた。


「うわっ!?」


 クルトは飛び跳ねるように起き上がると、背中を壁に勢い良くぶつけるように後ずさる。


「な、な、なんだ!? そんなところで、何やってるんだ……!? 」


 彼はわたしの姿を認めると、うわずった声で問う。

 わたしは慌てて腰を浮かす。


「ご、ごめんなさい……なんだか目が冴えてしまって、なんとなく……」

「……また妙なこと考えてたんだろ」

「ええと、その……すみません、驚かせてしまって……もう寝ます」


 立ち上がろうとしたその時、クルトに腕を引かれ、わたしはそのまま尻餅をつくようにベッドに腰掛ける。


「お前に起こされたせいで目が冴えた。眠くなるまで話に付き合ってもらうからな」


 そう言ってクルトは隣に移動してきた。

 けれど、「話に付き合ってもらう」と言った割には、クルトは腕組みしてなにかを考えるような仕草をしたまま黙っている。

 しばらくの間を置いたあとに


「そうだな」


 と口を開く。


「むかしむかし、あるところに娘がひとりいて――」

「……話って、おとぎ話ですか? 」


 思わず口を挟む。


「『話』には変わりないだろ。まあ大人しく聞け。それで――あるひとりの娘のもとに結婚話が舞い込んだ。ところが相手は人間ではなく、恐ろしげな毛むくじゃらの獣の姿をしていた。怯える娘に対し獣は紳士的に振る舞い、結婚してくれたら不自由はさせない。家族にも十分な援助を行うと申し出た。娘はそれを受け入れ、二人は夫婦となる」


 安定を保証された生活を選択するとは、なかなか打算的な娘だ。


「男は大きな城に住んでいて、娘もそこで一緒に生活を始めるが、何故か満月の夜だけは別々の部屋で眠るという。不審に思った娘は、ある満月の夜にこっそり男の部屋へ忍び込んだ。蝋燭の灯りのもとで娘が見たものは、毛むくじゃらの獣ではなく、美しい人間の男の姿だった。娘が思わず身を乗り出すと、持っていた蝋燭の蝋が男にかかり、男は目覚めてしまう。実は男は獣になる呪いをかけられていて、満月のときだけ元の姿に戻ることが出来たんだ。更に、1年間その事を知られること無く娘と生活する事が出来れば、その呪いが解けるはずだった。けれど、娘の行動でそれも台無しになってしまったんだ。もう二度と逢えないだろう。男はそう告げると、かき消えるようにいなくなってしまった」


 クルトはそこで言葉を切る。わたしはその話にいつの間にか引き込まれていた。


「それで、どうなるんですか? 続きは?」

「続きは――また今度」

「え……」

「眠くなったから寝る。お前ももう寝ろ」


 クルトはさっさとベッドに横になると背を向けてしまった。

 腑に落ちない気持ちを抱えながら、わたしもしぶしぶベッドに横になる。


 さっきの物語の娘――彼女はどうするんだろう。男の事が好きだったのなら、後悔の念にかられながらその後を過ごすだろうか。それとも男を探してあてのない旅に出るか……でも、それほど男の事が好きじゃなかったら……? だとしても、そんな別れかたをすれば、罪悪感に苛まれるに違いない。

 物語は一体どんな結末を迎えるんだろう。どうせなら大団円が良いな…… 


 そんな事を考えているうちに、いつの間にか眠ってしまった。

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