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六月と蒼い月  作者: 金時るるの
六月と歪んだ少女像
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六月と歪んだ少女像 2

 その日からわたしは、放課後になるたびあの穴の元へ行き、少しずつ地面を掘り返していった。

 毎日シャツを土まみれにして帰ってくるわたしを見て、クルトは眉をひそめたが、花壇を作っていると説明したら、不思議そうな顔をしながらも納得したようだった。


 その日の放課後も、わたしは変わらず穴を掘っていた。


 うーん、今日はよく掘ったなあ……

 立ち上がって大きく伸びをする。穴は既に背丈より深い。そろそろいい時間だ。今日はこのくらいにしておこう。

 シャベルを地面の上に放り投げると、自身も這い上がろうと穴のふちに手をかける。


「……あれ?」


 地面に両手をついてジャンプするが、地上には顔の辺りまでしか出すことが出来ず、そこから手を付いて這い上がろうとしても、どうしてもずり落ちてしまう。

 うそ。昨日までは上れたのに……調子に乗って深く考えずに掘りすぎてしまった……?

 手だけを伸ばして地面の上をまさぐるが、指がシャベルに触れる気配も無い。


「だ、だれか――誰かいませんか?」


 頭上に呼びかけてみるが、あたりはしいんとして、物音ひとつない。

 土壁に穴を掘って、そこに足を掛けようとするも、足に体重をかけると土がぼろぼろと崩れて上手くいかない。

 だんだん寒くなってきた。土を掘っている最中は暑くて仕方が無いので、上着を地上に放り出してきてしまったのだ。

 このままでは凍えてしまう。そして誰にも知られないまま息絶えて、明日になったらカチカチになった自分の遺体が捜索隊によって発見されるのだ。

 そんな妄想に支配され始めたところで頭上から声がした。


「やあ、子猫ちゃん。もしかして君、そこから出られないの? 猫って言うより、箱から出たがってる鼠みたい」


 意地悪な色を含んだ声の主はイザークだった。

 わたしの声を聞きつけてやってきたんだろうか。こんな時にこんな人に会うなんて……でも、他に頼れる人がいない今、選り好みしている状況では無い。


「あ、あの、申し訳ありませんが、助けてもらえませんか……?」


 おそるおそる切り出すと、イザークはしゃがみ込んでこちらを見下ろす。


「いいよ」

「ほんとですか!?」

「ただし、今日限りで塹壕花壇だなんてくだらないものを作るのはやめるって約束するならね」

「そ、それは……」

「それはできないって? だったら、せいぜいひとりで頑張ってよ」


 イザークが立ち去る素振りを見せたので、わたしは慌てて引き止める。


「ま、まってください! わ、わかりました……塹壕花壇は諦めます。だから、助けてください」

「へえ、意外とあっさりしてるね。君の芸術に対する心構えってそんなものなんだ」

「……背に腹は代えられません。このまま創作活動を続けたら生命の危機ですからね。わたしがここで死んでしまっては第二のミケランジェロは世に出ないままです。そっちの方が人類にとって損失ですから」

「まだそんな事言ってるの? いい加減誇大妄想はやめて現実を見なよ。わかったら早く手を出して。引っ張ってあげるから」


 そうして差し出された手を両手で掴み、それを頼りに地上へ上ろうと、土壁に足を掛ける。


「ちょ、ちょっと待って」

「え?」


 イザークの慌てたような声に顔を上げる。と同時に、目の前の彼の身体がつんのめるように倒れてきて――


「うわっ!?」


 穴の中に彼が降ってきた。わたしはとっさに飛び退る。イザークは着地したものの、尻餅を付いてしまったようだ。


「いたた……」


 イザークは少しのあいだ座り込んでいたが、お尻の辺りをさすりながら立ち上がる。


「『待って』って言ったじゃないか! おかげで僕まで箱の中の鼠だよ! どうしてくれるのさ!」

「そ、そんな事言ったって……」


 まさか少し体重をかけただけなのに、こんな事になるなんて思いもよらないではないか。

 イザークは地面に取り付いてなんとか上ろうとするが、上りきれずにずるずると落ちてくる。

 前にもちらっと思ったけど、イザークって非力だなあ……人の事は言えないのだが。

 そんな事を考えていると、あたりに重厚な鐘の音が鳴り響く。夕食を知らせる合図だ。それを聞いたイザークが振り向いてこちらを見た。


「このままじゃ、ここは塹壕どころか僕らの墓穴になっちゃう。僕は君と心中なんてまっぴらだからね。早くそこに四つん這いになってよ」

「どうしてわたしがそんな事……」

「わからない? 君の背中を踏み台代わりにして上に登るんだよ」

「えー、それなら普通は年上のほうが踏み台役を買って出るものじゃありませんか? イザークのほうが体格だっていいのに……」

「君にそんな事言える権利があると思ってるの? 誰のせいでこうなったのか忘れてる?」

「……すみません」

「わかったら、さっさとその背中を僕に差し出して」


 大人しく屈み込もうとして、ふと少女の像を見上げる。夕日に照らされたそれは、全身から柔らかな光を放っているようにも見える。

 それを見てわたしははっとした。

 慌ててイザークの袖を引っ張り、少女の像を指差す。


「あ、あの、イザーク。ちょっと、あの像を見てもらえませんか?」

「は? なんで? 踏み台になりたくないからって、くだらない言い訳で引き伸ばしするつもり?」

「違いますよ。お願いします。一瞬で良いんです。あの像を見てもらえませんか? そうしたら、踏み台にでもなんでもなりますから」


 必死で頼み込むと、イザークはしぶしぶといった様子で顔を上げる。と、像に向けられたその表情に驚きが広がっていく。

 彼も気付いたようだ。あの像の真実に。


「イザークは、この像のバランスがおかしいって言ってましたけど、この場所からだと、像のバランスが整って見えると思いませんか?」

「なんで? どういうこと?」


 イザークは像から目を離してわたしに疑問をぶつける。


「つまり、この像は、ダビデ像と同じなんですよ」

「ダビデ像って、ミケランジェロの?」

「そう。ダビデ像って、下半身に比べると上半身の比率が大きいですけど、それって、下から見上げて鑑賞した際に、ちょうどいいバランスに見えるように計算して造られた結果だと言われていますよね。この少女の像もそれと同じなんです。下から鑑賞される事を想定して、作者はこの像を作ったんですよ」


 イザークはいまだ納得できない様子で口を開く。


「単なる偶然じゃないの? たまたま下から見たら、うまい具合にちょうど良いバランスに見えるだけっていう……」

「でも、この像の作者は、像の置かれる『位置が違う』って言ったんですよね? 一口に『位置』と言っても色々あると思いませんか? 前後、左右、そして――上下」

「……まさか」

「そのまさかですよ。本来この像はもっと高いところ――例えば高い台座の上か何かに置かれる事を想定して造られたんじゃないでしょうか。けれど、実際はこうして地面に設置されてしまった。だからそれを知った作者は『位置が違う』と言ったんです。もっと高い場所に置かれるはずだったという意味で」


 興奮気味にまくし立てると、イザークははっとしたようにわたしを見る。


「もしかして、君が言ってた『第二のミケランジェロ』って……」

「ええ。この像の作者の事です。ミケランジェロのダビデ像のような表現手法でこんな綺麗な像を作れるなんて、きっと他の作品も素晴らしいに違いありません。『第二のミケランジェロ』と呼ばれるに相応しいかもしれない……なんて、大袈裟でしょうか」

「なんで、この穴を掘り始めた時にそれを言わなかったの?」

「それは……あの時点ではわたしの推測が合っているか自信が無かったので……もしも穴を掘った後で実は間違ってました、なんて事になったら恥ずかしいじゃないですか。その場合はそのまま塹壕花壇を作ってしまおうと思っていたんです」


 イザークはしばらくの間、じっと像を見つめていたが、やがて顔を伏せてしまった。


「ああ、もう、なんでよりにもよって君が……」

「え……?」

「……なんでもない」


 イザークは小さな声で答えた。

 そんな様子を見ているうちに、ある疑いが頭をもたげてきた。

 もしかすると、この少女像を作ったのは、イザークにかなり近しい人物だったのではないか。たとえば――彼の父親とか。

 だから、普通だったら知りえないこの像の事情について詳しいのではないだろうか。どのような経緯でここに置かれるに至ったかまでは想像できないが。

 けれど、クリスマスの休暇のとき、彼は居残り組の中にいた。つまり、今の彼にはわたしと同じように帰る家が無い――すなわち、家族がいないのではないか。

 だから、彼は肉親が遺したこの少女の像を特別視していて、ここに近づいたわたしが像を傷つけはしないかと警戒していたのではないか。

 そう。彼にとってのこの像は、失ったものを思い起こさせると同時に、孤独な心の拠り所のような存在。方向性は違えど、わたしにとっての白いリンゴと似たようなものなのだ。

 でも、確信はないし、そんな繊細な問題を直接聞くなんて事はさすがにできない。


 全部、わたしの妄想なのだ。


 顔を上げて、イザークは再び像に視線を向ける。その真剣な様子に声をかけるのも憚られ、わたしも黙って像を見つめる。

 でも、この像の女の子、どこかで見たことあるような……気のせいかな?

 そんな事をちらりと考えたとき、冷たい風が吹きぬけ、わたしは盛大なくしゃみをしてしまった。


「あ、あの、とりあえずここから出ませんか? 約束通り、喜んで踏み台になりますから」


 おずおずと申し出ると、イザークがちらりとこちらを見た。


「いやだ」

「そんな……」


 イザークの協力が無ければここから出られない。この像と彼の関係がわたしの予想通りなら、彼がこの像をもっと見ていたいという気持ちもわかるが、このままでは本当に凍死体になってしまう。


「だから、君だけ先に行って。僕の背中を使っていいから」

「えっ……」

「何か問題でも?」

「だ、だって、それって、イザークを踏み台にするって事ですよ?」

「そうだよ。文句あるの?」

「いえ……」

「わかったら早くして。靴は脱いでよね」


 そう言ってイザークは地面に膝と手をついた。

 信じられない。この人がこんな事をするなんて。もしかして、既に自分は凍死しかけていて、これは死の間際に見ている夢なのでは。この人の背中に足をかけた途端、地上を通り越して天国に行ってしまうのでは。

 意外な申し出に戸惑いながらも、言われた通り靴を脱いで彼の背中に足をかける。そこは確かに温かく、それでいて確実な感触があった。

 一瞬イザークの苦しげなうめき声が聞こえたが、重さで潰れることもなく、わたしはなんとか地上に這い上がることが出来た。


「誰か呼んできて。君には僕を引き上げられないでしょ。また一緒に穴に落ちたら無意味だからね」


 その後に、イザークは小さな声で付け加えた。


「できれば、なるべくゆっくりでいいから」


 イザークはこちらの返事を待つことなく、先ほどと同じように真剣なまなざしを少女像に向ける。その姿は、どこか侵しがたい雰囲気を纏っていた。

 わたしは離れたところに放り出してあった上着を拾うと、穴の中のイザークに向かって投げ入れる。


「これ、寒かったら使ってください」


 そう言い置いて、建物のほうへとゆっくりと歩き出した。





 わたしたちの行方不明事件は、危うく騒ぎになる寸前だったらしい。いつまでもわたしが食堂に姿を見せないことで、何かの事件に巻き込まれたのではと推測する生徒まであらわれたとか。

 大目玉を喰らいそうになったが、ミエット先生が「塹壕花壇を作るためだから仕方ない」だとか、よくわからない理由で庇ってくれた。

 イザークの言っていたこと、あながち間違ってないのかも……


 それに、悪いことばかりではなかった。

 その事件をきっかけに、塹壕花壇の噂を聞きつけた何人かの生徒たちが、面白がって作業を手伝ってくれるようになったのだ。

 土壁が崩れないようにと、どこからか持ってきた木板で囲ってくれたり、底へ降りるための階段を作ってくれたりと、本格的に塹壕のような縦穴が出来上がってきた。さすがに土嚢までは無かったが。


 そうしてついに塹壕が完成した。後は底の土を耕して花の苗を植えるだけの状態だ。

 塹壕の周りには示し合わせたように多くの生徒が集まっていた。手伝ってくれた生徒や、噂を聞きつけた物好きな生徒。教師の姿もある。

 塹壕が完成したら皆にひとこと言いたいと、わたしが事前にそれとなく漏らした結果なのだが、予想以上に人が集まってしまった。


「ええと……」


 塹壕の前に立ちながら、わたしはお腹の前で指を組んだり解いたりを繰り返す。その姿を見て、集まった人々が急に静まり返った。

 少々の居心地の悪さを感じながらも、思い切って声を張り上げる。


「皆さん、このたびはお集まりいただきありがとうございます。塹壕花壇の塹壕部分が、こうして見事完成したのも、皆さんのご支援とご協力あってのことです。本当に感謝しきれません」


 そこで拍手が起こり、誰かが口笛を吹き鳴らす。

 まずい。予想外に盛り上がってきてしまった。

 これから話すことを聞いても、この人たちは納得してくれるだろうか。


「さて、ご覧の通り、あとは底の土を耕して花の苗を植えることで塹壕花壇は完成しますが……実はみなさんに謝らなければならないことがあります。みなさんのご協力を得て制作してきたこの塹壕花壇ですが……わたしはこれ以上この作品を作り進めることをやめようと思うんです」


 周囲の人々がざわめいた。それを制するかのようにわたしは素早く続ける。


「みなさんもご覧の通り、塹壕のむこうに少女のブロンズ像がありますよね?」


 振り向いて、少女像を手で示す。


「この少女像、一見すると、上半身に向かうほど比率が大きく、バランスが狂っているように感じられますが……実は、この少女像は下から鑑賞する事を想定されて作られたものであり、なんと塹壕の中から見ると、この少女は絶妙なバランスを保っている事がわかるのです。そう、まるでミケランジェロのダビデ像のように。わたしは塹壕花壇を制作中に、偶然にもその事に気付いてしまったのです!」


 一旦言葉を切って周囲の反応を窺う。皆はわたしの次の言葉を待っているようだ。


「それに気付いたとき、まるでいかずちに打たれたような衝撃を受けました。と、同時に思ったのです。この偉大な作品をこのまま埋もれさせてはならないと。けれど、迷いが生じたのも事実です。何故ならそのことで皆さんのご協力をふいにすることになるかもしれないと思ったからです。悩みぬいた末に、わたしはある結論にたどり着きました。塹壕花壇よりも、唯一無二のこの少女像の価値を後の世に伝えることの方が重要だと。今まで皆さんに黙っていた形になってしまったことは謝ります。どのような仕打ちも受け入れます。けれど、その前に一度、実際にこの塹壕の中から少女像を見上げてみては頂けないでしょうか? そうすれば、この少女像の素晴らしさがおわかり頂けると思います。だから、この塹壕花壇を、花壇ではなく、少女像を眺める場所に変更させて欲しいんです。お願いします」


 わたしが言い終えても、あたりは静まり返ったままだった。

 皆怒っているんだろうか。行方不明騒ぎを起こした上に、制作に協力した結果がこれだなんて、怒りを覚えても仕方が無い。

 わたしは俯いて、祈るように胸のあたりで両手を握る。

 すると、誰かが拍手する音が聞こえた。それに釣られるように、ぱらぱらと手を叩く者が現れ、やがてそれは大きな拍手となってあたりを包んだ。





 先ほどの演説の後、生徒達は入れ代わり立ち代り塹壕内へと足を踏み入れ、例の少女像を見上げている。感想を言い合ったり、じっくり眺めたりと、反応は様々だ。

 その様子を眺めた後、わたしはあたりをぐるりと見回し、クルトの姿を見つけ出したのでそそくさと駆け寄る。


「クルト、さっきはありがとうございました」


 他の人に聞かれないよう、こっそりお礼を言う。実は、先ほどの演説の際に、彼にまっさきに拍手をしてくれるよう事前に頼んでおいたのだ。要は仕込みである。釣られて拍手をする者が現れて、流されるままにわたしの提案を受け入れてくれることに期待したのだが、どうやら上手くいったみたいだ。

 クルトはかすかに笑みを浮かべた。


「最終的に他の奴らもお前の言葉に共感したんだろう。今になって不満が噴出しないのも、あの像に大袈裟じゃなく説得力があるからじゃないのか? それに、最初に拍手したのは俺だけじゃない。彼も……」


 そう言うクルトの視線の先を辿ると、少し離れた場所にイザークがいた。

 にわかには信じられなかった。まさか彼がわたしの発言に同意してくれるとは。でも、あの少女像に関する事が、わたしの予想通りなら、肉親の作ったあの像に関する不名誉な評価を回復できるという思いもあったのかもしれない。

 わたしが近づくと、イザークはこちらに目を向ける。


「まったく白々しいなあ。なにが『偶然にもその事に気付いてしまったのです』だよ。そんな不自然な言い訳によくもみんな騙されるものだよね」

「そんな事言って、イザークこそ、真相を知ってるのに黙っててくれているじゃないですか。さっきも率先して拍手してくれたって聞きましたよ」

「誰だよ、そんな事言ったやつ。馬鹿じゃないの。そいつの口を縫い付けてやりたいよ」


 イザークはそう言って顔をふいっと背けた。

 けれど、像を眺める生徒達の様子が気になるようで、ちらちらとそちらに視線を向ける。


「ねえイザーク、わたしたちも、もう一度あの像を見に行きましょうよ」

「はあ? なんで君と? 鬱陶しい。纏わり付かないでよね」


 わたしの誘いをぴしゃりと断ると、一人で像のほうへと行ってしまった。

 今回の件で、彼のわたしに対する態度が少しでも和らいだのではと期待したのだが、現実はそう甘くないみたいだ。

 いいんだ。クルトと一緒に見にいくから。






 その夜、不思議な出来事があった。

 あの少女像がそのまま人間になって動き出したような女の子が夢の中に現れたのだ。

 白い肌に、輝く金色の髪を持つ愛らしい少女が、テーブルの向こう側に座っていた。少女とわたしの前にはカップがひとつずつ。他に美味しそうなお菓子も並んでいる。

 少女に薦められるまま、わたしはカップに口を付ける。しかし次の瞬間、口の中でシロツメクサのような香りが広がって、思わず咳き込んでしまう。

 それを見て、少女はその青い目を細めながら楽しそうに笑った。






 その後、わたしは再び塹壕花壇を作るはめになった。

 正確にはわたしではなく、ミエット先生が作ることになったのだが。

 あの件の後、何故だか彼は


「今度はちゃんとした塹壕花壇を作ろう。ぼくも手伝うから」


 と、妙に乗り気でわたしを誘ってきたのだ。

 わたしとしては塹壕花壇なんて少女像の真実を確かめるための言い訳だったし、もうあんな力仕事はまっぴらだったので、何かと理由をつけて断ってきたのだが、その結果、どういうわけか、先生自身が塹壕花壇を作ると言い出した。例の行方不明事件の際に庇ってもらったこともあり、それならばと彼の手伝いをする事にしたのだ。

 その日も地面を掘り返すために、二人で作りかけの塹壕に向かっていた。


「ちょっと温室に寄ってもらえないかな。あそこから持って来たいものがあるんだ」

「いいですよ」


 先生と共に温室へ向かうと、またあの白い猫――ブランが温室に入りたそうにドアの前をうろうろしていた。

 わたしは猫を抱き上げると、いつかのように先生だけを温室へ行かせる。

 ブランは少しだけ抵抗する様子を見せたが、すぐに観念したように大人しくなった。白い毛並みを撫でているうちに、ヤーデの事を思い出した。そうなれば連鎖的にあの人の事を思い出してしまうわけで。ここ最近の騒動で薄れていた気持ちが一気に蘇ってきて、胸をちくりと刺した。

 暫くして戻ってきた先生が温室のドアを閉めるのを確認して、わたしは切り出した。


「先生、花壇が完成したら、ゼラニウムも植えていいですか?」

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