六月とクリスマス 6
「どうして俺があんな事を……」
発表会が終わって自室に戻った途端、クルトは机に突っ伏してしまった。
結局あの後、捻挫のために歩くこともおぼつかないわたしに代わり、クルトはしぶしぶ代役を引き受け、ヒロインとして舞台に上がったのだった。
「すみません、余計な事言っちゃって……でも、よく似合ってましたよ。カーテンで作ったドレス」
「やめろ。聞きたくない……」
わたしが冷やかすと、クルトは沈んだ声で応える。
カーテンを急ごしらえのドレスにして、クルトがヒロインを務めたお芝居は、ある意味すごく盛り上がった。きっとミエット先生も満足しているのではなかろうか。
クルトは不本意だったみたいだが。
「いやー、それにしても残念です。わたしが捻挫さえしなければ、完璧なヒロイン姿を披露できたんですけどねー」
「……今ならどうとでも言える」
クルトが突っ伏したまま恨みがましい声で答える。
彼の言葉は真実かもしれないが、やっぱりあれだけ練習を頑張った事もあるし、もしかしたらわたしだって無事にヒロイン役を務めることができたかもしれない。そう考えると、こういう結果になってしまったのは少しだけ残念でもある。
「それにしても正直意外でした」
「何が」
「わたしが足を挫いたとき、性別がばれないように庇ってくれたじゃないですか。確かにわたしが女だって事を口外しないという約束はしましたけど、あくまで『口外しない』というだけかと思っていたので」
「……お前が退学にでもなったりしたら、またねえさまから厄介な【お願い】をされた時に解決するやつがいなくなる」
ああ、なるほど、そういう事か。それなら納得だ。
するとクルトがはっとしたように顔を上げる。
「おい、俺がヒロイン役を演じたなんて恥ずかしいこと、ねえさまには絶対に言うんじゃないぞ。わかったな!」
むしろいい話の種になると思うのだが、クルトはロザリンデさんに知られるのは嫌みたいだ。
それなら仕方が無い。庇ってもらった恩もあるし、黙っていてあげよう。
翌日から休暇に入った。朝早くから大きなトランクを抱えた生徒達が次々と校門から吐き出されていく。
わたしとクルトもその中に紛れていたが、彼らと違い荷物は持っていない。
足の痛みも治まったので、これからクルトの別荘へ向かう。宿泊はできなくとも是非遊びに来てくれと、ロザリンデさんに言われていたのだ。
――帰る家があるなんて羨ましい。
帰省する生徒達の姿を横目で眺めながら、そんな気持ちが沸き起こった。
別荘を訪れると、ロザリンデさんは喜んでくれた。その笑顔を見てわたしは少しほっとした。自分の事を迎えてくれる人の存在を感じて、居場所があることに安心したのかもしれない。
いつものようにお茶を頂きながら、近況についてロザリンデさんに話す。
「そういえば、発表会は上手くいったのかしら?」
やっぱり。この話題が出ると思った。
「ええ。盛り上がりましたよ。とっても」
ヒロイン役の事はクルトに口止めされているので、当たり障りの無い返事をする。
「クルトはプロンプターだったのよね?」
何気ないロザリンデさんの問いに、なぜかクルトは黙り込んでしまい、部屋には妙な沈黙が漂った。
見ればクルトは俯いて固まったように動かない。
どうしたんだろう。具合でも悪いのかな?
声を掛けようとすると、その前にクルトが言いづらそうにぽつりと口を開く。
「……違うんだ」
「え?」
「事情があって……その、台詞を全部覚えている俺が急遽ヒロイン役を演じたんだ」
わたしは思わずクルトを凝視する。
この人は一体どうしたんだろう。ロザリンデさんには言うなと口止めしておきながら、今はこうして自分から暴露している。わけがわからない。
でも、自分から告白した割には、クルトは暗い顔をしている。言いたくなかったんだろうか。
変なの。そんなに言うのが嫌なら当たり障りの無い返事で誤魔化せば良いのに。
ロザリンデさんが不思議そうな顔をしていたので、わたしが経緯を説明する。クルト自身がばらしてしまったんだから、今更本当の事を言っても許されるはずだ。クルトも制止しなかった。
「それじゃあ本当にクルトがヒロインとして舞台に上がったのね? へえ、それは私も間近で観たかったわ」
「それなら少しだけ……」
クルトは立ち上がると、ヒロインの台詞の中から一番の見せ場である部分を身振りを交えながら披露しはじめた。
わたしは呆気に取られながらその様子を眺める。
ヒロインを演じる事をあんなに嫌がっていたのに、どうして……
そこでふと思い当たった。
先ほどのロザリンデさんの、お芝居を「間近で観たかった」という言葉。
その言葉をロザリンデさんの【お願い】だと捉えて、それを叶えるために……?
それ自体はクルトの今までの行動から考えても不思議は無い。それよりも理解できないのは、彼が自らヒロイン役を演じたと告白したことだ。それも渋々といった感じで。
まるで嫌でも告白しなければならないような、そんな雰囲気にも感じられた。
クルトが台詞を言い終えると、ロザリンデさんが笑顔で拍手する。
「とっても素敵。本物の役者さんみたいよ」
そう言われて、クルトが少しはにかむように笑った。
褒められて嬉しいみたいだ。これなら最初から隠す必要もなかったではないか。一体なんだったんだ。
わけがわからず、わたしはただクルトの顔を見つめていた。
それからはいつものようにお茶やお菓子を頂きながらおしゃべりしていたが、帰る時間が近づくにつれわたしの口数は少なくなっていった。これから一人で誰もいないあの部屋に戻らなければならないのだ。それを考えると気が重くもなる。
そんなわたしの様子を変に思ったのか、ロザリンデさんが気遣わしげな視線を向ける。
「ユーニくん、どうかした? さっきからあまり喋らないみたいだけど。どこか具合でも悪いのかしら?」
クルトも黙ってこちらを見ている。
そんなに心配されるほど様子がおかしかったんだろうか? わたしは慌てて首を振る。
「いえ、ええと、そうじゃなくて、さっき食べたお菓子がおいしかったなーと思い返していたら、ぼんやりしてしまったみたいです」
そう言うとロザリンデさんも安心したように笑顔を見せた。
「あら、気に入ってもらえた? それなら、まだ残ってるはずだから、少し持って帰る?」
「いいんですか!? それなら是非!」
沈んでいた気持ちが少し浮上した。
ひとりで寮へ帰り、夕食をとろうと食堂へ行く。わたしと同じような居残り組の生徒がぽつりぽつりとテーブルについていたが、クラスメイトの姿はなかった。
落胆しつつわたしも椅子に座る。
普段は楽しみなはずの食事の時間だが、今は肉料理をつつきながら溜息が漏れてしまう。
がらんとした寮で過ごすのが心細いという事もあるのだが、最大の不安は別のところにあった。
クルトがいないとなると、暗い部屋でひとりきりで眠らなければならなくなる。それがわたしにとって恐怖である事は、いまだに変わりなかった。
だから、ロザリンデさんに別荘で過ごさないかと誘われたときは、その心配をしなくて済むかと安心したのだが、後見人からの物言いにより不可能になってしまった。
だれかクラスメイトが居残っているのなら、同じ部屋で寝かせてくれと頼もうかと思ったのだが、それも無理みたいだ。
憂鬱な気持ちで食事を口に運んでいると、わたしの前に誰かが立つ気配がした。
「やあ、子猫ちゃん」
既に食事を終えたらしいイザークが、空いている向かいの席に座った。どうやら彼も居残り組らしい。頬杖をつきながら、わたしの顔を覗き込んでくる。
「なんだか浮かない顔してるね。それでなくても元々冴えない顔してるのに、余計悪化して見えるよ」
「わざわざそんな事言いに来たんですか?」
暇人なのか、よっぽど性格が悪いのか。
そう思っていると、赤い箱を差し出された。蓋に雪だるまの絵が描いてある。
「一応この間の薬のお礼をしとこうと思ってさ。僕、借りを作るのは嫌いなんだよね」
蓋を開けると中には星や天使の形をしたレープクーヘンが入っていた。表面には繊細なアイシングが施されている。
「わあ、きれい。ありがとうございます! すごくおいしそう」
わざわざこんなものを持ってきてくれるなんて、もしかしてイザークって意外と悪い人じゃないのかな……
性格が悪いとか思ってしまって申し訳ない。
「それじゃ、これで貸し借りなしってことで」
「あ、待ってください」
さっさと立ち去ろうとするイザークを引き止める。
「あの、ずうずうしいかとは思いますが、わたしのお願いを聞いてもらえませんか? いつか必ず借りは返すので……」
怪訝そうな顔をするイザークにわたしは続ける。
「休暇の間、一緒の部屋で寝かせて欲しいんです。なんだったら床でも結構ですから。毛布は自分のを持っていきますし……」
「なにそれ。まさか君、一人で寝るのが寂しいとか言うんじゃないよね」
わたしが言葉を詰まらせると、イザークが目を丸くする。
「うそ? 本当に? 冗談でしょ? 信じられない。そりゃ傑作だ。一人で寝るのが寂しいって? あははは」
イザークが声を立てて笑うと、食堂にまばらにいた生徒達がちらちらとこちらに目を向ける。
わたしは慌てて声をひそめた。
「そ、そんなに笑わないでください。わたしにとっては死活問題なんですよ」
「大袈裟。寂しいからって死にやしないよ」
「ええと、やっぱり駄目ですか……?」
「当たり前でしょ、気持ち悪い。僕、そういうの嫌いなんだから。せっかくの一人部屋なのに」
「そんなあ……」
「せいぜい一緒に寝てくれる人を探しなよ。ここにいる全員に片っ端から声を掛ければ、誰かひとりは了承してくれるかもね。僕に言わせりゃ、一人のほうがよっぽど気楽でいいけど。それじゃ、頑張ってね。メリークリスマス」
そう言ってイザークは立ち上がると、足早に食堂から出て行ってしまった。
片っ端から声を掛けるなんて……顔見知り程度の人に「一緒に寝てくれ」なんて頼んだって、断られるに決まってる。
はあ、困った……
自室に戻っても落ち着かなかった。気を紛らわせようとソファに座りながら本を読んでみても、気が付けば文字を追うのをやめてぼうっとしている。
怖い。
とてつもなく怖い。
暗い部屋にひとりきり。世界に自分以外誰もいないのではないかと思わせられるあの瞬間が。
そんなことあるはず無いのに。馬鹿げてる。
そのおかしな考えを振り払うように頭を振ると、読んでいた本をぱたんと閉じる。現実逃避もままならない。
わたしは部屋をうろうろしながら考える。
そうだ。ミエット先生に一緒に寝てくれるよう頼んでみようか。もしかしたら受け入れてくれるかも。
そんな事を考えていると、ノブががちゃりと鳴ってドアが開いた。
反射的に目を向けると、部屋に入ってきたのは、なんとクルトだった。
ぽかんとしていると、クルトが不審そうな目を向けてくる
「何だその顔は。俺の顔に何か付いてるのか?」
クルトに問われ、わたしは首を横に振る。
「クルト……ど、どうしてここに……? 別荘で過ごすはずじゃ……?」
やっとの事でそれだけ搾り出すと、クルトがちょっと目を逸らす。
「その予定だったが、夜はここに戻ってくることにした。急遽変更したから、入口で手続きするのに手間取ってこんな時間まで掛かってしまったが」
「なんでそんなこと……」
「……お前がまた、ひとりが怖いだとか言って泣いてるんじゃないかと思って。昼間も様子がおかしかったし……」
「う、うそ。そのためにわざわざ……?」
わたしは思わず自分の頬をつねる。
痛い。夢じゃない。
本当にクルトが戻ってきてくれたのだ。しかもわたしの為に。ひとりになりたくないと口走ったあの日の事を覚えていて、それを気にかけてくれたのだ。
思わず涙が溢れそうになって、慌てて下を向く。
ここで泣いたら全てが無駄になってしまう。泣いたら、きっとクルトは慌てるに違いないのだから。
わたしは唇を噛んで涙を堪えると、棚においてあった荷物を持ってきてクルトに押し付ける。
「これ、クルトにあげます」
「うん? チョコレート?」
「これもあげます」
「なんなんだ一体……お前まさか、俺に変な気を遣ってるんじゃないだろうな」
「だって、わたしにはこれくらいしかお礼ができないし……」
それを聞いたクルトは溜息をついて、渡したお菓子を全部わたしの手に戻す。
「いらない。その代わり、明日からも一緒に別荘に行って貰うからな。何故かねえさまはお前の事を気に入ってるみたいだし……」
わたしは首をぶんぶんと縦に振る。
「わかりました! わたし、なんでもします! なんだったら、もっと念入りにお風呂に入るし、制服のリボンもひとりでちゃんと結べるようにします!」
「是非そうしてくれ。俺は疲れたからもう休む。お前もあんまり夜更かしするなよ。明日も早くから出掛けるんだからな」
そう言うとクルトはさっさと寝室へ引っ込んでしまった。
まだ感謝の気持ちを全て伝えきれていないのに。
でも、これでひとりきりの夜を過ごさずに済むのだ。クルトが帰ってきてくれたから。
「クルト、ありがとう」
寝室のドアに向かって呟きながら、わたしは目元を指で拭った。




