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六月と蒼い月  作者: 金時るるの
六月と八月
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六月と八月 4

「わたしはシスターに全てを話しました。その後、夜間に勝手に外出したという理由で、わたしは暫く懲罰室に入れられて……何日も経って、そこから出た後、二度と兄に逢う事はありませんでした。噂で聞いたところによると、兄は他にも法に触れるような事をしていたみたいで……わたしの話を聞いたシスターが何らかの対応をしたのかもしれません。でも、教会にそんな力があるとも思えないし……」


 それまで黙っていたクルトが口を開く。


「協力者がいたと?」

「ええ」


 わたしは頷いて続ける。


「教会は支援者からの寄付で成り立っていますけど、教会側は援助を受ける代わりに、支援者に内情を知らせる義務があるはずです。そのうちの誰かがその件を知って手を回したんじゃないかと思ったんです。そして、わたしをこの学校にいれたのもその人物……そもそも寄付ができるほどの余裕があるなんて、それなりの財力と地位のある人物でしょうから。そんな人なら、わたしみたいな孤児を一人、学校に入れるくらいは何とかなるかもしれません。クルトの推測通り、誰かがわたしを見込んだとするなら、きっかけはその件しか思いつかないんです」


 クルトは腕組みしたまま話を聞いている。何を言うべきか迷っているようにも見える。


「今まであの時のことをうっすらとしか思い出せなかったのは、兄の部屋で吸った煙の副作用と、それに……わたし自身がそれを忘れたいと強く思っていたから……だと思います」


 自分が兄を追い詰めたんじゃないかとどこかで感じていて、その記憶ごと封印したいと無意識のうちに考えていたのだろう。

 あの日の出来事が嘘だったらと何度思ったか。でもあれは本当に起こったことなのだ。それをはっきりと思い出してしまった。今にもあの日の夜の、煙と火薬との入り混じったような変な匂いがふっと漂ってくるようだ。

 たまに感じていたあの火薬の臭いも、意識しないうちにおにいちゃんや、あの日の出来事を思い出していたせいかもしれない。


 それを考えて俯いていると、やがてクルトが重い口を開く。


「……すまない。正直、今の話を聞いて、俺はどう言ったらいいのかわからない。軽々しい気持ちで聞くべきじゃなかったとも思う。その、お前に辛いことを思い出させてしまったみたいで……」

「いえ、気にしないでください。わたしもあの時の出来事ををはっきりさせたかったんです。クルトが聞いてくれて助かりました」


 クルトは変に言葉を尽くして慰めようとはしなかった。でも、わたしにとってはそっちのほうがずっと気が楽だ。 


「……ひとつ、聞いていいか?」


 クルトが少し躊躇うように続ける。


「……お前がヴェルナーさんに絵を習い始めた理由って、もしかして……」

「あ、そういえばわたし、先生に呼ばれてたんでした……! ちょっと行ってきますね」

「あっ、おい……!」


 呼び止めるようなクルトの声が聞こえたが、振り返らずに部屋を飛び出す。

 そのまま走って建物の外まで出たところで、速度を緩めて深呼吸する。


 急に出て行ったりして、クルトは変に思ったかもしれない。

 でも、あれ以上話を続けていたら、おにいちゃんのことを思い出して泣いてしまいそうだったのだ。だから思わず逃げ出してしまった。本当は先生に呼ばれてなんかいなかったのに。

 それに、クルトが言いかけた事だって……

 とにかく気持ちを落ち着けたかった。ふと、あのあずまやへ行ってみようかと思い立つ。あそこなら誰も来ないし、静かに過ごせるだろう。幸い今日は陽射しも暖かい。


 林の中の細い小径を通って暫く歩くと、あの開けた空間に出る。

 思った通り、あたりに人影は見当たらない。わたしはベンチに座ろうとあずまやに近づく。

 と、その時、石造りの柱の陰からはみ出すように人の足が見えた。誰かが柱の向こうに横たわっているのだ。

 この場所の存在を知ってる人が他にもいたんだ。意外……

 音を立てないようそっと近づくと、そこにはひとりの少年が横たわっていた。

 綺麗な金髪に長いまつげ。目を閉じていても、整った容貌をしているのがわかる。ただ、顔が紙のように真っ白で生気を感じさせない。

 同じ学年にこんな子いたっけ? 上級生かな? 

 ――眠り姫。

 なんとなくそんな言葉が頭をよぎり、自分のおかしな発想に苦笑する。

 少年は自身の身体を抱くように、両手をお腹のあたりで交差させ、その身を縮めたまま動かない。

 まさか、死んでるんじゃ……

 一瞬、そんな非現実的な考えが浮かぶ。


「あの……」


 側にしゃがみ込んで思い切って声を掛けると、少年はゆっくりと目を開ける。氷のような薄いブルーの瞳。わたしはその瞳に見覚えがあった。


「……やあ、子猫ちゃん」


 少年の正体はイザークだった。

 目を閉じていたせいか、誰だかちっともわからなかった。普段と全然印象が違う。どちらが本当の彼の姿なんだろうか。

 イザークは横たわったまま、いつものように王子様みたいな笑みを浮かべる。


「何か用?」

「いえ、特に用事はないんですが……もしかしてあなたが息をしてないんじゃないかと心配になって……」

「はあ? なにそれ。普通そんな事考える? 馬鹿馬鹿しい。昼寝してるだけでそんな事言われたら堪らないよ」


 そういった途端、イザークは呻き声を上げて背を丸める。辛そうに顔を顰めて何かに耐えているようだ。


「だ、大丈夫ですか? どこか具合でも悪いとか? 誰か呼んできましょうか?」

「やめて!」


イザークが鋭い声で制する。


「……なんでもないよ。ほっといて」

「で、でも、顔色も良くないし……」

「しつこいなあ。ほんとになんでもないってば。早くどこかに行ってよ。ひとりになりたいんだ」


 そうは言うが、どう見ても昼寝という感じでもない。

 それに、そんなに鬱陶しいのなら、イザークのほうがここを立ち去れば良いはずだ。もしかして、それが出来ないほどに具合が悪いのでは……

 正直、彼に対しては苦手意識を感じているのだが、このまま放っておくのは躊躇われた。


 わたしがしゃがみこんだまま、どうしようかと考えていると、イザークが溜息をついてぼそりと呟く。


「……アスピリン」

「え?」

「保健室からもらってきてよ。頭が痛いんだ」


 やっぱり具合が悪かったんだ。変な意地を張らなくても良いのに……


「わかりました。すぐに持ってくるので動かないでくださいね」


 そうして保健室から薬をもらい、すぐにあずまやまで戻る。

 もしかしたらその間にイザークはいなくなっているのではと思ったが、彼は相変わらず柱の傍に横たわったままだった。

 薬と一緒に水の入ったコップを渡すと、イザークはようやく上半身を起こし、柱に背を預ける。その動作も緩慢で、辛そうな様子が伝わってくる。


「ほんとに持ってくるなんて……君って呆れるくらいお人好しだね。僕なんてほっといて、どこかに行っちゃえばよかったのに」


 そう言いながらアスピリンの錠剤を口に放り込んで水を一口飲む。

 薬を飲んで気が楽になったのか、イザークの顔色が少しよくなったみたいだ。


 とりあえず胸を撫で下ろすと、唐突にイザークがコップの口をこちらに向けて腕を引いた。

 水をかけられる……!

 そう思って慌てて後ろに跳び退るが、飛んできたのは冷たい水しぶきではなくイザークの笑い声だった。


「今、本気で焦ったでしょ? 君ってばすごい顔してたよ、ああ、おかしい……!」


 そう言ってくつくつと喉を鳴らす。

 具合の悪いときでさえこんな意地悪を考えているなんて……やっぱりこの人性格悪い。

 イザークはコップを逆さにすると、残っていた水を地面に捨てた。


「運動不足かなと思って少し手伝ってあげたんだよ。君さ、最近太ったよね?」

「え……?」


 急に何を言い出すんだろう。

 確かに最近お菓子ばっかり食べていたし、この学校に来てからは何もかもが美味しくて、つい食べすぎる事も多い。でも、制服が身体に合わなくなったという実感もないし、自分の体型がどうかなんて考えてもいなかった。


「あんまり太ると見苦しいよ。豚みたい。今度から『子豚ちゃん』って呼んであげようか?」

「そ、それはやめてください……」


 そ、そこまで太ったかな……?

 急に不安になってきた。


「それじゃあ、さっさとどこかに行って。これ以上目の前にいられると本当に呼んじゃいそうだからね」


 そう言ってコップを押し付けるように返された。 

 釈然としない気持ちを抱えながらもその場を離れる。

 わたしが子豚なら、イザークはなんなんだろう。『性悪王子』とか……? いや、『王子』の部分が蔑称らしくない。自分の語彙の貧弱さに溜息が出る。

 あずまやを振り返るとイザークと目が合い、彼はにこやかに手を振った。この分なら大丈夫かな……

 でも、そうしていると本当に王子様みたいなのに、惜しいなあ……



 コップを返して部屋に戻ると、クルトが腕組みしたままうろうろと歩き回っていたが、わたしの姿を見ると足を止めた。

 なにか言いかけようとしたが、それより早くわたしが口を開く。


「わたしって、最近太りましたか?」

「はあ?」


 わけがわからないといった様子でクルトが声をあげる。戻ってきた途端そんな事を言われたら無理も無い。


「いえ、さっきイザークに会ったら、そんな事を言われたので少し心配になって……」


 その言葉にクルトはわたしの頭のてっぺんから足の先までをまじまじと見つめて首を傾げる。


「……俺にはわからない」

「それって、言うほど太ってないって事ですか?」


 それじゃあ、やっぱりイザークは嫌がらせのつもりであんな事を言ったんだろうか? 

 一瞬喜びかけるが、クルトは首を振る。


「いや、正直、おかしな格好さえしていなければ、お前が太ろうが痩せようが、どうでもいいと言うか……」

「うわ、興味ないって事ですか!? 冷たいなあ」

「それなら聞くが、俺だって前より少し背が伸びたんだぞ。お前、気付いてたか?」

「えっ、そ、そうだったんですか!? ……わかりませんでした」


 言われて見ればなんとなく伸びたようなそうでないような……いや、やっぱりわからない。


「だったら俺がお前の体型の変化に気付かなくても別におかしくないし、文句を言われる筋合いはない……ちなみにねえさまは俺の背が伸びたことに、ちゃんと気付いたからな」


 クルトはなんだか得意げだ。

 ロザリンデさん、すごいな。そういう些細な違いがわかるのは、やっぱりきょうだいだから……?

 それとも彼女自身が優れた観察眼の持ち主なんだろうか? 

 今度会ったらわたしも体型の事について尋ねてみようかな……

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