六月と八月 1
冬の気配が近づき、毎朝ベッドから出るのが辛くなってきた。
そんなある日、わたし宛に荷物が届いた。大きな箱を開けると、厚手の生地でできた冬用の衣類が何点かと暖かそうなコート。見ただけで上等なものだとわかる。届け先を間違っているのではと思ったが、宛名を確かめると、確かにわたしの名前が書かれていた。
「お前、こんなものを贈ってくれるような知り合いがいるのか?」
怪訝そうな顔のクルトに尋ねられたが、わたしは首を横に振る。
わたしには血の繋がった家族も、親戚もいない。孤児院を運営していた教会だって、こんなものを用意する余裕は無いだろう。でも……
「知り合いというわけでは無いんですが……もしかすると――」
荷物に差出人の名は書かれていなかったが、わたしにはなんとなく思い当たることがあった。
「たぶん、わたしをこの学校に入れた人からだと思います。孤児院にいた頃にもこんなふうに荷物が届いたことがあるんです。その時はこの学校に入学する直前で、制服と、ちょっとした日用品なんかが入ってました。それに、今も毎月いくらかのお小遣いを送ってくれます。でも、わたしは一度もその人には逢ったことがなくて、どんな人なのか、性別や年齢もわからないんです」
「おかしな話だな」
「まさか……」
わたしははっと顔を上げる。
「愛らしいわたしを見初めたどこかの貴族とか資産家の男性が、その地位に釣合う知識と教養を身に付けさせるために、この学校に送り込んだ、とか」
「将来的にお前を妻にするために? 馬鹿馬鹿しい。だったらどうして男子校なんかに入学させる必要があるんだ」
「それは、他の男性に目を付けられないようにするためですよ。ここで男の子の格好をしていれば、普通は女だなんて思いませんからね。素性を隠しているのは、わたしが勝手に学校を抜け出して逢いに行ったりしないように。きっと、そういう事をされると立場的にまずい人物なんですよ。もしかして、どこかの国の王子様だったりして! そうしたら、わたしは未来の王妃様って事ですよね!? あーどうしよう。三食昼寝付きだといいな」
ひとり盛り上がるわたしをクルトは冷ややかな目で眺める。
「それなら、そんな面倒な事をするよりも、さっさと引き取ってどこかに軟禁して、家庭教師でもつけた方がよっぽど手っ取り早いと思うけどな」
「うわ……なんでそんな怖いこと思い付くんですか……でも、確かにそっちの方が効率的かも」
一瞬にして乙女の希望を打ち砕かれた。まったくクルトは夢のない事を言う。
「お前、言ってたよな。才能を活かすためにこの学校に入れられたって。俺も前に言ったはずだ。お前には普通の人間にはない洞察力があるって。そこから真実を導き出す能力も」
クルトは腕組みしながら口を開く。
「でも、人前で何度もその能力を披露するような事があれば嫌でも目立つ。そうするとお前の素性を探る人間が出てくるかもしれない。孤児院出身だと明らかになれば、偏見を持ったり、心無い言葉を吐くやつだって出てくるだろう」
そういえばヴェルナーさんも親兄弟がいない事で白い目で見られたと言っていた。家族がいないというのは、それだけで軽蔑の対象になるものなんだろうか。
でも、そんな事言うけどクルトは普通に接してくれている。確かにちょっと横柄な態度ではあるけれど、決してわたしを見下しているという感じはしない。もしそうだったらまともに話さえしてくれないだろう。それを考えると実はクルトって結構良い人なのかも。
そんな事を思っている間にもクルトの話は続く。
「それを防ぐためにお前に性別と年齢を偽らせたんだ。ユーニ・アーベルという16歳の男は本来この世に存在しないはずなんだから、素性を調べても何もわからないはずだ。たとえ同名の14歳の女の経歴が出てきたって、年齢も性別も違うなら別人だと言い逃れできる。お前を援助している人物がその存在をおおっぴらにしないのも、お前に教会に連絡するなというのも、孤児院との繋がりを隠すためだ」
たしかにそれだけ聞けばもっともらしい。でもわたしは納得できないのだ。はたしてそれだけのためにここまでする必要があるのかと。
「そんな大げさな。たとえわたしにそんな特技があったとして、将来的にどう活かすんですか? それよりも勉強のできる子や、作文の得意な子を援助したほうがずっと有益だと思いますけど……それに、何かのきっかけと言われても、孤児院で暮らしていた頃だって、わたしは何も特別なことなんか……」
そこまで言いかけてわたしは口を噤む。
あれ? なんだろう、この感じ……変な違和感。
不意に火薬みたいな臭いがしたような気がした。
またあの臭いだ。
この前もこんな臭いがした。何も燃えていないのにどうして……
わたしは以前にもどこかでこの臭いを嗅いだ事がある?
でも、一体どこで? 孤児院の外で? ひとりきりで? それとも誰かと一緒に……?
その時、ふいに頭の中に何かが浮かびかけた。
……そうだ。わたしは以前にもこの臭いを嗅いだ事があるのだ。あれは確か――
「何か心当たりがあるのか? 」
その言葉に我に返ると、不審そうな視線を向けるクルトの顔が目に入る。
「ええ……いえ、でも、まさか……」
わたしは左目の下に手を当てて考え込む。まだ頭の中にもやが掛かっているようだ。肝心なところが思い出せそうで思い出せない。
「……関係あるかどうかはわかりませんが、クルトの仮説が正しいとしたら、これじゃないかと思うことはあります」
「一体どんな? 」
「それは――あの、クルトはわたしの話に興味あるんですか……?」
クルトは小さく肩をすくめる。
「無いと言えば嘘になる。俺だってどうして女のお前がこんなところにいるのか、そのきっかけは何だったのか気になるからな。でも、話したくないのなら別に……」
「いえ、そういうわけじゃないんです……実は記憶が一部曖昧なところがあって――上手く話せる自信が無いんです……」
それに詳しく思い出しそうとすると不思議と胸がざわめく。何故だか不安な気持ちになるのだ。でも、もしもあの事と、自分がこの学校に入学した事とが関係あるのなら、このまま曖昧にするわけにはいかないとも思う。
つかの間黙り込むが、思い切って顔を上げクルトを見据える。
「……でも、もし迷惑でなければ聞いて貰えませんか? たぶん、そのほうがわたしも色々と頭の中を整理できると思うんです」
クルトが頷いたのでわたしたちはソファへと場所を移す。長丁場になりそうな予感がして紅茶やお菓子もテーブルに並べられた。
わたしは紅茶の入ったカップを手にしながら記憶の糸を手繰り寄せるように、視線を彷徨わせる。
「どこから話したらいいのか……おかしいと思ったら、その都度言ってください。さっきも言った通り、わたし自身、あの時の出来事をよく覚えていないので、矛盾しているところがあるかもしれませんから」
そう前置きして、わたしはぽつりぽつりと話し始めた。
「ユーニ! 六月生まれのユーニ! どこにいるのですか!? 早く出てらっしゃい!」
名前を呼ばれる声で、わたしはうっすら目を開ける。
いけない。少し休憩するつもりが、うっかり眠り込んでいたらしい。
人目から隠すように生えた茂みの中から慌てて立ち上がると、声のする方へと走り出す。
「ユーニ! 今まで何をしていたのですか!?」
孤児院の敷地内に造られた畑の傍で、教育係であるシスター・エレノアが恐ろしい形相でわたしを待ち構えていた。
畑では他のきょうだいたちがそれぞれの作業をしている。
「ええと……その、急にお腹の調子が悪くなってしまって……」
わたしの咄嗟の言い訳に、シスター・エレノアは目を丸くする。
「あらまあ、そういう事ならあなた、今日は食事を抜いた方が良いわね。お腹に余計な負担を掛けて、更に悪化したら大変ですもの」
「あ、いえ、もうすっかり良くなりました! この通り、動き回っても大丈夫です!」
わたしがその場で腕を振り回してみせると、シスター・エレノアはにっこりと微笑む。
「そう。それは良かったわ。そんなに元気なら東二区の畑の収穫をお願いね。あなたひとりで」
「そ、そんなあ……」
わたしの情けない声にもシスター・エレノアの裁定は覆ることは無い。それどころか、これ以上抗議すれば本当に夕食抜きの可能性だってある。
わたしは仕方なく彼女の言葉に従った。
東二区って、何を育ててたっけ?
そう思いながら畑へ向かったわたしの目に、高く生い茂った麻が飛び込んできた。
「あー、麻ってここで育ててたんだっけ……」
「そうよ。今年からここに移動したのよ」
わたしのひとり言に答えるように、畑の中から声がした。どうやら他にも作業しているこどもがいるらしい。わたしひとりで、というのはシスター・エレノアの脅しだったのかも。
「やっと来たわね! あんた、またサボってたんでしょ!?」
茂った麻を掻き分けて、ひとりの少女が顔を覗かせる。その拍子に肩ほどの長さの金髪が揺れ、緑色の瞳がきらりと光る。
彼女はアウグステ。八月生まれのアウグステ。
産まれてすぐ名前もないままこの孤児院に引き取られた子は、わたしや彼女のように、産まれた月(正確には孤児院に引き取られた月だが)がそのまま名前になる。
かつてはもう一人ユーニという名前の年上の子どもがいて、その時わたしは「小ユーニ」と呼ばれていた。
そういう子どもたちは姓も皆同じ「アーベル」と決まっている。孤児院の隣に建つアーベル教会の名から取られたものだ。
そしてここで暮らす子供たちはみんなきょうたいだと教えられてきた。
その中でもアウグステとわたしは特別仲が良かった。年も同じ、誕生日も一ヶ月とすこし違うだけ。目の色や髪の色も似ていて、背の高さだってあまり変わらない。知らない人からすれば一瞬本当の姉妹だと見間違うかもしれない。
わたしたち自身も、姉妹というより、まるで『もう一人の自分』であるように錯覚する事もあった。それほどまでにわたしたちは仲が良く、また、似ていた。
「あたし一人じゃ夜まで掛かるところだったわよ。もう!」
頬を膨らますアウグステに向かってわたしは慌てて謝る。
「ごめんごめん、 今から頑張るから!」
「……はあ、もう仕方ないわね。あんたは隣の畑のニンジンを収穫して。終わったらこっちを手伝ってよね」
「はあい……」
わたしは小さくなりながらその言葉に従いニンジンを抜き始める。わたしのほうが僅かではあるが年上のはずなのに、アウグステのほうがよっぽどしっかりしている。
ニンジンを引っこ抜きながら、アウグステが何故わざわざ収穫の大変な麻を率先してやりたがるのか、その理由を思い出した。
ニンジンの葉には、よくキアゲハの幼虫がくっ付いている。外敵から身を守るためのグロテスクとも言えるその見た目、そして非常にいやな臭いを発する。気づかずうっかり触ってしまおうものなら、洗っても暫くは臭いが取れない。
彼女はこの虫がすこぶる嫌いなのだ。勿論わたしだって好きじゃない。が、この状況ではそんな文句も言えない。
作物を収穫した後は、不要な葉の部分を肥料にするため土に埋めるのだが、そのためには幼虫を葉から取らなければならない。できれば触りたくないのだけれど……かといって、幼虫ごと土に埋めるのも後ろめたい。
わたしは少し考えた後、虫のついた葉っぱだけを畑の隅に集めると、端っこにほんの少し土をかけて誤魔化した。
わたしたちはシスターの見ていないところでおしゃべりしながらも作業を続け、日が傾く頃には何とか畑の作物を収穫する事が出来た。
野菜は籠に、麻は纏めてロープで縛り、倉庫へと運ぶ。
「まったく馬鹿馬鹿しいわよね。こうして苦労して育てても、あたしたちの口には殆ど入ってこないっていうんだから」
二人して歩きながらアウグステが苦々しげに呟く。
色や形の良いものは、街の商人に引き取ってもらい生活の足しにする。わたしたちは売り物にならないような出来損ないか、普通なら捨てるようなものしか食べられないのだ。それだってお腹一杯食べられる事は殆どない。
アウグステは籠の中から立派なニンジンを一本手に取る。
「腹が立つから、今ここでこのニンジン食べちゃおうかしら。ねえユーニ、あんたもやらない? きっとあたしたちが今まで食べたこと無いくらい美味しいに違いないわ」
「ええー、やめようよ。シスター・エレノアにばれたら大変だよ……」
「あら、あんたがそんなこと言うなんて意外。さっきは堂々とさぼってたくせに、随分と弱気なのね」
「だからこそだよ。これ以上目を付けられたら、本当に食事抜きにされちゃう。今日はもう大人しくしてなきゃ……」
「その前にニンジンでお腹一杯にすれば良いのよ」
その時、わたしたちの足元を、しゅるしゅる音を立てながら何かが走り回ったかと思うと、直後にパンッと何かが弾けた。
「きゃっ!?」
「な、なに……!?」
わたしとアウグステがお互いにしがみ付く。驚いた拍子に抱えていた麻を落としてしまう。衝撃でロープが解けたのか、麻がばらばらと地面に散らばる。
アウグステもまたニンジンの入った籠を取り落としてしまい、オレンジ色の物体があたりに転がる。
突然の衝撃に立ちすくむわたし達の耳に、男の子の笑い声が響いた。




