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六月と蒼い月  作者: 金時るるの
六月と兄弟
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六月と兄弟 4

「うええ……」


 カップの中の液体を一口飲んだわたしは、思わず顔をしかめる。

 温室から貰ってきたハーブでハーブティーを作ってみたものの、あんまりおいしくない……

 まだボウルの中に残るたくさんの葉っぱを見て、少し心が折れそうになる。


 でも、おいしいハーブティーを贈ったら、イザークは喜んでくれるかもしれない。

 そう思い直して、もう少し頑張る事にする。

 口直しにビスケットを齧りながら、床に置いたバケツにカップの中身を捨てると、水差しから水を注いで軽く濯ぐ。

 ボウルの中から取り出した葉っぱをちぎってカップの中に入れてお湯を注ぐと、爽やかな芳香が立ち昇る。

 うーん。香りは嫌いじゃないんだけど……

 そう思いながら恐る恐る一口飲み込む。


「うう……」


 やっぱり草みたいな味だ……本当にこの中からおいしいハーブを見つけることができるんだろうか。

 先程までのやる気がもう萎えてしまった。

 カップを見つめてしかめっつらをしていると、クルトが帰ってきた。


「一体なんなんだ? 水彩画でも描くのか?」


 どうやらバケツを見て、筆を洗うためのものだと勘違いしたらしい。さしずめハーブとボウルはモチーフか。


「わたしの家族(ファミーユ)が今度誕生日なんですよ。それで、彼がハーブティーが好きだと言っていたのでプレゼントしようかと思って、色々味見していて。このバケツは、残したお茶とカップを濯いだ後の水を捨てるためのものです。そうそう、わたしの家族(ファミーユ)、すごくいい人達なんですよ! 特に二年の先輩なんて『お兄ちゃん』って呼んでもいいって。ほんとに弟ができたみたいだって言ってくれて」


 笑いながらそう話すと、クルトが少し眉をひそめたような気がした。


「あ、そうだ。クルトも手伝ってくださいよ。温室のハーブを分けてもらったんですけど、わたし、どれがおいしいのか、よくわからなくて……」


 言いながら、予備のカップにちぎった葉を入れお湯を注ぐ。


「お前の事だから、どうせシロツメクサみたいな味がするって言うんだろう?」

「そ、そんな事ありませんよ! この草なんて結構おいしいですよ」

「ハーブの事を草って言うのはやめろ。飲む前からまずく感じる」 


 クルトはソファに腰掛けると、わたしが彼の前に置いたカップを手に取る。


「まずい」

 

 一口飲むとそう言って顔をしかめた。


「うーん、まずいですか。それじゃあ、わたしは飲まないでおきます」

「お前、おいしいとか言っておきながら、実際には飲まずに俺に味見させたんだな!? ずるいぞ!」

「だってわたし、もうこれ以上シロツメクサみたいな味のお湯を飲みたくないんですよ……」

「やっぱり俺の言ったとおりなんじゃないか……! 」

「まあまあ、落ち着いて。口直しにお菓子でも食べてください」


 ビスケットの箱を差し出すと、クルトは大人しくその中から一枚摘み上げる。よっぽどまずかったんだろうか。

 わたしは別のハーブを試そうとボウルの中を探る。


「……まずい」


 クルトが再び呟く。


「そんなにまずかったですか? そのハーブティー」

「そうじゃない」


 その言葉にわたしが顔を上げると、クルトが齧りかけのビスケットを手に妙な顔をしていた。


「このビスケット、まずいなんてものじゃない。全然味がしない」

「えっ?」


 ハーブティーじゃなくて、ビスケット?

 さっきわたしが食べたときは普通だったけれど……

 不思議に思って自分でも一枚食べてみる。


「……これはおいしいですよ? もしかして、クルトの食べたところだけ変なのが混ざっていたとか。もう一枚どうぞ」


 そう言って差し出したビスケットをクルトは口に運ぶ。


「……これもまずい」

「そんな、まさか」


 クルトだけがこんなに連続してはずれを引くものなんだろうか。

 わたしはふと思いつき、一枚のビスケットを真ん中から割ると、半分をクルトに渡し、残りを自分の口に放り込む。

 甘くておいしい。

 だが、もう半分を食べたはずのクルトは、渋い顔で首を横に振る。やっぱりまずかったのだ。


 同じものを食べたのに、一体どうして……

 クルトの顔を伺うが、彼が変な冗談を言っているようには見えないし、わざわざそんな嘘をつく利点も無いはずだ。

 だとすると……

 ビスケットの箱を見つめ、飲みかけのハーブティーの入ったカップへと目を移す。

 もしかして、と思うと同時にわたしは呟いていた。 


「わたし、家族(ファミーユ)に嫌われてるのかな……」

 





 翌々日。

 わたしは約束の時間に、チョコレートと飲み物を持ってイザークの部屋を訪れる。


「やあ、待ってたよ、子猫ちゃん。よく来てくれたね。もう準備できてるよ。」


 イザークはそう言ってにっこり微笑む。アルベルトも既にソファに座っている。

 テーブルの上には砂糖で作った花の乗った豪華なデコレーションケーキを中心に、ビスケットやフルーツケーキ、ミートパイやカットされた果物のお皿など並んでいた。


「すごい……」


 その光景に感嘆の声を漏らす。

 孤児院にいた頃は、誕生日といえど質素なものだった。でも、この学校の生徒達は、これくらい当たり前なんだろうか?

 

 先日と同じ場所に座ると、イザークが黄色っぽい液体の入ったグラスをわたしの前に置く。

 

「どうぞ。ジンジャー・ビアだよ。僕、これ大好きなんだ」


 三人で乾杯して、グラスを口につける。強い甘みの後に、ショウガの辛味と少しの苦味が口に広がった。


「お菓子もどんどん食べてね。でないと用意した甲斐がないからね」


 イザークに勧められて、ビスケットを一枚取り少し齧るが、その途端、わたしはこの間と同じ感覚に襲われる。


 これって……


 今度はフルーツケーキを手に取り、こちらも一口齧ってみる。


 やっぱり……


 この人たち、一体どういうつもりなんだろう。

 黙り込むわたしを見て、イザークが心配そうな声を上げる。


「どうかした? おいしくなかったかな? それとも、どこか具合でも悪いの?」

「あ、いえ、そうじゃなくて……」


 わたしは首を横に振った後、躊躇いがちに続ける。


「ええと、急だったのでプレゼントが用意できなくて、せめてコーヒーとお菓子でも、と思って持ってきたんですが、良かったら飲んで頂けませんか? 少し冷めてしまったかも知れませんけど」


 テーブルの隅に置いたコーヒーの入ったサーバーを取り上げる。


「君が淹れてくれたの? 嬉しいなあ。いいよ。早速飲もう」


 イザークが持ってきた三つのカップに、コーヒーを注いで、イザークとアルベルトの前にそれぞれ置く。

 二人がカップに口を付けるのを確認しながら、わたしはチョコレートの箱を開ける。


「わたし、このチョコレート大好きなんですよ。二人とも気に入ってくれるといいんですけど」


 チョコレートの箱を差し出すと、彼らは手を伸ばして一粒ずつ摘み上げる。

 それぞれ口に入れた後、暫くして二人の上級生はお互い顔を見合わせた。

 わたしは出来るだけ笑顔になるよう努める。


「よかったらもうひとついかがですか? まだ沢山あるし、遠慮しないでください。それとも、やっぱり二人の口には合いませんでした?」


 そう言ってチョコレートの箱を持ち上げると、何故か部屋が静まり返った。

 わたしは待つ。二人が言葉を発するのを。

 暫くしてイザークが小さな笑い声のような吐息を漏らした。かと思うと俯いて肩を震わせる。そのうちおかしくて仕方がないというように身体を折り曲げ、その笑い声も徐々に大きくなる。アルベルトは黙ったままそれを見ている。

 そうしてひとしきり笑った後に、イザークは顔を上げてわたしを見つめる。

 

「……まいったなあ。まさかせっかくの誕生日にこんな事されるなんて思ってもみなかったよ」

「わたしだって、誕生日にこんな事したくありませんでした。でも、最初に同じ事をしたのはあなたたちの方でしょう?」


 わたしはポケットから葉の付いた植物を取り出して、二人に見せるようにかざす。


「ホウライアオカズラ。この植物の葉に含まれる成分を摂取すると、一時的に砂糖の甘みを感じなくなるそうです。わたしの飲み物に、これを混ぜましたね? 一昨日も、そして今日も」


「えー、どうしてわかったの? バレないと思ったんだけどなあ」

 

 イザークの顔には先ほどまでの微笑が浮かんでいる。アルベルトはばつの悪そうな顔で目を逸らす。

 わたしは二人の顔を見比べる。


「これに気付いたのは、まったくの偶然です。イザーク、あなたがハーブティーが好きと言っていたので、誕生日のプレゼントにしようと温室でハーブを分けてもらったんです。それで、色々味見していたら、わたしのルームメイトが、あるハーブで作ったお茶を飲んだ後に、お菓子を食べて『味がしない』って言ったんです。そのハーブをミエット先生に見せたら、ホウライアオカズラだとわかりました。本来なら生でお茶にする事は無いそうですが、わたしはハーブに詳しくないので、温室に生えていたものを手当たり次第採っていたら紛れ込んでしまったんです」


 手元のホウライアオカズラの葉に目を落とす。


「このハーブ、かなりの苦味がありますよね。だから、それが判らないように、苦いコーヒーや、辛味のあるジンジャービアに混ぜたんじゃないですか? わたしがこの部屋に来たときには既に飲み物は用意してあったので、その前に混ぜておいたんでしょう。でも、いくら細かく刻んだとしても、葉っぱをそのまま入れたら気付かれてしまいます。だから、お茶にしたものを混ぜたんです。そのせいで、一昨日はチョコレートケーキの味がしなかったし、今も目の前のお菓子の味がわかりません」

「えー、じゃあせっかく君が選んでくれたハーブティーを、僕は飲み損ねちゃったってわけか。ああ残念。でもさ、ふつう同じことやり返すかなあ? 君って結構気が強いんだねえ。右の頬を打たれても左の頬は差し出さないタイプ?」


 そう言ってチョコレートをひとつ口に放り込む。


「うわ、まずい。これ、ひどいなあ」

「そのひどい事をわたしにしたんですよね? 一度なら、まだ何かの間違いかもしれないとか、ちょっとした悪戯なのかと思いました。でも、また今日も同じ事をするなんて……わたしのこと、気に食わないんですか?」


 彼らに嫌われるほど顔を合わせた記憶は無い。こんな事をされる理由がわからなかった。せっかく【家族(ファミーユ)】に受け入れられたと思ったのに。この前のコーヒーだって、もしかしたら何かの間違いかもしれないと何度も思い直した。それが、こんな事……わたしが一体何をしたというんだろう。

 わたしの問いに、イザークは肩をすくめる。


「そんなに怖い顔しないでよ。ほんの些細な冗談だよ。冗談」

「冗談……?」

「そうそう。君があんまり可愛いからさ、少しからかいたくなっちゃって。ごめんねえ。あ、アルベルトは悪くないんだよ。彼は反対してたんだけどね、僕がどうしてもって押し切ったんだ」


 アルベルトが口を開きかけて何かを言う前に、イザークが続ける。


「それにしても、チョコレートケーキを食べたときの君の顔、傑作だったなあ。まるで信じられないって表情で固まってて。その後不思議そうに僕たちの事見てたよね。ああ、おかしい」


 そう言ってくつくつと喉を鳴らす。

 これも冗談……? それにしては随分意地悪な言い方だ。

 イザークは相変わらずの笑顔を浮かべているが、先程までの優しげな雰囲気は感じられない。ただ、顔に笑みを貼り付けているだけみたいな不自然さを感じる。


「それに、僕の事『お兄ちゃん』なんて呼んでさ。言われたからってその通りにしちゃうかなあ? 素直って言うか、なんていうか、ねえ? まあ、そんな君も可愛かったよ。あはは」


 笑い声を上げた後、イザークは面白そうにわたしの顔を見る。


「あ、もしかして本気で言ってた? え、うそ、まさかそんな事あるわけないよね。だって、家族(ファミーユ)って言ってもさ、学校が決めた事に従ってるだけなんだから、ほんとの弟みたいだなんて思えるわけないじゃない」


 それを聞いて絶句してしまう。

 ひどい……

 みんな嘘だったんだ。弟ができたみたいって言ってくれたのも、みんな冗談。悪趣味すぎる冗談だ。

 

「おい、イザーク、それくらいにしろよ」

 

 アルベルトが嗜めるが、イザークは何も聞こえなかったかのようにコーヒーのカップに口を付ける。


「うわ、このコーヒーもすっかりぬるくなってる。ただでさえまずかったのに、余計まずいよ。もういらない」


 カップを持つイザークの手がさっと動いた。

 次の瞬間、わたしの顔に温かいものが浴びせかけられる。

 何が起こったのかすぐには理解できなかった。

 下を向くと、髪や顎から黒っぽい液体が滴り落ち、そこでようやくコーヒーを掛けられたのだとわかった。

 幸いにも火傷するほどの熱さでは無かったが、わたしの制服には無残な染みがじわりと広がっていく。


 なに、これ……

 どうしてこの人はこんな事をするんだろう……?

 わたしがこの人に何をしたっていうの……?


 呆然としていると、笑いを含んだイザークの声が響く。


「あ、ごめんねえ。手が滑っちゃって。わざとじゃないんだよ。ほんとに」


 彼の表情には一切悪びれる様子は見られない。王子様のように綺麗な顔に、上辺だけの笑みを顔に貼り付け、冷たい色の瞳でわたしを見ていた。


「あーあ、でも、つまんないなあ。こんなに早く気付いちゃうなんて予想外だよ。もっと楽しみたかったんだけどなあ。君も空気読んでよね……はあ、なんだか今日はやる気なくなっちゃった。もう帰っていいよ? ていうか帰って。ソファがコーヒーで汚れちゃうし」


 その瞬間、頭の中で何かがぶつりと切れ、わたしは立ち上がると目の前のテーブルを踏み越える。その衝撃で上に載っていたカップが揺れて、中身が零れ、ぶつかり合う食器が耳ざわりな音を立てる。

 片手でイザークの胸倉を掴み、もう片方の手を振り上げる。

 そのまま彼の顔目掛けて振り下ろそうとしたそのとき


「やめろ!」


 アルベルトが立ち上がり、わたしの手首を掴んで押し留める。


「離してください……! わ、わたし、わたし……」


 怒りで言葉が上手く出てこない。

 でも、今ここでイザークの顔を引っ叩かないと気がすまない。

 だが、がっしりと掴まれた腕はそれ以上動かすことができず、わたしはイザークの襟元を握ったまま、彼を睨みつけるだけだった。

 その視線にも怯むことなく、イザークはわざとらしく肩をすくめる。


「あれ? 僕、謝ったよね? なんでまだ怒ってるの? 早く手を離してよ。皺になっちゃうじゃない」


 アルベルトがイザークに顔を向ける。 


「イザーク、いい加減にしろよ。流石にやりすぎじゃ……」

「えー、ちょっとした冗談だって言ったじゃない。ちゃんと謝ったしさあ。僕、間違ったこと言ってる? まったく、こんな野蛮な人間がこの学校にいるなんて信じられないよ。子猫って言っても野良猫だよね。怖いなあ……何してるの? 帰ってって言ったよね? 早くこの部屋から出てってよ」


 アルベルトを見るが、彼はわたしの手を掴んだまま、小さく首を振る。

 それを見て理解した。ここには自分の味方はいないのだ。

 わたしは震える手をイザークの胸元からゆっくりと外す。


「……わかりました。言うとおりにするので、手を離してください」


 そうアルベルトに告げると、腕を握る力が緩まったので、思いきり振り払う。


「あなたたちなんて家族(ファミーユ)じゃありません! もう二度とわたしに話しかけないで! 」


 わたしは叫ぶと乱暴にドアを開け、振り返りもせずに部屋から走り出た。

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