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六月と蒼い月  作者: 金時るるの
六月と兄弟
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六月と兄弟 3

 

 ある日の放課後、わたしはひとりの上級生に呼び出された。

 この学校には【ファミーユ】という制度があるらしい。フランス語で「家族」という意味だ。

 一年生から三年生まで各学年一人ずつの合計三人で形成されるコミュニティで、新入生が学校生活に馴染めるように上級生が色々助言したり、学年を超えての交流や、相互扶助を目的として作られたものだとか。

 なぜフランス語なのか。それは公用語のドイツ語だと、本当の「家族」と混同して紛らわしいからだという。

 わたしを呼び出したアルベルトという三年生がそう教えてくれた。彼はわたしの家族(ファミーユ)の一人に当たるそうだ。


「本当だったら、もう少し早く顔合わせできるはずだったんだけどね。今年は入学早々に新入生が二人も退学したとかで、メンバーを調整してたら今まで掛かっちゃったらしいんだ。こんなの前代未聞だよ」


 そう言ってアルベルトは肩を竦める。

 その二人の新入生って、フランツとテオの事だ。彼らとわたしが同室だった事を、この三年生は知っているんだろうか。

 一般の生徒には、彼らが退学になった本当の理由は伏せられているはずだ。二人の事について聞かれたらどう答えよう。

 少し心配になって様子を伺うが、アルベルトには特に変わった素振りは見られない。

 栗色の長めの前髪から覗く灰色の瞳は穏やかで、彼の掛けている銀縁の眼鏡と相まって、とても賢そうだ。

 これまで上級生と接する機会が無かったからあまり意識していなかったが、三年生ともなると随分大人っぽく見える。

 じろじろと探るような視線を投げかけるわたしに対しても気を悪くする様子も無く、目が合うとにこりと微笑んでくれる。

 優しそうな人でほっとした。


 今日はこれからもう一人の家族(ファミーユ)であるメンバーに逢うために、その生徒の部屋に行くらしい。

 一体どんな人なんだろう。アルベルトみたいに優しそうな人だと良いけれど。

 そう考えながら、「家族」という魅惑的な単語に、わたしの心は少なからず躍った。




 二階にずらりと並ぶ二年生の部屋のドア。

 そのうちのひとつをアルベルトがノックすると、中から「どうぞ」という声が聞こえた。

 アルベルトに続いてこわごわと足を踏み入れる。この学校では、二年生からは二人部屋になる。だからわたし達一年生の部屋と比べると、広さは半分ほどだ。大きな窓のある談話室にはテーブルを挟むようにソファが置かれ、ひとりの少年がそのうちの片方に腰掛けていた。


「やあ、待ってたよ。君が新しい家族(ファミーユ)だね。さ、座って座って」


 少年に言われるまま、向かい側のソファに腰を下ろす。アルベルトは少年の隣に座った。


「ちょうど今コーヒーを淹れたところだからさ。ほんとは僕の好きなハーブティーでもご馳走しようかと思ったんだけど、生憎と用意できなくてね。今日はこれで我慢してね。あ、でもこれはこれで美味しいと思うよ。どうぞ、遠慮しないで。早く飲まないと冷めちゃうからね」

 

 ぽんぽんと言葉を繰り出しながら、少年はわたしの前にコーヒーの入ったカップを置く。

 

「あ、どうも。いだだきます……」


 その勢いに少し押されて、勧められるがままカップに口を付ける。

 目の前の少年は、アルベルトに比べると、随分幼さが感じられる。カールした明るい色の金髪が白い顔を縁取り、本来はぱっちりとしているであろう薄いブルーの瞳は、今は笑っているように細められている。形の良い薄い唇も先程から笑みを絶やさない。

 その輝きに圧倒される。物語に出てくる王子様が実在するとしたらこんな感じなんだろうか。 思わず見惚れそうになり、慌てて目をそらす。あんまり見つめたら失礼だ。


「ああ、自己紹介がまだだったね。僕はイザーク。二年生だよ。よろしくね」

「わたしは……」


 名乗ろうとするわたしを遮るようにイザークが口を挟む。


「知ってる。ユーニでしょ? 銀の鈴の子猫ちゃん」


 その言葉に思わずカップを持ち上げる手が止まる。


「……なんですか? その珍妙な呼び名は」

「ええー、だってほら、首輪みたいに白いマフラー巻いて、鈴ぶら下げてさ。まるで子猫みたいだねって、みんな言ってるよ」

「わたしは聞いた事ありませんけど……でも、それって、わたしが小動物みたいに愛らしいって事ですかね。それならまあ、仕方ないかな」


 それを聞いて、イザークが一瞬目を丸くしたかと思うと、勢いよく吹き出す。


「あははは、ふつう自分でそういう事言うかなあ? うんうん、確かに可愛いよ。それに面白いねえ。ね、アルベルトもそう思わない?」

「ああ、うん。そうだな」


 振り返るイザークに、アルベルトはどこか上の空で声を返すが、イザークは特に気にする様子もなく続ける。


「こんな可愛い子が新しい家族(ファミーユ)だなんて嬉しいなあ。去年の三年生とは、ちょっと反りが合わなくて苦手だったんだよねえ……あのさ、ちょっと僕の事『お兄ちゃん』って呼んでみてよ」

「……はい?」


 この人、今なんて言った……?

 自分の聞き間違いじゃないかと思ったが、イザークは笑顔を崩さないまま繰り返す。


「だからさ『お兄ちゃん』って呼んでよ。僕、前から弟が欲しかったんだよねえ。ね、いいでしょ? 僕達家族(ファミーユ)なんだからさ」

「あー……ユーニ、悪いけど、少しだけ付き合ってくれないかな。彼、後輩ができてからずっとこの調子なんだ」


 隣からアルベルトが困ったような顔で口を挟む。

 

「え、ええと……お、お兄ちゃん……?」

 

 戸惑いながらそう呼びかけると、イザークはより一層目を細める。


「もう一度」

「……お兄ちゃん」

「ふふっ、なんだかほんとに弟ができたみたいだよ。君はどう?」

「あの、わたしも兄ができたみたいで、嬉しいです」

「あはは、それなら良かった。嫌がられるんじゃないかってちょっと心配してたんだ」


 こんなふうに堂々と誰かの事を「お兄ちゃん」なんて呼ぶのは久しぶりかもしれない。しかも相手の方から呼んで欲しいと望まれるだなんて。

 クルトはきょうだいみたいに扱われるのは迷惑だなんて言ってたけれど、世の中にはイザークみたいな人もいるじゃないか。

 「お兄ちゃん」という言葉の響きに、嬉しさと懐かしさの入り混じったような気持ちが胸にじわりと広がった。


「イザーク、もうそのくらいにしておいたらどうかな。あまり言うとユーニも困るだろ」


 アルベルトの嗜める声に、イザークは口を尖らせる。


「ええー。アルベルトは固いなあ。まあ、そう言うなら今日はこのくらいにしておこうか。あ、そうそう、おいしいチョコレートケーキも用意してあるんだ。みんなで食べようよ」


 イザークがテーブルに置いてあった箱を開けると、等分に切り分けられた長方形の黒いケーキが姿を現した。


「ユーニ、君からどうぞ。好きなのを取っていいよ。と言っても味は全部同じなんだけどね」

「おいしそう! いただきます」


 わたしは端から一切れ手に取ると、早速齧りつく。

 が、その途端、思わず固まってしまった。


 なにこれ……すごくまずい……


 全然甘くない。本当にこれ、食べ物?

 それとも、元々こういう味なんだろうか?


「僕、このケーキ大好きなんだ。君も気に入ってくれるといいけど」


 イザークも箱の中から一切れ取り出すと、齧りついて「うん、おいしい」と頷く。


 これが、おいしい……? イザークの味覚が特殊なんだろうか?

 そう思ってアルベルトの様子を伺うが、彼も平気な顔をして、チョコレートケーキを口に運んでいる。信じられない。


 ケーキを片手に動かないわたしを見て、イザークが怪訝そうな顔をする。


「あれ? どうしたの? もしかしておいしくなかった? え、うそ。ごめんね。どうしよう。他のお菓子がよかったかな?」 


 イザークがうろたえる素振りを見せたので、慌てて首を横に振る。


「あ、いえ、そんな事ないです! とってもおいしいです!」


 せっかく用意してくれたのだ。たとえ美味しくなくとも、その好意を踏みにじるような事はしたくない。

 

 まずいものなんて今まで散々食べ慣れているつもりだった。それとも、この学校に来てから美味しいものばかり食べていたせいだろうか。久しぶりにまずいものを口にすると、余計まずく感じる。

 コーヒーで無理矢理流し込むように胃に押し込むと、それを見たイザークが無邪気な笑顔を向けながら、まだケーキの残っている箱を差し出してくる。


「良かったらもうひとつどう? まだ沢山あるし、遠慮しないで。それとも、やっぱり君の口には合わなかったかな?」

「え、ええと……」


 わたしは言葉に詰まる。こんなにまずいケーキ、出来ればもう食べたくない。


「……すみません。実は、もうお腹いっぱいで……あの、でも、おいしかったです」

 

 申し訳なく思いながらも断ると、イザークは一瞬がっかりした顔をしたが、すぐにまた笑顔に戻る。


「そういえば君の名前を聞いて気になったんだけど、もしかして君、六月生まれなのかな?」

「あ、わかります? そうなんですよ。六月(ユーニ)生まれだからユーニ。単純ですよね」

「でも、憶えやすくていいじゃない。名前と生まれた日が直結してるんだもの。今まで誕生日を忘れられたことなんて無いでしょ?」

「……そうですね。それは確かに」 


 二人の会話を聞いていたアルベルトが口を開く。


「実は明後日、イザークの誕生日なんだよ」

「えっ、そうなんですか? おめでとうございます」


 ザークははにかんだ様に微笑む。


「ふふっ、ありがと。忘れられないようにアピールしておかないとね。それでね、ささやかながら家族(ファミーユ)でパーティでもしようかと思うんだ。あ、パーティって言っても、お菓子を食べたりお茶を飲んだり、今日とあんまり変わらないんだけど。君も来てもらえるかな?」

「パーティ!? 楽しそう! 勿論参加します!」


 それを聞いたイザークは嬉しそうに頷く。


「よかったあ。それじゃあ明後日の同じ時間に、またこの部屋でね。楽しみにしてるよ。子猫ちゃん」





 アルベルトにイザーク、二人とも優しそうで安心した。彼らとなら家族(ファミーユ)として上手くやって行けるような気がする。

 あのチョコレートケーキはちょっと微妙だったけれども……

 まだ口の中にあの変な味が残っているような気がして、口直しにお菓子でも、と思ったが、買い置きの分が無くなっていたので売店に行こうと寮の外に出る。

 

 明後日のパーティ、楽しみだな。そういえば何かプレゼントを用意したほうが良いだろうか? でも、街に行く暇は無いし。どうしよう。

 考えながら歩いていると、不意に足元を何かが素早く横切ったので、つんのめって転びそうになってしまう。

 びっくりした……

 横切ったものを目で追うと、それは走っていく白い猫だった。ネズミ駆除の為に学校で飼育されているうちの一匹だ。その身体が跳ねるたびに、首輪に付けられた鈴が鳴る。

 イザークの言っていた『子猫ちゃん』って、ああいう感じなんだろうか。確かにわたしも鈴を付けているけれども、それとマフラーだけで猫みたいと言われるのは、ちょっと納得できないような気もする。


 「ああ、もう、駄目だよ。あっちへお行き」


 その時、困ったような男性の声が聞こえて、わたしは思考を中断して顔を上げる。

 少し離れたところにある温室の前で、ジョウロを片手に見覚えのあるひとりの男性がおろおろしていた。

 フランス語教師であり、わたしたちのクラスの担任でもあるミエット先生だ。

 彼の足元に、先程の白い猫がまとわり付いている。どうやら温室に入りたいようだが、猫のせいでそれができずにいるらしい。

 わたしはそっと近づくと、素早く手を伸ばして猫を抱き上げる。


「今のうちにどうぞ」

 

 そう告げると、先生はほっとしたように


「ああ、ユーニ、助かったよ」


 と言って、温室の中へ入っていった。

 ドアが完全に閉まったのを確認して、猫を地面に降ろす。

 猫は暫くドアの前をうろうろしていたが、そうしていても開かないと理解したのか、わたしの顔を見上げた後、鳴き声も上げずにどこかへ走って行ってしまった。

 

 温室の中へ入ると、大小さまざまな草や木が生い茂っていた。あるところはちょっとした林のようだし、また別のところは整然と並んだ花壇のようになっていた。

 ガラス張りの建物内は日光が差し込んで暖かい。

 ミエット先生は畑のようになっている一角で、ジョウロで植物に水を与えていた。


「もう、入ってきたら駄目だって……」


 言いかけた先生が顔を上げたかと思うと、わたしの姿を見て目を丸くする。


「あ、ごめん。きみだったのか。ぼくはてっきり、さっきの猫が入ってきちゃったのかと思って……」


 わたしの鈴の音でそう思ったに違いない。クルトも前に似たようなことを言っていた。


「さっきはありがとう。あの猫、よくここに入ろうとするんだよね。おかげで植物に水を遣るのにも一苦労だよ」


 先生は苦笑しながら頭を掻く。前から思っていたけれど、なんだかふわふわしている人だ。砂のような色の柔らかそうな髪は、寝癖であちこち跳ねている。ネクタイも少し曲がっていたりして、あまり教師らしくない。彼が外国人である事と関係あるんだろうか? 

 もっとも、身だしなみに関しては、わたしも人の事は言えないのだが。


「この温室って、先生が管理してるんですか?」


 尋ねると、先生は頷く。


「うん。まあ、一応ね。きみも植物に興味あるの?」

「ええと、ちょっとお聞きしたい事があったので……ここって、ハーブなんかも育ててたりします?」

「そうだね。何種類かあるよ」

「実は、わたしの家族(ファミーユ)の誕生日が近いんですが、彼にハーブティーをご馳走したいので、もしご迷惑じゃなければ、先生のおすすめのハーブを少し分けて欲しいんです」


 イザークがハーブティーを好きだと言っていた事を思い出して、せめてプレゼントの代わりになれば、と思ったのだ。

 わたしの問いに、先生は少し宙を見上げて考える様子を見せる。


「うーん、そうだなぁ……ミントにベルガモット、レモンバームなんかも良いかなぁ……ユーニはどんなのが好きなの?」

「ああ、いえ、わたしは、その……ハーブティーとかそういう類のものって、なんだか草みたいな味のお湯にしか思えなくて……」

「ははは、それはひどいなぁ。まあ、その認識でも間違ってはいないだろうけど。でも、そんな事言ったら紅茶だって同じようなものだと思うんだけどなぁ」


 先生は首を捻る。


「でもユーニ、そういう事なら実際に自分で飲んでみたら? ここに生えているハーブを少しずつ持っていっていいからさ、それでハーブティーを作って試してみなよ。その中で気に入ったものがあればぼくに教えて。その時は家族(ファミーユ)のみんなで飲めるくらいの量を分けてあげる。確かにハーブティーにはちょっと癖のあるものも多いけど、きみが飲みやすいと思ったものなら、きっと他の人にとっても飲みやすいはずだよ」

「それ、すごくいい考えだと思います。さすが教師ともなると言う事が違いますね」


 感心していると、先生は頭を掻く。


「それはありがとう。ともかく、このあたりに植えられているものは生のままハーブティーにしても大丈夫だから、適当に取っていって構わないよ」


 そう言って、畑の一角を指し示す。

 わたしはボウルを借りると、少しずつハーブを摘んでは、その中に投げ入れる。

 これでイザークが喜んでくれるといいなあ。ハーブ選び、頑張ろう。

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