起 A
十月の最終週、私立宮園高校では生徒会選挙が始まろうとしている。
昼休み、生徒会室で、二年生の森朱音はディスプレイを見ながらプリント作成をしていた。
去年のデータをコピーし、今年用に日付や名前を少々変えるだけ。簡単な作業である。
隣では、同じ書記に就いている同学年の久保田が、始動前のプリンタを眺めてぼさついた髪を弄んでいた。
二人の後方では、選挙管理委員長となる予定の現生徒会長が、学ランの襟を緩めて窓の外を見ていた。
秋晴れの高い空に、鰯雲が群れている。
選挙が終われば会長職を退くこととなる桐間先輩は、小綺麗な容姿にアンニュイな気配を纏わせ、ねぇ、と外を見たままで口を開いた。
「男女間の友情って、あるのかな」
朱音の視界の端で、退屈そうだった久保田が目をきらりとさせて振り向いた。
「カワ先輩に、これからはいいお友達でいましょうって言われました?」
「君の名前、そろそろ変えようか――失礼君」
桐間は、うっすらと笑んだ。「もっとぴったりなのもあるけど、爆発ちゃんが居るから妥協してあげよう」
印刷の設定にかかりつつ、朱音は眉を寄せて後ろへ問うた。
「何ですか、爆発って」
「見たよ、文化祭二日目」
ひんやりとした声音で、桐間は続けた。「俺はハニーちゃんと過ごせなかったのに、君ときたらカレシと語らっていた」
えっ、と久保田が声をあげる。
(目敏いな)
朱音は肩をすくめた。
「男女間の友情、あると思いますけど?」
肩越しに目を投げれば、先輩は頬杖をついたまま横目を流してくる。
「アレでー……?」
「誰、二年? 三年?」
久保田が野次馬丸出しで、朱音と桐間を交互に見る。先輩は悪戯っぽい目つきになった。
「背は俺に届いてなかったけど、イイ男だったね。俺みたいな爽やか系」
「プチ、男の趣味悪いな……」
「クボ、新しい名前がお似合いだよ」
朱音が口をすぼめる脇で、プリンタが印刷を始めた。
オンラインゲームで友達になった少年と、現実でも遊ぶようになって早半年。ゲームの頃から妙にウマの合う相手だ。
男とか女とかではなく。単純明快に気が合っているとしか朱音には言いようが無い。恐らく向こうも、そんな感じではないかと思う。
とはいえ周りには、カレシとカノジョにしか見えないようだ。
朱音がコンピュータをシャットダウンする間に、久保田は刷り上がったプリントをチェックする。枚数を確かめ、角を揃えた。
「出来ましたよ。後は今年の生贄とお願いしゃーす」
文化祭で下手に参加を面倒くさがるクラスは、生徒会にこき使われる。挙句、何人かは役員にまで引きずり込まれる。今年は、一年二組が犠牲になった。
去年の生贄であった朱音や久保田は、今年は選挙管理委員からは外されている。今二人の生贄仲間は、本年、次期生徒会長候補と応援者だった。
礼を言ってプリントを手にする桐間の顔には、爽やかそうな笑みが浮かんでいた。いつもより気の抜けた胡散臭さだ。
「で、カワ先輩に仲良さそうな男友達でも現れたんですか」
朱音がランチバッグから弁当箱を取り出す前で、桐間は笑みを貼り付けたままで頬をひくりとさせた。久保田が、にやにやしながら電気ポットでカップ麺に湯を注ぐ。
「年下って焦りますねー」
桐間の〝ハニーちゃん〟は、OGの川辺先輩だ。去年は生徒会で会計長をしていた、お日様のような人。
手を合わせてから祖母特製栗御飯に箸を入れ、朱音は向かいで固まっている桐間に上機嫌で言った。
「カワ先輩がしれっと二股するとは思えません。次に行きたくなったらきちんと捨ててくれますって。余計な心配しなくても大丈夫ですよ」
「励まされてる気がしないよ、イガグリちゃん、爆発しろ」
「変な呪いかけるより、受験勉強した方がいいですよ。カワ先輩と同じ国立ですよね?」
応じて、朱音は栗を頬張る。ほくっとした歯触りの後、ほのりと甘しょっぱさが広がって、柔らかく喉を通る。
「俺ね、見た目どおり頭もいいから。そっちは大丈夫」
「つまり、残りの性格が問題なんすね」
久保田が箸を割る。桐間はにっこりと笑った。
「君達、俺を何だと思ってるのかな」
「先輩に決まってるじゃないですか」
書記の二人は綺麗に声を合わせた。
昼休みの終わりが近づき、生徒会室から三人は廊下へ出た。
三年生は別棟だ。渡り廊下で先輩と別れ、久保田が軽く伸びをした。一五〇cmの朱音より頭一つ分以上高いから、びよーんと長く見える。
「しばらく生徒会に行かずに済みそうだな」
「て言っても、せいぜい今月いっぱいだよね」
朱音は苦笑いする。役員という名の雑用係になってからというもの、今日のような呼び出しはしょっちゅうだ。今回の選挙が終わるまでに、一年二組の中から役員候補に目星をつけておくようにとも言われている。溜まり場に出向く必要は無くとも、やる事は課せられているのだった。
「つーか、桐間先輩、今回そんなヤバイ相手が出たのか?」
可笑しそうな様相で久保田が言った。「大体は余裕そうに見せて実際片づけちゃう人だけど、カワ先輩絡みに限っては余裕崩れるよなぁ」
「どういうシチュかイマイチだけど、カワ先輩は友達って言ったみたいじゃん。なら、そうなんでしょうに」
「強敵っぽい相手も友達と思ってるかが、引っかかってるんだろ」
「あ、なるほど。そっちか」
朱音はランチバッグを後ろ手に揺らす。確かに桐間先輩はアレで意外と一途な人だから、川辺先輩を疑ってはいなさそうだ。
「ま、俺も男と女の友情はあるとは思うけど」
久保田は、一つ鼻で息をついた。「色々と前提付きだよな」
「ふぅん?」
相槌を打ちつつ、朱音は小首を傾げる。
例えばどんな前提だろうと浮かんだところで、チャイムが鳴って思考が断たれた。
放課後、朱音はバスを待つ間に、手首から半透明の小さなディスプレイを浮かび上がらせた。メールのチェック。
いつものように〝オミ〟から届いている。
【七半頃】
【行ける】と返事を送る。
携帯電話でのやり取りは高くつくので、短く済ませるようになった。それでも一日一度は、何かしら言葉を交わす。今や習慣だった。切り離せない日常。
実を言って、こちらの文化祭にひょいと来られるくらいだ。電子を介在させずとも会うのはそう難しくはない。隣町に住んでいるから、殆ど御近所さん。
それで一度、ノーアクションの日を試みたことがある。
向こうからも、メールも電話も来なかった。
いささか不満やら不安やら湧いたものの、翌日にゲーム内で顔を合わせたら、実はあちらも同じ試みをしていたことが判った。
空恐ろしい程のタイミングに、二人で涙が出るほど笑ってしまったものである。また思いついた時にやってみようかと言い合ったけれど、次も同時になったら流石に気持ち悪い。結局、欠かさず連絡を取り合って今に至る。
朱音にとって、オミこと桐之宮輝臣という人物は、そんな存在だ。
ここまでくると友達と言うより親友かなと感じるのだけれど、実際、どうなのだろう。
真面目くさって親友の定義なぞをクラスメイトや生徒会の仲間に訊くのも変だろうから、確かめてはいないが。
とにかくも、こんなに合う相手に出会えた自分はラッキー。ソレは確かだと朱音は思っている。
バスが五分遅れでやって来た。
耳の後ろでほんの少し二つに括った髪先を弾ませ、朱音はバスに乗り込む。
午後七時半までには夕飯や家事を済ませ、自室に引っ込むつもりだ。
何だかんだと時間が作れず、ゲームで輝臣と会うのは久しぶりとなる。
現状最先端のVR技術が注ぎ込まれた、セレブの出会い系ソフトとも揶揄される、学園ゲーム。
巷の評判はさておき、二人の大好きなヴァーチャルゲームなのだった。