修行者達と新魔王就任式典(?)
ツーラストのすぐ近くには大きな山が存在する。元々は火山だったという噂の山で、さほど高く無いが薄暗さと生い茂る木々の巨大さは筆舌に尽くしがたい物があった。
木によって光が遮られている以上、その下にある植物は余り良く育ってはいないだろう。だが、現実には草は生え、動物の息遣いがそこら中で感じられる。
この山の生態系を維持している物が何なのか、思いを馳せた物であれば気づくだろう。多少離れているとはいえ、『黒の魔王』が潜んでいた世界がすぐ側に有るのだ。そこから漏れ出す暗黒の力が生き物に活力を与えて、山を生かしている。本来なら陽光が行う筈だった仕事を、暗闇が代行していた。
それこそ、世界の一面なのだろう。光も闇も、世界を育む為に必要不可欠な要素なのだ。
とはいえ、闇が育てた山だと一見して分かる物はそう居ないだろう。その『そう居ない者』の一人が、今は山の中に居るのだが。
「……つまり、此処での魔力とは『意志を乗せる事で望んだ現象を引き起こす』力の事を指すのか」
「まあ、そうです。魔力の方向性には個人差が有って、貴方が倒した奴の魔力は『創造と破壊』に適正が有るとか、戦闘中は破壊の方しか見ませんでしたけど、あの世界の城や森は創造した物なのかもしれません」
山奥の開けた場所、老化した巨木が切り倒された事で生まれた空間にカイムと少年の二人が居た。彼らはこの世界の常識について丸太に腰掛けながら話し、小動物が時折近寄ってくる程に気配を殺している。
両者共に朗らかなのだが、自身の存在を隠す隠蔽力は凄まじい物だ。これもまた一種の鍛錬なのだろう、頭の先から爪先まで自然体のカイムとは違い、少年の方からは努力が見受けられた。
「詠唱する人も居ますが、まあ一流くらいになると詠唱とかは必要無くなります。そもそも詠唱は自力で望む現象を上手いことイメージ出来ない人が使うので、俺も詠唱無しで使えますよ」
「なら、お前の魔力が得意とする方向性は何だ?」
純粋な興味本位の問いかけを受けた少年は考える仕草を見せた。話しても良いかどうかを迷っているのだろう、カイムは仲間でも友でもないのだから、当然の事である。
しかし、黙っている必要は無いと判断したのか、やがては意を決した様に口を開く。
「強化です。武器や身体を強化して、戦闘を優位に進めるんです」
「強化……疑似的な肉体回復も可能か?」
「お察しの通り、限界は有りますけどね」
少年はぎこちない笑みを浮かべている。自分の限界を知っている者特有のソレだ。カイムでは昔にも今にも、そして後にも浮かべる可能性の無い表情である。
思わず、彼は少年の頭を叩いていた。
「いたっ!?」
「そういう顔をするのは止めろ。限界を知るな、限界など無い」
口を突いて出たアドバイスに少年が驚いた様子を見せる。
いや、言葉自体に驚愕した訳ではないのだろう。完璧な自然体から一瞬にして攻撃に転じ、相手の防御を許さない。ただ叩くだけの動作にそれほどの技術が籠められているのだ。
「は、はい。他には、何か?」
「いや、大体は分かった。大丈夫だ」
驚きながらも尊敬に似た視線を向けてくる相手に、彼は軽く手を振る。山に入った時点から歩きながら話を聞いていたのだ。この世界に関する事は殆ど把握が出来ていた。
相変わらずエィストが自分をこの世界に送った理由は把握出来ていなかったが、それはまた別の話である。
「この世界の事は、よく分かった……おっと、一つ聞いていない事が有ったな」
思い出した様に呟くと、少年が首を傾げて尋ねてくる。
「聞いていない事とは?」
「お前の名前だよ、それも知らないのに修練に付き合うのは御免だな」
今までより少し友好的で朗らかな笑みを見せる。その意味を飲み込むのに少々の時間を必要としたのか、少年は暫くの間だけ動きを止めて、そして喜びで目を見開いた。
「じゃあ、弟子の話は……!」
「まあ、いいぞ」
気軽な調子で承諾したカイムに向かって、少年は素早く感謝を行う。
「あ、ありがとうございます!」
「百一回目までのブレイクスルーにはなるかと思ってな、実際、弟子を取った事なんて無いんだ。新鮮な体験になるだろうな」
それは愉快なのか、期待なのか。カイムは様々な意味で成長途中の少年を面白がっている様子だった。
もちろん、弟子にするというのは嘘ではない。自分自身の鍛錬が最重要であり最優先だが、それだけではエィストというおぞましき壁を乗り越えられない。百度の戦いで、彼はそう悟っていた。
「で、名前は?」
「ホワルです。ファミリーネームは有りませんけど」
「結構だ」
少年、ホワルが名乗ると、カイムは一度首を振って立ち上がる。それに合わせる形でホワルもまた動き、丸太から身体を離す。
そこで、ようやく少年の存在に気づいた小動物達が逃げ出していった。だがカイムの方はまだ肩に小さな鳥が乗っていて、身体を動かしても木の枝か何かと勘違いされている。
余りにも完全過ぎて、今はむしろ邪魔だ。カイムは即座に自分の気配を解き放つ。
すると周辺に居た生き物は一目散に逃げ出して、僅かな時間でその場に潜む気配は何一つ無くなってしまった。
邪魔者が居なくなった事を確認すると、彼はホワルの方へ向き直った。
「じゃあまず……一度稽古をしてみるか。お前、一撃俺に攻撃を仕掛けてみろ」
「全力で仕掛けても、良いんですか?」
「良い。むしろ全力以外は認めないぞ。これから稽古をするのに、手加減をする必要は無いだろう?」
諭す様な口調で告げて、腕を下げた状態で直立する。それはどこまでも自然な構えであり、隙など針を通す程にすら無かった。空気すら通らないだろう。
しかし、全力の攻撃の許可を得たホワルは剣を抜き、その刀身を握る。指先から発せられた魔力が刃を白く光らせ、美しく照らしていた。
準備を終えると構えを取り、大きく息を吸う。
「それじゃ、遠慮無……くっ!!」
息を吐いた瞬間、ホワルは既にカイムの目の前に居た。
凄まじい踏み込みによって一瞬にして接近したのだ。その手に握る剣は暴風と間違う程の暴力性を以て横から斜めに一閃され――途中で止まる。
時が止まったかの様に剣の動きが停止し、ホワルが驚いた様子を見せる。声を上げないのは、ある程度予想が出来ていたからだろうか。
「まあ、早いと言えば早いし、技術も無いとは言わないけどな、だがまあ、何。止められてしまえば意味が無い」
迫り来る刃を『後ろ』から摘んだ彼は、淡々とアドバイスめいた事を口にする。とても切れ味の良さそうな両刃の剣だが、中央部を押さえられては意味が無い。
いや、刃が通ったとしてもカイムにダメージは入らないのだが、それはそれだ。
「大体なぁ、一撃必殺の心得が通じるのは超一流までだ。言語化の及ばない理解不能の領域に及ぶと、一撃がどれほど重くとも意味が無い。全ての攻撃を全力で行っても戦闘を維持出来るくらいの体力を得る方が良いだろうな」
剣を摘むカイムは、実感の籠もった諭す様な口調となっていた。その間にもホワルは剣を動かそうとしているが、微動だにしない。刀身が震える事すら無かった。
少年からすれば、岩に刺さった剣を動かそうとしている気分だろう。困った表情が分かりやすい。
そんな少年に対してカイムは軽い調子で腕を振り、本当に軽く腹を殴る。
「がっぁ……!?」
しかし、その一撃は必殺の一撃だった。それだけでホワルは呻き声と共に声を失い、剣を落としてしまった。目は虚ろになり、全身が痙攣し、息がとても荒くなっているのだ。
だが、それでも倒れはしなかった。必死で両足に力を入れて、顔を歪ませながらも致命的な状態にはならず、燃える様な瞳でカイムを見つめていく。
少々予想外の反応だったのか、カイムは面白がって笑い声を口にしていた。そこに拍手が混じっていて、賞賛の意志が伺えた。
「見事だな、ちょっと強く殴ったつもりだったんだが」
「今のには、どういう、意味が……?」
とてつもない一撃を受けたホワルが困惑を見せている。何故殴られたのかが分からなかった様だ。
その言葉に笑っていたカイムも表情を真剣な物へ戻し、少年の肩を叩いた。
「つまり、一撃で倒せなければ反撃で死ぬ。二の太刀を考えないのは死んでも良い時だけだ」
「な、なるほど……」
蒼白になりながらも頷く少年からは、決して折れぬ強い根性が感じられる。思わず感心した彼は愉快な気分となって、もう一度肩を叩いた。
「ほら、疑似的な回復は可能なんだろう? やってみろ」
「は、はい……」
やっと思い至ったとばかりにホワルの体中が光り、少しずつだが傍目にも身体の様子が改善していく。
身体能力の強化で自然治癒力を高めているのだろう。数十秒程もすれば、すっかりと彼は元気を取り戻していた。
「終わりました」
「良し、では攻撃を避ける事から始めるべきだな。勿論攻撃の破壊力は必要だが、それも無事だったらの話だ」
再び剣を握り直した少年に向かい、カイムが続ける事を告げる。
恐ろしい一撃を受けた後だというのに、ホワルの顔に苦悶や絶望は無い。むしろ、期待に溢れた表情をしていて嬉しそうだ。
「おお! 具体的には、どうするんですか?」
「ああ、これからお前を何度も殴る。安心しろ、さっきのより弱い。が、上手く避けるか防がないと、痛い……ぞっ!」
言い終えると同時に、彼は再び少年の腹を殴ろうとした。
しかし、その一撃は到達する寸前でホワルが身体を捻った事により回避され、意味の無い攻撃となる。だがそれだけで終わる筈は無く、カイムの腕は既に追撃を仕掛けていた。
今度は避けた事で隙が出来た脇腹へ拳を走らせる。カイムにとっては特に素早くも無いが、少年の意識を刈り取るには十分過ぎるだろう。
勿論、当たればの話だ。自分に迫る拳に少年は続いて握っている剣を振り、器用に手を切断しようとした。
刃が見事にカイムの手首へ到達する。魔力による強化を受けたそれはこの世の物質を見境無く断ち切る程の切れ味を誇っていた。
が、相手は『無』だ。刃は手を切断せずに、皮膚の一枚を斬る事すら出来ないまま止まる。
致命的な隙がホワルに生まれた。当然、カイムがそれを見逃す筈は無く、空いている方の手で顔面狙いの攻撃を行った。
避ける余裕も無く、その一撃は見事に少年の顔へ落ちた。先程よりは弱いが、意識は飛ぶだろう。
そう予想される攻撃を受けて尚、少年は立っていた。それどころか今度は表情も変えず、少し痛そうだが酷く苦しむ動作も無い。
殴った本人であるカイムはすぐに気づいた。少年は顔を狙われていると気づいた瞬間に自身の魔力を顔面にだけ集中させ、鉄壁の防御としたのだ。
それでは他の部分への強化が無くなるだろうが、更なる追撃が来る事も踏まえた上で、次の一撃は避けられる様に剣を構えている。剣は常時魔力を使用しなくとも強化されたままであり、その一撃分の隙が有れば、全身に強化を施し直すくらいは出来るだろう。
「学習したな。成る程、お前には才能が有る。根性もな。賞賛に値する」
追撃はせず、カイムは心からの賞賛と共に惜しみない拍手を送った。
ホワルからは確かな戦闘のセンスが感じられ、十全な才能を裏打ちする努力も見て取れるのだ。何らかの一意によって己を鍛える姿は、眩しいくらいに輝いて見えるだろう。
まるで、本当に『勇者』の様だ。カイムに多少の羨ましさすら覚えさせる姿は立派な物である。
「ありがたいですけど……それより、続けてください。俺は、強くなりたい。強くならなきゃいけないんです」
挑発気味に不敵な笑みすら浮かべたホワルが、練習を続ける事を要求してくる。
余計に愉快な気持ちとなったカイムは、大きく笑い出した。
「くくっ……どうして強くなりたいのか、なんて聞かないぞ。その気持ちだけ有れば、十分過ぎるからだ。さて、今からは……蹴りも追加しよう」
言葉を口にしながらも、彼は再び攻撃を仕掛ける体勢に入る。今までよりも多少威力と速度を上げて、足による攻撃も解禁するのだ。
空気が少しずつ凍る様な冷たさを宿していくが、ホワルの魂は燃え上がる様であり、瞳の輝きは決して逃さぬとカイムの動きを追っている。
「視覚だけで敵を追うな」そう言いながらも、カイムは動き出した。
+
山奥で衝撃音が響き続けている頃、『黒の魔王』が居た異界は酷い状態になっていた。
森は暗黒の炎で焼け、象徴となる城は半分が吹き飛んでいる。漂う気配は明らかに弱まっていて、この空間の主たる魔王を失った事は、この異界に致命的な問題を引き起こしていた。
『黒の魔王』が創造したと言っても、維持はしていない。その為に空間自体が消滅する事は無いだろう。だが、そこからは力がどんどん消えてしまっているのである。
しかし、異界は喜びの声に溢れていた。そこに人間の声は一つも無く、全てが魔物の凶悪なそれであった。
「魔王が、死んだ」
「死んだ!」
「自由だ」
「俺達は自由だ!」
「じーゆう!」
知能の有る者から、知能の殆ど無い者まで。全ての魔物が喜びに溢れている。
彼らにとって黒の魔王は尊敬すべき存在でありながらも、同時に恐るべき暴力そのものであった。魔王自身が創造した空間に住む魔物達は、冒険者達以外からの安全と引き替えに自由を奪われていたのだ。
自らの生命に何の頓着もしていない黒の魔王だったが、その辺りは考えていたらしく、暴力と恐怖によって魔物達は好き勝手な行動が出来ない状態へ押し込まれていた。
それが、魔王の消滅によって解き放たれたのだ。喜び過ぎて、勢い余って同胞を攻撃する者まで現れている。
ともあれ、大多数の者達にとっては今後の行動を決定する事こそが重要な事柄だと思われた。
「どうする?」
「するする」
「町を襲う」
「あぶねえ却下勇者に殺される」
「だが、我々にも魔物として産まれてきたプライドがある。人を喰らい、町を破滅させずして何が魔物か。安寧の間に心まで腐ったか」
「いや、しかし待て。魔王亡き今、下手を打つと我々は滅ぼされてしまう」
この場で最も知性を持つ魔物の二つが、相反する意見をぶつけて睨み合っている。
強行な姿勢を示す方は、全身から魔力を沸き出す鎧だった。その鎧は全身を覆い尽くしていたが、顔の部分だけは隠れていない。だがそこには何も無く、顔と呼ばれる部位は存在しなかった。
それに対して冷静に反論を述べているのは、半ば腐乱した馬だ。その背中に生えた羽が単なる馬ではない事を示しているが、腐っていては人を魅了する力など無いだろう。
「腐乱死体は臆病でいかん。責務を果たさずして何が魔物か。黄金の魔王を見習え、アレは数百年に渡って人類と戦争をし続けているのだぞ」
「いや、実際どうするのだ? 黒の魔王が居なければ創造も破壊も出来ない。我々ではこの城を復旧させる事すら難しいのだ。この状態で人類を襲う? 正気か?」
「我々全てが手を取り合えば、簡単に出来るだろう。勿論、人の町へ手を出すのは城を修復した後だ。それくらいは分かっている」
腐乱した馬の意見を中身の無い鎧はある程度は受け入れている様だった。両者ともにしっかりと知性と思考を持っている為か、主義を除けば一致する物だ。
二人、あるいは『二つ』とも、現状では人を襲う事に無理が有るのだと納得している。だが、鎧の方は早急にこの場を復旧させ、すぐに近くの町へ侵攻しようと考えているのだ。
そんな姿勢を受けて、腐乱馬は大げさに溜息を吐く仕草を見せた。いや、鎧の主張にも同意出来る部分は有ると思っているのだろうが、現実には『早急な復旧』など出来ないのである。
「だが、連中はあの調子だ」
馬は頭を移動させ、他の魔物達が集まっている方へと向ける。
知性の低い魔物達は話の内容を殆ど理解していないのか、適当な事を喋っていた。
「できなーいー」
「協調力無」
「まものだもの」
「殺したいお腹減った」
「クわせろ」
空腹に襲われた魔物の何体かが共食いを開始する。巨大な人型が鳥型の魔物を喰い散らかし、吐き出した骨が周囲の魔物に突き刺さっていた。
魔物の支配が無ければこの始末だ。腐乱馬は更に深く溜息を落とし、元気を無くす。
「……ほら見ろ。こいつ等だって分かっている事だ。所詮我々は魔物だ。魔王が居なくては結束も出来ない」
同じ光景を見ていた鎧も元気を無くし、「気持ちは分かる」と言いたげに腐乱馬の背を叩く。高い知性を持つ者同士の共感と友情がそこには認められた。
「なあ、お前の言う事も間違ってる訳じゃない。だが、人類との戦いは我々の義務だ。それをしない者は滅ぶべきだよ、我らが黒の魔王の様に」
「分からない話ではないが……しかしな、お前の言う様に義務を果たすのは悪くないとはいえ……な?」
「……」
「……」
二人とも、それ以上は言葉にならない様だった。
魔物という存在は獣よりも余程強いが、大体が余程愚かだ。そうでなければ人類は既に滅んでいてもおかしくない。一部の常識を破壊した戦士達を除けば、人間が魔物と戦うのは無謀だからだ。
だからこそ、魔物達は団結力という点で足りない物が有った。知能が低いからこそ、という事も有るだろうが、魔物は元々個々の力が強い事も有って、手を取り合うという事をしないのである。
二つの知能有る魔物達は、熱狂する同胞達の姿を半ば冷たい瞳で捉えている。そんな時、虚空から何者かの声が響いてきた。
「協調か。その仕事であれば私に任せてみないかい?」
声の主の居場所を魔物達は即座に捉える。焼かれる森の影に居たが、身を隠したくらいで彼らから逃げられる筈も無いのだ。
そこから現れたのは、人型かつ男性型の魔物だった。それなりに鍛えられた肉体からは実力者を感じさせるが、腐乱した馬と中身の無い鎧にとっては弱者に過ぎない。むしろ、頭に生えた角や人間の手を模した背中の翼が無ければ、余りの弱さに人間と勘違いしてしまいそうだ。
「ザックウォーエ」
「ザックで良い」
魔物――ザックは森の間から出てくると、二つの前に立つ。そうなると、ザックはより弱い魔物に見えた。
とはいえ、この異界の中では数少ない知能有る魔物である。二つの魔物とて即座に斬り捨てる事はせず、ただ鬱陶しそうに睨んでいた。
「お前の様な者が何故出てきた」
「色々と理由は有りますが、アンタ方が頼りなかった物で」
挑発していると言われても仕方のない返答である。だが、妙に自信の溢れた態度が彼らに攻撃を戸惑わせた。ザックという魔物は知能は有っても基本的に弱者であり、魔王とまでは行かなくとも巨大な力を持つ彼らに対しては下手に出るばかりだったのだ。
「何か策が有るのか?」
「勿論だ。そうでなければ私がアンタ等の前に顔を出す訳がない」
「では、話してみろ」
続きを促した中身の無い鎧に、弱小の魔物は堂々とした態度で頷いた。
「問題はこうだろ? この空間に力を取り戻し、城を復旧させないと、他の事は何も出来ない。その為には団結しないといけない、と」
「その通りだ。で?」
話の内容を理解する事に関しては、まだ知能が有る分真っ当だ。魔物としての力を殆ど持たないザックに対する二つの見解は、同じ物だった。
その為、二つの魔物は何一つ期待をしていない。良い所で多少の参考になれば御の字という考えだ。
しかし、その弱小魔物が提案した内容は全く予想外で――何より、『論外』な事だった。
「提案っていうのはな、私が新たな魔王となるってのはどうだ」
「何だと?」
腐乱した馬の魔物から凄まじい圧力が発せられる。人間どころか魔物であっても発狂し、命まで落としてしまいそうだ。が、弱い筈のザックは不気味な笑い顔でそれを受け流している。
「ふざけんなー」
「そうーだ」
「無い無い」
「無いね絶対無いねお前より俺の方がすごいもん」
話を聞いていたらしく、他の魔物達も同じ様な事を口にしている。力という物を評価基準とする彼らにしてみれば、その男型が魔王になるなど認める筈もない。
そして、それは少しの間黙り込んでいた中身の無い鎧も同じだった。
「私からも言わせて貰おう。愚か者め、お前は弁えるという事を知っている筈だったのだがな」
何時の間にか抜かれた剣が凄絶な力を発して、魂を凍らせる。魔力が暴走する勢いで漏れて、魔物達はその圧倒的な威圧の風に耐える事も出来ず、ザックと腐乱馬を除いた全てが数歩退いた。
凄まじいという言葉で現す事が安っぽく思える程に強力で、鎧自体が一種の大量殺戮兵器なのではないか、という荒唐無稽な感想すら抱いてしまう。
「いやいや、本気ですよ。愚かだなんて、そんな事は有り得ませんって」
だというのに、ザックは笑っていた。地獄の如き圧力をむしろ面白がっている様ですら有り、堂々とした態度を見せているのだ。不審感を抱くには十分過ぎる姿だった。
何らかの悪い予感を抱いた二つの魔物は同時にザックの側へ近寄り、距離を詰めていく。一歩毎に発せられる力が強まり、地が裂けながら腐っていた。
「おやおや、アンタ等は怖いなあ。そんな風にされては俺も殺されるしか無いかも」
肩を竦める姿には明らかな余裕が有った。そこに警戒を抱きながらも、二つの魔物は殺気を発し出す。
後数歩で斬られてしまうだろう。そこでザックはニヤリと笑い、告げた。
「文句が有る者は、前に出ろ」
言葉を聞くなり、全ての魔物が前に出る。
そして――二つを除いて、平服した。
「なっ……!?」
「お前達!?」
腐乱馬と中身の無い鎧が驚きを隠せずに周囲の様子を見た。彼ら自身を除外した全ての魔物達が、ザックへ上位者へ向ける態度を見せている。
とても恐ろしい光景だった。圧倒的に格下である筈の存在に、例え知性が弱くとも一角の魔物達がひれ伏すなど、冗談にもならない。
そこで二つの魔物は気づいた。この場で最も弱い筈のザックから発せられる魔力が、魔王と背を並べる程の巨大な物へと変わっている事に。
「愚かな奴は居なかった、そうだよな?」
全身から溢れんばかりの魔力を吹き出して、最弱の魔物が不敵に笑う。
驚愕の余り声も出なくなった二つの魔物に対して彼が見せたのは、嘲笑だった。
「おいおい、何を驚いてるんだよ。私の魔力は、『支配』。文句は無いだろう?」
ザックが自分自身を指さして、言う。
『支配』。確かに彼の魔力の方向性は『支配』だった。しかし、そこから出る結果は個体ごとの魔力の総量によって変わる物だ。最も弱い魔物である彼には、魔物どころか人間、小動物ですら従えるのは不可能である。
「貴様……その魔力を何処から……!?」
「鈍いなぁ、アンタは。簡単さ、周りを見てみな?」
言われるままに周囲を見て、二人は気づいた。
魔物達から感じられる魔力が多少落ちているのだ。普段であれば見逃す程の少量だが、この場合は『全て』の魔物から同じ量が減っているのだから、余りにも不自然である。
「まさか……」
「その通り、一人ずつちょっとずつ支配していって、そいつから魔力を徴収したのさ、まさに王様だろう? ま、完全支配は知性の低い連中にしか出来ないけどな。ともあれ下克上の完成って話だよ」
自慢げに話すザックからは自信しか感じられず、口にする内容は尤もらしい物である。
だが、その話の中に有る不審さに中身の無い鎧は気づいている。
「だが、その一人目を支配する魔力は何処に……」
「秘密さ、秘密」
「貴様は……」
「で、私を斬らないのかぁ?」
疑念の声に応える事も無く、ザックは再び挑発を口にする。
山の様な疑問と戸惑いは有ったが、二つの魔物はその言葉に応える事にした。あの程度の魔物であれば、どれほど魔力を持っていても一撃で粉砕出来るという確信が有るのだ。
だが……
「ぐっ」
「これは、やられたかっ」
動かない。二つの魔物は身体の動きを『支配』され、止まらざるを得ない状況に追い込まれた。
いや、彼らほどの存在であれば動く事自体は普段通りに行えるのだが、決定的な行動、つまりザックを殺害するのは難しいのだ。
「あぁあ、やっぱ完全支配は無理か。流石に格が違うね、アンタ等はさ」
困った素振りを見せるザックだったが、それ以上の強い余裕が身振りに胡散臭さを感じさせる。
そんな彼は二つの魔物から視線を外し、最早己の配下と成り果てた魔物達へと声をかけた。
「さぁて、馬鹿は放っておいて魔王らしい活動をするかねえ。お前等はどう思うよ? 悪いが、最後の部分しか聞いてなかったんでね」
「まちを襲うー」
「そりゃ魔物らしいや、いいなそれ」
知能の低い魔物の思慮無き発言に彼は乗り気になって大きく頷き、笑い声を響かせる。それはそれは嫌味な笑い方であり、決定的な一撃を与えられない二つの魔物への嘲笑にも聞こえる物だ。
瞳が腐り落ちた馬も、最初から瞳など無い鎧も、眼球が有るべき部分が怒りで光る。魔力が沸き出して、今にも爆発の一つでも引き起こしそうだ。
しかし、ザックはあくまで無視を決め込んで、不気味に笑いながら腕を広げた。
「よし、決めた。魔王就任祝いに人間の町の一つでも落としてやるか。この辺から一番近いのは何処だ?」
「ツーラスト」
支配した魔物から飛んできた返答を聞くと、ザックはもう一度頷いて見せる。
「おお、分かった。じゃあ行くか、ツーラスト。お前達、今日の食事は人間だ。良かったな」
「わーいやった」
「新型魔王就任万歳三唱」
すっかり支配されきった魔物達が、喜びと共に『新しい魔王』を称える言葉を口にする。知能が殆ど無い彼らでは、支配に抵抗するのは難しそうだ。
人間であれば歯茎から血が出る程に口を強く閉ざした二つの魔物達は、尋常ではない魔力と怒りを放ったまま、恐るべき声音で疑問を口にする。
「城の復旧と空間に力を呼び戻すのは、どうした?」
「団結なら任せておけと聞いたが、私の聞き違いかお前の気が違えているのか」
「おおっと、アンタ等は私が魔王になるのが嫌なんだったな? はは、こんな空間要らねえよ。くだらない遺物さ、こんな物が無くても私達は戦える」
ザックは自信満々に断言していて、自分の発言を欠片も、微塵も間違っているとは思っていない様子だ。その間にも彼からは魔王級の魔力が溢れていて、空間を自分の物としていた。
すると、二つの魔物から怒りが消えて、それを遙かに越える冷たい雰囲気が現れる。そこに有るのは、明確な警告だ。
「貴様」
「どうなっても、知らんぞ」
実際に殺す事は出来ないと分かっていても、その殺意は強烈な勢いで彼の全身を舐め回した。
そこで初めて冷や汗を浮かべると、ザックは彼らから逃げる様に背を向ける。
「は、はは、好きにしろよ」
そのまま一度も振り返らずに、彼は支配した魔物と共に歩きだしていく。止めても聞かないだろう、最早自信の勝利を確信している様子だ。
魔力が制御仕切れない分を無駄に放出している姿は滑稽でありながらも、恐るべき物であった。
「……どうする」
置いて行かれる形となった二つの魔物の内、先に声を発したのは中身の無い鎧の方だった。
勿論、腐乱した馬の方も喋る余力は十分に存在している。話しかけられた為に、彼は鎧へと返事を送った。
「どうするも何も、終わりだな。『黒の魔王』は死に、此処に住んだ魔物は全員あの腐れ間抜けに持って行かれた。我々だけでは、な」
「分かっている。だが何かをしなければなるまい。まあその前にあの塵以下の屑馬鹿野郎を始末しないといけないさ」
揃ってザックへの強固な殺意と敵意を現すと、支配が緩んだ所で彼らは自らに仕掛けられた魔力を無理矢理に吹き飛ばす。
酷い力技だが、支配はあっさりと崩れた。元々の技量が低い存在が力を得た所で、その程度の物でしか無いのだ。
「この程度の存在が魔王とは笑わせる。まだ人間を魔王にした方が良い程だな」
「珍しく人間を誉めたな、鎧の」
「違う。あのゴミに比べればまだ真っ当だという話だ」
二つの魔物は会話を交わしながらも異界の外へと視線を送る。彼らほどの存在となると、空間越しに物を見る事も難しい技術ではない。
魔物達が捉えたのは、ザックを護衛しながら町へと向かう同胞達の姿だった。
「ツーラスト、か。順当に考えるなら人間を守って被害を抑えた上で、同胞を助け出す。これしか無いな」
「人間の味方など嫌だぞ」
支配された同胞達へ情けない者を見る目を送っていた鎧だったが、そこで腐乱馬の提案が気に入らなかったのか、存在しない顔を上げて抗議する。
しかし、腐乱馬の対応は冷淡だった。
「鎧の、それが嫌なら此処で隠れていろ。今は余計な火種を抱えるべきではない事くらい、理解しているだろう?」
あくまで冷たい言葉をかける馬。それを聞いた鎧は声だけで分かるくらい顔、心を顰め、迷いながらも返答を行う。
「……仕方ないな、行くさ」
「最初からそう言えば良いというのに。ほれ、乗るが良い。お前の様な鈍足と一緒に歩きたくはない」
「余計なお世話だ」
悪態を吐きながらも鎧は馬の背に乗っていた。長い付き合いの間で乗った経験が何度か有る為か、慣れた物だ。
「先ず行くべきは……ああ、ニームット辺りが良いな」
「ヴェンヴィーか……人間にしては凄まじい、いや奴を人間という括りには入れたくないな」
馬の提案を聞いた鎧が盛大に微妙な感情を現しつつも、二つの魔物達は行動を始めていた。腐乱したとはいえ馬である、その足はとんでもなく早く、とてつもなく恐ろしい。
物が見えなくなる程の早さの中に居ても、鎧は平然と感覚を委ねていた。
「彼女の気配を見つけるぞ」
「応とも。もう始めているがな」
ほぼ一瞬で異界から出た魔物達は、即座に女の気配を探し始めた。
その間にも同胞が愚かな襲撃を起こすのではないか、という不安に刈られながらも、集中に集中を重ねて。