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退屈な魔王と若き勇者と……恐ろしき、無

 黒き悪魔が飛び交い、闇の魔力が放出されている。空を飛ぶ鳥は確実に生物ではなく、悪意に染まった怪物としか見えなかった。

 その空間の真ん中で魔力を放出し続ける城、周辺には森が広がっている。不気味な森の奥では魔物達が殺し合いを続け、紫と赤の血で木々が汚されていた。

 城のバルコニーからは地獄と同義の様子を見る事が出来た。そこはロマンも善良さも無い悪夢の世界を一望する場所で、人々を苦しめる為だけに作り込まれた空間である事は明らかである。

 そういう用途で作られた城の奥に、二つの影が有った。

 片方は闇色の衣を纏った巨大な人型であったが、それは明らかに人間では無い。頭に生えた左右対象の巨大な角と、手が獣らしい肌をしている事、それらが目立っている。首から下げたペンダントは人とも魔物とも見える頭蓋骨であり、血で塗れているのが特徴だ。

 その恐ろしい姿を見た者は、誰もが言うだろう。


 『魔王』と。


「いい加減に、諦めると良い」


 『魔王』の口から、声が発せられる。耳にしただけで人間を狂気、あるいは絶望に貶める低い声音で、不気味過ぎておぞましい。

 その声を聞いてはどんな勇気の持ち主であっても身体を動かせず、避けられぬ終焉にその身を委ねるだろう――ただし、例外はその場に居た。


「負け、ねぇ……」


 持つ剣を杖代わりにしながらも、男は立ち上がった。

 マントに鎧、そして剣。少年と言っても差し支えの無い男の格好を総合して言うならば、すなわち『戦士』あるいは『勇者』である。

 体中が傷だらけ、出血は大量だ。余りにも夥しい血によって海が出来ていて、本来なら死んでいる所を何とか現世に留まっている。

 『魔王に挑む勇者』城の広間を見て感じる事は、間違い無くそれだろう。勇者の方が明らかに負けていたが、それでも印象は変わるまい。


「諦めよ、勝てるとは思っていないのだろう」

「黙れ……」

「私が黙った所で事実は変わらぬ。お前は負けて、私が勝つ。そして、お前は死ぬ。無様に足掻くのもそれは良いのだろうが、私は退屈なのだ。いい加減にして欲しい」


 言い放つ魔王には嘲笑すら無く、どこまでも退屈そうだった。

 室内の調度品が粉々になり、壁には亀裂が走っている。恐ろしい戦いであった事は明らかだったが、それでも魔王は楽しむ素振りを見せない。人を苦痛に貶める事すら飽きた様子で、溜息すら吐いていた。


「第一、何故お前は私に挑む。義務感か? 違うな、そんな大人しい理由ではないだろう。だがそれはどうでも良い。今すぐ死ね、飽きたのだ」


 尊大な言い種だったが、こうも退屈そうでは威厳も薄れるという物だ。

 しかし、挑発的な物言いは勇者の心に火を灯したのだろう。彼は杖にしていた剣を何とか持ち上げて、痛みに震えながら闘志を放つ。


「飽きた、と告げた初だが」

「うるさい……お前なんか、踏み台だ。目的達成の第一歩だ……大人しく、俺に殺されろ」


 殺意に満ち溢れている。だが、勇者に憎悪の見られない。魔王を倒す事を義務でも権利でもなく、ただの作業、あるいは前哨戦としている事が見て取れるだろう。

 相手の事など欠片も気に留めていない。そもそも最初から勇者は魔王を倒す事が目的ではない様だ。

 ともあれ魔王は非情である、勇者の考えなど知った事ではない。


「では、別離の時間だ。出来るならば、私に勝って見せるのだ」


 魔王は、立ったまま動かない勇者に向かって手を軽く縦に振る。


「――っ!?」

「さらばだ」


 瞬間、巨大過ぎる闇のエネルギーに満ちた柱が空から城の天井を打ち抜いて、勇者の居る場所へと落ちた。

 それは勇者から数十歩は離れた位置に居る魔王の身に届く程の、超質量の闇である。僅かにでも触れれば魂が破壊されるというのに、それは余りにも規模が大きすぎた。

 完全な絶望だ。だが、勇者は雄叫びと共に剣を上空へ向かって突き出し、凄まじい闇に抵抗を見せる。


「ぐ、が、ぎゃっぁぁぁぁぁっ!!」


 ただ受けただけで勇者の腰までが床にめり込み、剣が悲鳴を上げた。

 何という威力だろうか。自らの居城を崩壊させる事すら躊躇せずに発せられたエネルギーの塊は、一撃で海を割り山を崩し、空を侵す。所詮は勇者でしかない勇者が防ぐ事を成功させるなど、夢のまた夢である。

 だからと言って勇者は諦めない。この戦いは彼にとって前座でしかない、魔王は本命の敵などではなく、ただの練習相手でしかないのだから。


「な、める、なよぉ!」


 闇を押し返そうと剣を握る手に更なる力を加えて、無理矢理に防御の姿勢を維持する。

 鎧が砕け、腕からは血が流れ出した。既に剣は半分折れていて、単なる粉となるのも時間の問題だ。闇の質量は勇者の想像を遙かに越えて巨大で、無慈悲だった。

 それでも勇者は闇に耐え抜き、魔王を引き裂かんとしていたのだが……


「滅びるがいい」


 もう一度魔王が手を横に振る。それに合わせた様に勇者の横に位置した壁が吹き飛び、同質量の闇の柱が勇者に向かっていった。

 上空からの質量にだけは対抗出来ていた勇者も、これは防ぎきれない。余りにも唐突に吹き出した横からの闇を受け、そこへ出来た防御の隙間へ上空の闇が完全に落ちた。

 闇に飲み込まれて、城の半分が消し飛ぶ。外に潜んでいたモンスターや魔王の配下が巻き添えとなって破滅し、その余波は森の木々を枯れさせる。まさに、この世の終わりを暗示した光景である。


「やりすぎたか」


 魔王が半分無くなった広間の端からどうでも良さそうに外を見て、次に部屋に転がった屑を眺める。

 鎧の残骸や柄だけになった剣、そして塵なったマントが側に落ちている。その屑と化した物は、つまり勇者だった。


「はっ……ああ、くそ……何でだ、この……」

「耐えたか、いや、避けたか」


 勇者は生きていた。闇の柱を受けながらも、必死で身体を移動させる事によって致命傷だけは避けたのだ。

 それでも酷い重傷である事には間違いない。倒れ伏したまま勇者は指先一つも動かせず、ただ無様に魔王を睨んでいる。

 死に瀕した姿はいっそ哀れに思えるだろう。だが、魔王には慈悲の気持ちなど無いのだ。

 魔王が軽く足を上げて、それを勇者の頭上へと移動させる。そのまま軽く落とすだけで、勇者の頭は砕け散るだろう。


「見事だった。しかし、もう終わりで良いのだろう?」


 餞別とでも呼ぶべき言葉を口にして、魔王はその屈強な猛獣の足を恐ろしい速度で落とす。そして、勇者の頭に足が迫り、迫り、迫り。


 何かが、落ちてきた。


 それを何と表せば良いのだろうか。あえて言うなら、『人間』だろう。魔王と勇者の遠目に見えるのは黒い服を着た人間で、上空から勢い良く落ちていた。

 とてつもない速度で人間、男と思わしき者が落ちていく。その落下地点は、明らかに今魔王が立っている場所である。


「うぉおおおぉっっ!?」

「お前は一体……ぐがぁっ!?」


 驚愕とも混乱とも知れない叫びを響かせながら、男は魔王の身体に衝突した。

 あれほどの強烈な力を誇っていた魔王はそれだけで城の壁まで吹き飛ばされ、半分しか残っていなかった城の壁に巨大な風穴が作られた。


「あの野郎……一体何のつもりで……百回目のプレゼント、はっ……嫌な予感だな、おい」


 自分が誰かと衝突した事など微塵も気にせず、男は立ち上がって頭を軽く叩く。骨が鳴る様な音がした事に一定の満足感を覚えたのか、男は軽く安堵と思わしき息を吐いた。

 人間臭い仕草だ。声もしっかりとしていて、言語も通じている。しかし、魔王と勇者はその人型から発せられる鮮烈でおぞましき気配に目を奪われ、言葉の一つすら発する事が出来なくなっていた。

 熱気、闘志、希望。一言で表すなら、『夢』。虚無、虚空、無意味。一言で表すなら、『無』。男から受け取れる二つの印象は相反する物で、これ以上無いくらい男の存在を表している様に思われる。

 人間の男にしか見えないというのに、この怪物すら覆す尋常ならざる力の気配は、見る者達の視線を嫌でも釘付けにした。


「致命的なのはとりあえず全部消しておいたつもりだが……ああ、そうだ」


 今気づいたと言わんばかりに顔を上げ、男は自分に目を向けたまま硬直した二つの人型へと視線を移す。

 片方が半死半生で片方が明らかに人間でなくとも、男は気にした素振りなど欠片も見せなかった。


「そこの、丁度良い所に居る人。一つ聞きたいんだが……」

「消えよ」


 発言の中に物々しい雰囲気が籠められているのを理解したのだろうか、魔王が即座に巨大な魔力を行使し、純粋な暴力によって男に攻撃を仕掛けていた。

 だが、その恐るべき魔力は男の身に当たると何の意味も無く消え去り、後には何一つ変わらぬ声音だけが残される。


「此処は、何処だ?」












 魔王はその存在を感じ取り、朧気ながら本質を理解していた。

 既に勇者など眼中に無い。それどころか、自分の城が殆ど吹き飛んで足場もおぼつかないという状況にすら意識が向けられる事は無いのだ。

 その両目はただ男を見ていた。存在感は確かにおぞましき『何か』だったが、根底に有るのは熱い魂、あるいは凄まじい執念だろう。どちらも、この魔王には欠如している物だ。


「そうか、お前が」


 何かを理解した様子で、魔王は少しずつ男へと近づいていく。一歩進む毎にその場の空気が重くなっていく事を理解しても、止まらない。

 何故なら、この魔王の魂は既に死んでいるからだ。もはや生きる目的も意味も遙か彼方へ消えた彼にとっては、虚無すらも恐怖の対象などではなく、むしろ祝福の風となるのである。


「やっと……私の終わりがやって来たか」

「もう一度聞きたいんだが……此処は何処なんだ?」


 自分の意識に沈んだ魔王に向かって男は再び同じ質問をする。だが、もう相手の異常な点を察しているのか、目は細められ、自然な形で警戒の姿勢に移行していた。

 何とも、力強い姿だ。魔王は更に感動し、また一歩進む。

 それ以上近づけば危険どころか自身の存在自体が危うい。が、彼にとってはむしろ望む所だ。


「此処が何処なのか? 答えは……こうだ」


 やっと男の前に立った魔王は何かを確認する様に腕を少しだけ前に突き出し、そして、握り締める。

 闇色の魔力が爆発し、男の居た場所が崩壊した。

 空間上の全てが魔力によって強引に喰われて、瞬く間に破滅していく。だが、その中に先程まで居た筈の男の姿は無く、思わず魔王は辺りを見回す。

 何処にも男の姿は無い。

 もしかすると空間ごと滅んでしまったのか、と魔王は落胆しながら視線を戻し――目の前で嘲う、男を見た。


「答えをどうも。助かった。望み通り、報復をさせて貰う」


 その時、空間に割れ目が出来る程の轟音が響き、紫色の血が噴き出した。

 魔王が男の姿を確認するより早く、男は相手の腹部に強烈な拳を叩き込んでいたのだ。余りにも強すぎた一撃は、魔王の身体を完全に貫通していた。

 しかし、それだけでは魔王を滅ぼす為の力とはならない。魔王とは巨大な魔力と魂の持ち主であり、ただ肉体を壊しただけでは意味が無いのである。

 それを伝える意味も含めて魔王は腕を上げ、男の顔に向かって振り降ろそうとする。だが、それは絶対に出来ない事であった。


「……む?」


 腕が一向に動かない事を疑問に思い、魔王は自分の腕部を一瞥する。

 そこで魔王は理解した。腕は、無くなっていたのだ。

 腕だけではない。攻撃を受けた腹部から存在という存在が消えていく。滅ばぬ永劫の魂までも無力に蹂躙され、根元から消滅が侵攻していた。


「成る程、攻撃出来ないのも道理か……ふっ」


 自分が消える状況を静かに確認すると、魔王は今まで一度も見せなかった微笑みを浮かべた。

 そこに有る感情は自分が消滅する苦しみや悲しみではなく、圧倒的な歓喜だ。

 喜びに喜びを重ねた、素晴らしい笑顔。滅びを受け入れる者の幸せがそこには有る。もう魔王の身体は消えて、後は頭部と四肢が消えるのみだった。


「やっと、滅ぶ事ができた……ありがとう」


 それは遺言の様であり、実際に遺言だ。

 言い終えた途端に魔王の全ては消えて、最初から居なかったかの様に存在を消滅させた。









「それはどういたしまして、だな」


 完全に消えた魔王の居た場所へ返事をすると、男は軽く溜息を吐いた。

 そこからは忌々しげな色を感じられたが、同時に呆れや敗北感も含まれている。ただ、弱味は無かった。もしこの場で何らかの恐ろしい攻撃を受けたとしても、完璧な体勢で防御と反撃を行える筈だ。

 その姿を見ていた勇者は、全身の震えを隠さなかった。余りにも強烈な力の影響で自分の全身が酷い怪我で動けない状態である事すら、忘れてしまう程に。


「とりあえず、こういう世界か。あの野郎め……何がしたいんだ」


 悪態を吐きながらもそこに憎悪は無く、男は静かな足取りで倒れ伏す勇者の元へと向かっていく。

 しゃがみ込んで顔を見つめると、彼はゆっくりと少年の顔へ触れた。


「そこの」


 「何だよ、俺が何なんだよ」勇者はそう言い返したかったが、無理だ。男の全てに圧倒されてしまって、そんなぞんざいで失礼な返事をする気にもなれない。


「は、はい」

「ここから一番近くて、宿と食料の有る場所は無いか? それと、ああ、金銭を得る方法だ」


 それは、圧倒的で凄まじく、天から降ってくるという衝撃的な登場をした男が口にするには、余りにも庶民的な言葉だった。

 言葉の衝撃で返事が遅れたが、彼は何とか気を取り直し、脳裏で即座に思考した内容を答える。


「こ、此処は異空間なので、外に出るには森の奥へ行けば……そこから出てすぐに見える山の方向へ行けば、ツーラストという町が有って……」

「金はどうすれば良い?」

「え、えっと……この城に有る、財宝とかを売れば、大丈夫なんじゃないかと……」

「おお、ありがとうな。借り一つにしておくさ、すぐに返すがな」


 冗談めかして不敵に笑うと、男は立ち上がって背を向けた。


――すぐに返す? 一体、何の……!?


 彼の背中を見ていた勇者だったが、ある事に気づいて立ち上がる。

 魔王の巨大過ぎる魔力によって全身に受けた筈の傷が、完全に無くなっていた。まるで最初から一切の損害も受けなかったかの様に。

 それが自分に背を向ける男によって起こされた物だという事を勇者は理解して、声を上げた。


「あの!」

「カイムだ、カイム・アールハンドゥーロだ。話が有るなら、お前が教えた場所へ来い」


 勇者には何も言わせず、男、カイムはただ自分の名前だけを告げて、城の端へと立った。そこは恐るべき高さで、どんなに頑丈な生物であっても落下すれば死ぬ。

 が、カイムは平気な顔で飛び降りた。不思議と、いや、『当然』彼が死ぬ筈が無い。


「……あっ」


 呆然としていた勇者は、やっとの事で正気に戻った。

 先程まで魔王と緊迫した戦いを繰り広げていた筈だが、もうその気持ちは勇者の中から吹き飛んでしまっていた。

 その心は初対面の男、カイムへの憧れに似た強烈な感情に支配されていて、彼は自然と笑っている。


「く、くく。はははっっ……!」


 よく見ると、壊れた鎧や剣なども完全に元の状態へ戻っていた。それがまた愉快で、勇者、少年は大きく口を開いて笑う。

 声に釣られた魔物達が近づいてくるが、勝てないと理解して逃げていく。

 よって、誰の邪魔を受ける事も無く、少年は笑い続けていた。

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