愛する人と共に立ち
カイムとニヴィーが異界より脱して、他の事などどうでも良いとばかりに宿へ一直線に歩みを進めている。
弱い魔物達は鎧と馬に連れられて避難を実行していた。この異界の外側すぐ近くに一時的な拠点を築き、そこを避難所として活用している様だ。
黒の魔王にはそれが分かる。そういった内容を言外の指示として含んでいたからだ。
その間にも猛悪なまでに強い魔力を叩きつけては青年を殺し、再び現れる青年にうんざりした気持ちにさせられる。
倒せる気など最初からしなかったとはいえ、黒の魔王もいい加減に痺れを切らしていた。
「新しい関係の始まりだよ。私なんかを滅ぼすよりも彼らを祝福して欲しいなぁ」
「そんなつもりは毛頭無いのだが?」
ふざけた態度を崩さない青年に、再び魔力が直撃する。破壊と創造を同時に操作する事であらゆる滅ばない物を滅ぶ物へ変えて、消えぬ物を消える物へと変えて、壊れぬ物を壊れた物へと変える。
創造の力は意味が分からないくらいにとてつもない勢いで彼の身体を別の物へと変えた。
「いったーい!」
しかし、青年が崩れ落ちるとまた新しい青年が現れる。とてつもない技巧を以て自らを構成する全てを潰されたというのに、全くの無事にしか見えない。
崩壊した方の遺体はもう居なくなっていて、この場には無事な姿を晒す青年だけが残る。
「さあ、次はどうする? どうやって私を滅ぼす? 殺してみる?」
挑発、いや、単純な興味だ。
次は何をするつもりなのか、どんな方法を以て攻撃を仕掛けてくるのか。それを喜んで観察し、面白がっている。
下手な挑発よりも余程嫌悪を呼ぶ態度だった。黒の魔王を含めた全員が強い敵意を抱き、そこから攻撃に移ろうと闘志を燃やしていた。
恐るべき魔力が燃焼し、蛇の様な形を取ってまた青年を喰い尽くす。一瞬で殺し、存在の全てを体内で取り込む技だ。が、やはり意味が無い。居なくなった青年は再び同じ場所に立ち、場違いなまでに楽しそうな顔を続けている。
最強ではないが、無敵。そんな絶望感が彼らの間を駆け抜ける。しかし、誰も戦闘を止めようとはしない。止められる段階はもう過ぎている。
「それにしても面白いよねー、嬉しい様な楽しい様な、やっぱり面白いや」
魔力が充満した空間の中で青年だけがケラケラと笑り踊り狂っている。まるで道化者だが、世界を笑う為に操る道化だ、生かしておくべきではない。
そう分かっていても実行できないから、その青年は厄介なのだ。
ただ、条理を覆し常識を破壊するのも魔王という存在である。故に黒の魔王は再び巨大な力を巧みに操り、どうにかして青年を滅ぼそうと考えた。
そんな時、小さな魔力がどこからか飛んでくる。馬を象ったそれは、空間上を駆ける様にして黒の魔王へと近づいていく。
どうやら、伝令の類の様だ。馬の形をした魔力は主である魔王の側に行くと、その耳元で何事かを囁く。
誰にも聞こえない程度の小さな声の筈だが、青年には聞こえているらしく、穏やかそうな声音で話しかけていた。
「避難、無事に終わったらしいね」
「その通りだとも」
頷きながらも黒の魔王は馬の魔力を軽く撫でて、労いの態度を見せる。すると、魔力は四散して元の場所へと戻っていく。異界の外側に有る避難所へ行ったのだろう。
それを見届けると、黒の魔王は再び青年を見た。そこに有るのは何かを決定した者の顔であり、感じられる力は更に大きくなる。
男も、ザックもホワルも動けない。青年はあえて動かない。
そんな中で、魔王は自らが魔王であるという事を証明した。
「つまり、もう加減をする必要は無い。という事なのだよ」
言葉が響く、その瞬間。
空が、黒く燃えた。
それ以外に何と表せば良いのだろうか。虹の混じる雲が有った場所が一気に燃え上がり、上空の全てが黒い炎に包まれていたのだ。
それは、虹の魔王が空を自分の色に染めた時と酷似した光景だった。
とてつもない魔力を制御して、方向性の強烈さを縦横無尽に操らねばこれほどの空を生み出す事はできないだろう。そうだ、この空は創造の方向性によって作り上げられた、破滅の黒なのである。
しかしながら、それは既に青年へ試した後だ。ここまで大規模ではないが、仕掛けた後に虹の魔王は蘇っていた。効果を発揮する筈も無い。
だからか、青年は黒の空を面白がりつつも、若干の落胆を隠さなかった。
「また同じのかい? 飽きないな……あ」
だが、違う。
それは先程の様な創造と破壊ではない。空の全てを埋める究極の創造、そしてこの世界に終わりを告げる鐘の音でもある破壊だ。
黒の魔王であっても、これほどの術を即座に行使するのは困難だろう。
そう、先程からずっと準備されていたのだ。使用しなかったのは、避難が完了していなかったからに他ならない。
それにしても空から感じ取れる終わりの鼓動は凄まじすぎた。明確な隙を男が晒しているというのに、ザックとホワルですら視線を上へ向けてしまい、動けなくなる程だった。
「あ、あはは。それはちょっと、やりすぎじゃないかな?」
空が燃え尽きれば、間違いなくこの異界の全てが破壊される。一体の魔王を滅ぼす為にそこまでするとは思わなかったらしく、虹の魔王が珍しく困った素振りを見せている。
確かにその一撃は紛れもない最強で、例えその存在を別次元に置く物であっても理を打ち砕いて破壊する事が可能だろう。少なくとも、虹の魔王くらいであれば滅ぼせるに違いない。
「まあ、君にとっては魔物も人間も関係無いしね。まあ大丈夫大丈夫、私が避けて全員死んでも、すぐに元通りにしてあげるからさ」
しかし、それは当たればの話だ。青年の顔には余裕がまだまだ存在していて、その気になれば簡単に逃げきれるという確信が有る。
確かに逃げられるのだ。この燃える黒の空はあくまで異界だけに発生した現象であって、その外には一切の影響が及ばない。流石の黒の魔王も同胞を掃滅してまで使いたくはない技なのか、しっかりとした範囲を限定し、規模を狭めた為に出力を更に強めた物となっていた。
つまり、この攻撃を回避したくば異界から脱出すれば良いだけなのである。黒の魔王もそこまで頭が回っているのかは怪しいが、少なくともこれが発動すれば世界が一つ消えるという事実だけは分かりやすい。
間違いなくザックとホワル、それに男は死ぬだろう。黒の魔王自身も無傷では済まない。だが、攻撃対象である青年だけは簡単に生存する。
リスクしかない賭けだが、それでも実行する辺りに黒の魔王が抱く強い怒りが有った、それほどまでに蘇生させられた事が恨めしいのだろう。
「あっはー、でもでも。当たらないからなぁ」
分かっていても、青年は笑う。それ以外には何も感じず、身体だけが撤退の準備を行っている。
誰も止められない。実体の無い魔王を掴める者など誰もいない。
「さてさて、それでも危険が過ぎるし私も……」
――お願い、私の大切な国民を……楽しく幸せに暮らせる様にして。
しかし、青年の足は思い出した様に止まった。
ザックとホワル、その姿が青年の、エィストの視線に捉えられる。彼らは間違いなく白の魔王の統治していた国に住んでいた、紛れもない国民だ。愛され続けていた彼女をその中でも強く愛していた国民達の二人なのだ。
そして、今、この二人は命の危機に陥っている。空を唖然としたまま見守る目には悪意も憎悪も無く、ただ身体の方へ意識を回せない二人の魔物が転がっているだけだ。
彼女の最後の頼みを曲解して叶えたエィストだったが、見捨てる事は出来ない。それだけは許されないだろう、何せこの存在が此処に居るのは楽しい事をする為である。
白の魔王の頼みを聞いた以上、ザックとホワルは彼に楽しまれる……言い換えれば、守られる立場なのだ。
「あーあ。もう、しょうっ……がないなぁ!」
悪態一つ。ただそれだけで自分を放棄する事を決定して、虹の魔王が終わっていく世界の間に自分を割り込ませる。
黒の魔王という存在が放つ巨大すぎる力によって、エィストという盾は一瞬で破壊された。概念的な部分にまでその被害は到達して、まるで溶けていく氷の様に青年という形が崩れていく。
所詮は魔王という世界の常識に縛られた物だ。その中で最も強く最も怪物である黒の全てを受けてしまえば、完全に死んでもおかしくはない。
しかし、エィストは恐れず楽しんでいる。虹の魔王が終わった所でエィストは終わらず、何も変わらず存在を続けられるのだ。
視線は、何時の間にか居なくなっていたカイムとニヴィーの居た場所へ行く。
黒の魔王が発生させた終わりの影響を二人は微塵も受けなかった様だ。カイムはともかくニヴィーの事は少しだけ心配していた為に、エィストは内心で安堵らしき物を吐く。
「さて、カイム君は上手くやるかねぇ?」
それが虹の魔王が放つ、最後の一言となった。
この異界を全て破壊する、創造された空。あえてその一撃という一撃を全て受け、虹の魔王の端末、そして虹の魔王は今度こそ消し飛んだ。
そこから生まれたのは光の粒子であり、滅び行く虹だ。
そんな終わりを何処かから、虹の瞳が見つめていた。
+
美しいとも、醜いとも言える崩壊。それを背景にしながら、四人は総じて睨み合っていた。
虹の魔王が消えた事で誰もが自分を取り戻し、動きを再会させたのだ。
守られたとは知らずにザックとホワルは変わらず男に殺気と憎悪を叩きつけては隙を見つけようとして、男はそんな二人を正面から捻り潰そうと風を纏っている。
「やっと虹が消えたからな、お前等みたいな臆病な雑魚には怖かったろ? ほらほら、殺してやるからかかって来いよ。それとも二人揃って間抜けなのか?」
「挑発に乗る気は無い……お前を殺す為だ、我慢くらい幾らでもしてやる」
「そうだ……そうだ! 私は、お前を殺す為にこの命を使う。あの人が望むまいが知った事か、俺が納得して、お前を殺す事を……楽しんでやる」
ホワルとザックの顔は既に虹の魔王を忘れている様だった。それほどまでに怒りは深く憎悪は強いのだ。少なくとも、誰も止められないくらいには。
おぞましき黒の魔王が持つ絶望的でどんな暗黒よりも深く恐るべき魔力に感情が破壊され、恐怖が創造されている。上空を埋めた黒色は既に青空になっていた。
もう、周囲に森は存在しない。虹の魔王は確かにこの場の二人と、ついでに他の二人も守りきったが、それ以外に回す余裕は無かった様だ。
森は完全に消し飛び、城が有った場所にも何もない。復讐で目の色を変えているからこそ復讐鬼達は気にしていない様だが、周辺は衝撃的なまでに空虚な場所となり果てている。
ここまで滅ぶとは、黒の魔王自身以外には予想出来なかっただろう。この異界を構成していた物の大半が破壊されて消え、後には砂とも土とも思えない謎の大地だけが残されていた。
この中で内心の驚愕が一番に大きいのは、恐らく魔物処刑人の男だろう。かなり多くの傷を負っている様だったが、その瞳は爛々と燃えていた。
「気を取り直して、虐殺に行くぜ。虹の魔王が居ない今が機会だ。殺し尽くしてやる。一つ残らず滅ぼしてやる。特にお前だよ、黒の魔王」
瞳が捉えているのは復讐鬼達ではなく、黒の魔王だ。
魔王殺し。それは男が最も快楽を得られる行為なのだろう、口からは無惨なくらい涎が流れ落ちて、どんなけだものより欲望に満ちた悪魔に見える。
「魔王を殺すっていうのはな、人間にとっては最高の栄誉で、最高の喜びなんだ。あの白の魔王を殺した時も、ああ、それはそれは良い気分だったぜ。ま、最期まで笑顔を崩せなかったのが残念だけどな」
わざとらしく、白の魔王を殺したという事を口にする男。
それを聞いた復讐鬼達の身から狂おしき殺気が更に強く強く放出される。殺す、殺す殺す殺す。それしか考えていないのか、体中が不気味に血を流していた。
彼らは一斉に動き、男をただ殺す為だけに動く。
「待て」
しかし、復讐鬼達は全身を強制的に止められてしまった。
それを誰が行ったのか。言うまでもなく、黒の魔王だ。彼は自分の魔力を操作する事で『支配』の真似事を行い、彼らの動きを止めたのである。
「私にも復讐をさせろ」
彼らよりも一歩前に出て、黒の魔王は僅かに男を睨む。
それだけで心臓が止まりそうなくらいの恐怖を覚えさせて、男は冷や汗を浮かべた。逃げないのは、悦楽の為と、恐怖を受け止める為だろう。
「生き返ったお陰で気が立っている。加えて……白の魔王は、友人だ。勿論君達の復讐の邪魔はしないがね」
黒の魔王は支配を解き、半ば悪鬼と化した二人の魔物に声をかける。
絶望的だ。黒の魔王一人だけでも相手に出来れば素晴らしい成果と呼べるだろうに、そこへ復讐鬼が二つ加わる。誰がどう考えても死ぬ以外の道が思い浮かばない事だろう。
逃げ場も無い。地形を利用して戦う事も出来ない。魔力はかなり消費した。助けは無い。
……死ぬ以外に無い。
しかし男は笑う。幸せなのだ、魔物を殺す事が出来るという状況が、幸せ過ぎて恐怖など抱けないのだ。
「く、ははっ! 来いよ、所詮お前等はカスだ! 誰であろうと、ぶち殺す!」
モーニングスターは無い。男は拳一つで彼らを討ち滅ぼす決意を固め、生涯の全てをこの戦いに込める勢いで魔力を、自らの全てを使う様だ。
「潰す! あの人の分だけ、やってやる!」
「私の忍耐の全て、今使ってやるぞ……!」
復讐鬼達は、その目的を果たせる事に幸せを感じている様だ。口元の笑みは異常なまでつり上がっていて、恐怖しか感じさせない。
しかし、彼らは何も気にせず復讐の為だけに、殺す為だけに戦いを続行する。
「……ストレス発散とでも言うべきか」
黒の魔王だけは少し退屈そうだったが、それでも溜飲は下げたらしく、僅かながら幸せが感じ取れた。
誰もが、幸せそうに笑っていた。
そして戦いが始まる。恐らくは誰もが考えた通りの結末となるだろう。しかし、そこにある幸せは狂気の産物であり、直視に耐えない。
そんなおぞましい幸福を喜んで眺める、瞳が一つ有る事に、誰も気づいてはいなかった。
+
暗黒の果てより現れし黒き大地の上には、海よりも深く山よりも高い力強さと爆発的な輝きが有った。
それらは混沌としながらも土と風の間を駆け巡り、その場の印象を更に不可思議な物としている。人々の目は、まるでこの場が世界の果てであるかの様な錯覚を抱かせるだろう。
――いや、その印象は案外間違ってはいない。確かにその場はある意味で世界の果てであり、誰もが生きられぬ永久の空間なのだ。
誰も存在する事を許されない場所。そこに二つの人影が有るという、矛盾が存在した。
「おい、エィスト」
その片割れであるカイムは、もう片方の人影である青年に向かって話しかけていた。
「んー?」
返事をする青年の髪は虹色で、とてつもない幸せと楽しさを表す最高級の笑顔を浮かべている。それこそ人間として考えるのも困難な程に恐るべき精神性が見て取れる為に、彼が生命体からは外れた存在であるという事は誰の目にも明らかだ。
怪物的な怪物。いや、その青年は確かに異界の地において滅ぼされた筈だった。しかしながら、彼は確かにこの異常極まる大地の上を歩み、微笑んでいる。
歩幅の殆ど同じ二人だが、表情は少々異なる。カイムのそれは敵意ではないが、あまり良い感情は見られない。当然だろう、彼は唐突にこの場へ連れてこられたのだから。
「俺の記憶によれば、俺は宿の部屋に入ったつもりだったんだが?」
「おや、人聞きの悪い。まるで私が犯人みたいじゃないか。君は自分があらゆる影響から逃げられる事を知っているだろう?」
「分かってる。大方、宿の部屋をお前の作った場所に改造したんだろうが……」
少しだけ、カイムの視線が青年の奥底に有る『何か』へ触れて、すぐに外れる。
ここに居る『エィスト』は、この世界に居る『虹の魔王』ではない。カイムと百回目の戦いを繰り広げた、『有なるもの』だ。その規模は更に膨大で、一つの形に力を凝縮させられるのが不思議なくらいだ。
「厳密にはその端末なんだけどね。『有よりのもの』、って感じかな?」
「光線銃でも持ってるのか、お前は」
「うん。これ」
見せびらかす様に銃の形をした何かを取り出し、それをクルクルと振り回す。
実に器用だ。それを軽く放り投げては指一本で絡め取り、ついでとばかりに光線をカイムへ撃つ。しかし、『無』の暗黒に光は軽く飲み込まれ、後には何も残らない。
「どうでもいい。それよりこれはどういう事だ」
「ああ、これ? 二人きりの時間を過ごして貰おうかと」
光線を無視したカイムが尋ねると、エィストは軽い悪戯っぽさで舌を出して答えた。
それは嫌味や悪意の無い、純粋な好意から来る行動に見えるだろう。実際の所、本当に敵意は無い様に思われる。
むしろこの青年が誰かに敵意を抱く姿こそ珍しい、それこそあり得ないくらい珍しい物なのだが、不思議と今はそれが強調されている様に見える。
その態度から何を言わんとするかを理解したカイムだったが、彼はあえて軽口を叩いた。
「お前と二人きりなど御免だ。百一回目はまだやりたくない。勝算が無いからな」
「いいや、私とじゃない。彼女、ニヴィーちゃんと二人きりさ」
カイムの予想通りの内容を口にしながらも、エィストが見せる笑顔の中には更なる享楽が浮かび上がっていく。
唐突に両手を取って握手をしようと動いた青年を、カイムは拒絶しない。
「君を送り込んで正解だった。言う事はもう決めているんだよね?」
「……ああ」
僅かな迷いも無かったが、ほんの少しだけの照れから彼は声を微かに小さくする。
それをニヤニヤと聞いている青年を軽く小突き、言葉を続ける。
「恋心ではないと思った、共感だと思った。だが、あの記憶を見ていて、俺は……どうしても、奴の事が好きになった」
心からの言葉である。
とてつもない存在の流入出と相手の存在や生き方を知る事。そして、同じ性質の相手である事。あらゆる全てがカイムとニヴィーの間には存在していた。
少なくとも、カイムは彼女の事を好いている。百度も自分に挑む『若者』に何を思ったのか、エィストは感慨深げな顔をしていた。
「一意ばかり見ている君でも、人を愛するんだね」
「よく言う。奴と俺が惹かれる様にし向けたのはお前だろう」
「……まあ、結局君の意志は変わらないみたいだけど」
青年が表したのは少し呆れた顔色だったが、それはとても穏やかな物だ。
愛する人と、力。
どちらを取るかと聞かれれば、彼は平気な顔で答えるだろう。
『力に決まっているだろう、馬鹿かお前は』と。
――後に『両方得られて当然だ、強さとはそういう物だ』へ変わる事を彼は知っているのだが、生憎とエィストはそれを意識しなかっただろう。一応の思考を人間ベースに頼るこの端末は、現在の未知と確定した未来と過去を同時に楽しみ続けるのだから。
「同類項、か」
「お前には分からないだろうな」
「いいや、分かるよ。享楽主義者なんてこの世に幾らでも居る」
エィストのそれは、「気持ちは分からないでもない」と言いたげな姿だ。しかし、その顔を誰が額面だけ受け取るだろう。この恐るべき享楽主義者が他者に共感し、惹かれるなどそうは無い。
どれほどの感情が有るのかも分からぬ怪物だ。しかし、今の青年は少なくともカイムとニヴィーの間を応援する立場に有る様だった。
「そういう訳だから、行ってきなよ」
背中を押す言葉をかけている。
そんな物を受けずともカイムは前に進む事が出来る。これまでも、これからも変わらない。力の為に戦い続けていくだろう。
しかし、彼は自分に向けられた応援とも感じ取れる言葉を聞いて、少しだけ足を止めた。
「一つ、言ってやる」
その続きを口にするのは不本意ではあるのか、彼は僅かに口を閉ざす。が、期待に満ち溢れて瞳を輝かせる青年の姿に溜息を一つ吐きつつも、その口元に笑みを浮かべて見せた。
「俺は百回負けたが、どれも俺にとって……少なくとも、楽しくない訳じゃなかった。俺はまだ、先に行けるんだからな」
「……えっと」
「まあ、その、ありがとうな。今まで俺に付き合ってくれて、それで、これからも、頼む」
とても言い難そうにしながらも出てきた、感謝。
それを耳にしたエィストの反応は劇的な物である。顔は即座に喜びが浮かび、身体は素早くカイムへ飛び込んでいったのだ。
「か、カイムくんっ……!」
「とでも言うと思ったかこの野郎!」
接近していたエィストの頭に上方から思い切り拳を落とし、地面に叩きつける。土には『無』による巨大な消滅現象が起きて、青年の頭の半分が溶ける様にして消え去った。
「お前が嫌だって言おうが、勝手に何度でも挑んでやる、覚悟しろよ。一億回までには勝つ!」
そう言い放ち、カイムは少し足を早めて去っていく。
これが彼らなりの関係を表す方法なのだ。元々友人などではなく、ただ挑み挑まれるだけの間柄。しかし、それも百度続けば確かな絆となるのだろう。
起きあがる青年の顔は既に修復されていて、そこにはとても暖かな微笑みが確かに存在した。
「楽しんでね」
心よりの祝福を、青年は口にする。
「出会いも、別れも、希望も、絶望も、幸福も、刺激も、退屈も、不幸も、苦しい事も悲しい事も愛おしい事も面白い事も詰まらない事も、そして勝利と敗北も、何もかも全部、全部全部っっ……素晴らしいくらいに全力で楽しんで!」
一息でそこまで言い切ると、深めに息を吸う。
呼吸など必要無いが、これもまた端末の姿に適合する行為だった。
「それだからこそ、私は笑えるんだから!」
背中越しに、カイムが軽く手を振る。
任せておけ、そう言いたげな強い気持ちが籠められていた。
その背中はエィストですら止められない。いや、今の彼は誰も止めないだろう。とてもではないが、誰かの邪魔などする気分にはなれまい。
「……いってらっしゃい、カイム・アールハンドゥーロ……大好きだよ、楽しい楽しい、化け物みたいな人間さん」
誰よりも邪悪で誰よりも不気味で誰よりも享楽的な虹色の怪物。しかしながら、彼は他者の偽りなど何一つ無い好意には弱い。誰に対しても楽しさで接するからこそ、そうなるのだ。
だからか、その瞳に嬉し涙が浮かんでいる事を本人だけが気づいていた。
そして、カイム・アールハンドゥーロは進む。
大切な物を見つけた、弾んだ足取りで。




