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虹の暴力と暴力的友愛

「……戦闘だな。既に始まっている様だ」


 圧倒的な戦いの気配、そして死の絶叫。それらを完全に見て取り、腐乱した馬の魔物は森の一部分へと目を向けていた。

 隣に立つ中身の無い鎧の魔物もその状況を読み取ったらしく、同じ場所へと意識が行っている。少し焦りが見えるのは、同胞達への強い愛が故なのだろう。


「分かるか?」

「勿論だ」

「森の方か、厄介な……止める手だては?」

「無い。あの馬鹿を潰す以外にはな」


 顔の代わりに心を歪めながら、二つの魔物はじっと戦場となった森を見つめている。

 彼らが居るのは、半壊した城の頂上だ。『黒の魔王』が消された場所でも有るそこは酷く損傷が目立っているにせよ、足場自体は安定している。

 そう、彼らが降り立った場所こそ、この城だったのだ。


「奴等……一体何のつもりだ」

「何も考えていないのだろうなあ。あの塵め、頭も無いのか」


 魔物として人間と戦う事を支持しつつも、鎧は声で嫌悪を表現する。己が時期尚早だという判断をしただけに、彼らの勝手な先行に怒りを覚えているのだろう。

 そのままでは、飛び出してしまいそうだ。そう判断した馬の魔物が声をかける。


「落ち着け。今怒っても意味は無いぞ。私達に出来る事を考えるんだ」

「……分かっている、分かっているとも」


 比較的冷静な言葉で理性を取り戻し、それでも鎧の魔物は横に有った壁を殴る。それは大きな音を立てて崩れたが、気にも留めていない。


「まず、私達で止められる物ではない。というか、あそこの戦闘の気配を見るに、今行くのは危険過ぎる。あのカスを叩き潰すにしても、な」


 馬の魔物は冷徹に勝率を計算し、それがかなり低い事を理解していた。

 普通にザックウォーエ単体を倒すなら楽だが、その周囲には他の魔物達が存在するのだ。戦闘中とはいえ、流石に面倒な相手である。


「我々では厳しいか。では……ニームットはどうだ?」

「ヴェンヴィーは、ああ、反対側か」


 二つの魔物は同時に同じ場所へ視線を移す。

 そこには、一切隠れていないニヴィーの気配が存在した。

 まるで自分を隠すつもりなど無いらしく、それは強く感じられる。力強さと圧倒的な恐ろしさが混ぜ込まれて、臨戦態勢であると現している。

 巨大過ぎる力の塊、そんな雰囲気だ。接近してしまえば、身動き一つ取る事が出来なくなるだろう。


「あいつはあいつで、何をするつもりだ」

「さあ、あまり良い事じゃないと思うが」


 困った風ではある物の、彼らではどうせニヴィーを止める事は出来ない。一種の諦観を抱いている。

 ともあれ、そこから感じられる気配は大きく蠢いている。だが、その中にもう一つの存在が有る事には気づけなかった。ニヴィーとは違い、カイムは自然と隠蔽を行っていたのである。


「おい、あいつが『何か』をやったとして、此処はどうなる?」

「大丈夫だ、この世界を維持するくらいなら問題無いさ。だが、問題は……魔力だな」


 声だけで溜息を放ち、馬の魔物が困り果てている。

 この異界を修復するにせよ、維持するにせよ、巨大な魔力が必要である。それはもう、完全に稼働させるには『黒の魔王』くらいの物が無ければ無理だ。

 二つの魔物の魔力を全て使っても足下にも及ばない。此処に住む魔物が全て協力すれば必要最低限の量は確保出来る物の、現実的ではない選択肢だ。


「どこから準備する? 余所から奪ってくる、という手も有るが」

「間に合わないな」

「しかし、間に合わせるしか無いのではないか。魔力の頼りといえばニームットはあの調子で、他はあの畜生が支配しているんだぞ」

「待て、ヴェンヴィーの魔力はそれほど強いか?」

「忘れたのか、あの山で感じた気配を」

「……まあ、忘れてはいないが。それはともかくだ、大事なのはそこではないだろう」


 魔物達は口々にこの世界を維持する方法について考え出した。ザックからの支配が解かれない限り、同胞達は戦いを続ける、その確信が魔物達を思考の海へと落としていた。

 そこで、ニヴィーが居る方向に凄まじい力が爆発し、城を揺らす。


「ぐっ……ニームットか!?」

「あいつめ、一体、何をするつもりだ!」


 悪態を吐きながらも、魔物達は即座に姿勢制御を行って動きを正す。

 電撃の様に伝わる戦いの気配が、ニヴィーの方向からも発生していた。


+


 時間を少し戻し、二つの魔物の意識がザックへと向かっていた頃。

 カイムに向かって、ニヴィーが頼み事を口にしていた。


「その、何だ」


 口振りが妙にそわそわとしている。普段とは調子が違い、遠慮が感じ取れた。弱味ではない、単に告げる言葉の内容を迷っているのだろう。

 何度か口を開いては閉じていて、とても弱い声を何度か放っている。それをよく聞けば、「私と」「一緒」などの単語がきこえてくる。


「言いたい事があるなら、言ってくれ」


 苛立った訳でもなく、カイムはただ言葉を促す。珍しく気遣いが見て取れるのは、この女に対する共感がそうさせているからだろうか。

 そんな気持ちを受けて、彼女は小さく息を吐いた。そして身体を一歩か二歩分だけ彼の側へ近づけ、その両肩に手を置く。

 彼女は、まだ何も言わない。慎重、いや、カイムくらいの人物であれば分かる程度だが、興奮を覚えている様子なのだ。

 二人の背丈は同じくらい、若干カイムが大きいが同じくらいだ。唇を重ねるのも、工夫は要らない。そのまま顔を近づけるだけである。


「……私と」

「私と、何だ? ……いや、何を言うのかくらい、俺が分からないと思ったか?」


 軽く、そう、ニヴィーの目がそれまでよりも僅かに開く。見抜かれている事を理解して、その顔が僅かに下を向いた。

 もしも二人が別の感性を持っていれたなら、これはもっと別な意味を持つ光景となっただろう。僅かとはいえ紅潮した頬が目立ち、何度も何度も迷っているのだ。


 告白。愛情。そう呼ぶ方が正しい。


 そんな状況を予想する方が遙かに健全であろう。

 しかし、この二人が思うのはそんな、甘い言葉などではなく。



「私と、戦ってはくれないだろうか」



 殺し合いへの、誘いである。


「何となく。何となくなんだが……分かった気がするんだ。私の魔力、その方向性が……そして、それはきっと、お前との戦いで確信出来る、そう思う。少なくとも私はそれを確信しているんだ。きっと、それが正しい、と」


 きっかけとなる一言を口にした後、ニヴィーは自分を止める物を失ったかの様に饒舌な話し方をしていた。いや、実際、『誘い』を口にする内容を何度も考えていたのだろう。どうやってカイムと戦うか、その一点ばかり考えて。

 その結果、最後に選んだのが『素直に誘う』という物だった。そして、それは正解なのだ。

 どう見てもカイムは乗り気で、とてつもない威圧感を放っていたのだから。


「その為の、異界か?」

「そうだ。きっと、私とお前が戦えば……色々な物を破壊しかねない」

「その点、この世界は魔力で構築されているから多少吹き飛んだとしても修復が可能で、必要な分はお前さんの魔力を使えば良い、か……く、くくっ」


 思わず笑いを堪えきれず、カイムは腹を抱えて笑い声を吐き出した。

 魔物達が首を傾げた、彼女の普段とは違う様子と行動。それらは全て自己への探求をより楽に、より邪魔が入らない方向へと動かす為だ。

 口では『破壊を避ける為』と言うも、カイムにはその真意が見えている。単純に、邪魔者が入らず思う存分暴れられる方が良いという判断だったのだ。


「随分と、まあ……ひ、くくっ、お前を友人として見ていた魔物達は、お前が此処を破壊するとは思っていなかったらしいが?」

「それに関しては色々と企んでいた事は有る。万が一が無い様にはしていた。が、そう問われれば、こう答えるまでだ」


 カイムのそれは冗談らしい口調であって、責めてはいない。むしろ賞賛に近いだろう。

 そこへ前置きを行いつつも、ニヴィーは堂々と口にした。


「だから、どうした」


 強く強く、純粋な意志の力を感じさせる一言が、カイムとその森に発せられ、爆発する。

 他の生命体に影響を与える物では無いが、その力の規模はとてつもない。その気になれば異界を消滅させられそうだ。

 何一つ心配する様子は無く、彼女はただカイムだけを見つめている。

 迷わない、この為だけに、此処で彼と戦う為だけに、彼女は此処へ来た。


「あぁ……」


 その時、カイムの胸に『共感』とは異なる感情が宿った。強さへの挑戦、自己探求に全てを置く意志の凶悪な強さ、それに……『もう一つ』。

 それらが総合して生み出していた『共感』が、彼女の言葉によって揺れている。別な感情を生み出している。


「……ああ」


 巨大とも小さいとも言える感情、それに向かってカイムは内心で処理を行う。

 心の揺れは僅かなりとも相手との戦いに有利不利を付ける要素だ。エィストとの戦いが真剣である様に、これもまた、二人にとっては……


「……良いぜ。だが、魔物はどうする?」

「彼らが居る。私が欠けたくらいでは変わらないだろう」

「ああ、あれな」


 カイムは頷き、視線も意識も動かさずに戦いの状況を感じ取る。

 魔物達に対してホワルと男が抗戦を続けていた。半ば殺傷装置と化した男が嵐と間違うくらいに魔物を苦悶の内に殺し、堅実な戦い方でホワルは生き残っていた。

 恐らくは、これもカイムとの戦いの成果だ。少年は生き残る方向へ意識を向ける余裕を得ているのである。


「……」


 戦いの気配には彼女もまた間違いなく気づいている。が、何もしない辺り、基本的にはどうでも良いのだろう。それとも、それほどにカイムとの戦いが楽しみで仕方ないのだろうか。

 そうであるならば、気持ちはカイムと同じだった。高揚感すらも制御したとして、それが楽しくない筈がない。


「気持ちは分からなくない。お前と戦えるなら、最高だな」


 先程意志を貫いた感情など塵程にも出さず、彼が堂々と答えてみせる。その絶望的な力の放出は圧倒的かつ見事である。

 それに対して帰ってきたのは、きっと彼女が今までの生涯で一度も見せた事が無いであろう、満面の、全開で、最も幸せそうな笑顔だった。


「……嬉しいな。ありがとう」

「っ、何だ。とりあえず。そうだ」


 笑みに反応しながらも、カイムは少し距離を取った。

 超近距離でも戦闘は可能だが、そこは礼儀として決闘の様な形にしていた。


「そうだな」


 そして、彼の力が更に、更に巨大な物となる。しかし、ニヴィーは気づいているだろう。それは見せびらかす様に放出されていて、他の者には読み取れない様になっていた。恐らくは、横槍の可能性を少しでも減少させる為だ。

 膨大な時間を自己の強化にのみ注ぎ込んだからこその、この凄まじい力の制御。それすらも見せつけている。

 自慢、誇り、あるいは異性へのアピール、その様な言葉で表しても結構だ。だが、今のカイムには自分自身が自分自身へ下す評価すら気にしなかった。

 どうでも良い。エィストとの戦いでも彼は同じ感覚を抱いていたが、今の方がずっと健全で、血反吐が出る程の絶望的で強固な意志ではない。

 二人は同時に構える。と言っても、ただ直立しているだえに見えるだろう。それで良いのだ、二人はそれが最も良い形だと確信しているのだから。

 ああ、こんなにも幸せそうな二人が居るだろうか。他の誰よりも強い絆――命と魂と存在と力で結ばれた二つの個体が互いを求める事で生まれる強烈な感情は、どれほどの情であっても乗り越えられぬ。

 やがて、どちらもお互いの瞳を見つめた。戦う準備が出来たからこそ、二人はそれだけの世界へと没頭し、没頭し続けて、森の中の全てが止まり。




「死ぬなよっ!」




 そこへ、落ちる一陣の風が一つ。

 いや、それを風などと呼んではいけない。もはや早さや重さという概念も飛び越えて、直撃が確定した攻撃を移動する物として表現するなどあり得ない。

 それは最初から当たると決まっている。物理も距離も早さも何もかも何もかも! そうだ、あらゆる防御も攻撃もカイムには本来『影響が無い』のだ。だからこそ、一撃で終わる拳は戦いの始まりと終わりとして機能する!


「分かっている、死なない」


 しかし、届いたとしても効果は無かった。

 必中にして必殺の一撃は確かにニヴィーの腹部を貫き、その身体を大きく浮かせた。あらゆる防御を越えて最大の衝撃を与え、どんな人間であっても即死する。避けられないだろう。

 それでもニヴィーは平気な顔で生きていた。絶対的である筈の一撃を、絶対的ではなくしていた。


「この程度、とは言えないが……ダメージは、無い」

「へぇ……いや、割と本気立ったんだがな、今のは」


 痛み一つ抱いていない様子に、カイムは本気で関心を覚えていた。彼としても、先程のはそれなりの一撃だったのだ。あらゆる概念を放り出して望む結果だけが残る筈だったというのに、現実にそれは成されていない。

 原因がカイムではなく、ニヴィーに有る事は明らかである。だが、彼女自身もその理由を計りかねているのか、笑いながらも自身を覗き込んでいる。


「まだ、分からない。自分の魔力の方向性、それが今、何かに対して動いたのが分かった。けれど私には知覚出来なかったよ」

「そいつで、俺の一撃を無効にしたのか」

「あぁ、これの正体が見えれば、もっと……もっと深く戦える! そう思わないか!」


 冷徹な自分という物を、彼女は既にかなぐり捨てていた。

 その顔に浮かぶのは冷静さではなく狂喜に近い歪みだ。それが笑みに見えていて、印象は全く異なるとは言え、とてつもなく明るく魅力的な表情に思える。少なくとも、カイムはそう受け取っている。

 戦闘は始まっているが、どちらも笑い声をあげていた。大きな声で、とてもとても幸せそうに。


「あ、はは、ははっ! 初めてなんだ。こんなにも、こんなにも誰かと戦うのが、殺し合うのが楽しいなんて!」

「くは、ははっ。俺は初めてじゃないがな、お前は素敵だ、大好きだ。さあ、続けようじゃないか、もっと高い所へ飛ぼうじゃないか!」


 掛け声も何も無く、二人の力は交差する。巨大な魔力がニヴィーの全身から放たれて、何故か出血も起きずにカイムを襲っていた。

 無論、その程度でカイムに届く筈もないのだが、彼は今、真剣とはいえ幸せな気持ちでこの場に居る。そこへニヴィーは拳と身体を移動させていて、速度という概念が壊れる程に素早く叩き込んだ。

 お返しとばかりに腹部へ来る巨大な一撃。カイムのそれとは違い様々な力を利用した破壊だ。幸いこの異界は頑丈に出来ているが、此処ではない場所で行えば、限界突破的な力によってきっと何か大きな被害が出ていただろう。

 その気になれば、それもまたカイムは受けずに済む。彼の中に有る、いや無い『無』という概念は、そんな生やさしい物ではない。

 だが、それを彼はあえて受けた。勿論防御という形ではなく、その一撃をすり抜けてニヴィーへ拳を奮ったのだ。

 結果、互いの顔に互いの拳が直撃する。しかし、どちらも表情一つ変えない。とてつもなく絶頂的な幸せで理性も痛みも苦しみも吹き飛び、ただその戦いに全てを集中させる。

 最早、二人に他の事を考える気持ちなど無かった。相手の事しか考えられず、相手の存在しか感じられず、見える物は自分の力と相手の力だけだ。


「幸せだ。私はこんなに幸せで良いんだろうかっ!!」

「良いんだよ、俺はずっとこんな幸せの中で、戦って来たんだからなぁ!」


 極限まで到達した、『共感』と『もう一つ』。

 それは二人を飲み込み、その世界を埋め尽くしていく。誰にもそれは知覚出来ず、知覚したとしても分かるまい、此処は彼女等の戦場と化したのだ。この二人という、狂気の意志によって。


 狂笑と意志の輝きと、おぞましく感じられる程の戦いの気配。それらは、より一層二人の心を燃やしていった。


+


 とてつもない戦いの気配、しかし、それは相応以上の能力が無ければ知覚できない程に巨大であり、魔物達ですら感覚の上に捉える事は無い。

 スケールが大きすぎて、その存在に気づけないのだ。


「始まった、か」


 しかし、完全に状況を把握している者が一人、いや一つ居る。

 それはツーラストの町中を歩きながら、鼻歌一つ奏でて上機嫌に笑っていた。妙に調子の良さそうな態度は異様だが、誰も気にしていない。それもまた、カイム達の戦いと同じだ。

 ステップを踏みつつ歩むのは、血だらけの体中に包帯を巻いた小さな少女、いや、次の瞬間には人の良さそうな中年の女へと、そしてすぐに強欲そうな商人へと変幻する。

 自在に姿を変えているが、その行為に意味は無い。誰も存在を知らないのだから、見かけを変える必要はまるで無い。

 ともあれ、商人の姿をした『何か』が町を行く。目的地などないのか、足取りは自由に気ままで軽やかだ。

 視線の動きを見れば分かるだろう。視界で捉えている物は、町民達の動きだ。

 老若男女様々な人間が、魔物の襲撃など全く知らずに人生を謳歌している。それはそれは幸せな笑顔に溢れた町だ、辺境とはいえ冒険者の通りが多く、経済も十分に循環している。治安も良く、平和で穏やかだ。

 それでいて、退屈そうな顔をしている人間は一人も居ない。暗い顔など見る事が出来ない。誰もが楽しんで暮らしている。

 ただ、その町がこれほどまでに幸せなのは原因が有る。それは経済や平和などの間接的な要因などではなく、『幸せであれ、人生を楽しめ』という法則によって生み出された『強制』だった。

 誰にも気づかれず、気づかせず、何処の誰がそんな恐ろしくも理想郷的な行いに走ったのか。


 決まっている。その町を見回す、一人の商人、もっと大きく言うならば……『虹の魔王』……更に巨大に表すのであれば、『エィスト』である。


 では、何故そんな事をするのか。答えは、楽しさという感情だ。他人を弄ぶ事も、弄ばれる事も、愛される事も嫌悪される事も、見下す事も見下される事も楽しむ存在だからこそだった。

 つまり、『より深く大きく面白く楽しむ為』である。誰かを幸せにするのも、救済するのも、楽しいから行うのだ。勿論、その逆も。


「さぁて」


 商人の足が急に止まる。

 その時、周囲には町が存在しなかった。ツーラストという地から外れ、存在だけが何もない『何か』の中に佇んでいる。

 絶対的に何も出来ない筈の場所だ。永遠の命を持っていても、何もない場所で命以外を殺されるだろう。それすらも、コレにとっては楽しむ対象だ。

 商人の姿が、『虹色の髪をした青年』へと変化する。少なくとも人間に対して意志疎通を行う時には、この外見こそが最も慣れた姿だ。

 その気になれば何でも出来る為、こんな面倒な手順を踏まなくとも全てに対して話しかける必要も無い。が、それはそれだ。享楽主義を掲げる楽しさだけで自己を固めたエィストにとっては、あらゆる事が楽しいのである。例えそれが、一切の『無』だったとしても。


「ふふっ」


 華麗に、時折調子を崩したステップを踏みつつ、青年が踊る。たった一人でそんな事をしていても、誰にも理解されなくとも、寂しくはない。承認欲求、そういう物も無論存在するが、『楽しい』の為という歪んだ物だ。生命体の様に精神や感情、思考という物を発展させたが為に得た欲とは違い、それが持つのはあくまで『楽しい』の道具でしかない。

 だからこそ、彼、あるいは彼女でも『これ』でも『それ』でも良い、はこんなにも好き勝手に動いている。自分が自由に在る事で誰がどうなろうとも、楽しい。ただし、『もっと楽しい』方向に導こうとはしているのだ。


「カイム君を此処へ飛ばしたのは正解だったね。ニヴィーちゃんも幸せそうだし、ああいう人が幸せそうなのは、私も幸せな気分になって楽しいし、えへへへへ」


 独り言が酷く響き、壊れた機械が如く勝手に笑い出す。不気味である、この上もなく幸せそうな楽しそうな声音で、青年としてのエィストは透き通る様な良い声をしているというのに、その事実が余計におぞましい存在感を与えるのだ。

 虹色の髪が喜びを表してふわふわと蠢く。無意味に光るそれは満天の星空よりも綺麗で、どんな汚物よりも醜悪だ。髪の質感は流れる様だというのに、何故だか滑りが有ると思わせていて、これもまた不気味である。

 紛れもない、化け物だ。そういう評価を下す物が居れば、間違っている。最早化け物という次元を超越し、人語では詳細な部分を語る事が出来ない『何か』なのだ。これほどまでに狂気の存在が人の間を生きているのは恐怖の対象となるだろうが、誰もそれを知覚していないのだから、問題とはならない。


「さあさあ、そろそろ……」


 何やらステップが唐突に止まり、髪の色が虹からもっと深い虹色に変わる。色の数はあらゆる生命体の目では捉えきれない程で、正確な所を把握しているのは当人だけだ。

 その邪悪かつ混沌とした笑みから暗黒的な企みが有る事が窺え、人々を慄然させるだろう。今の所は、誰の視界に捉えられていなくとも。




「台無しにしようかな」




 ポツリ、そんな表現が似合う程度の小さな声で、エィストが呟く。

 その言葉は反吐が出るくらいに残酷で、とても強く轟いた。誰の耳にも捉えられなくとも、それは、関係無く……



 空が、再び虹色に染まる。















+











「……何だろうな、世界がどんどん損害を受けている気がするぞ」


 妙な予感に、中身の無い鎧の魔物が嫌そうな調子で呟いていた。

 その勘は、『二つの意味で』当たりである。異界の端で起きたニヴィーとカイムの衝突は真っ当な存在には知覚不能な世界であるが、何となく恐ろしい気配が見えているのだ。

 それなりに勘が良ければ捉えられる、その不快感や不安。それは隠しきれない恐怖となって魔物の心に落ちてくる。彼らは人を恐怖させる立場でありながらも、それを避けられない。


「早く動かないと間に合わなくなる予感がするぞ。どうする?」

「……いや、私には分からないのだが」


 腐乱した馬の魔物には、その気配が読めなかった。ある意味で幸福な事である、それらは本当に苦しく恐ろしく猛威を振るっているのだ。分からないならその方が良い。少なくとも、分かるよりは。

 しかしながら、自分と同じ恐怖を隣に居る魔物が味わっていないのは不公平と感じたのだろう、鎧が僅かに不快な物を宿し、馬を睨む。


「分からないのか。この恐ろしく気持ちの悪い何かが」

「何かって、何だ」

「それが分かるなら苦労しないさ」


 肩を竦めつつも、鎧の雰囲気は変わらない。ひたすらに続く負の感情に耐えるので精一杯なのだろう。

 馬の魔物は思考の止まった同胞を目にしつつも、思考を続けていた。今の所、彼の知覚下では世界に酷い損傷は出ていない。しかしながら、何時どんな事が起きても仕方がない状況でもある。

 鎧の魔物が言っている事も、何らかの理由が有るという点では納得している。少なくとも、それくらいの信頼が彼には有った。

 しかし、この場で止まっていても何も始まらない。冷静ながら頭を働かせて、馬の魔物は動き出す。


「よし、そろそろ行こうじゃないか、どうだ?」


 ザック達が戦闘を行っている場所を指し、提案する魔物。それを見た鎧の魔物は少し前までの態度とは違い、逃げたそうな声を出す。


「いや正直、気乗りはしないのだが……とんでもない事に巻き込まれる予感が……む?」


 言葉の途中で、彼は何かに気づいた様子となった。

 その顔は空の方へと向けられて、緊張とも恐怖とも取れる感情の発露が魔力の発生を促している。生命体ではない為に、総毛立つ、と表すべきではないだろうが、そう表現するのが一番近い様子だった。

 そこで戸惑いを覚えていた馬の魔物も、釣られて空を見上げる事で気づく。そこには、強い力を持つ者、あるいは通常の生命体では捉えられないおぞましい光が浮かび上がっていたのだ。

 いかに魔物が常識の外を闊歩する生き物だとしても、これは突破的すぎる。馬の魔物とて耐えきれず、大声で感情を吹き飛ばす。


「どうした! あれは、一体!?」

「うむ、あ……いや、そういう、なるほど……分かった」


 隣にいる鎧の魔物が誰かと喋っているかの様に独り言を呟いている。これが平時であれば単なる妄言、あるいは単なる言葉だ。

 しかし、今の状況下ならば一つ頭に浮かぶ恐怖が有る。何かが、干渉しているのだ。思考に割り込み、魂に入り込み、何らかの邪悪な、あるいはおぞましい意志を伝えているのだ。


「分かった、そちらの情報を信じよう」


 何事かを勝手に納得して、鎧は兜となる部分を動かす事で頷く姿を見せる。

 すると、空に広がっていた狂おしい程に謎の光は少しずつ薄まっていき、やがてすっかりと消えてしまう。

 後に残されたのは唖然としたまま動けなくなった馬の魔物と、何度か頷く度に殺気を漏らし出した鎧の魔物だった。


「……あの野郎」


 人間であれば歯を噛み潰しかねないくらいに怒りを籠めた呟きを発して、鎧の魔物は何を言うよりも早く馬の魔物の背中へと飛び乗った。

 少し驚いた様子の馬の魔物だったが、それよりも巨大な驚愕の為に大して心は動かない。ただ、自分に乗る鎧が『何』を胸にしたのか、それだけが疑問だった。


「……行くぞ」

「何処に、だ?」

「あのクソ馬鹿野郎の所だ! 急ぐぞ!」


 思い切り急かし、馬の尻を剣で叩く。

 痛みから出そうになる奇声を何とか抑え込んだ馬の魔物が不満を覚え、文句を言おうとした。が、鎧の魔物の様子が今までとは全く違い、焦燥に満ちている事が言葉を止めさせる。

 明らかな緊急を示していて、余裕という物は全くない。どうやら、それほどまでに危険な状況に有ると『何か』によって把握したらしい。信用出来ないが、同胞達の命に関わるならば信じるしかないだろう。


「ああ、まったく! 何だと言うんだ、あん畜生めが!」

「いいぞいいぞ、その調子で走れ!」

「お前はちょっと黙ってろ! それに自分で走れ!」

「乗って走らせた方が早いだろ!」

「うっせえバーカ! 私は乗馬用じゃないんだよ、聖獣の死体から生まれた由緒有るゾンビ馬だ!」

「知ってる! けど馬は馬だろ馬といえば乗り物だろ分からないのかよバーカ!」

「全世界の馬に属する全ての生き物に謝れこのポンコツ!」

「黙れくっせえんだよ!」


 罵声を浴びせ合いながらも、二つの魔物は一気に城から飛び出した。距離を近づける為に城を飛び降りて、滅多に使われない腐った羽で空を飛んでいる。

 その背中に掴まる鎧は子供っぽい馬鹿にした言葉を吐きつつ、馬の背中に掴まっている。振り落とされる事も無く、どれほど酷く言い争った所で彼らは結局同胞だった。





















 彼らが去っていった中、殆ど崩壊した城の頂上で何かが光る。

 それはとても暗く、黒い。漆黒の混沌より呼び寄せられた悪夢の気。そうと表現しても良いだろう、蠢き犇めく力が世界を塗らし、深く深く苦しみを放出し続けていた。

 そこへ、一つの光が近づいてくる。虹色だ、見ているだけで正気も狂気も消し飛び、存在の膨大さと圧倒的な情報量で魔物の脳すらも燃焼させてしまう。世界からも、この城からも完全に切り離された地に潜むもの。ありとあらゆる手段を使っても触れる事すら難しい存在である。

 近づくそれに対して混沌は何もしない。接近を止めるのでもなく、ただ静かに立つのみだ。

 虹が、その中へ入り込んでいく。

 激痛めいた物が町の方まで広がった。世界が悲鳴を上げて、余波がツーラストの近郊まで届いてしまう。幸い、それを感じられる者は殆ど居ない。とてつもない感受性を持っていなければ不可能だ。

 それは少し、少しながらも一つの何かを形成する。黒い何かに覆われた人型だ。


 そこに、立っていたのは……





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