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エピローグ 未だ終わらぬ話

注! 本作は投稿処女作の『まだ決まっていない話』の後日談であり前日談です。勿論、前作を読んでいなくとも楽しめる様に努力はしておりますが、御留意ください。

 暗黒の果てより現れし黒き大地の上には、海よりも深く山よりも高い力強さと爆発的な輝きが有った。

 それらは混沌としながらも土と風の間を駆け巡り、その場の印象を更に不可思議な物としている。人々の目は、まるでこの場が世界の果てであるかの様な錯覚を抱かせるだろう。

 ――いや、その印象は案外間違ってはいない。確かにその場はある意味で世界の果てであり、誰もが生きられぬ永久の空間なのだ。

 誰も存在する事を許されない場所。そこに二つの人影が有るという、矛盾が存在した。

 片方は男だ。適当に切られた短い黒髪の下に有る瞳は絶対的な黒を感じさせ、その高身長で力強い肉体から発せられる雰囲気からは、何故か空虚が見られる。

 男は胴着と軍服が一体になった様な不思議な格好をしている。かなり動きやすいだろう、幾らかの飾りが風に舞っていて、優雅でなくとも優美であった。

 ギラギラと熱せられたかの様に光る両目は、その先に居る人間を捉えている。男から少し離れた場所に居るのは、一人の女だ。

 男と同じく背の高い人物だが、髪は赤黒く腰まで届く程の長さで、遠目には背中から出血している風にすら見えるだろう。服装は自然な繊維で編まれた灰色のズボンとシャツで、男に比べると相当に軽装だ。ズボンの側面には裾から膝上にかけてスリットが入っていて、そこから見える綺麗に伸びた足の肌色は健康的かつ官能的で、思わず触れたくなる程だ。

 だが、その瞳に宿る物は同じく恐ろしい輝きであり、黄金よりも深く強い力を示していた。まさしく絶対者の如き威圧だ。常人であればその場で自害を選ぶ程の猛悪であるが、そんな物が通用する男ではない。

 二人の男女は見つめ合ったまま、ただ立っていた。空間が軋む音を響かせているというのに、両者とも表情は欠片も変わらない。

 男は、口元で大きな笑みを表現している。そして、女は小さく笑みを浮かべている。見かけは全く違う笑顔だが、どちらも最高の獲物を見つけた猛獣の笑いである事には間違いない。


「それで」女の声が空間に響く。女性としては低さを感じさせるが、圧倒的に強い人間の声だった。

 生物など存在しない大地の上で、彼女だけは生きている。それが当然である様に、生きている。


「それで、何を言いたい」


 言葉が続く。それは質問だ、言葉数が少ない女の声であっても、それくらいは分かるだろう。男もそれを分かっていた。

 尋ねられた彼は、何も答えず一歩一歩踏み締める様に女へと近づいていく。両者の外見はまるで違うが、印象としては同類項と表すのが一番近い。

 ただ、男の方から見られる印象の中には、圧倒的で空虚な熱とは別に、他の何かが有った。

 一歩、また一歩男の足が女へ近づいていく。それが止まったのは、相手との距離が丁度五歩分くらいまで近づいた頃だ。

 二つの人影は再び互いを見つめ合う。先に口を開いたのは、男の方だ。

 意を決した彼は、拳を握り締めて感情と力を爆発的に広げ――深く深く頭を下げた。



「俺と、結婚してくれっ!」



 唐突な申し出に、世界が止まる。

 沈黙、沈黙、沈黙。

 男は多くを語らなかった。結婚して欲しい理由も、意味も。何故こんな場所で申し込むのかも。何も言わなかった。照れていた訳ではない、彼は分かっていたのだ。

 心の全てを籠めた言葉、それさえあれば目の前の女に意志が届くのだ、と。

 二人の居る空間が揺れる。それは女の感情の動きを見せている様であり、男の決意を示す様でもあった。

 余りにも突然過ぎる告白の言葉、それは確かに女へ直撃したのだろう。彼女は何も言わない。何もしない。ただ、立っているだけだった。

 男もそれ以上に何かを言う気はなかった。黙り、ただ返事を待つ。

 拒絶されたとしても彼に後悔など無いのだ。一方的に気持ちを叩きつけて、一方的に返事を待つ。そんな身勝手さもまた、彼なのだから。


「……本気か」

「本気だ、結婚したい。お前の全存在が欲しい」


 戸惑う様に確認する女に対して、男は気持ちの全てを僅かな言葉に乗せた。

 それほどまでに強い気持ちを受けて心が決まったのか、女は息を吐いた。止まっていた世界は動き、時間は再び刻まれていく。


「条件が有る」


 それだけ言うと女は足の位置を少しずらし、腕を前方に持ち上げて挙げて、構えを作った。

 全く隙の無い姿を見せた彼女は、口元の僅かだが怪物の如き微笑を維持したまま、凄まじい殺気を放つ。

 答えは、否なのかもしれなかった。突然に叩きつけられた結婚の申し込みを、敵として粉砕するつもりなのかもしれないのだ。

 だからと言って、男は残念そうな顔一つ見せない。いや、彼は分かっているのである。女が何を言わんとしているのかを。


「私が頷く事しか出来ないくらいになるまで戦おう。嫌でも、頷いてしまえる様に」


 吹き荒ぶ暴風すら消し飛ばす暴力が彼女の存在感を一瞬にして高めた。

 殺気は力に変わり、気配はこの大地を覆い尽くす。女の言葉には何一つ嘘は無く、全力を出して戦おうとしている事は明白である。

 それは、ある意味で無理矢理結婚を迫っている様な物だろう。力に物を言わせて、気に入った人間を手中に納める。その様な物だ。

 だが、男は迷わなかった。


「応っ!」


 返事をすると同時に、男は何の構えも無く神速で相手の懐へ飛び込む。

 全く捉えられぬ瞬間の動きだが、女の表情は変わらない。むしろ最初から分かっていた様子で膝を振り上げ、殴りかかってくる男の腕を間接と肩ごと吹き飛ばす。

 僅かに持ち上がった男の腕から肘を掴み、女はそれを基点に足払いを仕掛ける。女自身は体を横へ逸らし、腕だけを引く事で男の身体を倒そうと言うのだ。

 だが、男は甘くない。彼は相手に肘を掴まれた瞬間から意図を察し、足払いまでも完全に読んでいて、払いに来た足を逆に払う。

 二人の身体は同時に足場を失ったが、空いた片足だけでバランスを保つ。それが何だとばかりに両者の拳が相手の顔面に向けて交差し、どちらも相手の頬を抉る。

 両者の頬から抉り取られた肉と血液が飛び散り、大地を汚した。が、流れる血など知った事かとばかりに男は自分の足場を瞬間で確保する。

 女は違う。彼女は足場を作る間も無く飛び、両足で男の首を掴んで見せた。筋肉質で引き締まった足は首を押さえて離さず、立ったままの男の身体に巻き付いた女は上体を起こして顔面に殴りかかった。

 そのまま、最初の一撃が通る。それに続く一撃は同時かと錯覚する程に素早く、強烈な拳による連続攻撃が男の顔を襲う。一つ一つが全て顔を打ち砕く攻撃だった。


「顔を殴るのが趣味か!?」

「この方が気持ちも伝わるだろう」


 防御すらままなら無い威力と速度の連撃を受けた男が思わず笑いながら叫ぶと、女は拳を勢い良く振り挙げて、返事と共に落とす。

 それまでよりも一層強烈で暴力的な一撃である。普通ならば即死してしまう所だ。そこで男は迫り来る拳という名の破滅を避ける為、その全身をあえて前のめりに倒す。

 女は上体を起こして男の両肩を足場にしている為に、倒れるだけでそのまま大地へ叩きつけられるのだ。逃れられない様に、男は相手の身体に腕を巻き付けていた。

 余りにも単純過ぎる手段だ。女は嘲笑を浮かべていたが、そんな事をしている場合でも無かったのか、驚くべき事に足で男の腹を、腕を男の肩に叩きつけて基点とし、勢いで拘束から脱して飛び跳ねる事によって無理矢理に距離を取った。

 倒れようとしていた身体のバランスを戻した男は最初から逃れられる事が分かっていたのか、即座に拳を振った。体勢が体勢だけに速度も力も乗っていないが、気持ちだけは強烈だ。

 女もまた、回転からの着地と同時に答える。引かれた腕が世界の概念を吹き飛ばすかの様なパワーを纏い、死を感じさせる強さで拳が飛んだ。

 両者、同時に拳が放たれる。恐ろしき一撃は全く同じ位置に迫り、互いの握られた指と指が衝突した。

 瞬間、両者の手から奇妙な光りが爆発する。素早く広がった閃光の様な何かが奇怪な現象を引き起こし、視界を奪う。

 たった一撃がその世界の構成にすら異常な影響を及ぼした。二人の立っている場所から大地が裂かれ、空間に亀裂が走り、物質が死に絶えていく。

 そんな恐ろしい状況こそが、この二人の実力を示していた。揃っておぞましいとしか言えぬ気配の奔流に互いを晒して、相手の精神を打ち砕こうとしているのだ。普通なら、気絶してしまいかねないだろう。


「く、くははっ」

「はは、はははっ」


 だが、二人は揃って笑った。心の底から笑っていたのだ。世界が崩壊しようとも、構わない。今この瞬間こそを共に、共に戦う。

 両者の心は、確かに繋がっていたのだ。




 男は、歓喜の中に居た。

 今の一撃だけで腕が潰れて血が溢れ滴り落ちている。痛みなど慣れきった彼だったが、そんな物は関係無いくらいに辛く痛く、恐るべき激痛だった。命が落ちてもおかしくないと思われた。

 だが、だが笑いが止まらない。男は抑えられずに喉から爆発する笑い声が出て、仕方がないのだ。久しぶりに覚えた素晴らしい幸せなのだ。

 彼が居た戦場は、もっと楽しかった。だが、もっと退屈だった。

 その戦場は概念的で、物理的な殴り合いなど無用だ。

 概念をぶつけ合って相手を喰い尽くす。格闘術など戯れか相手の隙を作る為に使われる一瞬の道具でしかない。それもまた男の戦い方ではあったが……やはり、相手の存在を拳で感じるのはまた別の話だ。

 命のぶつかり合いこそ人生を感じさせる。全身全霊で力を爆発させれば、きっと女を消滅させる事も出来るだろうが、男はそうしなかった。そんな恐ろしい真似をするくらいならば、逃げた方が遙かにマシだった。

 何故なら、女もまた喜ばしそうに魂を燃やしているからだ。結婚の申し込みに対して、女が全身全霊で応えている。抱いた気持ちは一目惚れと言っても良いのかもしれないが、それでも女は力の叩きつけ合いという形で応じてくれるのだ。

 確かに総力で争うならば、自らの底に存在する力を使うべきだろうが、これは『命の取り合い』ではない。『殺し合い』であり、『心の見せ合い』であり『気持ちの確認』だ。

 だからこそ、男は血だらけで真っ赤になった手で構えを作る。直す事などあり得ない、気持ちを交わした相手から受けた傷だ、黙ってそのままにしておく。

 全く揺るがない心のまま男は構え直し、女が合わせる形で構える。その顔には暖かさが有った。

 異なる構え方の二人だったが、それでこそと男は感情を燃やす。自分よりも圧倒的な存在と戦う時とは違い、その気持ちは燃え上がりつつも暖かく、愛情すらも抱いてしまう物だった。




 女もまた、歓喜の中に居た。

 表情には余り出ていないが、その心は輝き過ぎる程に輝いている。機嫌が良すぎて鼻歌の一つでも吹いてしまいそうで、スキップ混じりに走ってしまいそうだ。

 余りにも唐突過ぎる結婚の申し込みだった。女は特に結婚願望など無く、好意を伝えられた事は初めてではなかったが、特に何とも思わなかった。

 だが、目の前の相手だけは違う。友人から告白を受けた時もこの様なときめきや胸の高鳴りは無かったが、目の前の男だけは違う。愛情を口にされた瞬間から全存在が揺れ、奮え、燃え上がった。

 表情には、やはり出ない。だが、相手の言葉に動く自分を理解していた事は確かである。

 理由も分かっている。目の前に居るのは出会った同類項。この相手であれば共に駆けるのも悪くはない。そんな気持ちを自覚しているのだ。

 この戦いも、所詮は互いの気持ちを確認する行為でしかない。普通の人間なら身体の一つでも重ねるのかもしれないが、自分も男も普通ではない。だからこその殺し合いである。

 目の前に居た男は不敵さを含めた顔で構えてくる。どんな場所から攻撃しても、通るとは思えぬ隙の無さだ。

 女が返礼の形で構え、自分の冷たく揺れぬ顔に微笑みを作る。精一杯の気持ちを表現しようと努力したのだ。闘志が溢れ出してしまい、鬼気が籠もっていた。

 負けるつもりは無い。息が出来ないくらいになってようやくプロポーズを受けるつもりだったが、だからと言って大人しくする程に人間性が出来ていない。

 むしろ勝ち、倒し、相手が半死半生になるまで追いつめた所でこちらからプロポーズしてやろう。そう心に決め込み、一歩踏み出した。



 そして、その一歩だけで両者の距離は零となり、戦いが始まった。






+



「で?」


 話を途中で切った事に対して、一人の男が部屋の中で首を傾げていた。

 その男の正体は、袴と腰の刀が現している。編み笠を深く被る事によって目元は隠れ、正確な顔付きは窺えなくなっていたが、見えている口元に浮かぶのは好奇心と興味であった。

 そんな男――駿我は、武人らしい隙の無さを維持しながらも、友人に対しては欠片の警戒心も見せず、ただ話を続きを促している。


「どうなったのでござるかな。いや、流石お主の両親でござるよなぁ、結婚の同意をするのに戦争とは」

「あの、戦争は言い過ぎなのでは」

「いやいや、一人が万軍どころか億軍兆軍すら弾き飛ばす者達が戦うのであれば、それはまさしく戦争でござるよ?」

「そ、そうですか?」


 自信に溢れた回答を聞いた女、奇矯が微妙に戸惑いながらも相槌を打っている。その格好は駿我以上に異質で、上は着物で下は洋服、腰には扇子と異常な気配を放つ刀を携えていた。

 着物の色もまるで血に染められたかの様で、何かを殺めた者の雰囲気を全く隠していない。ともあれ、その言動は真っ当な物で、とても柔らかな物だ。駿我よりは余程敵意を抱かれないだろう。

 そして、二人は格好こそ異なったが、腰に差した刀や立ち振る舞いは良く似た物だった。


「駿我の言う通りだ。確かに私の父母のプロポーズは、最高に戦争だったよ。個人対個人のという前提を含めて、だが」


 だが、この部屋に居るもう一人であり、二人の男女の殺し合いを語っていた女、ニル――厳密にはニールレッタ・アールハンドゥーロだけは、全く異なる雰囲気を纏っていた。

 着込んでいるのは胸に幾多の勲章らしき物が付けられた黒い軍服だ。明らかに別々の国の勲章が見受けられたが、気にする者は皆無だろう。

 ズボンタイプでかなり大きめだが、女は完璧に着こなしていた。特に丈の幅はもっと大柄な男性が着る物と思われたが、彼女は自分の足に巻き付ける様に捻れた形で履いている。

 他の二人より一回り大きな背丈にあり得ない程に整った細めの顔が目立ち、髪は腰までの漆黒を演出していた。

 加えて、ただ立っているだけだというのに圧倒される気配が有る。道を歩めばあらゆる人間が振り向き、彼女の存在に呑み込まれるだろう。

 だが、彼女を現しているのはそんな外見的特徴や雰囲気などではなかった。少なくとも、彼女の話を聞く二人はそれを知っている。そして『誰かさん』も、知っている。

 彼女を象徴する物であり、父親から受け継いだとも言える真に化け物と呼ぶべき大いなる力。その黒い両目に宿る、混沌すらも逃げる無の終焉。それこそ、彼女という人格と共に有る物だった。


「私の両親の戦いはまさに戦争だった。一撃が世界を遙か彼方へ向かわせるくらいにな。ふふっ、笑える事に、二人とも自分の特異な力を使わず、単なる近接格闘のみで戦争を起こしたのさ。比喩じゃないぞ、文字通り世界が吹っ飛んだんだ」

「流石、と言いますか……うん、流石はニルの親御さん達ですね。スケールが大きくて、途方も無い」

「……まー、拙者達も同じ事は出来るが」

「それは言ってはいけない話だなぁ、駿我。私達にそれが出来るのは当然じゃないか」


 当たり前の様に恐ろしい事を口にしながらも、ニルは不敵に笑う。それこそ彼女が常時浮かべている表情であり、自然だった。

 そんなニルに向かって駿我が『一本取られた』とばかりに頭を掻いている。二人の会話にどんな感想を抱いたのか、横で聞いていた奇矯は深く疑問を示す形で首を傾げる。


「重要なのは、単なるプロポーズを受けるか受けないかで世界に影響を及ぼすという点ではないかと……え、そういう話をしていたのではないのですか?」

「その通りだ。まったく奇矯は可愛いな、その首を傾げる仕草が実に愛らしくて、親友の私ですら撫で回したくなる」


 クエスチョンマークの幻影が見える奇矯の頭上にニルの手が向けられ、素早くその頭を撫でる。

 いきなり頭を撫でられたからか、奇矯は慌てて顔を赤くした。


「きゃっ……! ニルっ、私は小さい子じゃないんですよっ? 撫でないでください」

「おっと、それは悪かった」


 愛らしく睨まれた為にニルが手を離すと、奇矯は不満げに顔を逸らす。


「もうっ……」

「悪い悪い。でも毛はサラサラで抜群に良い触り心地だな、手入れが良いのか元々なのか」

「そういうニルも髪質良いでしょうっ」


 お返しだ。そう言わんばかりに奇矯がニルの黒い髪へと手を伸ばし、その頭の先から腰までを撫でると、一見して分かる柔らかな髪が奇矯の手に包まれて一層輝いた。

 そのついでに奇矯は背後に回ってニルの背中と首筋にも触れ、素早く擽っている。

 首筋に息を吹きかけながらの行動で、やっている方もやられている方も実に楽しそうだった。


「ふ、ははっ。ちょ、止めるんだ、こら奇矯。ふふ、くすぐったいなっ……なら、私からもお返しをしないと、いけないな!」

「わっ……ああ、負けません!」


 ニルが振り向くと同時に反撃で腋や腹部を擽る。その手は絶妙な巧みさで、とても器用に相手の弱い部分を探っていった。

 どんな闘争心を刺激されたのか、奇矯は少し息を荒げて声を殺しつつ、更に擽りに力を入れた。これによって両者は共に相手の体中を擽り合い、共に笑いを堪えながら顔を赤く、かつ楽しく遊び続けるのだ。

 そんな親友同士の楽しげな光景を目にして、いや、目の毒だとばかりに顔を背けて居心地が悪そうにしているのが、この場で唯一の男性である駿我だった。


「……はぁ」

「く、きゃ……やりますね、でも、私も……!」

「ひ、ひはっ、く、本当に巧いな。だが、弱点は見えたぞ?」


 駿我が溜息を吐いている間にも、二人はより大胆に遊びを続行している。

 過激になり過ぎて両者の手は胸や尻にまで及んでいたが、二人とも嫌がる素振り一つ見せず、むしろそういう場所すら面白がって触れている様だ。

 駿我には絶対に出来ない、やりたくない行為である。

 口出しもしたくなかった様だが、とはいえ、いい加減に止めねばどちらかが先に地肌を直接擽ろうという行動に出かねない。

 溜息を連発しながら、駿我は前に出た。


「あー、では、ご両親が結婚するまでに何が有ったのでござるかな。その部分の話だけを聞いた所で、なぁ?」


 余りにも強引な話題の転換である。

 とはいえ、その言葉で状況に気づいたのだろう、奇矯は瞬く間に顔を赤くして、ニルから離れると同時に顔を俯かせる。

 対するニルは全く顔色を変えず、多少名残惜しそうに指を握っているくらいだ。余りにも冷静に、彼女は顔に享楽的な物を見せた。


「く、そうだな。駿我は純情少年だもんな、いや少年って年齢でもないが、そうか、恥ずかしいか」

「あの、遠慮しなくても良いんですよ? 私は気にしませんし、ニルは……気にしない事は知っていますよね?」


 恥ずかしげにしながらも奇矯が手を振る。明らかに無理をしていて、それは駿我もニルも分かっている。が、悪戯っぽいニルは彼女の肩を抱き、追撃を仕掛けた。


「大体、私達三人で風呂とかも一緒じゃないか。今更何を照れる事が有るんだ、親友」

「女同士の楽しい遊びについていけないんだ、親友」


 普段の奇妙な口調とは違う言葉遣い、つまり本来の言葉で駿我が眉を顰める。


「お前は年寄りか」


 顔を赤くした奇矯の頬をつつきながら、ニルは軽い呼吸音で話の方向性を変えた。


「ん……そうだな。両親の出会いも話さないと分からないか。分かった、話すさ」


 そう言いつつも、ニルの目つきが変わっていく。二人の親友に向ける者ではなく、圧倒的な嫌悪感と異常な力と共に有る、怪物の顔だった。

 彼女の両手から異質な『何か』が発生する。それは視認可能な物質などではなく、世界に生きる者では到底説明出来ない現象である。

 それは現れたと同時に球体として形作られていく。どこかへぶつけるのだろう。だが、駿我や奇矯にそれを向ける事などあり得ない。

 自分自身に向ける可能性も皆無だ。

 だとすれば、目標はこの部屋に存在して、この場を見つめる誰かさん――つまり、私かっ!?


「だが、その前に!」


 掛け声一つと共に彼女の作り上げた視認不可能の球体が私に迫り……あは、あっぶないなぁ!

 死ぬ、幾ら私が私だからって人型だと危ない! いや、危ないとかそういうのじゃなくて、消し飛ぶ! ああ、もうっ!

 私はその球体を自らの存在という形に変換する事で防いだ。だが、それでも『無』は存在の全てを喰い荒らす。ただ私の『有』であれば対応……できるけどニルちゃんが怖い!


「やーほぅっ! あっぶねーなぁまったくもう!」


 何かが空間上に視認可能な物体としての形状を明らかにした。

 それは人間の形をしていて、一応は青年に見えるだろう。アッシュブロンドの髪の中に詰め込まれた虹色が鬱陶しいくらいに輝き、人型でありながら確実に人間とは思わせない存在感、不快感を放っている。

 ……勿論、狙って作った格好だ。そういう異質な外見をしていた方が私らしい。


「面白い話をしているね。楽しい話をしているね、ふふ、そうかそうか。あの二人の話か、くふふふふ。あの出会いは素敵だね」


 胡散臭く笑い、人を煙に巻く態度を見せる。まあそれは良いんだ、問題じゃないし今はずっとやるべき事が有る。つまり、ニルちゃんの話を引き継ぐのだ。


「前置きはいいね。あの二人が結婚するまでの話が聞きたいんだっけ」

「お主から聞いてもなぁ」

「すみません、あなたからは聞きたくないです……」

「帰ってくれないか、此処は私達三人だけの話なんだ」


 非難轟々だ。それも仕方がない気がしなくもないが、少々寂しい気分になるのもまた良い。

 特にニルちゃんの出荷寸前の肉を見る冷たい目がカッコいい。静かに睨んでくる駿我君と奇矯ちゃんも悪くないけど、やっぱり『あいつ』の娘だけあって、彼女の目は好きだ。

 まあそれよりも、現世に現れた存在として自分にも口にするべき言葉や話が有るのだが。


「うわあ除け者。さみしー、でもま、いいや。勝手に話すからね。君だって、自分のお母さんから伝え聞いただけだよね?」

「まあ、その通りだ。しかしだからどうしたというんだ? お前が私達三人の邪魔をするなら……」


 言葉を切って、睨んでくる。

 わお、怖い。この子は友達大好き愛してる人間……人間? だから私も手を伸ばしたくない相手だ。それでも、話を止めるつもりなんて無いのだけれど。

 それより、とりあえず何か気を引く言葉を告げないと今にも『無』にされそうだ。それもそれで楽しそうだし幸せな事は大好きだが、後にしよう。


「私は、見ていたんだ。何せ『あいつ』……いや、カイムを彼女に引き合わせたのは、私なんだから。興味は無いかな?」


 ほんの僅かにニルの手が止まった。相手の言葉に少しばかり聞く態度を示している。

 ……なんてね。実際は駿我と奇矯の姿勢が変わったから、なんだろう。でも二人とも、私の話を聞くんじゃなくて、『ニルちゃんに話を聞かせたい』からなんだろうね。これから話す事が何であれ、『あいつ』の事を知っておくのは娘にとってマイナスにはならないだろう。

 お互いに相手の事を思い合う関係。それは親友というより恋人……ああ、彼氏はニルちゃんかな。彼女は駿我君と奇矯ちゃ……!


「今、とても失礼な事を言われた気がしたのでござるが、如何に?」

「ちなみに、首を飛ばします。また殺人衝動に包まれた私の一斬を受けますか?」


 おやおや、怖い。ちょっと考えただけで殺されそうだ。こんな時は無視して話を続行するのが得策だろう。私だってこの場を消し炭にする気は無い。

 ……というか、この二人本当に凄いね。両サイドから首狙いの一撃、しかも皮一枚触れない絶妙な位置での停止。私の感覚が正しければ、首から刃までの距離も同じだ。コンマ単位の違いも無い。

 仲良いなぁ……いいなぁ、麗しき哉友情? 私でも動かせないだろうね、この絆は。


「さて、お三方が聞く気になった所で、とりあえず私があいつと戦った時から話そうかな? それで良い?」

「今にも首が飛ぶかもしれない状況で、それか。お前は本当に……」


 ニルちゃんが呆れた顔をしてくる。あはは、やっぱり美人だね。そういう顔になっても全然揺るがない、母親譲りなのかな。

 まあそれはそれ、聞かれてなくても話す。聞かれているならもっと話す。私は享楽とお遊びで存在しているのだから、この子達の深い絆を尊びつつも、私は私のしたい事をしよう。

 それで、んんっ! ……ニル、駿我、奇矯。三人の視線が一つへ集中する。その対象は人類の形を保っていたが、やはり人間ではなかった。

 口を開いて声を発するが、発声器官から出た音ではない。それは世界そのものが話しているかの如き雄大さとおぞましさを兼ね備えていた。


「うんうん、聞きたいよね。いや、聞きたくなくても話す」

「どうしてそこまで話したいのかは分かりませんが……」

「仕方ないのかもしれないでござるなぁ。いや、もうエィスト殿に良識の類は期待出来ぬし」


 む、さりげなく酷い発言……ではなく、馬鹿にした表情と言うべきだろうか。二人の武人達は刀を下ろし、ニルの顔を見て頷く。

 もしもこの怪物、いや私がほんの僅かにでも害を与えるのであれば、彼らは容赦無く斬るだろう。そうしないという事は、そういう事だ。

 二人が敵意を消すと、ニルが前に出る。二人を庇っている風にも見えるだろうが、実際にはエィスト、つまり私を何時でも消し飛ばせる様にしているのである。


「話を、聞こう」

「うん、そうこなくてはいけないね。よしよし、じゃあ最初から話そう」


 二人の真ん中に立って堂々と立つニルの姿は眩しい物だ。私では、少し眩しすぎるくらいに。

 私の羨ましそうな瞳は彼らの毒気を確かに抜いているが、やはり緊張感は漂ってしまう。少し残念だが、話す許可を貰った以上は話そう。

 いや、許可が無くとも話すのだが。


「まず、私とカイムの殺し合いが百回を記念した時から始まるんだけどね……」


 彼女達にとっては昔の、時間の概念を無視した私にとっては過去でも未来でも今でもない話をする。

 特に理由は無かったが、アッシュブロンドの髪は全て虹色にしておいた。こっちの方が似合うし、何よりカッコいい。


「全部虹色はどうかと思うぞ」

「ラメが入っている感じで、ちょっと怖いですね」

「似合っている事が逆に不気味でござるな」


 ……くすん

さて、息抜きとして始めた『カイム・アールハンドゥーロ物語』です。

本作は割と前から設定自体は暖めていたのですが、ここで解放する事にしました。何せ一作品がエターナルの海に飲まれたので、ヤケクソです。プロットも作らず見切り発進で始めた作品ですが、よろしければどうぞ。

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