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ああ、お前は天から落ちた。
明けの明星、曙の子よ。
お前は地へと切り倒された。
――イザヤ書14章12節
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「それではこれより、異端審問を開始する」
審問官を務める副司教が、高らかに言い放った。
春先とはいえ冷たい風が隙間から入り込み、部屋を冷やしていく。
捉えられた少女は、この季節にしては薄着だった。
寒さを感じているはずだけれど、その姿を憐れに思う者は、この部屋にはいない。
この異様な空間が彼女の運命を決定付けていることは、おそらく彼女自身も分かってるだろう。
けれど彼女は怯むどころか、司教をじっと見つめ、凛とした姿で座っている。
すらりとした面立ちには、あどけなさが残っている。少し暗めの茶色の髪はばっさりと切り落とされ、肩までしかない。ズボンを履いているが、それは彼女にとても良く馴染んでいる
聞けば、歳は19だと言う。彼女が民衆を導き始めたのは16歳。幼いとまでは行かないが、十分に若い。
しかし、ルーファスはさして驚きはしなかった。神の声を聞く者には、もっと幼い者もいるからだ。
「それではこれより、告訴状を読み上げる。一条ごとに被告に話を聞いていくので、応えるように」
「私がお答えできる限りすべてをお話いたします」
鈴のような声が響いた。その場にいた誰もが、彼女はたしかに女性なのだと思い知らされる。
わずかに空気が揺れるのは、動揺か、あるいはやはり異端者なのだと再確認したからか。
副司教は嫌そうに眉を寄せてから、ごほんと一つ咳払いをして、続ける。
「よろしい。では初めに、第一条」
訴状は朗々と読み上げられた。その数は七十あるという。
ルーファスにとってその内容はどうでもよかったが、彼女がどう応えるかには興味があった。
どれほど神を想おうとも、すでに彼女は神の声を聴けなくなっているだろう。
彼女の処女性が失われたからではない。このエリアに、天使は入ってくることが出来ないからだ。
そんな状態で、この読み書きもできない少女がどのような答えを導き出せるのか、聞きたいと思っていた。
「被告はその目的をより的確に計画するため、右隊長に男の衣服と自分にふさわしい武具を整えるように要求し、右隊長はそれに従った。この衣服と武具が調達されると、被告は完全に女の衣服を捨て去った。男の武装で被告は戦い、これにより被告は神の命令を果たした。間違いないな」
「すでに答えた通りです」
「では、この衣服、武具、その他の武装は神の命令によって着用したものか」
「今しがた申し上げた通り、以前にお答えした通りです」
少女は至って冷静に、副司教の答弁に応える。
そのほとんどが以前に答えた通りであるとのことだったので、審問官は過去の記録をあさり、都度補足を付け加えていた。
「記録によれば、男の服を着ることも、どのようなことも、神や天使たちの命令以外ではしたことがないとのことです」
「ご苦労」
ルーファスはそのやりとりを時間の無駄だと感じながらも、少女の答弁の能力と記憶力にいたく感心した。
以前答えた通りということは、彼女は自分がどのような回答をしたかを覚えているということだろう。それはつまり、どのような質問にも、記憶できるくらいしっかりと考えているということだ。
しかし、彼女の答弁は澱みなく進められている。そこに熟考した様子は無い。
どこにでもいる普通の少女に見えるが、たしかに非凡な才能を持っているらしい。
さすが、天使が使命を与えるだけのことはある。信仰心と求心力、そして頭の良さが無ければ、天使から下される使命を果たすことは難しのだろう。
「被告は女性の貞淑さを忘れ、礼節を軽んずるだけでなく、教養のある男なら当然の儀礼も忘れ、最も下品で卑しい男が着ているようなあらゆる異様な服装を装っていた。加えて、人を傷つける武器も携行している。これを神や聖天使、聖女たちの責任にするようなことは、我が主や聖者を冒とくし、神の掟を拒み、教会法をおかし、女性の本姓と貞淑を愚弄し、人々の礼節を腐敗させている。そのうえ堕落の手本として同じような輩を蔓延らせる行為である。何か弁明はあるか」
「私は、神や聖者を冒涜したことはございません」
「第十四条。被告は卑しい男の服を着用し、頑なにこれを離さず、啓示による神の許しが無ければ脱ぐべきではないと述べることで、神や諸天使、諸聖者を冒涜した」
「私は、神に誤った仕え方はしておりません」
少女は長ったらしい訴状をしっかりとすべて聞いたうえで、静かに答える。
その様子を見ていたルーファスは、いよいよつまらないと感じ始めていた。
この答弁に意味があるとすれば、大勢の前で彼女を断罪したいと考える司教たちの気持ちを満たすことくらいだろう。
彼女の言葉がすべて真実であることを、ルーファスは知っている。
ルーファスにははっきりと、聖なる者が使命を与えたときに出来る印が見えているからだ。
だからこそ、わざわざこうしてやってきた。天使に遣わされた少女など、これ以上ないほどに最適な獲物はいない。
しかし、当の少女の目は欠片も濁らず、心は穢れを知らず、いつまでも光り輝いている。
神を信じて疑わない姿は、ルーファスにとって酷くつまらないものだった。
白い髪を乱雑に掻く。不意に出掛けた欠伸を嚙み殺した自分を褒めてやりたいほどだった。
こうなってはもうただの時間の無駄だ。彼女の心が乱れる様を見たかったが、おそらくどれほど経っても乱れないだろう。
これだから『聖女』は嫌なのだ。いっそ無理にでも押し倒して穢れさせるか。いや、この手の人間はたとえ身を穢しても心まで侵すことは出来ないのだ。
「それでは、何か意見のある者は」
本日の告訴状の読み上げは終わりを迎えた。
まだ先は長いので、複数日に分けて査問を行うのだ。
もっとも、告訴内容が多いだけの理由ではなく、少女を疲れさせ判断能力を奪うことも兼ねているだろう。
この異端審問は、初めから少女を処刑台へと送るために設けられているものであるが、曲がりなりにも聖職者を謳う以上は簡単に処することはできないので、墓穴を掘って欲しいということだ。
陪審員も含め、この場にいる少女以外の者たちの方が、よっぽど天から遠い存在だというのに。
主は一体、こんな人間のどこに良さを見出しているのだろうか。
ルーファスはそう思いながら、少女へと質問をすることにした。
「僕から一つ。男装をしろと、神のお告げや命令を受けたの?」
「すでに答えた通りです。必要ならば明日、その点についてお答えします。私は、誰が私に男の服を着用させたかを良く知っていますが、何故それを明かさねばならないのか分かりません。その答えは必要でしょうか?」
「……いや、必要ないね。ありがとう」
男装についてはすでに何度も遣り取りをしていたので、ルーファスも彼女がそう答えるであろうと予想はしていた。
それでも質問したのは、彼女と話してみたいという好奇心が半分と、彼女の心はどうしたら乱れるのかを図るためであった。
ルーファスと言葉を交わせば、その気は無くとも心が揺らぎ闇が生まれるものだ。この闇は本人にすら知覚できないけれど、ルーファスにはよく見える。そこを突くことが、ルーファスの手法だった。
けれど、今回は失敗に終わったようだ。やはり少女は少しも揺らがず、光にあふれている。
ほかの神からの遣いと同じように、彼女もまた、心の底から神や天使たちを信じ従っているのだ。
「それでは、本日はこれまでとする」
副司教の号令により、異端審問は終了となった。
少女は繋がれたまま、部屋を出ていく。幽閉されている城の塔に戻るのだろう。
薄暗く冷たいあの場所は、心も体も疲弊させるのピッタリな場所だった。
ルーファスはその様子を目で追いながら、長時間座り続けて凝り固まった体を、盛大に伸びをしてほぐしていく。
すると、背の高い青年が声を掛けてきた。
「君はどこの神官だね?」
「いいえ、神官様。僕はこの街の神学者ですよ。ルーファスと言います」
「そうか。私はパトリックだ。先程の問答といい、どうにも気が緩んでいるように見える。神の御前なのだ、明日からは態度を改めておくように」
「……はい、そういたしましょう」
生真面目そうな青年が眉に皺を寄せながら言ってきたので、ルーファスは肩を竦めて頷いておく。
ルーファスの言葉に満足したようで、彼はそのまま過ぎ去っていった。
「へえ、珍しいこともあるもんだな」
ルーファス面白いものを見た時のように、楽し気に口の端を広げた。
普通の人間は、ルーファスを注意することは無い。たとえ審議中に寝ていたとしても、である。
そうなるように、ルーファスはこの空間を歪めているのだ。
それが、どうやらパトリックと名乗る彼には通じていなかったらしい。
見たところ天使の声を聴いた印は無いから、純粋に光を持つ青年なのだろう。
誰も彼もが穢れを抱え淀み切った場所にはふさわしくないと思いかけて、いや本来ならば彼のように敬虔な使徒であるべきなのだと思い直す。
人間など所詮は愚かで不完全なのだ。真の異端者が混じっていても、誰一人気付くことが無いのだから。
そしてルーファスは、愚かで矮小な人間よりもむしろ、彼のような存在ほど欲している。
「この件が終わったら、次はあいつだな」
ルーファスは意地悪そうな顔を湛えて、その背中を見届けた。




