3-7. 氷の皇帝の宣誓(美玲視点)
指先から龍一さんの体温が消えた瞬間、世界が急速に冷えていくのを感じた。
私の心が折れる音を、玉婷さんは聞き逃さなかっただろう。勝利を確信したように、彼女は艶然と微笑み、龍一さんの腕にその白魚のような指を這わせようとした。
「さあ、参りましょう龍一様。お父様も首を長くして……」
「……触れるな」
氷点下の声が、彼女の動きを止めた。
龍一さんは、自分の腕に伸びてきた彼女の手を、まるで存在しないもののように無視し、冷たく言い放った。
「玉婷。私とお前の間に、語るべき『将来』などない」
「え……?」
「私の未来を決めるのは私だ。……隣に立つ人間もな」
龍一さんは彼女から視線を外すと、逃げようとしていた私の方へ向き直った。
その瞳から冷徹な光が消え、焦燥に似た熱が宿る。
「掴んでいろ」
「っ……!」
龍一さんの大きな手が、私の手首を掴んだ。
陸凱に掴まれた時のような暴力的な痛みではない。けれど、二度と逃がさないという強い意志が込められた、万力のような力強さ。
ぐいっ、と強引に引き寄せられ、私は再び彼の胸元――蒼いチーフの輝く場所へと戻された。
「……離れるなと言ったはずだ」
耳元で囁かれる短く切実な声に、私の胸が締め付けられる。
でも、私には自信がない。
「で、でも……彼女の言う通りです。私、このドレスに着られているみたいだし……龍一さんの隣にいると、あなたの弱点になってしまう……」
私の弱音を聞いた龍一さんは、呆れたように、けれど深く愛おしそうに溜息をついた。
そして、わざと周囲に聞こえるような声で言った。
「着られている、か。……玉婷、お前の目は節穴か?」
「なっ……!?」
屈辱に顔を歪める玉婷さんを他所に、龍一さんは私の腰を抱き寄せ、そのドレスのラインを指先でなぞった。
「サイズなど関係ない。……この『蒼』は、美玲のためにある色だ」
「龍一さん……」
「……似合っている。誰よりも」
龍一さんは私にだけ聞こえる声で、ぶっきらぼうにそう付け足した。
気の利いた褒め言葉なんてない。けれど、その揺るぎない一言が、魔法のように私の劣等感を溶かしていく。
その時、会場にワルツの旋律が流れ始めた。
龍一さんは私の手を取り、短く告げた。
「証明する」
「えっ、まっ、待ってください! 私、ダンスなんて……!」
「私に委ねろ」
有無を言わさず、私は光の溢れるホールの中心へと連れ出された。
衆人環視の中、龍一さんが私の腰に手を添え、私が彼の肩に手を置く。
音楽が高まると同時に、私たちは滑るようにステップを踏み出した。
(……動ける)
瑞兄さんのスパルタ指導のおかげで、足が勝手にリズムを刻む。
何より、龍一さんのリードが完璧だった。彼に身を任せているだけで、私はまるで羽が生えたように軽やかに舞うことができる。
旋回するたびに、ミッドナイトブルーのドレスが夜空のように広がり、クリスタルが煌めく。
会場中の視線が、今度こそ感嘆の色を持って私たちに注がれているのを感じた。
「……龍一さん。私、陸凱さんに言われたんです。私があなたの『弱点』になるって」
踊りながら、私はずっと胸につかえていた棘を吐露した。
龍一さんは回転に合わせて私を抱きしめ、耳元で力強く否定した。
「……逆だ」
「え……?」
龍一さんの視線が、痛いほど真っ直ぐに私を射抜く。
「弱点ではない。……お前は、私の『心臓』だ」
「心臓……」
「心臓がなくては、人は生きられない。……だから、そこにいろ」
その言葉は、どんな愛の告白よりも重く、私の魂を揺さぶった。
私が彼の足手まといなのではない。私がいることで、彼は生きていられると言ってくれた。
曲がクライマックスを迎え、最後の旋回が終わると同時に、龍一さんは私を強く自分の胸へと引き寄せた。
華麗なポーズではない。互いの呼吸が触れ合い、肋骨越しに心臓の音が伝わるほどの、これ以上ない密着。
私の体を支え、逃がさないように閉じ込める彼の腕には、迷いなど微塵もない。
至近距離で重なる視線。
白檀の香りと、彼の熱い体温に完全に包み込まれて、私は確信した。
たとえ誰が何と言おうと、私はこの人の隣にいていいのだ、と。
静寂の後、会場が割れんばかりの拍手に包まれた。
玉婷さんは悔しげに唇を噛んでいる。
けれど、陸凱は違った。
彼は不敵に口角を上げ、面白がるようにグラスをこちらへ掲げて見せた。
その目は、龍一さんの絶対に触れられたくない「急所」を完全に見定めた、狩人のように冷たく光っていた。




