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第二話:父親の盾と、無骨な救い手

 目の前の光景が、まるで悪夢のスローモーションのように見えた。

 緑色の醜悪な化け物。振り上げられた、ただの木の枝にしか見えない粗末な棍棒。

 そして、俺の背後で、か弱い悲鳴を上げて、恐怖に身を固くする、愛する娘の姿。


「れいか!」


 そうだ、れいかがいる。俺と一緒に、この意味不明な場所に飛ばされたんだ。

 考えるより先に、体が動いていた。

 れいかの前に覆いかぶさるように立ち、自分の体で、か弱い7歳の娘を隠す。41年間、大したことにも使われなかったこの体だが、今、この瞬間のためだけにあったのだと、本気で思った。


(守る。絶対に、守る)


 だが、どうやって?

 俺の手には、武器なんてない。あるのは、ビル管理の仕事で薄汚れ、最近始めた筋トレで少しだけ肉のついた、ただの掌だけだ。


「パパ!」


 背後から、れいかの悲痛な叫び声が聞こえる。

 その声が、俺の心の最後のタガを外した。恐怖で凍りついていた脳が、怒りに似た熱で溶けていく。


(この子を、泣かせるな!)


 ゴブリンの棍棒が、俺の頭めがけて振り下ろされる。

 避けられない。だが、避ける気もなかった。この一撃が俺で止まるなら、それでいい。

 死を覚悟した、その瞬間。


 カキンッ!


 目の前に、淡い、だが確かな光の壁が、突如として現れた。

 ゴブリンの棍棒が、まるで分厚い鉄板に当たったかのように、甲高い音を立てて弾かれる。


「……え?」


 ゴブリンも、俺も、目の前で起きた現象が理解できずに固まる。

 だが、敵はすぐに我に返った。獣のような知性でも、この光の壁が俺の意志と連動していることを理解したのだろう。


「ギギギィィッ!」


 怒りの奇声と共に、ゴブリンは狂ったように棍棒を光の壁に叩きつけ始めた。


 ガッ! ガンッ! ギンッ!


 その度に、壁は激しく明滅し、俺の体力と精神力が、ごっそりと削られていくのが分かった。まるで、自分の命そのものを燃料にして、この奇跡を維持しているようだ。

 壁に、蜘蛛の巣のようなヒビが走る。光が、明らかに弱々しくなっていく。


(まずい…もたない!)


「れいか、しっかり掴まってろ!」


 俺は、背後の娘に叫びながら、じりじりと後退する。だが、ここは行き止まりの洞窟。逃げ場なんて、どこにもない。

 れいかの小さな手が、俺のズボンを固く握りしめている。その震えが、俺の絶望を加速させた。


 光の壁が明滅するたびに、ゴブリンの醜悪な顔が照らし出される。その目は、ただの獣じゃない。獲物をいたぶることを楽しむ、明確な悪意に満ちていた。こいつは、俺たちが苦しむのを見て、喜んでいるんだ。

 その事実が、腹の底から、今まで感じたことのない種類の怒りを湧き上がらせた。


 だが、怒りだけでは、この状況は覆らない。

 光の壁は、もう限界だった。ヒビは壁全体に広がり、今にも砕け散りそうだ。


 そして、ついに。


 パリンッ!


 ガラスが砕け散るような、澄んだ、しかし絶望的な音と共に、光の壁が霧散した。

 万策尽きた。

 勝利を確信し、下卑た笑みを浮かべるゴブリン。

 振り上げられた棍棒が、今度こそ、俺たちの未来を叩き潰そうと迫る。


 その時だった。


 一陣の風が、洞窟の中を吹き抜けた。

 いや、風じゃない。風のように現れた、一つの影が、ゴブリンとの間に滑り込んだのだ。


 次の瞬間、俺が聞き取れたのは、肉が断ち切れる、鈍く、湿った音だけだった。


 ゴブリンの体は、奇声を上げる間もなく、真っ二つになって崩れ落ちた。

 その向こうに立っていたのは、一人の男だった。

 使い古された革鎧に、無骨な鉄の剣。その体からは、俺のような素人でも分かるほどの、圧倒的な手練れの空気が漂っていた。歴戦の戦士。その言葉が、自然と頭に浮かんだ。


 男は、ゴブリンの死体には目もくれず、俺が最後に放った光の壁の残滓が消えた空間を、鋭い目つきで見つめている。まるで、獲物を品定めするように。


 そして、静かに、だが有無を言わせぬ迫力で、俺に問いかけた。


「おい、素人。その力、一体何だ?」


 助かった、という安堵よりも、恐怖と混乱が、俺の頭を支配していた。

 目の前の男は、ゴブリンより、ずっと強くて、ずっと恐ろしい。この男が敵意を向ければ、俺たちに抵抗する術はない。


「……わからない…」


 俺は、腕の中で震えるれいかを強く抱きしめながら、かろうじて言葉を絞り出した。

 それは、ただ、正直な魂の叫びだった。


「俺にも、何がなんだか…」


 男――ボルクは、その言葉と、俺が必死に娘を庇う姿に、嘘がないことを見抜いたようだった。彼は、ふいと視線をそらすと、ガシガシと無造作に頭をかき、盛大なため息をついた。


「……チッ。面倒なことに巻き込まれたもんだ」


 その態度は、決して親切とは言えない。だが、不思議と、殺意のようなものは感じられなかった。


 彼は、俺たちに背を向けると、顎で洞窟の出口らしき、光が差す方を指し示した。


「このままじゃ、次の化け物の餌食だ。街まで連れてってやる。ついてこい」


 その無骨な背中は、俺がこの理不-尽な世界で見た、最初の道しるべだった。

 俺は、まだ震えるれいかの小さな手を固く引き、必死にその背中を追いかけた。

 この子の手を、絶対に離さない。その一心だけで。

数ある作品の中から、本作を見つけて、そして最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!


「続きを読んでみたい」と思っていただけましたら、ぜひ物語のブックマークや、ページ下にある【☆☆☆☆☆】での評価をいただけると、本当に、本当に執筆の大きな励みになります!

皆様の最初の応援が、この物語が走り出すための、一番の力になります。

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