第十九話:父親の報告と、王都への道標
砦を攻略した翌日。
俺たち「パーティ・タカヒロ」は、ギルドマスターの部屋に、再び呼び出されていた。
報告のためだ。部屋の空気は、昨日までの祝賀ムードとは違い、静かで、重いものだった。ギルドマスターの傷だらけの顔も、険しく引き締まっている。
「さて、と」
彼が、机の上に置かれた、今回の依頼に関する書類を指さす。
「まずは、公式な報告を聞こうか、リーダー」
その言葉に、俺は背筋を伸ばし、一歩前に出た。
「はい。依頼『旧採石場の魔物調査および、周辺の安全確保』は、完了しました。砦内部にいたゴブリンは、我々の手で、全て駆除。数は、依頼書の想定を上回る、三十匹以上。首領格のホブゴブリン一体を含みます。こちらの被害は、ボルクさんが腕に軽い切り傷を負ったのみ。作戦は、成功です」
俺は、まるでいつもの業務報告のように、淡々と事実だけを述べた。
ギルドマスターは、静かに頷く。その目は、俺たちの戦果そのものよりも、その「過程」に興味があるようだった。
「……死体の損傷が、ひどかったらしいな」
後処理に向かった別のパーティから、報告が上がっているのだろう。
「ほとんどが、圧死と、窒息死。一部は、ひどい火傷を負っていた、と。お前さんたちのやり方は、どうやら、他の連中の度肝を抜いたらしい」
「俺の流儀は、安全第一、完全駆除ですので。脅威の根は、確実に絶つ。それが、俺の仕事のやり方です」
俺の言葉に、ギルドマスターは、ふ、と息を漏らした。それは、呆れと、感心が入り混じったような、奇妙な音だった。
「……見事なもんだ。だが、貴弘。お前の報告は、まだ終わっちゃいねえ。そうだろ?」
彼の鋭い視線が、俺の心を見透かすように、まっすぐに突き刺さる。
俺は、こくりと頷くと、懐から、慎重に折り畳んだ、あの羊皮紙の地図を取り出した。
「はい。これが、今回の任務で発見した、最も重要な『戦果』です」
俺が地図を机の上に広げると、ボルクさんとエリアナも、息をのんでそれを覗き込む。
俺は、地図の隅に描かれた、血のように赤い、あの奇妙な「紋章」を指さした。
「砦の司令部らしき場所で、これを発見しました。明らかに、ゴブリンが描いたものではありません。統率の取れた動き、巧みな罠、そして、魔法への的確な対策…。今回のゴブリンたちは、この紋章を持つ、何者かの指揮下にあったと考えるのが、妥当です」
その紋章を見た瞬間、ギルドマスターの顔から、表情が消えた。
いや、違う。感情が消えたのではない。長年の経験が、彼の全ての感情を、分厚いポーカーフェイスの仮面の下に、押し隠してしまったのだ。
隣に立つボルクさんも、目を見開いている。
「……この紋章。見覚えがあるのか、マスター」
「……ああ。忘れたくても、忘れられねえ」
ギルドマスターの声は、低く、そして重かった。
「三十年前。先代の魔王が、この大陸に侵攻してきた、『大戦』の時だ。奴の配下にあった、魔軍の一つが使っていた紋章と、酷似している」
「なっ…!?」
ボルクさんが、絶句する。
魔王。この世界に来てから、漠然と耳にしてはいた、災厄の象徴。それが、今、初めて、現実の脅威として、俺たちの目の前に姿を現した。
「三十年前に、勇者パーティによって、魔王は倒されたはずじゃなかったのか!?」
「ああ、倒された。だが、死んだとは、誰も言っちゃいねえ。封印されただけだ、と聞いている。そして、その封印が、綻び始めているのかもしれん。あるいは…」
ギルドマスターは、忌々しげに続ける。
「魔王の遺志を継ぐ、新たな勢力が、動き出したか、だ。どちらにせよ、これは、もう、俺たちだけの手に負える問題じゃねえ」
部屋に、重い沈黙が落ちる。
俺たちが相手にしたのは、ただのゴブリンの群れではなかった。それは、世界全体を巻き込む、巨大な戦争の、ほんの小さな「火種」だったのだ。
「貴弘」
ギルドマスターが、俺の名前を呼んだ。
「この地図と、お前たちの報告書は、俺の責任で、王都に送る。騎士団と、王宮の魔導師たちに、直接届けなければならん。これは、国家の安全保障に関わる、最重要案件だ」
「……はい」
「だが、手紙だけじゃ、信憑性に欠ける。現物を見て、実際に戦った者の、生の声が必要だ。……分かるな? 俺が、何を言いたいか」
俺は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
彼の言いたいことは、痛いほど分かった。
◇
その夜。俺たちは、ギルドの食堂で、重い空気の中、シチューを口に運んでいた。
ギルドマスターからの、事実上の「依頼」。それは、これまでの仕事とは、次元が違っていた。
「……王都、か。とんでもない話になっちまったな」
ボルクさんが、エールを飲み干して、大きなため息をつく。
エリアナは、不安そうに、スプーンを握りしめたまま、俯いている。
俺は、静かに口を開いた。
「……断る、という選択肢も、ある」
「え…?」
エリアナが、顔を上げる。
「俺は、よそ者だ。この国の戦争に、命を懸ける義理はない。俺が守りたいのは、ただ、れいか一人だけだ。平穏な日常が手に入ったのに、わざわざ、もっと大きな危険に、自分から首を突っ込む必要はない」
それは、俺の本心だった。
だが、その言葉を聞いて、最初に口を開いたのは、意外にも、エリアナだった。
「……嫌です」
か細い、だが、揺るぎない声だった。
「私は、行きます。師匠が、行かなくても。……だって、師匠は、教えてくれました。この力は、誰かを守るために使えるんだって。今、この街の、王国の平和が脅かされているなら、私は、戦いたいです。私が、師匠と、ボルク師匠と、そして…れいかちゃんからもらった、この居場所を守るために」
その言葉に、俺は、そしてボルクさんも、目を見開いた。
彼女はもう、ギルドの隅で怯えていた、無力な少女ではなかった。
「……フン。孫弟子に、先を越されちまったな」
ボルクさんが、ニヤリと笑う。
「まあ、そういうこった、貴弘。それに、これは、もうお前だけの問題じゃねえ。俺たち、『パーティ・タカヒロ』の、最初のデカい仕事だ。リーダーのお前が、ここで逃げるってんなら、俺は、この街一番の腰抜けだって、一生笑ってやるぜ」
仲間たちの、温かく、そして力強い視線が、俺に突き刺さる。
そうだ。俺は、もう一人じゃない。
俺が守りたい「日常」は、もう、れいか一人だけのものではない。
この、やかましくて、不器用で、でも、かけがえのない仲間たちとの、この時間も、含まれているのだ。
「……分かったよ」
俺は、観念したように、笑った。
「腰抜けなんて、娘に顔向けできないからな。行きますよ、王都でも、魔王の城でも。どこへでも」
俺の言葉に、エリアナは、ぱあっと顔を輝かせ、ボルクさんは、満足げに頷いた。
俺たちの、次なる目的地が、決まった瞬間だった。
俺は、席を立ち、部屋で待つ娘の元へと向かった。
これから始まる、長い旅の話をしなければならない。
不安は、あった。だが、それ以上に、不思議な高揚感が、胸を満たしていた。
ただの父親が、仲間を得て、世界の脅威に立ち向かう。
まるで、俺が昔、夢中になって読んだ、漫画の主人公みたいじゃないか。
悪くない。悪くない人生だ、と、俺は、心からそう思った。
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