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第十八話:父親の戦後処理と、帰るべき場所

 ボルクさんの、不器用で、しかし心の底から俺を認めてくれる言葉が、張り詰めていた俺の心を、ゆっくりと溶かしていった。

 俺は、その場に座り込んだまま、大きく、大きく息を吐き出す。生きて、いる。その実感が、ようやく全身に染み渡っていく。


「……師匠! ボルク師匠! ご無事ですか!」


 エリアナが、杖を握りしめたまま、こちらへ駆け寄ってくる。その目には、安堵の涙が浮かんでいた。


「ああ、見ての通りだ。この、ふざけた頭脳のおかげでな」


 ボルクさんはそう言うと、立ち上がって、俺に手を差し伸べた。俺は、その無骨で、力強い手を掴んで、よろよろと立ち上がる。


「さて、と」


 俺は、パンパンと服の汚れを払いながら、すっかり元の「現場監督」の顔に戻っていた。


「感傷に浸るのは後です。まだ、仕事は終わっていません。ボルクさん、動けるゴブリンが残っていないか、砦の内部の掃討をお願いします。エリアナは、ボルクさんの援護と、負傷者がいないかの確認を。二次災害が、一番怖いですから」

「おいおい、まだ俺たちをこき使う気か、リーダー」

「当たり前でしょう。これが、俺の流儀ですから」


 ボルクさんは呆れたように肩をすくめたが、その口元には笑みが浮かんでいた。二人は、俺の指示通り、砦の内部へと慎重に進んでいく。

 俺は、一人、ホブゴブリンがいた場所――つまり、奴らの「司令部」だったであろう場所の調査を始めた。

 そこには、粗末な木の机と、石を並べただけの椅子があった。そして、机の上には、俺の心を再び凍りつかせるものが、無造作に置かれていた。


(……地図、か)


 それは、羊皮紙に描かれた、このあたりの地域の、簡易的な地図だった。街道、森、そして、俺たちが今いる砦の位置が、稚拙な線で描かれている。

 だが、問題はそこではなかった。

 地図の隅に、そして、街道のいくつかのポイントに、俺たちが知らない、奇妙な紋様が、血のような赤いインクで書き込まれていたのだ。

 それは、ゴブリンの落書きなどではない。明確な意図と、規律を感じさせる、一つの「紋章」。


(やはり、誰かが、奴らを操っている…)


 その紋章が、これから俺たちが戦うことになる、本当の敵の顔であることを、俺は直感的に理解していた。俺は、その羊皮紙を、慎重に懐にしまう。これが、ギルドマスターへの、何よりの報告書になるだろう。


 ◇


 砦の掃討と、簡単な戦利品の回収を終えた俺たちは、夕暮れの道を、ランドールの街へと向かっていた。

 行きとは違う。俺たちの間には、確かな一体感と、戦いを乗り越えた者だけが共有できる、穏やかな空気が流れていた。


「……師匠」


 隣を歩くエリアナが、ぽつりと言った。


「私、初めて分かりました。魔法は、ただ撃つだけじゃないんですね。どこを、どうやって、何のために撃つのか…それが、一番大事なんですね」

「ああ。どんな強力な道具も、使い方を間違えれば、ただのガラクタだ。時には、自分を傷つけることすらある。だが、正しい設計図と、信頼できる仲間がいれば、最強の武器になる。君の魔法は、そういう力だよ」

「……はい!」


 エリアナの元気な返事に、俺は父親のような笑みを浮かべた。

 その様子を、ボルクさんが、少し離れた場所から、満足げに見守っている。


 二日後。俺たちは、ランドールの街の門を、再びくぐった。

 埃と、血と、そして、ほんの少しの硝煙の匂いをまとった俺たちの姿は、お世辞にも格好のいいものではなかった。

 だが、門番の兵士が俺たちを見る目には、もう、以前のような侮蔑の色はなかった。彼は、俺の顔を見ると、力強く敬礼し、道を開けた。

 噂は、もう広まっているらしい。


 俺は、ギルドマスターへの報告も後回しにして、真っ直ぐに、一つの場所へと向かった。

 ギルドの三階にある、俺たちの部屋。

 俺が、今、世界で一番帰りたい場所。


 そっとドアを開けると、小さな机に向かって、一生懸命に何かを描いている、れいかの小さな後ろ姿があった。


「――ただいま、れいか」


 俺の声に、その小さな肩が、びくりと震える。

 ゆっくりと振り返ったれいかは、俺の姿を認めると、その大きな瞳を、みるみるうちに涙でいっぱいにして、こちらへ駆け寄ってきた。


「パパ!」


 俺は、その小さな体を、今度こそ、心の底から抱きしめた。

 温かい。生きている。

 この温もりを守るために、俺は、あの地獄を戦い抜いたのだ。


「おかえりなさい、パパ…! ずっと、待ってたんだよ…!」

「ああ、ただいま。約束通り、帰ってきたぞ」


 俺は、涙でぐしゃぐしゃになった娘の顔を、優しく拭ってやる。

 ふと、机の上に、描きかけの絵が置いてあるのが見えた。

 そこに描かれていたのは、大きな建物と、その前で、剣を持った大きな男の人と、杖を持った綺麗なお姉さん、そして、その真ん中で、少し困ったように笑っている、俺の姿だった。

 絵の空には、大きな、真っ赤な太陽が昇っている。


「……これは?」

「パパたち! 私の、一番好きなもの!」


 れいかが、満面の笑みで言った。

 その笑顔が、今回の依頼で手に入れた、どんな金貨よりも、どんな名声よりも、価値のある、最高の報酬だった。


 俺は、この世界で、最強の戦士にはなれない。

 偉大な魔法使いにも、なれやしない。

 だが、この子の、この笑顔を守れるなら。

 俺は、この世界で、誰よりも強い父親でいられる。


 俺は、れいかの小さな手を固く握りしめ、この世界に来てから手に入れた、かけがえのない宝物たちと共に、穏やかな光が差し込む部屋の中で、ただ、静かに笑っていた。

もし、少しでも「この親子の行く末が気になる」「続きを読んでみたい」と思っていただけましたら、ぜひ物語のブックマークや、ページ下の【☆☆☆☆☆】での評価をいただけると、本当に、本当に執筆の大きな励みになります!

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