第十三話:父親の評判と、次の仕事
俺たちがギルドに戻ると、その報告は瞬く間に酒場中に広まった。
だが、その内容は、人々が想像するような、血湧き肉躍る英雄譚とは、あまりにもかけ離れていた。
「おい、聞いたか? 技術顧問のパーティが、採石場の依頼を片付けたらしいぞ!」
「ああ。だが、魔物を一体も斬らずに、岩盤ごと生き埋めにしたって話だ!」
「なんだそりゃ! 大魔法でもぶっ放したのか!?」「いや、顧問の『診断』と、あの暴発娘の、針の穴を通すような精密射撃らしい…」
冒険者たちの視線が変わったのを、肌で感じる。
特に、エリアナに向けられる視線。そこにはもう、昨日までの侮蔑や恐怖の色はなかった。代わりに宿っているのは、信じられないものを見るような驚きと、ほんの少しの尊敬。その変化に、エリアナ自身が一番戸惑っているようだった。彼女は、俺の後ろに隠れるようにして、俯きながらも、時折、誇らしげに胸を張るボルクさんの背中を、ちらちらと盗み見ている。
「……師匠」
カウンターで依頼完了の報告を終えた後、エリアナが、俺の服の袖を、きゅっと掴んだ。
「私、初めて…自分の魔法で、誰かに感謝されました。『よくやった』って…ギルドマスターに、初めて褒めてもらえました」
その潤んだ瞳を見て、俺は父親のような気持ちで、彼女の頭をぽんぽんと撫でた。
「君の力は、本物だからな。ただ、誰も、正しい使い方を知らなかっただけだ」
「……はい…!」
その様子を、ボルクさんが腕を組んで、満足げに眺めている。
「フン。当たり前だ。俺の孫弟子だからな」
「ボルク師匠は、何もしてないじゃないですか!」
「うるせえ! 俺がお前らの盾になって、敵を引きつけたから、作戦が成功したんだろうが!」
軽口を叩き合いながらも、俺たちの間には、言葉にしなくても分かる、確かな「信頼」という歯車が、力強く回り始めたのを感じていた。
◇
その日の夕方。
俺たちは、再びギルドマスターの部屋に呼ばれていた。
彼は、熊のような巨体を椅子に沈め、机の上に一枚の、使い古された地図を広げている。その傷だらけの顔は、昼間の軽口とは打って変わって、険しいものだった。
「……お前さんたちの評判、もう街中に広まってるぞ」
ギルドマスターは、感心したように、そして少し呆れたように言う。
「『岩盤落としのタカヒロ』『精密魔導のエリアナ』、そして『不死身の盾役ボルク』。なかなか、サマになってるじゃねえか」
「俺の二つ名だけ、なんかひどくないですか」とボルクさんがぼやくのを、俺は苦笑いで聞き流す。
「笑い事じゃねえ」
ギルドマスターの表情が、真剣なものに変わる。部屋の空気が、ぴりりと引き締まった。
「お前たちの、その奇妙なやり方を見込んで、一つ、デカい仕事を頼みたい。いや…頼めるのは、もう、お前たちしかいない」
彼が地図の上で指し示したのは、この街から東へ数日の距離にある、街道沿いの森だった。そこは、王都へと続く、重要な交易路のはずだ。
「ここに、ゴブリンどもが、砦を築いてやがる。街道を完全に塞いで、旅人や商人を襲ってるんだ。被害は、日増しに大きくなってる。何度か討伐隊を送ったんだが、ことごとく追い返された」
「ゴブリンが、討伐隊を?」
ボルクさんが、眉をひそめる。その声には、明確な不信感が滲んでいた。
「マスター、あんた、冗談を言ってるのか? ただのゴブリンの群れなら、Cランクのパーティが一つあれば、十分なはずだ。討伐隊が、それも複数、返り討ちに遭うなんて、ありえねえ」
「ああ、ありえねえはずだった。だが、現実に起きてる」
ギルドマスターは、苦々しげに続ける。
「奴ら、ただのゴブリンじゃねえ。まるで、人間の兵隊みてえに統率が取れてやがる。斥候を出し、罠を仕掛け、こちらの動きを完全に読んでくる。そして、何より、その砦が、やっかいでな」
彼は、机の引き出しから、数枚のスケッチを取り出した。それは、討伐隊の生き残りが描いたものだろう。粗末な丸太と石で作られた壁、そして、やぐらのような見張り台。
「粗末な作りだが、妙に守りが堅い。力自慢が壁を壊そうとすれば、上から矢の雨と、煮えた油。魔法使いが火を放とうとすれば、巧みに水の魔法を使う奴がいて、防がれる。まるで、戦争のやり方を知ってるみてえに、な」
その言葉に、俺の胸が、ざわりと嫌な音を立てた。
統率の取れたゴブリン。巧みな防御戦術。
それは、俺がこの世界に来てから、ずっと心の隅で燻っていた、ある予感に火をつけた。
(魔王軍の、影…)
ただの魔物が、自然発生的に、こんな知恵を持つとは思えない。誰かが、奴らを操っている。より大きな、悪意を持った何かが。
「……そこで、お前さんの出番だ、技術顧問」
ギルドマスターは、俺の目をまっすぐに見て言った。
「俺たちに必要なのは、壁を力任せに壊す、単純な火力じゃねえ。その壁の『弱点』を、根元から見抜く、お前さんのその目だ。どうだ? やってくれるか? もちろん、これはAランク級の、危険な任務になる。断るなら、それでも構わん」
それは、これまでで最も危険で、最も重要な仕事だった。
断ることもできる。俺は、まだこの世界に来て、数週間しか経っていないよそ者だ。この街の戦争に、命を懸ける義理はない。れいかを危険に晒すわけにはいかない。
頭の中で、いくつもの言い訳が渦巻く。
だが、俺の心は、もう決まっていた。
この街は、俺たち親子に、居場所をくれた場所だ。
ギルドマスターは、俺の価値を認めてくれた。ボルクさんは、俺たちを救ってくれた。受付のお姉さんは、れいかに優しくしてくれた。食堂のおばちゃんは、いつもれいかの分のシチューを、少しだけ大盛りにしてくれる。
その、ささやかな、しかし、かけがえのない日常。
その平和が脅かされているなら、俺が戦う理由は、もう「娘のため」だけじゃない。
俺は、隣に立つ仲間たちの顔を見た。
エリアナは、不安そうに唇を噛んでいるが、その瞳の奥には、師匠の役に立ちたいという強い光が宿っている。彼女はもう、ギルドの隅で俯いていた、無力な少女じゃない。
ボルクさんは、何も言わずに、ただ、静かに頷いた。その目には「お前が行くなら、俺も行く。それが仲間ってもんだろ」という、無言の信頼が満ちていた。
俺は、ギルドマスターに向き直り、深く、頭を下げた。
「その仕事、我々『パーティ・タカヒロ』が、お引き受けします」
そして、顔を上げて、少しだけ笑ってみせた。
「なに、心配いりませんよ。ただの、違法建築の解体工事みたいなもんですから」
俺の言葉に、ボルクさんとエリアナも、つられて笑う。
俺たちの、本当の意味での「初陣」が、今、決まった。
それは、ただの父親が、初めて、仲間と、そして守るべき日常のために、自ら戦場へと歩き出す、決意の瞬間だった。
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