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【エピローグサイドストーリー】エリアナ編:癒やしの光と、未来の神話

 

 『再創生の儀』から三ヶ月。王都は、まるで長い冬から目覚めたかのように、復興の槌音と人々の活気に満ちていた。空は高く澄み渡り、かつて街を覆っていた絶望の影は、まるで嘘だったかのように晴れ渡っている。


 その喧騒の中心、王城の一角に急遽設けられた臨時診療所。そこが、エリアナの新たな戦場だった。


「急患です! 東壁の修復現場で崩落が!」

「エリアナ様! こちらの患者、魔力の循環が安定しません!」


 担架で運び込まれてくる負傷者、飛び交う治癒師たちの悲鳴にも似た声。硝煙の代わりに薬草と血の匂いが満ちるこの場所で、エリアナは一人、嵐の海の灯台のように静かに立っていた。


「落ち着いてください!」


 凛とした、しかしどこまでも穏やかな声が、混乱の極みにあった診療所の空気を一瞬で引き締める。


「第三診察室の患者さん、ポーションの投与量を半分に! 回復が追いついていません、魔力の拒絶反応です!」「西の倉庫から治癒効果のある薬草『シルベングラス』を五十束、至急こちらへ! 在庫が尽きます!」「重傷者は奥のベッドへ! 歩ける方は壁際に座って、呼吸を整えてください!」


 矢継ぎ早に、しかし寸分の狂いもなく的確な指示が飛ぶ。かつての「暴発娘」の面影はどこにもない。彼女のその正確無比な魔力制御と、戦場で培われた判断力。そして何より、傷つく者へ寄り添う深い慈愛の心から、人々は敬意を込めて彼女をこう呼んだ。「暁の魔女」、と。


 エリアナは、ただ魔法を使うだけではない。師である貴弘が戦場で示してくれた「管理」と「効率化」の考え方を取り入れ、他の治癒師たちへの指示出し、薬草の在庫管理、患者のトリアージまで、見事にこなしていた。それは、彼女の新しい『現場』だった。


 運び込まれたばかりの、瓦礫に足を砕かれた若い石工の前に、エリアナは静かに膝をついた。

「…大丈夫。すぐに楽になりますからね」

 彼女の小さな手から放たれる温かい治癒の光が、若い石工の傷口を優しく包み込む。痛みに歪んでいた彼の顔が、少しずつ穏やかになっていく。


 だが、その気丈な横顔の裏で、彼女の心は常に小さな悲鳴を上げていた。

(…師匠なら、もっとうまくやれるはず。もっと、効率的に。もっと、多くの人を救えるはずなのに…)

(私なんかが、本当にまとめ役なんて務まるのだろうか…)

 かつての自信のなさが、三ヶ月分の疲労と共に、鉛のようにその肩にのしかかる。その心の揺らぎを見透かす者は、ここにはいない。そう、思っていた。


「―――薬草を、持ってきた」


 その、静かで低い声に、エリアナははっと顔を上げた。

 いつの間にか、診療所の入り口にライレンが立っていた。彼はギデオンの騎士団と、都の影で生きる亜人街との「連絡役リエゾン」を務めている。その背には、依頼された薬草が詰まった大きな革袋があった。その闇色の瞳は、この喧騒の中心でただ一人、彼女の姿だけを捉えていた。


「ライレンさん…。いつも、すみません。助かります」

「…仕事だ」

 彼は短く答えると、薬草を所定の棚に手際よく置いていく。二人の会話はまだぎこちない。だが、互いの仕事ぶりを認め合っている、静かで心地よい空気が流れていた。


 ライレンは、ふとエリアナの作業台に目をやった。薬草を切り刻むための小さなナイフの刃が、こぼれている。

 彼は何も言わず、懐から小さな砥石を取り出すと、そのナイフを手に取り、シャッ、シャッ、と静かな音を立てて研ぎ始めた。

「え…!?」

「刃がこぼれていては、効率が悪いだろう」彼は、手元から目を離さずに言う。「お前の師匠なら、きっとそう言うはずだ」

 その、あまりにも彼らしい、不器用な気遣い。


 彼は研ぎ終えたナイフをエリアナに返すと、彼女の目の下に浮かぶ深い隈を一瞥し、静かに言った。

「…お前は、ここでも指揮官のつもりか」

「え…?」

「部下には的確な指示を出す。だが、指揮官自身が休息を取ることを忘れている。それでは、一番先に倒れるぞ」

 ライレンは続けた。「…あまり、一人で背負いすぎるな。お前は、一人で戦っているわけじゃない」


 その不器用な、しかしどこまでも真実を突いた一言に、エリアナの心に張り詰めていた糸が、ふっと緩んだ。

「……ふふ」

 彼女の口から、この三ヶ月で初めて、心の底からの小さな笑い声が漏れた。

「…ありがとうございます、ライレンさん。…そう、ですね。少し、休みます」


 ライレンは、その笑顔に少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに「…ああ」と短く頷くと、音もなく去っていった。

 一人残されたエリアナは、自分の両手を見つめた。治癒の光が、まだ淡く残っている。

 かつて、親友を傷つけ、呪いだと思っていたこの力。

 だが、今は違う。この手で、救える命がある。そして、その重すぎる責任を、静かに分かち合おうとしてくれる仲間がいる。

 エリアナの心に、夜明けの光のような、温かい決意が灯った。


 ◇


 その日、診療所の穏やかだった空気は、一組の夫婦の悲痛な叫びによって引き裂かれた。

「暁の魔女様! どうか、どうかこの子を…!」

 担架で運び込まれてきたのは、まだ十歳にも満たない少年だった。肉体に目立った外傷はない。だが、その瞳からは光が完全に失われ、まるで魂だけがどこか遠い場所へ行ってしまったかのように、ぐったりとしていた。

『星を喰らう者』との決戦の際、世界の理が歪んだ空間にいた影響で、魂の一部が「欠落」してしまったのだという。


「大丈夫です。すぐに、楽にしてあげますから」

 エリアナは夫婦を落ち着かせると、少年の前に静かに膝をついた。その手には、もう迷いも恐怖もない。ただ、目の前の命を救うという、治癒師としての確かな自信があった。

「―――【ハイ・ヒール】!」

 彼女の新しい杖『暁の明星』から、これまでで最も清浄で、力強い聖なる光が溢れ出す。だが、その光が少年の体に触れた瞬間、ありえない現象が起きた。

 バチッ! という嫌な音と共に、聖なる光はまるで水を弾く油のように霧散し、逆に少年の体を黒い静電気が包み込んだ。

「う…ぅ…」

 少年が、苦痛に顔を歪める。その小さな体から放たれた負の衝撃波が、エリアナの体を容赦なく弾き飛ばした。

「きゃっ!?」

 床に叩きつけられたエリアナは、呆然と自分の手を見つめた。

(嘘…でしょ…? 私の光が…拒絶、された…?)


 力を注げば注ぐほど、少年の魂はそれを拒絶するかのように、さらに弱っていく。

 その光景が、彼女の魂に深く刻み込まれた、あの日の悪夢を呼び覚ました。


(―――『よせ、エリアナ! 制御できてない!』)


 親友レオの悲痛な叫び声。そして、自らの驕りが暴走させ、彼の腕を二度と元には戻らないほど焼き尽くしてしまった、灼熱の炎の記憶。鼻の奥に、魔力が焼けるあの日の匂いが蘇る。


(まただ…)

(また、私の力は…。誰かを救うどころか、傷つけてしまうのかもしれない…!)


 その日から、エリアナの戦いが始まった。

 彼女は誰にも相談せず、たった一人で診療所の奥の研究室に籠もった。三日三晩、ほとんど眠らずに王立図書館から取り寄せた古文書の山を漁り、少年に何度も、何度も、違う角度から治癒魔法を試みた。だが、結果は同じだった。

 焦りが、彼女の冷静な判断を狂わせていく。師である貴弘なら、きっとこの「構造的欠陥」を見抜けるはずだ。だが、その師に頼ることは、自らの無力さを認めることのようで、彼女のちっぽけなプライドがそれを許さなかった。


 三日目の深夜。

 ついに魔力が枯渇し、意識が朦朧としてきたエリアナの体が、ふらり、とよろめいた。床に倒れ込む、その寸前。

 その体を、静かな影が支えた。

「…馬鹿者。お前が倒れて、どうする」

 ライレンだった。

 いつからそこにいたのか。彼の足元には、手つかずのまま冷たくなった食事が乗った盆が三つ、重ねられていた。彼は、エリアナが一人で無茶を続けていることに気づき、ずっと、ずっと影から見守り、食事を運び続けていたのだ。

「…放っておいて、ください」エリアナは、絞り出すように言った。「私なら、一人で…」

「一人で、あの時の二の舞になるつもりか」

 ライレンの静かな言葉が、彼女の心を鋭く刺した。「お前は、俺の知る誰よりも強い。だが、お前の悪い癖は、全てを一人で背負い込むことだ。…あの父親から、何も学ばなかったのか」

 その言葉に、エリアナは何も言い返せなかった。


 ライレンは、ため息を一つつくと、懐から一枚の、古びた羊皮紙の断片を差し出した。

「俺にできるのは、これくらいだ」

 それは、彼がその「影」としての能力を活かし、夜通し王立図書館の禁書庫にまで忍び込み、少年の症状に似た症例が記された古文書の断片を探し出してきたものだった。そこには、古代エルフ語で「魂の欠落は、癒やすにあらず。ただ、寄り添い、新たな形を成すを待つべし」とだけ記されていた。


 その、あまりにも不器用な、しかし、どこまでも温かい優しさに。

 三日三晩、張り詰めていたエリアナの心の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。

「…う…っ…うわあああああん…!」

 彼女は、子供のように声を上げて泣きじゃくった。悔しさと、不甲斐なさと、そして、一人ではないのだという、どうしようもないほどの安堵に。

 ライレンは何も言わず、ただ、その小さな背中が落ち着くまで、影のように静かに、そこに立ち尽くしていた。


 やがて、嗚咽が途切れ、エリアナが疲れ果てて顔を上げた時も、彼はまだ、そこにいた。変わらず、ただの影のように。

 だが、その静かな影が、今の彼女にとっては、どんな治癒魔法よりも、どんな頑丈な壁よりも、心を安らがせてくれるものに感じられたのを、彼自身が知る由もなかった。


 ◇


 ライレンが命がけで持ち帰った、一枚の羊皮紙の断片。そこに記された古代エルフの叡智…『魂の欠落は、癒やすにあらず。ただ、寄り添い、新たな形を成すを待つべし』。

 その一文が、三日三晩、暗闇の中を彷徨っていたエリアナの脳裏に、一条の光を灯した。

 そして、その光の中で、彼女は師である貴弘の、あの不器用で、しかしどこまでも真理を突いた声を、雷のように聞いた。


『どんな機械だって、壊れるのには原因がある。原因が分かれば、直し方だって見つかるはずだ』


「…そうか…!」


 エリアナは、顔を上げた。魔力枯渇で虚ろだったはずのその瞳に、再び「暁の魔女」の鋭い光が宿っていた。

「これは『治す』んじゃない。『構造』が歪んでいるんだ…。魂という名の、あまりにも精密で、脆い機械が。師匠なら、きっとこう言うはず…『まず、設計図を読め』と!」


 彼女は、傍らで彼女の目覚めを静かに見守っていたライレンへと向き直った。その顔にはもう、焦りも絶望もない。

「ライレンさん。お願いがあります。もう一度、あなたの力を貸してください。王立図書館の禁書庫へ行きます。私一人では見つけられない『答え』が、きっとそこにあります」

「…承知した」ライレンは短く頷いた。「お前の『目』が必要だ、と言われれば、断る理由はない」


 ◇


 その夜、王立図書館の最深部、禁書庫の重い扉が、二人のために開かれた。

 二人きりの、静かで薄暗い書庫。何世紀分もの知識が眠る古書のインクの匂いが、不思議とエリアナの心を落ち着かせる。高い窓から差し込む月光が、空気中を舞う埃をキラキラと照らし出し、まるで星々の海の中を歩いているかのようだった。


 エリアナが小さな光の魔法を灯し、ライレンがその闇色の瞳で、常人には読み取れぬほどの速度で古文書の背表紙をなぞっていく。彼女の魔術的知識と、彼の暗殺者としての超人的な索敵能力。二つの才能が、完璧なハーモニーを奏でていた。


「…あ、ごめんなさい」

 一つの古い医学書に、二人が同時に手を伸ばした。エリアナの指先が、ライレンの、傷跡の残る、しかしどこまでも優しい指先に、そっと触れた。

 びくり、とエリアナの心臓が大きく跳ねる。顔に、急速に熱が集まっていくのが分かった。

「い、いえ…」

「…高い場所にある本は、俺が取ろう」

 ライレンは、彼女の動揺に気づいているのかいないのか、平然とした顔で、エリアナでは到底届かない書架の最上段から、分厚い本をこともなげに取ってやる。その、音もなくしなやかな身のこなしは、まるで闇を舞う黒豹のようだった。エリアナは、その横顔から、目が離せなかった。


 だが、数時間後。調査は完全に行き詰まっていた。

「…ダメです。魂の『構造』に関する記述なんて、どこにも…」

 エリアナが、テーブルに積み上げられた古文書の山に突っ伏した、その時だった。

「……エリアナ」

 ライレンの、静かな声がした。彼は、本ではなく、書架そのものを、じっと見つめていた。

「…この棚、壁との間に、不自然な隙間があるな。寸法が、計算と合わない」

 その、あまりにも師匠(貴弘)に似た、構造的な指摘。彼の鋭い観察眼が、隠された書棚の存在を暴き出したのだ。


 ライレンが、その壁の一部をそっと押す。ゴゴゴ、という低い音と共に、書架が横へとスライドし、その奥から、埃をかぶった小さな隠し書庫が姿を現した。

 その奥にあったのは、治療法とは全く関係のない、神代の時代の神話や伝承が記された、一冊の美しい装飾本だった。銀細工の留め具、竜の革で装丁された表紙。それは、本というよりは、一つの芸術品だった。


エリアナが、何かに導かれるようにその本を手に取り、ページをめくる。

そして、彼女の指は、一枚の、ひときわ美しい挿絵の前で止まった。


そこには、誰かの結婚式の様子が、金箔とラピスラズリで描かれていた。そして、空から、純白と黄金の四枚の翼を持つ天使が舞い降り、新郎新婦を祝福している。

その天使の姿に、エリアナは失われたはずのルークスの面影を、はっきりと見た。


添えられた古代語の文章を、エリアナは震える声で読み上げる。


『―――魂が分かたれし聖女、その愛しき者たちの祝言に、神鳥の翼と魔王の慈悲を宿し、夜明けの天使として顕現し、永遠の祝福を与えん』


 その、あまりにも壮大で、あまりにも優しい神話。

 エリアナは、そのページから目が離せなかった。胸の奥で、まだ名前のない、温かい感情が、確かな「予感」となって脈打つのを感じていた。

 これは、ただの古い物語ではない。自分たちがこれから紡いでいく、未来の物語の、最初のページなのだ、と。


 彼女は、隣に立つライレンの横顔を、そっと盗み見た。月明かりに照らされた彼の顔が、なぜか、少しだけ赤く見えた。

 その時、エリアナの中で、全く関係のないはずだった二つの事柄が、一つの答えへと繋がった。

 この未来を予感させる温かい神話と、目の前で衰弱していく少年の冷たい現実。その両方を救うための、ただ一つの道筋が、閃光のように脳裏を駆け巡ったのだ。


(…そうか。わたしは、間違っていたんだ)


 エリアナは、テーブルに積み上げられた難解な医学書と、今手にしている神話の本を交互に見比べた。

(師匠は言った、『設計図を読め』と。わたしはずっと、少年の魂の『元の正しい設計図』を探していた。でも、違ったんだ。そもそも、魂にたった一つの正しい形なんてないのかもしれない)


 彼女の脳裏に、神話の本に描かれた天使の姿が蘇る。魂が分かたれ、神鳥や魔王の力と融合し、全く新しい存在へと昇華する物語。


(魂は、機械じゃない。もっと流動的で、変化して、新しい形になれる、生き物そのものなんだ…!)


ライレンが見つけてくれた言葉が、心に響く。『新たな形を成すを待つべし』。


(わたしが読むべきだったのは、『元の設計図』じゃない。今、目の前で苦しんでいる、あの少年の、『壊れたままの設計図』そのものだったんだ。そして、無理やり元に戻すんじゃなくて、残された部分が、新しい、美しい形を成せるように、そっと手伝ってあげる。…それこそが、わたしの本当の『仕事』…!)


 エリアナは、顔を上げた。その瞳にはもう、迷いはない。

 未来の神話は、彼女に過去のトラウマを乗り越える勇気と、目の前の命を救うための全く新しい「発想」を与えてくれたのだ。



 ◇


 翌日の朝、臨時診療所に静かな緊張が走っていた。

 エリアナは、衰弱したまま眠る少年のベッドの傍らに立ち、その両親に深々と頭を下げた。

「これから、治療を始めます。ですが、これは通常の治癒魔法ではありません。成功する保証は…ありません。それでも、信じていただけますか?」

 夫婦は、目の前の少女の、その真摯な瞳に全てを託すように、涙ながらに頷いた。ライレンが、部屋の隅の影から、静かにその光景を見守っている。


 エリアナは静かに目を閉じた。脳裏に、師である貴弘の教えが蘇る。

(『治す』んじゃない。『構造』を理解し、『再設計』するんだ…!)


 彼女は、新しい杖『暁の明星』を少年にかざす。だが、そこから放たれたのは治癒の光ではなかった。まるで超音波のように繊細で、不可視の魔力の波だった。彼女の意識は、その波に乗って、少年の魂という名の、壊れかけた精密機械の内部へと潜っていく。


 見えた。

 魂の『設計図』。その中心部が、ごっそりと欠落している。残された部分は、バランスを失い、互いを傷つけ合うように歪なエネルギーを発していた。

(…ここだ。この歪みが、彼の生命力を奪っている…!)

 彼女は、欠落した部分を無理やり埋めることをしない。ただ、残された部分…その一つ一つの輝きを信じ、そっと、導くように魔力の糸を紡いでいく。

「…大丈夫。あなたは、一人じゃない。あなたの魂は、まだこんなに、輝いているのだから」

 それは、治療というよりは、壊れた星々を繋ぎ合わせ、新しい星座を描き出すような、神聖な作業だった。


 数時間後。

 エリアナの額から、最後の一滴の汗がこぼれ落ちた、その時。

 少年の瞼が、ぴくりと震えた。そして、ゆっくりと、その瞳が開かれていく。

 失われていた光が、そこには確かに宿っていた。

「……ママ…?」

 か細い、しかし確かな声。夫婦の嗚咽が、静かな部屋に響き渡った。

 エリアナは、その場にへたり込んだ。疲労よりも、どうしようもないほどの安堵と、そして、自らの力で誰かを救えたという、確かな喜びが、彼女の魂を満たしていた。

 彼女は「暁の魔女」から、魂の「管理者」へと、確かに成長を遂げたのだ。


 ◇


 後日、診療所が落ち着きを取り戻した、夕暮れ時。

 エリアナは一人、自室で、あの古書を読み返していた。月明かりが、机の上を優しく照らしている。

 彼女は、四枚の翼を持つ天使の挿絵を、愛おしそうに指でなぞった。

(ルークス様は、消えてしまったわけじゃない。きっと、またいつか、れいかちゃんの中で…ううん、あるいは、本当にこんな奇跡が…)

『その愛しき者たちの祝言に…』

 その一文に、彼女の胸が、きゅっと甘く痛んだ。脳裏に浮かんだのは、影のように静かで、しかし誰よりも優しい、一人の男の横顔だった。


 ふと、エリアナは窓の外に視線を向けた。

 そこに、彼がいた。訓練を終えたライレンが、壁に寄りかかり、静かに空を見上げていた。まるで、彼女が出てくるのを、ずっと待っていたかのように。

 夕日に照らされた彼の横顔を見て、エリアナの胸が、これまで知らなかった温かい光で満たされる。

 彼女は、意を決して窓を開けた。

「ライレンさん…。あの、待っていてくれたのですか?」

 彼は、驚く様子もなく、ゆっくりとこちらを向いた。

「…いや。ただ、ここの風が、心地よかっただけだ」

 その、あまりにも彼らしい、不器用な答えに、エリアナは思わず笑ってしまった。

「ふふ、そうですか」

「…お前の顔、嵐が過ぎた後の空のようだ。…よく、頑張ったな」

 その、静かで、しかし全てを見透かすような優しい言葉。

「……はい」

 エリアナは、それだけを答えるのが、精一杯だった。


 ライレンは、小さく頷くと、音もなく闇の中へと去っていった。

 一人残されたエリアナは、古書を胸に抱きしめた。

 その顔には、未来への、確かな希望と、淡い恋心の、初々しい笑みが浮かんでいた。


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