第十話:父親の診断と、魔法の配管工事
翌朝の訓練場は、いつもとは違う、張り詰めた空気に満ちていた。
夜明けの冷たい空気が、石畳の地面から立ち上る。俺と、不安そうに唇を噛むエリアナ。そして、腕を組んで壁に寄りかかるボルクさん。彼は護衛というより、いつ爆発するとも知れない不発弾処理に立ち会う、ベテラン兵士の顔をしていた。
「……本当に、やるのか、貴弘」
ボルクさんの低い声が、静寂を破る。その声には、いつもの軽口とは違う、本物の懸念が滲んでいた。
「昨日、ギルドの連中が言ってたこと、お前も聞いてただろ。あいつの魔法は、冗談抜きで仲間を殺しかけたこともある。俺は構わんが、お前はまだ、あの光の壁とやらを自由に出せるわけじゃねえんだろうが」
「ええ、分かってます。だから、ボルクさんに立ち会いをお願いしたんです。万が一の時は、俺ごと、彼女を止めてください」
俺の言葉に、ボルクさんは盛大なため息をついた。だが、それ以上は何も言わなかった。俺が、ただの善意や同情だけで動いているのではないことを、この数日の付き合いで、彼も理解してくれているのだろう。
俺は、エリアナに向き直った。
彼女は、俺とボルクさんのやり取りを聞いて、さらに顔を青くさせている。その手は、握りしめた古びた木の杖が白くなるほど、強く震えていた。昨日、俺の前で見せた、ほんの少しの希望の光も、この場の重圧でかき消されそうになっている。
「エリアナさん」
俺は、まるでいつもの現場仕事のように、軽く手を叩いて、努めて明るい声を出した。
「そんなに緊張しなくていい。これは試験じゃない。ただの『点検』だ。君っていう、とんでもなく高性能な機械が、どうしてうまく動かないのか、その原因を一緒に探すだけだから」
「き、機械…ですか…?」
「ああ。俺の専門分野だ」
俺は、訓練場の隅に立てかけられた、分厚い木の的を指さした。前の依頼で、冒険者たちが訓練で使って、ボロボロになったやつだ。
「じゃあ、まずは、君の魔法を見せてほしい。一番得意な、簡単なやつでいい。あそこの的に向かって、撃ってみてくれ」
エリアナはこくりと頷くと、的の前に立つ。その小さな背中からは、まるで処刑台に向かう罪人のような、悲壮な覚悟すら感じられた。
彼女が両手を前に突き出すと、その手のひらの間に、小さな光が灯る。
それは、みるみるうちに大きくなり、バチバチと激しい音を立てて、オレンジ色の炎の塊へと変わっていく。
(すごい魔力だ…)
素人の俺でも分かる。ギルドの他の魔法使いたちが放つ炎とは、密度も、熱量も、まるで違う。それは、ただの火じゃない。まるで、小さな太陽が、彼女の手の中に生まれてしまったかのようだった。
だが、問題はそこからだった。
エリアナの体が、カタカタと小刻みに震え始める。額には玉のような汗。
彼女は、その強大すぎる力を、必死に抑え込もうとしているようだった。杖を握る指が、力の入れすぎで震えている。呼吸は浅く、速く、まるで溺れているかのようだ。
「いっ…けぇっ!」
絞り出すような声と共に、炎が放たれる。
いや、放たれたというよりは――爆発した、と言った方が正しかった。
ゴオオオッ!
炎の塊は、制御を失って不規則に膨張し、的を大きく逸れて、訓練場の石壁に直撃した。壁の一部を黒く焦がし、轟音と共に砕け散る。衝撃波が、俺たちの髪を激しく揺らした。
ボルクさんが、咄嗟に俺の前に立って庇ってくれる。その背中がなければ、俺は飛んできた石の破片で、ただでは済まなかっただろう。
「……おい、見たか、貴弘。これがこいつの魔法だ。威力が桁違いな分、まったく制御が効かねえ。あんなもん、実戦で使ったら味方ごと吹き飛ぶぞ」
ボルクさんの言う通りだ。
だが、俺が見ていたのは、炎の威力ではなかった。
俺は、爆発の瞬間、エリアナの足元から、その構え、呼吸、力の流れ、その全てを、食い入るように見ていた。
(……なるほどな)
俺は、思わず呟いていた。
これは、魔法の問題じゃない。配管工事の問題だ。
「エリアナさん」
俺は、自分の失敗に打ちひしがれ、その場にへたり込んでうなだれる彼女に近づいた。
「君は、魔法の才能がないんじゃない。むしろ、ありすぎるんだ。例えるなら、消防車の放水ホースから水を出すのに、家庭用の水道の蛇口をひねるみたいに、無理やり力を押し出そうとしてる」
「え…?」
「蛇口は、そんな強い水圧に耐えられない。だから、途中で破裂する。君の体で、今、それが起きてるんだよ」
俺は、エリアナの前に立つと、少しだけ腰を落として、両足を肩幅に開いた。ボルクさんに、毎日毎日、飽きるほど叩き込まれている、剣の基本の構えだ。
「君の足を見てみろ。つま先が浮いて、膝が震えてる。これじゃ、地面にしっかり根を張れない。強い水圧を支えるための、頑丈な土台がないんだ」
「ど、土台…?」
「ああ。そして、呼吸だ。息を止めて、力任せに押し出そうとしてる。違う。力ってのは、流すもんだ。ダムの放水と同じだよ。ゲートをゆっくり開けて、水の流れを導いてやるんだ。深く息を吸って、ゆっくり吐きながら、その流れに、力を乗せてやるんだよ」
俺が言っているのは、魔法の理論じゃない。
建物の基礎工事と、配管の圧力制御の話だ。
だが、エリアナは、初めて聞く理論に、目を白黒させている。
「……もう一度、やってみてくれないか。今度は、俺の言う通りに」
俺は、彼女の後ろに回り、その小さな両肩に、そっと手を置いた。
「まず、もっと腰を落として。そう、地面をしっかり掴む感じだ。足の指で、地面を握るように。そして、息を吸って…ゆっくり、吐きながら、魔法を練り上げていく。焦らなくていい。力は、君の中から自然に溢れてくるんだから。無理に引っ張り出すな。ただ、それが満ちてくるのを待つんだ」
エリアナは、戸惑いながらも、俺の言葉に従う。
彼女の呼吸が、少しずつ、深く、穏やかになっていく。
手のひらの間に生まれた炎は、さっきよりも少し小さい。だが、その揺らめきは、明らかに安定していた。バチバチという、暴発寸前の音もしない。
「……いける。そのまま、的を見て。押し出すな。ただ、道を作ってやるんだ。その炎が、まっすぐ的に届くための、道を。君の体は、ただの、通り道だ」
俺の言葉に、エリアナがこくりと頷く。
そして、彼女の手から、一本の、鋭い炎の矢が、静かに、だが、恐ろしいほどの速度で放たれた。
シュッ!
風を切るような、鋭い音と共に、炎の矢は、訓練場の的の、ど真ん中に突き刺さっていた。
爆発も、轟音もない。ただ、的が中心からじりじりと燃え上がり、やがて、大きな穴が空いた。
訓練場に、静寂が落ちる。
エリアナは、自分の手のひらと、燃え尽きていく的を、信じられないというように、交互に見つめている。
その隣で、ボルクさんが、化け物でも見るような目で、俺を見ていた。
「……おい、貴弘。お前、本当に、ただのビル管理だったのか…?」
俺は、そんな二人を尻目に、まるで古くなった水道の蛇口を直し終えた時のような、ささやかな満足感に浸っていた。
やっぱり、どんな複雑な問題も、突き詰めれば、基礎と構造に行き着くんだ。それは、世界が変わっても、同じらしい。
数ある作品の中から、本作を見つけて、そして最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
「続きを読んでみたい」と思っていただけましたら、ぜひ物語のブックマークや、ページ下にある【☆☆☆☆☆】での評価をいただけると、本当に、本当に執筆の大きな励みになります!
皆様の最初の応援が、この物語が走り出すための、一番の力になります。