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なりたくて  作者: 神咲
7/15

袋小路

【静かに侵食されゆく心】


あらすじ

無事、中間考査を終えた瀬川。だが、日吉の行動が読めず少々勉強に支障をきたす。

その後、七海とDNA鑑定を試みることを決定。結果はどうなるのだろうか。

 

 とある少年は小学生になっていた。

 友達の作り方を知らない彼はいつも孤独で、休み時間は図書室へ籠もるのが日課だった。読めない漢字や意味の知らない言葉があっても、とにかくそれらを目に入れる。そうすると自然とこころが落ち着く。

 ゲームなど遊べるものを持っていないし、家では教科書を繰り返し読んでいた。

 そのうちに、べんきょうっていうのは楽しいのかも、と思い始める。

 彼は長期休暇が嫌いだった。一人でいるのは慣れたけれど、食糧源である給食がないからだ。

 何週かにいっぺん母親が男を連れて帰ってくるが、会話もなく暴力と僅かな金だけ置いて去っていく。この雀の涙を出来るだけ貯めて、少年はスナック菓子を買う。それを何回かに分けて食べ、水道水を飲み、本に集中することで空腹を凌いだ。

 この地獄のような日々が終わると、皆は毎度“りょこう”の話で盛り上がっている。会話に混ざる勇気はなく、聞こえてくる話から想像を膨らませていた。

 いつしか彼は、このまま自分の“じんせい”というものが終わるのだと思い込んでいたが、転機が訪れる。

 それは、たまにやる“てすと“で“ひゃくてん”を取ったことをきっかけだった。偶々、一人だけ満点だったらしく、教師から「おめでとう。すごいね」と言葉をかけてもらった。

 少年の脳に電撃が走る。その瞬間、一枚の紙切れがきらきら輝いたように見えた。

 勉強をすると、100点が取れる。100点が取れると、誰かが褒めてくれる。

 それに気付いてからの少年は頭へ色々な知識を詰め込んだ。学力はぐんと伸びて、高学年にもなると、どんな教科も満点を取った。統一テストでもそれは同様だった。

 あまりの出来にニンゲンからは敬遠され始め、とうとう卒業まで友達の一人も出来なかった。けれど、彼にとってそれはさして問題ではない。

 代わりに生きるための喜びを手に入れたから。これがあればきっと──この世界に居場所が出来るかもしれない。

 少年は1と100、その数字と共に未来に希望を持って羽ばたいていった。

 そうして青年となった彼は今、深海にて一人、溺れている。


――――――――――――


 中間考査の結果が出るこの日、ランキングの掲示板を見るためだけに、瀬川は登校してきた。

 結果が出る日付は、手元にある年間行事予定表に記載されているので、不登校児の瀬川でも情報を得られる。だが、またも無理をして出てきたため非常に目つきが悪い。

 単に具合が悪いだけなのだが、大多数は睨まれていると勘違いするだろう。瀬川が廊下を進む度、海割りのごとく生徒は捌けていく。変に絡まれるより面倒ではないため、瀬川にとって大した問題ではなかったが。

 二年の階へ向かうと、ちょうど廊下の真ん中に人だかりができていた。ガヤガヤと盛り上がっている。そこに掲示されているのが分かって向かう。

 不意に一人の生徒と目が合った。その生徒が隣の生徒に声をかけ、次々とそれが連鎖していく。瀬川が掲示板へ着く頃には、皆、教室や廊下の端などに避難していた。

 ランキングを確認しようと目をやると、周囲からひそひそ声が聞こえてくる。いつまでも鬱陶しい。おい、と彼は声を上げた。


「言いたいことあんならハッキリ言えよ」


 その言葉に息を呑み、黙る生徒たちを他所に掲示板を見る。

 真ん中から目線を上げていく。TOP10を過ぎて、5、3──。


【1位 瀬川凪】


 次に氏名の隣を見る。

 彩都はランキング表に教科ごと、総合点数も記載する方式であり、やはり彼は1点たりとも落としていない。

 それをしっかり目に焼き付ける。生徒たちに背を向けたまま、瀬川は言う。


「馬鹿な噂流してる暇あんなら、もっと勉強すれば?」


 誰も反論出来なかった。実際、今まで瀬川に勝てた人間は一人もいないからだ。


「その時間が勿体ない。文句あんならおれの点数超えてからにしろよ。それともなにか?噂流せばセンコー共も言うこと聞いておれの点数無理やり引き下げるとでも思った?いや、待てよ。その線あり得なくもないか。おれはあんたらにもセンコーにも嫌われてるんだし、オトナ皆引っさげてかかってくりゃおれ一人くらいなんともないもんな。それに」

「はーい、ストップストップ」


 瀬川とは対照的な、のんびりした声が廊下に響く。それを聞いた一部の生徒が、ひよしん!とか言いながら、その人物に駆け寄っていく。

 瀬川がキッと睨みつけた先には、ひよしんと呼ばれるその人、日吉がいた。

 徐々に生徒は日吉側に寄っていく。対して瀬川の近くには誰もおらず、どんどん一人になっていく。

 日吉はバインダーで自らの肩をトントン叩いた。


「あのねえ、君の声廊下中に響き渡ってますよ、瀬川君?」

「うざ。あのさあ、いっつもどこからわいてきてんのアンタ」

「虫みたいに言わないでよ。まあ、ちょうどいいや。今回の成績表渡すのと、個人面談したいから俺の準備室来てくれる?」


 にこにこにこにことまあ、何が楽しくてここまで表情が崩れないのだろうか。よっぽどこの職業が気に入っているに違いない。天職、とでも思っているのだろうか。

 仕方なく付いていくと、同じ階の端っこに日吉の教科準備室があった。中はそこそこ広い。机と椅子が対面に置かれていて、片側に座るよう指示される。渋りながらも座ったが、横向きだった。どうしても日吉と目線を合わせたくない。

 その行為を見てか、ため息をつかれながら成績表が机に置かれる。長方形のリボンのようなそれをちら、と見てみると、全ての教科は満点であり、掲示されていたものと違いが無いことが証明された。「じゃあ」とのんびりした口調で事が始まる。


「やっていきましょうか、個人面談」

「……」

「これは、君を槍玉に挙げようとしてるわけじゃなくて、皆やってることだから。成績についてとか、個人の悩みとかね。とりあえず、満点おめでとう」

「そういうおべっかいらねえから」

「まあ、そう言わずに。めでたいことはちゃんと祝おう」


 何が祝うだ。そんな気一つもないくせに。ヘラヘラ笑っている腹の中に一物あるはずだ、必ず。

 既に腹立たしく思っている瀬川は、何を質問されても絶対答えないよう決めた。


「まず……君がなぜ学校に来ないのか。その原因をピックアップしたい。この間の質問と重複するかもしれないけど、いいかな?」

「完全黙秘」

「……考査を保健室で受け続けてるのは、カンニングの件を気にしてるのかな。だから教室へ来てくれない、ってことで合ってる?」

「……」

「先生方と合わないとか?」


 黙秘を続ける彼に、日吉はわざとトーンを上げて質問をした。


「……クラスの子たちも待ってるからさ、戻っておいでよ!」

「!」


 つい、拳で机を叩いてしまった。まずい、と思ったが日吉は何か悟ったようだ。なるほど、と用紙へ何やらメモを取っている。


「じゃあ……ベクトルを変えようか。……お母さんと連絡が取れないのはどうして?」

「……っ」


 息が詰まった。忙しい?とかあんまり会わない?とか何とか言っていたような気がするが、全く頭に入ってこない。でも、と日吉は続ける。


「一緒に暮らしてるなら、少し話す時間とか」

「!」


 気が付くと机を蹴飛ばしていた。近くにあった段ボール箱へぶつかって少し跳ね返る。それも気にせず、日吉は次々と瀬川を詰めていく。


「やっぱりこれもか。あの時の反応見て思ってたんだよね。分かりやすいなあ」

「何がだよ……!」

「感情の起伏が激しい。1か10しかないね」

「専門家でもねえくせに分かったような口利くんじゃねえよ……!」

「机、戻して」

「はあ!?今そんなの」

「戻せよ、瀬川」

「っ……」


 初めて聞く冷たい言い方だった。ギラ、と光る目に諭されて、渋々机を戻す。

 元の状態に戻るのを見た日吉は、いつもの調子に戻る。


「全く、根は素直なのに」

「……っせえよ」


 日吉は次に、この彩都について語った。

 ここは進学率が高く、就職率はとても低い。それはやはり、より勉学に励みたいと思う者、将来のため高学歴が欲しい者。目的は千差万別だが、基本的に前者を希望する生徒が圧倒的に多い。

 だが、瀬川の現状を考えると、進級や卒業は出来ても、内申点が足りないため進学が出来なくなる。ましてや、就職すらも危うい。

 それを聞いた瀬川はまた息苦しくなる。そんなこと、とうの昔から分かっている。


「ここはそういう子たちが集まる場所。特に君みたいな天才……且つあんな楽しそうに問題解く子が高校でそれを断念するとは思えない。もっと高い所で学びたいはずだ。だからここを選んだ。違う?」

「……」

「フリーターなんかが悪いとは思わない。けど、俺としては君の才能を棒に振りたくない。出来るなら進学して欲しいな」

「……それ、どうせ校長の入れ知恵だろ?知ってるよ、おれを柳縁に入れたがってるって」

「違う。これは俺の意思。単純にもったいないって感じる」


 その言葉に嘘は感じられなかった。けれど、やはり日吉の進む道はこっちじゃないと思う。自分に関わるメリットなんて一切ない。

 わざと挑発するように瀬川は言う。


「もう忘れてんの?“そっち”と仲良くしておいたほうがいいって、セーンセ」

「そう、それも気になってたんだ。そっちってなに?若い子の隠語かなんか?」

「そっちはそっち」

「答えになってない。言い出したの自分からだよ。ちゃんと答えて」

「……」


 瀬川は黙る。とにかく、このまま黙り続けてやり過ごそう。堪えきれるか怪しいところだが、バイトの時間までには帰してくれるだろう。

 そう思っていた矢先、日吉はもっと深くまで踏み込んできた。


「……これは、勘に近いけど……“来たく”ないんじゃなくて、“来られ”ないんじゃない?」

「……!」


 息を、呑んだ。


「住所見たけど、あそこからだと電車通学だよね?何か理由があって……いつも降りられないんじゃない?」

「……っ」

「でも、勉強が好きで、テスト受けるの楽しいから……この間みたいに、考査の時だけ具合悪くたって這ってでも来るしこうやって結果も見に来る」

「……るさい」

「だけど、普段はその楽しいことがないのと……何らかの理由で降りられないから別の駅まで行く。だから香吹だったり詩武屋で」

「うるさい!」


 絞り出すように瀬川は叫ぶ。その姿を見て、日吉は納得したように頬杖を付いた。また何やら書き込んでいる。


「うん……トリガーになるところが本音か」

「黙れ!」

「違うね。本当は誰かに聞いてほしい、でしょ?」

「……!」


 全て見透かされているようで非常に居心地が悪い。視線を逸らしていても感じる。

 日吉は自分を“見て”いる。


「言いなよ。全部信じるから」

「……」

「じゃあさ、Gerberaの人たちになら相談できる?」

「……っ」

「誰になら言える?このままじゃ苦しいだけ……」

「少なくともアンタじゃねえよ!」

「あっ、おい瀬川!」


 準備室を飛び出て、人っ子ひとりいない廊下を走る。上履きのまま外へ出た。抜け道を使って学校から脱出する。

 全力疾走した。人の往来を避けながら駆ける。駅まで辿り着いて、ふと後ろを振り返った。

 誰もいない。追いかけてこなくてよかった。とホッとする反面、何故かこころの隅には“なんで”という言葉が膝を抱えて座っている。キュッと胸が痛む。そんなモヤモヤを抱えたまま帰路に着いた。

 家へ入ると、そのままの格好で布団に寝転がった。握りしめてくしゃくしゃになった成績表を見た途端、一瞬で彼の心は躍る。


(1位。また1位。全部100点満点で、1位)


 日吉の言う通り、久々にやったテストはとても楽しかった。

 彼は、諸々の時間を削り、その分全てを勉強に費やしている。だからこそ、今回だって満点トップを取れた。でも、と成績表を手に丸まった。

──純粋に勉強が好きだ。

 このまま飛び続ければ認めてもらえるかもしれない、居場所が出来るかもしれないと頑張ってきた。

 けれど、いつしか翼は折れ真っ逆さまに落下して、深海に引きずり込まれた。やはり、光に手は届かない。暗闇が自分の居場所らしい。

 矛盾が起きていることは、ずっと前から理解していた。自分の挙動が間違っているから人が離れていく。今日だってそうだ。皆、そっち側についてこっちは必ず一人になる。

 居場所が欲しいのに、自分から潰して歩いている。だけど、どうしたって過去から逃れられない。走っても走っても結局、袋小路へ迷い込んでしまう。膝を抱えてより一層丸くなる。

 世の中は弱肉強食。弱ければ舐められ、簡単に踏み潰されて殺される。今まで散々そんな生活をしてきたのに、これからもそうなるかと思うと怖かった。

 だから“奴ら”を真似ただけだ。それの何が悪い。そうじゃないと生き残れないはずではないのか?


(相談、か……)


 布団から抜け出して、スマートフォンを手に取る。ポケットから生徒手帳を取り出して、挟んでいた一枚のメモを抜き取る。

 そこには電話番号と、“日吉惣次郎”と名前が添えられていた。それは初めて会ったあの日に貰ったメモだった。

 彼はLiteを立ち上げて、この番号で検索をかけた。

 すると“そーじろー”というユーザー名と、日吉が複数人で写っているアイコンが出てくる。活き活きとしてまるで太陽のようだった。陰鬱な自分とは正反対だ。

 だが、気が付くと友達登録のボタンをタップしていた。自分でも驚いて取り消そうとしたが、アプリケーションの仕様上、対象者を友達カテゴリに追加しても相手へその通知は送られない。それを思い出して胸を撫で下ろす。

 Liteを閉じて、とにもかくにも勉強だと教科書やら参考書やらを取り出した。

 朝早かったせいか、読んでいるうちにうつらうつらとしてくる。アルバイトに遅れないよう、一応目覚ましをセットした。

 落ちてくる瞼に抗うが、とうとう負けた。夢の中に落ちる前、頭の中で彼は呟く。


(アンタだって、きっとおんなじだよ)


――――――――――――


 オレ、九条淳!Gerberaでバーテンダーをやってるイイ男☆

 今日も今日とてとーっても忙しいんだけど、厨房の中の雰囲気は最悪。

 どうしてかって?てっちゃんと凪のバトルが始まっているからさ。

 発端は、てっちゃんが学校の話を凪に振ったこと。普段は別に、とか濁す凪に対して、てっちゃんはそうか、とだけしか言わない。お互いラインを越えないようにしている。

 けど今日は違った。てっちゃんは詳細を話す旨を促した。拒否する凪を気にもせず、次々話題を振っていく。

 凪の返事の仕方でどんどん怒りのボルテージが上がっていくのを俺は感じ取っていた。

 マドラーを持つ手が少し汗ばんでくる。


「だからさあ、話したくないんだって」

「俺たちはただ理由が知りたいだけだ」

「何回言えば気が済むわけ?話したくないっつってんだよ」


 てっちゃんは鉄鍋を振っているし、凪はフライヤーを弄っている。今ここで暴れられたら大惨事になりかねない。

 火に油を注ぐ、が本当になっちゃうよ!他のキッチンの子らも萎縮しちゃってるじゃん馬鹿!

 止められるとしたらオレしかいないもんだから、どう介入しようか悩んでいた。それでもオーダーは止まらない。ったく、なんでこんな忙しい時間にやるんだよう。

 とにかく、変に刺激しないよう心がけて、いつも通り二人に接する。


「てっちゃーん、餃子、ハンバーグ1ずつー」

「凪、話せ。何があった」

「何もないって」

「そんなに信用ないか俺たちは」

「そういう問題じゃねえよ」

「次、デザート入るよー。プリン1、杏仁1ねー。あ、凪、たこ焼きよろー」

「昔はそんなんじゃなかっただろ。俺たちに言えないことなら、先生に話してみろ。あの人は去年のとは違う」

「あんたらグルなんだろ。話したら全部筒抜け。絶対嫌だね」

「凪……!」


 厨房内はどんどんどんどん雰囲気激ワルになっていく。いい加減事務所でやってくんないかなあ……。淳ちゃん、忙しい時はいっつも帰りたいけどさ、今日は特に帰りたいわよ。

 と思っていた時、事件は起きた。


「凪、俺たち……いや俺は、お前のことを息子みたいに思ってる」

「……」

「だから、ちゃんと学校へ行って勉強して欲しい」

「……なよ」

「体のことも心配だ。毎度クマは酷けりゃ、休憩中賄いも食わない。心身ともに健康でいて欲しい。シフトも辛けりゃいくらでも変える」

「うるせえ!父親面すんなよッ!」


 凪のすぐ後ろは調理台だ。ちょうど盛り付け皿が用意してあってそこを思い切り蹴飛ばしたもんだから、皿の着地点は床なわけで。割れるは飛び散るわで大惨事。キッチンの子も、オーダー提供に来たホールの子も唖然としていた。そりゃしますよ。

 近くの客には何かがすこーし届いていたらしいので、(わたくし)九条淳は

仕方なくピエロに成ったのであります!

 作ったカクテルを持って、わざわざホールで割りました!ちゃんちゃん!


「おおーっとと!いやあ、今日はよく割っちゃうなあ!今さっきのもオレで!お騒がせしちゃってすいませーん!」


 オレが客席側にそう言うと、顔見知りは淳君頼むよー!だとか珍しいねー!だとか言って笑ってくれる。他のお客もちらと見ただけで特に気にせず食事に戻った。

 それをさっと片付けて厨房に戻ったけど、まだギスギスしている。

 オレもさすがに介入することにした。どうどう、と言いながら二人の間に割って入る。


「あのさ二人とも。気持ちは分かるけど仕事中だよ。お客さん待たせてる自覚あんの?」

「……」

「……」

「もし、ここの厨房がカウンター席に近くてさ、延々身内話聞かされて挙げ句皿の破片なんて飛んできたらどんな思いするよ。もうその客来ないよ。それに、ここにいる子たちにだって気持ちよく働いて貰いたいじゃん。見てみな?皆の手止まらせてんの誰よ」

「……悪かった。凪も、皆も」

「……おれ、帰るわ」


 頭を下げるてっちゃんに凪は目を合わせなかった。もちろん、オレにも。

 凪は三角巾とソムリエエプロンを外しながら平坦な声で言う。


「おれみたいなやつここにはいらないんだろ。帰る」

「おい、そんなこと誰も言ってないじゃん。凪もあやま」

「嫌だ、帰る。クビにでもなんでもしろよてんちょーさん!」

 

 外し終えたそれをオレに押し付けて、凪はロッカールームの方へ向かっていく。てっちゃんはそれを追わずに、調理を再開した。

 他の子たちは皿を拾おうとしていたが「オレに任せろい!」と言ってわざと箒やらを取りに走った。さっきホールの件で使ったから側にあったんだけどね。

 纏まった用具諸々はロッカールームの方面にあるから、ついでに説得しよう。と思い向かった矢先、扉が開いて、凪が走り出てきた。何か勘付いたのかオレを避けようとするのでわざと壁になってやった。

 蹴り出してきた足を叩いて落とす。さっきからどうしたって目が合わない。下を向いたままだ。


「どけよ」

「嫌だ」

「どけったら!」

「凪、オレは……っ()たっ!」


 振り回されたバッグにやられて、作戦は早くも大失敗に終わってしまった。ほっぺたが痛い。若干口の中が切れみたいで、血の味がした。

「邪魔すっからだよ!」と叫びながら凪は走り去る。裏口の扉が閉まる音が聞こえて、オレはため息をついた。収穫なしのまま厨房に戻る。

 餃子を焼くてっちゃんがそこから目を離さずにオレへ凪は、と聞いてくる。帰っちゃったよーと答えながら皿をちりとりへ入れていく。

 歯に問題はないみたいだけどほっぺたがズキズキ痛んできた。キッチンの子に袋と氷を用意してもらった。皿の撤収作業が終わったあと、ほっぺたを冷やす。これは明日絶対腫れてるやつです。

 てっちゃんがちらっとオレを見る。眉間にシワが寄っていた。いつもよりくっきりと。


「……やられたのか」

「そ。あの激重(げきおも)バッグにダメージ食らいましたよん。いや、痛ってぇわあ。鈍器だよアレは」


 喋り終えると厨房はしんと静まり返る。

 いつもは何かしらの話題で盛り上がっているここは、今やお通夜状態だ。

 各々の作業音だけが鳴る厨房で、オレはわざとらしくぼやいた。


「オレも昔から、凪の兄貴みたいになりてーって思ってますけど、あまりにも根掘り葉掘り聞きすぎた人がいたみたいですねー。ねえ店長、その人タイミング悪すぎだと思いません?」

「……本当にすまん。怪我までさせて」

「いやオレはいいんだけどねー。……ん?悠木ちゃん、どしたの?」


 何気なく厨房の入口を見てみたら、そこには悠木ちゃんがいた。

 何を質問するわけでもなく、話題を振るわけでもなく、ただぽつんとそこにいた。

 下を向いて、ちょっと震えている。


「どしたん?何かわかんないことでもあった?どんどんインカム使ってもらってだいじょ……」

「うっ、うぅ……!」

「えっ!?悠木ちゃん!?」


 声をかけた途端、彼女は突然泣き始めてしまった。

 オレがオロオロしていると、てっちゃんがフライパンを持って近付いてくる。客に何かされたのかと思っているみたいだ。セクハラの件はてっちゃんも知っているからね。とにかく事情を聴かないことには何も始まらない。

 血管がぶち切れそうになっているてっちゃんを抑えながら彼女に話しかける。


「悠木ちゃん、どうしたの?話してみ?」

「何かされたなら言ってみろ。俺がやっつけてきてやる」

「……が」

「うん?」

「なぎ、が」

「凪?帰る時に会ったの?」


 彼女は首を横に振った。


「えっと、じゃあ……なんで泣いてるのかと、凪の名前が出てくるか教えてくれると淳ちゃんは助かりまーす!」


 オレは出来るだけいつも通り、深刻な感じにならないよう聞いてみる。

 すると、彼女は悲しそうに言った。


「凪がかなしいと……あたしもかなしい……」


 てっちゃんとオレは顔を見合わせた。

 さっきの近くで聞いてた?と言うと、彼女は知らないと答えた。確かにそうだ。あのとき誰もインカムを繋いでなかった。だからホール組はそこまで大騒ぎにならなかったわけだ。

 だとすれば交信、しか方法はないけど、オレはまだそれを疑わしく思っている。でも、ドッキリとかするような子でもないし、きっと本当の話だろう。

 だって、こんなに大泣きしてるんだから。


「ごめんなさい、嘘じゃないんです……!わかるんです、ほんとにっ……!」

「うん、別に変とか思ってないからね。他に何か分かることあるかな」


 彼女はしばらくして、首を横に振った。

 悠木ちゃんが言うには、面接の時みたいに、より距離が近ければ心の奥深くまで探ることが出来る。感じられたくないことは心の中でガードも出来るみたい。

この店内くらいの広さ、且つ、とても強い感情ならガードしきれないんだって。

 だから、さっきのを目にしていなくても彼女には凪の感情が分かったらしい。


「詳しい理由とかって……うん、分かんないか」


 言葉の途中でこくこくと頷いている。ごめんなさいを連呼しながら次から次へと涙があふれている。

 これじゃあ仕事どころじゃない。そう感じたオレは、ホールの子たちに彼女が少し離れることを連絡した。冷蔵庫から飲み物を物色してから休憩室へ連れて行く。

 ソファに座わらせて、一緒にジュースを飲む。うめー!とかこれ流行ってるよね!とか言ったりしてみた。 

 ウザかったかもしれないけど、無理にでも明るい雰囲気にしたかった。

 落ち着いてきたところで、悠木ちゃんがぽつぽつと話出した。

 凪とは双子なんじゃないかということ、DNA鑑定を送って結果待ちなんだということ、双子じゃなかったとしても仲良しでいようと約束したこと。

 それからもバイト帰りはたくさん話すし、暇を見つけては遊びに出かけているらしい。

 でも、と彼女は寂しそうに言う。


「大事なところまでは言ってくれない。学校のこととか、絶対に隠します」

「……うん」

「あと……よく“いていいのかな”とか口にするかな」

「えー?凪がいないと困るよー。特にGerbera(ここ)なんかは」

「ほんとですよね。あたしもそう言ったんですけど……なんか……うーん……」


 彼女ですら分からないなら、オレたちに分かるはずもない。お互い大きくため息をついた。

『おれみたいなやつここにはいらないんだろ』っていう、さっきの凪の言葉も引っかかる。

 凪は一体何を隠してるんだろう──。


書いてる方ももどかしいです。許されよ許されよ……。

淳みたいなお兄ちゃんが欲しかったです。


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