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なりたくて  作者: 神咲
4/15

ドッペルゲンガー

【あなたは出会ったこと、ありますか?】


あらすじ

瀬川のアルバイト先、Gerberaの店長【兼村徹平】と共同戦線を張った日吉。

後日、Gerberaではある大事件が起きて──。


オカルト面白いですよね!


 夕方16時、Gerberaはダイニング営業準備中だった。

スタッフたちはそれぞれの業務をテキパキとこなしている。体調不良だった瀬川も無事復活していて、現在は客席の消毒、メニューや各種調味料の補充などを行っていた。

 洒落たジャズをBGMに鼻歌を歌いながらワイングラスを磨くのは九条である。この曲が大層お気に入りらしく、営業準備中は大抵この曲が流れている。スタッフの半数以上が、アルバイトの時間以外でも頭の中でリフレインするくらいの頻度だ。

 ぱっぱと作業を終えた瀬川は、諸々の事務処理をしてくると一言告げて事務所へ入っていった。

 九条がご機嫌になる要因の一つがもう一つある。

明るく生き生きとして、様々な人の憩いの場となっているカフェから、ムード溢れる賑やかなダイニングへと変わる工程だ。

仕事の疲れを自分の作った酒で癒すことが出来る。美味しかったという言葉を聞くのが彼の幸せであり、バーテンダーを続ける糧となっていた。

 不意に裏口のインターホンが鳴る。

一瞬、発注関係かと思ったが「そうだった!」と手のひらへぽん、と丸めた拳をくっつけた。

 今日はアルバイトの募集へ応募してきた人との面接日であった。かかってきた電話に出たのは彼で、その時聞いた声はとても元気だった。受け答えもハキハキとしていて、既に好印象を感じている。

 普段なら店長が面接担当をするのだが、たまたまこの日この時間、兼村は用事があり、事前に副店長である九条に頼んでいたのだった。

いい人だといいな~と呟きながら、インターホンの画面すら見ず彼はルンルンと扉を開けた。


「こんばんは~!副店長の九条と言います!今日は面接……」


 立っていたのは女子高生だった。

栗色の髪の毛は高く括られていて、セーラー服を身に付けている。

 だが、彼はぽかんと口を開けたまま硬直している。女子高生も何があったのか分からずに首を傾げている。

もう一度言う。彼の目の前にいたのは確かに、間違いなく、“女子”高生だった。

 九条は店中に響く声量で叫んだ。絶叫にも近いそれに、他のスタッフは顔を見合わせた。事務所まで届いてきた大声に瀬川も扉を蹴り飛ばす勢いで出てくる。

負けじと大声で「淳、てめえうるせえんだよ!」と言いながら裏口に来た瀬川だったが、瞬間、非常に驚いた顔をした。

九条は瀬川と女子高生二人を見比べてから、ムンクの叫びよろしく両手を頬に当て、再び叫んだ。


「凪が二人ぃー!?」


――――――――――――


「え、ええと、悠木七海(ゆうきなみ)さん、で間違いないかな」

「はいっ」


 “なぎ”、“なみ”と読みも似ていること、そして、顔がまるきり同じなことに九条は未だ動揺を隠せない。

二人きりでいると面接どころではないと思い、なんとなく隣に瀬川を置いているが、逆に悪手だったかもしれない。

 だが、不思議なことに瀬川は大人しく隣に座っていた。普段なら一人でやれよ!などと悪態を付き逃げていくのだが、今日は助けを求めると二つ返事で引き受けてくれた。

 悠木の志望職種がダイニングでのホールスタッフだったので、リーダーである瀬川も同席させている旨を伝え、同意を得る。その間、高校生同士はお互いをじっと見つめていた。

なんとも言えない雰囲気に、張り付いた喉を無理やり引っ剥がして質問を始めることにした。

 悠木がこのGerberaを志望したのは、一人暮らしの資金を貯めるため。彼女は児童養護施設育ちで、高校卒業と同時に施設を出なければならないというしきたりがあるらしい。引っ越し費用等の負担はしてくれるが、生活の基盤まで面倒は見てくれない。なので、今から家賃などの資金を貯金したいという。また、学校との都合も良いし、上述のこともあり時給が魅力的だったため、応募してきたという。九条は特に問題ないな、と思いながら相槌を打つ。


「うんうん。OKです。ちなみに……前の職場は結構早めに退職してるけど、都合が合わなかったとかかな。一応質問しておきたくて。答えられる範囲でいいから聞いてもいい?」

「あ、はい。ええと……店長からのセクハラが酷くて」

「あら……ごめんね、嫌なこと聞いちゃったね」

「いえ、大丈夫です!悔しかったので引っ叩いてやりましたから!結局それが原因で実質クビになりまして……えへへ」


 悠木は恥ずかしそうに笑っている。強い女の子だなあ、と九条は感心する。彼女くらいの元気があれば騒がしいこの店でもやっていける。

 酒を扱う店のため、どうしても悪酔いする客はいる。スタッフたちにはそんな面倒な客に当たったらすぐ逃げろと伝えている。そうすれば、容赦なく客の頭へ冷水をぶっかける瀬川や、睨みを利かせた鬼の兼村がフライパン片手に出てくるため、大体の客はそれで黙るか勝手に出ていく。それでも食って掛かってくる客がいたら、兼村に外まで引きずられていき二度と来店することはない。それらを伝えると彼女は安心したようにホッと息をついていた。

 他にも質問していったが、突出した問題もないため九条はうん、と一つ頷いた。


「じゃ、採用で」

「! ありがとうございます!」

「初出勤日は店長と決めて追々連絡するね。あと、何か質問とかあるかな?」

「えっと……。お仕事と関係ないことで申し訳ないんですけど……瀬川先輩にお聞きしたいことがあって」

「? おれ?」


 悠木は少し黙ってから、瀬川の瞳をじっと見つめる。


「……今、あたし、頭の中に好きな食べ物思い浮かべてます。分かりますか?」

「……えーと、悠木さん……?」


 質問ってそういう?と九条が困惑しながら、隣を見てみると、瀬川もまた悠木の瞳を見つめていた。口を挟む間もなく問いかけに返答があった。


「チョコパフェ」

「あっ!当たりです!先輩はハンバーグ好きですよね!」

「うん」

「……え?」


 九条はまたもぽかんと口を開ける。パアッともっと明るくなった顔の悠木は続けた。


「じゃあ、好きな教科当てて貰っていいですか?」

「体育。へえ、化学苦手なんだ。おれとは真逆」

「そうですー!あたしには難しくってー」

「……誕生日一緒か。月末ってなんか嫌じゃない?」

「ねー、あれってなんでですかねー?」

「え?えっ?」


 悠木だけでなく瀬川もまた彼女のことを分かっている。それだけではなく、基本、他人と一線置いている言動をするあの瀬川が完全に警戒を解いた話し方をしている。先程、共に驚いた様子を見ると、本当に初対面であるのは確実だった。事前に口裏合わせをしたやりとりとも思えない。

 九条から疑いの眼で見られているのを気付いた悠木は最後に、と真面目な顔をした。九条がごくり、と生唾を飲んだあと、とんでもない質問を瀬川へ投げかけた。


「あたしの今日の下着の色分かりますか?」

「ちょっ!?悠木さんっ!?」

「赤」

「凪っ!?」

「わー!正解!」

「え、えぇ……!?」

「? 何してんの淳」


 ソファからずり落ちていく九条は心の中で強く思った。


てっちゃん(徹平)早く帰ってきて!淳ちゃんの心は折れそうよ!)


──その後、帰還した途端泣きついてきた九条から一部始終を聞いた兼村は、信じ難い顔をした。足にまとわりついたままの九条を引きずりながらホールへ向かう。そこには、ちょうど制服のサイズ合わせをして戻ってきた悠木と瀬川が二人並んでいた。兼村は眉間にしわを寄せる。


「……俺は幻でも見てるのか?」

「ほら!ね!だから言ったじゃん!」


 あの兼村でさえも動揺しているらしく、悠木の右隣を指してそっちは、と呟いた。指された相手はため息をつきながら答える。


「徹平さん、頭にかけるの冷水と熱湯どっちがいい?」

「……こっちが凪か」


 兼村は顔に手を当てて、頭を振った。

瀬川が男性にしては小柄、悠木が女性にしては身長があるため、顔だけ見るとパッと見どちらなのかが分からない。見分けるとしたらくりっとした茶の瞳をした悠木、眠たそうな紫の瞳をした瀬川、と言ったところだろうか。他のスタッフも何が何だかという顔で困惑を隠せていない。

とりあえず、悠木には現在いるスタッフとの顔合わせ、諸々の貸与品を渡したりして、この日は帰宅してもらった。ついでにぐったりした九条を厨房へ放り込む。

それぞれ開店準備を再開し、しばらくしてから兼村が問う。


「凪、お前きょうだいいたのか」

「いや?一人っ子」

「……まさかドッペルゲンガー、とかいうやつか?」

「じゃあ、あともう一回見たらおれたち死ぬわ」

「滅多なこと言うな……」


 瀬川はドッペルゲンガーの特徴について語る。

上述の通り、合計二回見た者は死に至る。また、彼らは周囲の人間と会話をしない。その他、ドアの開け閉めが出来たり、忽然と消える。消滅や会話以外当てはまる現象はあるけれど、あともう一つ、と瀬川は付け足した。


「本人に関係のある場所に出現する、ってのがあるけど、それが当てはまんのかっつーと微妙なラインだな」

「……お前と本当にきょうだいだったら、ってことか」

「そ。だって、店に来たのは今日が初めて。応募してきたからって関係がある、とまでは言い切れない」


 花の形に切り抜いた人参を面取りしながら、冷静に語るものの、いつもより作業が雑、というかどこかぼんやりしている気がする。やはり、瀬川もあれだけそっくりの人間に出会ったことに動揺しているらしい。

 ここで兼村は閃いた。アルバイトの履歴書には家族構成を書く欄はないため、確認のしようがないが、教師の日吉ならば家族構成を知っているはずだ。

後日連絡をしよう、と決めて兼村はソムリエエプロンの紐をぎゅ、と強く結ぶのだった。


「──そうですね、記入欄にはお母さんのお名前しか」


 日吉は瀬川の願書を見ながら、そう兼村へ伝えた。

いつもより更に低いトーンで話す彼に日吉は首を傾げる。そのまま、兼村は“ドッペルゲンガー”の話を持ち出してきた。突然どうした?と首を傾げる日吉だが、ええ、と知っているように頷く。電話先の彼は大きなため息をついた。


《もしあいつらがきょうだいじゃなければ、俺はその説を信じる》


 ん?と日吉はますます首を傾げる。なぜか相手が本物か疑ってしまい「兼村さんのお電話ですよね?」と口が滑った。電話越しから呆れたような唸り声が聞こえてくる。


《あのな……先生、俺だってオカルト信じるときくらいある》

「あはは、失礼しました。あんまりそういうの信じなさそうだったので」

《ただ……》

「?」


 まだ信じ難い、といった風に兼村は言う。

二人は“交信”し合っていた!とかエスパーだ!テレパシーだ!とかなんとかと九条が騒いでいた。瞳と瞳を合わせれば、相手の思っていることが分かるらしい。初対面なのにお互いの知らないであろうことを当てっこしていたそうだ。ちなみに、兼村が帰ってくるまで九条相手にそれぞれが“交信”を試みたが、全く的中しなかったそうである。などと聞いた日吉はだんだんと混乱してくる。


「……それ本気(マジ)です?」

本気(マジ)だ》


 怪談だろうが幽霊だろうがかかってこい、くらいの兼村がここまで弱気に言うのだ。少し興味がわいてくる。

とにかく今度見に来てみろ、と口早に言われそのまま通話が途切れてしまった。

 空いた時間が出来たらまた酒井でも誘って向かってみよう。そう思いながら願書を元の場所へと戻していると、五時間目の予鈴が鳴る。日吉は慌てて授業へと向かうのだった。


――――――――――――


「うひゃー、今日も疲れましたねぇ……」


 疲弊してへにゃへにゃの声を出したのは悠木だった。スクールバッグを重たそうに持って、左へ右へと足が絡まりそうになりながら歩いていた。


「お疲れ様」

「お疲れ様ですぅ……」


 隣で返事をしたのは瀬川だ。足が重そうな悠木に歩調を合わせている。

 悠木がGerberaで働き始めてから、早くも半月が経った。まだ研修期間中ではあるが、接客経験があり、失敗しても明るく振る舞う彼女に客は好印象を抱いたようだ。

 常連客たちは、悠木が注文をハンディ登録したり、復唱するのをゆっくり待ってくれたりと優しい対応が多い。現在、先輩スタッフを付けているが、独り立ちするのもそう遠くない。瀬川もそう考えているうちの一人だ。そう褒めると「えへへ!」と照れた笑い声がした。

──兼村から、二人で帰宅することを提案されたのは、ごく最近のことだ。ひとつに、主要な駅が同じであること、ふたつに、上がり時間が同じことからである。

また、悠木は男にビンタを張れる強い子ではあるが、それでも未成年の女子高校生である。同様ではあるが、喧嘩上等口論上等の瀬川を付けておけば多少安全だろうと考えたらしい。だが、深夜ではないといえ酔っ払いが多く危険な街だ。後々、送迎プランを立てようと大人たちは画策している。

 悠木は時たまちらりと瀬川を見ているが、彼は目線を外すようにしてどこか遠くを見ていた。

思い切って会話を試みようと決めた細い指に少し力が入って、バッグの持ち手が食い込んだ。

先輩、と声をかけてみるとドライな返答が戻ってくる。


「それだりぃ」

「へ」

「タメでいいし凪でいい。……悠木さんのことも呼び捨てでいい?」

「うんっ!よかったぁ……あたし、なんか息が詰まっちゃってー」

「おれと話すときだけ変だった」

「そりゃそうだよぉ!同い年でも先輩だし、職場ではちゃんとしたいもん!」


 あっそ、と言って瀬川は大きなあくびをする。常に眠たそうな瞳をしている彼だが、最近は特に疲れて見える。まだ出会って日の浅い悠木でさえそう思った。

 交差点で信号が変わるのを待つ間、ぽつりと瀬川が呟く。


「……七海は、ドッペルゲンガーじゃないんだ」

「?」

「二回見ても死ななかったから」

「えっ、何、死……?悪口〜!?」

「違ぇよ」


 瀬川は兼村へ話したように、ドッペルゲンガーについてを語る。聞いたあと、訝しげな表情をした悠木は言った。ならば何故、瞳同士を合わせただけであんなにもお互いの情報が入ってきたのかを。知らねえ、と一蹴してからそれきり、彼は話さなくなった。

 正直、下着の色まで当てられたのは驚いた。そもそもセクシャルハラスメントをされて退職した女がする質問じゃないし、思い付いた時は我ながら馬鹿馬鹿しいなとも思った。だが、それさえ涼しい顔で答えた瀬川に「ああ、やっぱり」と腑に落ちる自分がいた。

 この人は、絶対自分を知っている。そうして、“女”として見ていないと。それは性対象としてではなく、もっと違う何かだった。明確な理由はまだないけれど。

 信号が青へと変わり、流れ出す波に二人は乗った。先程までとは違い、なんとなく居心地の悪さを感じる。

 駅構内へ入り、雑踏を抜けてホームへと降りた。ふと電光掲示板を見れば、あと数分で互いの乗車する電車が来るようだった。何も言わず二人は備え付けの椅子へと体を預ける。

 しばらくして、電車入線のため注意喚起のアナウンスが流れた。同時にベルが鳴り、先に立ち上がった瀬川は悠木を見て問いかける。


「じゃあおれたちって、なんなんだろうね」


 電車のライトに照らされた紫の瞳が、妖しく光った。


――――――――――――


 その日、日吉は鼻歌を歌いながら学校の廊下を歩いていた。生徒名簿で肩を叩いてリズムを取り、今にもステップをしそうである。生徒たちもご機嫌な日吉を見てキャッキャと近寄ってくる。

 赴任してきてまだ間もないが、柔和で教え方も上手く、時には他愛ない話をしてくる日吉は、人気の先生ランキングに挙げられているらしかった。“ひよしん”なんてあだ名までついているようだ。授業終わりの質問タイムや、こうして廊下で声をかけられたりもする。本人もやぶさかではなく、こうして生徒たちと触れ合う機会が増えたのが非常に嬉しかった。

 だが、今日ご機嫌なのはそれだけではなかった。

赤信号に引っかからないまま出勤できたり、星座占いが1位で、朝食に目玉焼きをと割った卵の黄身が双子だったりと何だか運が良い。

 とはいえ、学校内では生徒も教師も中間考査対策で忙しない空気も漂っている。こんな状況のとき、焦ると失敗へ至る自覚を持つ日吉は、急がば回れ、と敢えて気持ちゆったりと過ごすことにしている。やることはしっかりやるけれど、全てをガチガチに固めてしまうのは彼の性に合わないのだ。


(……テスト、ねえ)


 その単語を聞いてパッと思い付くのは、あの天才問題児、瀬川凪である。赴任してすぐだったからか、教師陣から聞いた内容には猜疑心があった。

 あれから、それとなく二、三年(校内成績が出るため)の生徒に聞いてみたが、勝ったことのある人間は誰一人としていないらしい。デキる生徒でもいくらか点差を付けられてしまうようだ。生徒たちの話し方からして、毎度満点クリアは嘘ではないらしい。

授業内でやる小テストはともかく、中間、期末考査には参加をするようだし、恐らく今回もやってくるに違いない。と、考えて作り始めていたのだが、一抹の不安がよぎる。

 果たして、彩都レベル、もしくは近いものを自分に作れるのだろうか?

普段は、教科書をなぞり伝達に力を入れたそこへ、少々ユーモアを足しているだけだ。皆、お喋りもせず真面目に日吉の話に耳を傾けているが、ここまで勝ち上がってきた彼らにとっては平々凡々な授業だろうな、と勝手に悩んでしまう日もある。


(最悪、教科書丸写しでもいいだろ。疲れてる子も多いだろうし日吉のテスト雑魚いよね〜!くらいのスタンスで行こう)


 教師になったとはいえ、根は変わっていないので結構適当な面があることは自覚していた。それでも足を洗った後は真面目に過ごしてきたし、教育実習や初任者研修中にも担当教科の勉強は怠らなかった。

ただそれはあくまで基礎にプラスした程度である。まさか学習強豪校に赴任することになるとは思わなかったため、対策が足りないのは事実だった。

 うーんと頭を悩ませていると、これまた“問題児”である春川がやってきた。もう彼を見放している日吉は、正直存在自体が鬱陶しかった。だがもう子供ではないのだから、苦手でも何でも表面上は仲良くしなければ、とにこやかにする。


「どうしました?」

「いやあ、一応伝えておこうかなと」

「?」

「瀬川、いつも保健室で考査受けさせてるんですよ」

「えっと……そりゃまたどうして」

「カンニングの件もそうですけど、まず教室に来たがらないので」

「ああ……」

「だから、日吉先生付きっきりでお願いしたいんです」

「……はい?」


 どうやら今まで、教師陣が時間ごとにローテーションを組んで、瀬川の監視をしていたらしい。だが、今は日吉が瀬川を連れ戻す担当のため、イコール監視専属といった考えになった。また、これは教師陣満場一致の結果だそうで、春川はこの通り!と拝むようなポーズを取った。そろそろ蹴り飛ばそうかと思ったが、子供ではないので以下略。だが、好機は訪れた。

 そもそも、なぜ瀬川が疑われるのかが気になっていた。一度やったのなら話は別だが、そうではないようだ。不良という色眼鏡を外すことが出来ない人間が多い、ということだろうか。

密室で二人きり(養護教諭は除くが)ならば、疑いを晴らすことも可能なはず。

兎にも角にもテストが作成できなければ何も進まない。日吉は去っていく春川を頭の中でボコボコにしてから、パソコンとにらめっこを始めた。


「──お、瀬川ー。元気にやってるか〜」


 日吉は再びGerberaへやってきた。もちろん酒井を連れてだ。注文取りにやってきたのは彼だったが、意外にも嫌な顔をしていない。何よりきょとんとした顔をしている。何か変だなと思っていると、頭頂部にチョップが直撃した。


「おい、もう酔ってんのか惣次郎」

「はあ?素面(シラフ)に決まってんだろ」

「この子、女の子だよ。お顔はその……瀬川君?にそっくりだけど」

「……え?」


 名札を見てみると“ゆうきなみ”と書いてある。体が女性特有の曲線を描いていることから間違いなく女の子だ。

だが顔立ちが瀬川にそっくりだったため、日吉は唖然としたまま声が出なくなった。兼村の言う通りだ。そう思った途端完全に固まってしまった彼に代わって、酒井が対応をする。

 曰く、悠木がアルバイトを始めてから、常連客や先輩スタッフが瀬川と彼女を間違えるのが日常茶飯事になっているらしい。うんうん、と酒井は納得したように頷く。


「そりゃそうだろうねえ。あ、こいつね、瀬川君の担任なのよ。で、俺はこいつの友達〜」

「そうなんですね。あっ!ご注文お伺いします!」

「はあい!んーとね、焼き鳥ももタレ二人前と、チヂミに……クラフトビール二つ……」

「は、はい!えーと、えーと」

「ゆっくりで大丈夫だからね〜」

「はい!ありがとうございます!」


悠木が復唱する度にはい!と元気な返事をする酒井。日吉を置きざりにほのぼのする空間が出来上がっていた。

 そんな最中、二つ後ろの席から何か割れる音と怒号が聞こえる。三人ハッとそちらを見ると、グループ客がスタッフをなじる姿があった。

どうやらスタッフが運ぶ料理を間違えて、そのことに腹を立てているようだ。何人か相当酔っぱらっているようで、所々呂律が回っていない者もいる。その中でもとりわけ、リーダー的男が激怒している。ぎゃあぎゃあと喚きながら、とうとうスタッフへ料理を投げたり水をかけ始めた。


「うげー、クソ客じゃん」

「酷い!行かなきゃ!」

「待って待って、女の子じゃ危ないって……惣次郎、行く?」

「やったるかあ」


 日吉と酒井が肩を回し席を立ち上がろうとした時、スタッフが大声で瀬川に助けを求めた。それを聞いた二人はぴた、と動きを止める。

すぐにすたすたと歩いてきた瀬川は表情を変えずに客へと話し出す。左手には水差しを持っている。


「お客様、いかがされましたか?」

「ああ、こいつの先輩さん?こいつさあ、別の客頼んだやつ持ってきたんだけど、どういう教え方してんの?」

「申し訳ございません。彼はまだ研修期間中でして」

「研修期間だったら間違えてもいいのかよ」

「はい。新人ですから分からないことだらけで大変だと思います。ですから、何も問題ございません」

「……は?話聞いてる?」

「ええ。お客様のように酔っぱらってはいないので、しっかり聞こえてますよ」


 はっきりと言いきった瀬川に客は「馬鹿にしてんのか!?」と机を叩いて喚き出すが、気にせず続ける。


「ああ、失礼致しました。人生の先輩からそんなお言葉を頂けるこの時間、とても勉強になっています」

「ああ?今更おべんちゃら使ったってなあ……!」

「褒めてはいません。反面教師として、です。こんな大人になってはいけないなあ、と強く感じますね」


 閉口した客へ、瀬川からの仕返し口撃(こうげき)は止まらない。


「誰だってケアレスミスはします、人間ですから。あ、分かりました。あなたの先輩方も、こうやってネチネチネチネチ叱りながら仕事を教えてくれたんですね。なるほど、刷り込み効果か。それなら納得です。社会人になってすぐその背中を見て育ったのなら、“こう”もなるでしょう」

「て、てめえ……!言わせておけば……!っていうかなんだお前!仕事中にカラコンなんて……!」

「今はその話関係ないですよね。うちのスタッフへ執拗に攻撃する客は追い出していいと店長から許可がおりています。代金は必要ありませんのでこのままお引き取り願えますか?」

「この野郎……!大体こいつが間違えなきゃこんな……!」

「勘違いしないで頂きたいんですが、お客様は神様ではございません。カスタマーハラスメントという言葉をご存知ですか?まさに現在のお客様のような存在のことを指すんですが。これ以上うちのスタッフに何かするようでしたら、私も出るとこ出ますよ」

「ああん!?やってみ……」


 リーダー格の男が瀬川の胸倉を掴もうとした時には、もう全身びしょ濡れだった。

 瀬川が容赦なく水を男へぶちまけたからである。口をパクパクさせ呆然とする男へ、瀬川は追い打ちをかける。


「おや、どうされました?お客様がうちのスタッフにやったことの仕返しをしたまでですが」 

「……!……!」

「残念ですが、お客様にはこちらの言葉が通じないようですね。では、お客様のご理解頂ける言語でお話させて頂きます。今までの流れをまとめますと……」


 一瞬、間が出来てから瀬川は大きく息を吸って吐き出した。

 

「うるせえからとっとと失せろっつってんだよ!クソ客がァ!」


 それを聞いた日吉は頭を抱えて椅子に腰掛けた。酒井からはぴゅうと口笛が鳴り、悠木はパチパチと拍手している。


「おま、おまえ」

「おい、今からうちのスタッフに土下座して謝罪しろ」

「しゃ、しゃざ……!?謝んのはそっちだろ!?客に水なっ、んぶっ……!?」

「失礼しましたー、お好みは酒でしたねー。これで満足かよ酔っ払い」


 今度は酒を顔面にぶちまけられ、とうとう掴みかかろうとした時、思い切り椅子を蹴飛ばされ、男は床に這いつくばった。グループ全体を睨みつける瀬川にとうとう全員が怯えだす。


「聞こえねえのか!?お前ら全員今すぐ出てけっつってんだよ!」

「こっ、こんな店もう来ねえからな!」

「こっちもお呼びじゃねえよ!二度と来んなクソ野郎共!」


 転んだりしながらバタバタと男たちは逃げていく。

口コミを荒らす旨をわざわざ伝えてきたが「負け犬の遠吠えまでありがとさん!」と瀬川は中指を立てた。

 そのあと、しんとした店内へ騒いだことを謝罪すると、常連らしい客達からは拍手が起きる。この店をよく知らない客はしばらく驚いていたが、何事もなかったかのようにまた談笑を始める。

 悠木が言うには、瀬川に救ってもらった客は結構いるらしい。その客がリピーターとなり、スタッフになりとやり方はともかくこの店には欠かせない存在のようだ。

 瀬川が悪く言われてしまうのでは、とかお店の評判が、などと謝るスタッフへ全て自分に押し付けるように言う。


「やったのはおれだから後は任せて。とりあえず、新しいもの持っていってくれるかな。淳か店長がこれ聞いてるっしょ。えーと……オムそばね。それひとつ。……はいはい、やり過ぎましたあスイマセン。……もう行って大丈夫だよ」


 やり過ぎ、という言葉からたぶん兼村からの注意が入ったのだろう。スタッフは少し気にしながらもお礼を言って戻っていく。瀬川は静かに掃除を始めた。

 一部始終を見届けた酒井は日吉の肩を叩く。


「いい子じゃ〜ん。口悪ぃけど」

「……まあ、そうね」

「……瀬川先輩、いっつも優しくって!だから、歳上の後輩も慕ってるんですって。今被害受けた人も大学生なんです」

「へー」

「瀬川先輩ほんとしごできで!なんでも出来ちゃ……ってそうだ!すみません!お料理すぐお持ちします!」


 悠木も急いで厨房へと戻っていく。頭を抱えたままの日吉は呟いた。


「ありゃ勝てねえな……」


――――――――――――


《──瀬川先輩、悠木です。申し訳ないんですが、分からないところがあるので来て頂いてもいいですか?7卓にいます》


 掃除を終えて、厨房に戻った瀬川のインカムへ応援要請が入った。すぐ行くと返事をして向かっていく背中を見ながら九条はニヤニヤしていた。


『──悠木ちゃん、次、凪も行かせなよ』

『えっ、でも先輩行きたくないって』

『何かの理由で呼んでやりな。キレられたら俺のせいって言っていいから』

『はあ……分かりました』


 先程こんな経緯があったため、九条は二人を同時に並べたら、噂の先生がどんな反応をするのか楽しみで仕方ないのだった。大方、ブチ切れて戻って来る瀬川を想像するだけで頬が緩む。

 薬を大釜で煮込む魔女よろしく、マドラーをグラスの中でくるくる回しながら、九条は呟いた。


「……ンフフ、どうなることやら……」



「──あらあ」

「うわあ」

「ちっ」

「なるほど、ドッペルゲンガーって言う理由がわかったわ」


 応援要請に向かった先が日吉たちの席だと分かった途端、瀬川はあからさまに嫌な顔をした。加えて日吉がドッペルゲンガーなんて言葉を出すものだから、ますます怒りが湧いたらしく、紫色の瞳がキッ、と睨みつけてくる。


「やんのかコラ……!」

「いやあ、本当にそっくりだなあと思って。兼村さんに聞いて気になってたんだよね」

「……! まさかそれだけのために……!」

「ご、ごめんなさい先輩!実は……」


 この状況に至る経緯を知った瀬川は、萎縮してしまった悠木をフォローしてから、再び日吉を睨みつける。


「ウザいからさっさと食って出てけ。……そちらのお客様はどうぞごゆっくりお過ごしくださいませ」

「どうもね〜。なあ、お前嫌われすぎじゃない?この子に何したの?」

「いやなにも?」

「シンプル追っかけてくんのが嫌なんだよ!もう二度と俺に顔見せんなクソが!悠木さん、行こ。もうこの卓来なくていいから」


 彼は、ごゆっくりー!と頭を下げる悠木を連れて去っていく。

 その姿を見て何か既視感を覚えた。なんだったかな、と思ったが考えるのはやめた。

 目の前の上手い酒、食べ物を楽しむのが先だ。だが、その疑問は酒井との会話で解決する。

 とある日、酒井はファミリーレストランでチキン南蛮を食べた。その時乗っていたタルタルソースの美味しさが忘れられず、家で自作を試みた。最近はチューブタイプも売っているが、もっと卵がゴロゴロ入っているものを食べたかったそうだ。そうして、茹で卵作りから始めたわけだが、ちゃんと時間を計っても想定した固さにならず頭を悩ませているらしい。

 日吉は、卵と同時に茹でるボール型のタイマーが売られていることを伝えた。色で判断出来るためこれは便利だと思った記憶がある。酒井は興味深そうにその話を聞いて後日買うと宣言した。スマートフォンのメモ帳に忘れないよう書き込んでいる。

 そうだ、と日吉は話し出す。


「卵で思い出した。こないだ朝飯にさ、目玉焼き作ろうとしたんだよ。そしたら出てきた黄身が双子だったわけ」

「へ〜!ラッキーじゃん」

「だろ?些細なことだけどそういうのってなーんか嬉し、く……」

「……?惣次郎?そーじろー?そーじろーさーん?」

「……!」


 ここで、点と点が繋がった。そういうことか。

というか、どうしてここまで誰もその可能性に気が付かなかったのかが不思議である。

 興奮のあまり、日吉は酒井の肩を掴んで強く揺さぶる。


「分かった!謎が解けた!ありがとな太一!」

「おっ、うえっ、な、なにがさ〜」

「双子だよ!双子!」

「だから聞いたって〜。黄身がって話っしょ〜?」

「違う!ドッペルゲンガーなんかじゃねえ!」

「はあ?だからなんなのそれ」

「瀬川と悠木ちゃん、双子なんだ!」


――――――――――――

 


ここまで読んで頂きありがとうございます!好きなキャラクターなどいましたらぜひ教えてください!

はてさて、彼らは本当に双子なんでしょうか。後に判明しますので少々お待ちください。

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