弱肉強食A
※イジメ描写があります。ご注意ください。多少祖語は出ますが飛ばして読んでも大丈夫です。
【少年は、羽化する】
中学へ入学した少年は、ますます勉強にのめり込んでいった。
入学当初は楽に点を取っていたクラスメイトたちもだんだんと頭を悩ませていく中、彼だけは群を抜いていた。
クラスメイトたちは結果について毎度騒いでいたが、彼は考査結果をすぐしまうようにしていた。
時折、1位は誰だろう?という話題になるときが一番ドキドキしたけれど、いつも皆の視界にすら入らない彼は見つからずに済んでいた。
とにかく、息を殺して過ごす。そうしていれば誰かに迷惑をかけることもない。攻撃されることもない。それでも、他人と関わる機会はやってくる。
彼は体育が嫌いだった。とにかく他人と協力するのがとても苦手だ。
全体種目の日は出来るだけ目立たず、皆のやりたくないポジションを選んだ。運動神経は良いのだが、目立ちたくない一心で運動音痴のふりをしていた。
一番困ったのは二人組行動の時間だ。ほとんど関わりない彼と組むニンゲンはいなかった。初めは協力していた教師でさえ、見学を勧めてくる始末だった。陰で何か言われていることに気がついて、自ら見学を選ぶことも多くなった。
その分、勉強に打ち込んだ。やはり、友達と呼べるのは勉強しかない。
彼は密やかにトップを取り続けた。受け取ったテスト用紙はすぐ隠す。話題を振ってくるニンゲンもいない。完璧な振る舞いだった。
家に帰って考査結果とテスト用紙を交互に見つめるのが彼の楽しみだった。
そんなときたまに、極稀に、褒められたいという気持ちが復活しそうになるが押し込める。
そんなニンゲンはこの世にいない。求めるだけ無駄だ。
そうしてひっそり生き延びていた少年は二年生になった。
普段通り過ごそうとしていたのに、佐々木という生徒と同じクラスになったことがきっかけで、彼の人生はまた狂わされていく。
佐々木は地主の子供で、皆逆らえない存在だった。いつも二人の取り巻きを連れて行動している。受験先として狙っているのは彩都らしく、そのため昔から名門塾に通っているそうだ。実際、成績は悪くない。
という情報を大きな声で話すので、当然少年の耳にも入ってくる。しばしば高圧的な所も見受けられたし、怖い。逆らわなければ何もしてこないはず。
少年はますます自分を隠すようになった。
「ねえ、××君……だっけ?」
とある日、休憩時間をいつものように過ごしていた少年の元へ、佐々木が来た。なんだろう、と思いながらも頷いた。
「何の勉強してんの?あ、次数学だもんな。俺さ、ここの問題がさ……」
どうやら分からない箇所を聞きに来たようだが、佐々木レベルなら理解できる範囲のことだった。無視を決め込むわけにもいかないので勇気を振り絞って答えてみると、佐々木はにっこりと笑う。
よかった、正解の対応だった。と思った次の瞬間、少年の教科書は奪われ、ビリビリと割かれてゴミ箱へ捨てられる。
唖然としている少年に、佐々木は言った。
「ガリ勉君、次の期末1位だったらぶっとばすから」
誰にも知られているはずのないそれを、佐々木は知っていた。どこからか彼の成績を手に入れて、その結果が気に食わなかったらしい。
少年の生活はここから一変する。
「あれ〜?××君、上履きどうしたの〜?」
上履きがないことは毎日で、あってもたまに画鋲が入っている。
「うわー、家に机持ってっちゃうほど勉強好きなんだ〜。あっ、そっか、掃除しなきゃ汚ねえもんな!」
机の中はゴミ箱と化すし、そもそも消えていることすらあった。
「そこ誰の席だっけ?覚えてるやついるー?」
今日はあると思いきや、花瓶が置いてあることもあった。
生けているのは決まって菊の花。
【××は先生に媚を売っている】
黒板にはあることないことを書かれ、呆然とする日もあった。入ってきた教師はそれをちらと見たが、すぐ消しなさいと指示される。
自分が書いたのではないと主張しても無駄だった。
今でも覚えている、衝撃の個人面談を。
話し始めから、佐々木をイジメているのかと問われ頭が真っ白になった。内申含めた成績に関しては変更なし、その代わり行いを改め謝罪しろと言われる。
違う、イジメられているのは自分だと何度訴えても、状況は変わらなかった。
「言ったよな!?1位取るなって!耳聞こえてねーのかよ!」
それでも信念は曲げなかった。どんな形式のテストでも必ず満点を取った。
これだけは死んでも負けたくなかった。
暇さえあれば殴られ蹴られ、水をかけられ──ありとあらゆるイジメを受けた。
暴力関係に関しては慣れがあったので、適当に痛がる素振りをして、途中からは予習だったり覚えたことの反復をしていた。
不幸は続く。翌年も佐々木と同じクラスだった。
変わらず行われるイジメは、どんどんエスカレートしていった。
学校に味方はいない。
アルバイト先の人にはプライベートなことで迷惑をかけたくなかった。相談できないストレスで、身も心もボロボロだった。
フラフラしながら帰宅して、貰った賄いを食べようとした時、お盆にひっくり返してしまった。
食べられる状態でよかった、と皿へ戻している時に閃いた。
──そうか、初めからそうすればよかったのか。
小さな頃から暴力を刷り込まれて、頭は弱肉強食にとらわれすぎていた。弱い自分は上位存在には勝てない。人生はやりたいことを全部諦めて生きる。そんなことはない。
まさか、ここで母親やツレの男が、佐々木のやってきたことが活きるとは思わなかった。
少年は決意する。
やられてきたことすべてをひっくり返す、この手で逆転させてやる、と。
受験本番前、大きな模試があった。その結果は志望校を突破できるかの最終的な目安になる。
佐々木は高順位だったようで皆に自慢している。皆もまた、彼を祝福していたし、それぞれの成績について盛り上がっていた。
ただ、一人だけ自分の席で俯いている生徒がいた。少年である。
佐々木はその様子を見てニヤニヤしながら近付いていった。
「そうだ、ガリ勉××君は何位だったのかな〜?……ちゃんと順位落としたよな?」
少年は首を振った、横に。口にしたのは「1位」だった。
それを聞いた佐々木は少年を椅子から引きずり落として、暴力を振るった。俺の命令が、とか殴り、舐めやがってと蹴り飛ばす。
言葉を覚えたての子供のように同じ言葉ばかり連ねている。母親もツレの男も良く言っていたし、いい加減聞き飽きた。
「クソッ!クソクソクソ!」
そろそろ教師が来るかもしれないよ、と取り巻きたちが止めに来る。若干落ち着きを取り戻した佐々木は席に戻る。
取り巻きや周りの生徒が、彩都圏内なんだから大丈夫と宥めている最中、少年は立ち上がって椅子を手にしていた。ガリガリと引きずって佐々木の席まで歩く。
それに気が付いた取り巻きが「えっ」と声を上げる。佐々木が振り向くと、少年が立っていた。
「……なんだよ、今の仕返ししにきたとか?お前が悪いんだからな。俺の言うこと聞かなかったから」
「……ろよ」
「は?」
「いい加減にしろっつったんだよ!」
「ぎゃっ……!?」
少年は椅子を佐々木目掛けて振り下ろした。
間一髪避けたものの、力いっぱい襟元を掴まれた佐々木は床に叩きつけられる。
少年は、既に避難していた生徒の机に当たるよう佐々木を引きずり回してから馬乗りになる。痛いだとかなんだとか言っていたが、そんなこと知ったこっちゃない。
顔に一発入れようとすると、すぐに許しを請うてきた。
「ひっ……!や、やめて……!」
「はあ?聞こえなかったんだけど、今なんつった?」
「や、やめてくれ、よ、わ、悪かった!悪かったって!そ、そうだ!今からでも仲良……!」
もう一度拳を持ち上げると黙った。少年は鼻で笑う。
「ハッ、自分がやられたらこのザマかよ、情けねえなクソ野郎」
「なっ、な」
何が起こっているのか分からない佐々木は、金魚のように口をパクパクさせている。
少年は佐々木の襟元をぐっと掴んで言った。
「覚えとけよ。今まで我慢してただけで、ぼくだってこれくらい出来るんだ。次やったらころしてやる」
少年は、そんな佐々木の机を蹴り飛ばしてから自分の椅子を持って席に戻った。何事もなかったかのように、本を開いて読み始める。
これ以降、佐々木は少年に構わなくなった。
──その後、受験シーズンを迎えた。
それぞれの結果に泣き笑いする教室が多い中、佐々木のクラスだけはやたら静かだった。
原因は、受かると信じ込んでいた彩都のふるいから佐々木が落ちたからだ。設定していた滑り止め校はどれもクリアしていたが、本人の落胆ぶりがすごかった。
取り巻きやクラスメイトが自分を卑下してまで慰める中、教室に少年が入ってきた。
涙目の佐々木を見るなり、その顔を覗き込んで少年は淡々と聞く。
「佐々木君、もちろん彩都受かったんだよね?嬉しいよね、泣くほどなんだもん。おめでとう」
「……」
「あれ?違うの?ああ、落ちたから泣いてんだ」
黙ったままの佐々木へ、少年は自身の結果を鼻先へ突きつけてやった。
「ぼくは受かった。オール満点。1位だ、首席だね」
「……!?嘘つけよ!そんな……」
嘘偽りない結果に、一緒に見た取り巻きも開いた口が塞がらない。少年は追い打ちをかけ続ける。
「佐々木君さぁ、お家のお金でいい塾通ってたんだよね?それなのになんで受からなかったの?」
「そ、そんなの俺が知りた……っ」
「じゃあ、そんな地頭悪い君に教えてあげようか。それは、お前がぼくをイジメてた時間がもったいなかったからだよ。あの時間も勉強してたら受かってたんじゃねーの?ぼくはお前に殴られてる最中も、ずっと予習して、復習して、対策立ててた。こちとら昔から殴られんのも慣れてるし飽きるんだよね。ぼくはその僅かな時間も有効活用してた。そんなことも分からないから彩都受かんねえんだよ。あんな問題楽勝だった。ああ、でもイジメられたからこその学びも得たな。塾、通わなくても問題ないって」
静まりかえる教室内へ、少年は問いかける。
〇〇はいつもイキってるくせに佐々木だけにはへこへこし、△△はみんなに優しいけど、少年へそれは向けなかった。
次に、佐々木の取り巻き二人へ少年は問いかける。
「お前らもさ、こんなやつの後ろについてばっかりで恥ずかしくねえの?ほんとコバンザメみたいだよ。知ってる?ああ、ごめんごめん、おバカさんたちじゃ知らないか。コバンザメって、他のサメとか亀にくっついて、色々おこぼれもらって生活してんだよ。まるでお前らみたいだよな。金持ちとか権力者の後ろについて回って、さも自分まで偉くなったかのように振る舞うの、さぞかし楽しいんだろうなあ。ぼくもやってみたい。でもそれじゃあコバンザメに失礼か、はは」
真顔でそう言う少年に、取り巻き二人は震えながら顔を見合わせている。少年は、淡々と言う。
「クラスの皆、誰も助けてくれなかった。でも、佐々木より断然頭いいよ。巻き込まれないように自分を守るって選択肢を取れたんだから。そうだ、佐々木君。ぼく分からないことがあってさ。教えてよ、何のためにぼくをイジメてたの?自分が1番じゃなきゃ嫌だったの?自分の思い通りにいかないのが嫌だったの?それとも、結果的にこうやって、自分の首を絞めたかったのかな?なあ、教えろよ、佐々木」
「……っぐ、ひっく……!」
佐々木はぐずぐずと鼻を啜り始めた。その間、少年は、佐々木の椅子やら机やらを足で小突く。
何も知らずに入ってきた教師は、クラスの嫌な雰囲気を感じ首を傾げたあと、大泣きする佐々木を見て慌ててやってきた。
それでも気にせず少年は口撃をやめない。
「それ、先生騙すための演技?へえ、ヘッタクソー」
「ちが……うぅ……っ!」
「ぼくの方が泣くの上手いと思うなあ。君にイジメられたことあるからね。まあ、こうやって泣くのは格好悪いし、ますますやられても困るから泣かなかったんだけど。もっとやられたい?いいよ、やってやるよ」
佐々木は教師とともに保健室へ、少年は後から生徒指導室へ来るよう指示を受けた。
事の経緯を説明すると、教師は呻いた。去年と担任は違ったが、言う言葉は同じだった。“成績は変えないから謝れ”と。
これに対し、少年は教師を突っついた。
「どうしてですか?ぼくは仕返ししただけなのに、何が悪いんですか。なぜぼくが責められるんですか?先生方もずっと見てましたよね。佐々木がぼくをイジメてるところ。まあ、先生方も頭はいいと思いますよ。見て見ぬふりして逃げるところとか」
教師は閉口する。
少年は、組んだ足を机に叩きつけた。肩を震わせる教師に言う。
「ハイハイ分かってますよ。佐々木が良いとこの子供だからでしょ?先生にクレームが来たら面倒ですもんね。教師の代わりに、後ろ盾のないぼくを行かせれば学校側に起こり得るリスクのほとんどは回避できる。ぼくは母親と連絡が取れないし、モンスターペアレントが発生する可能性もない。ちゃんと謝りに行きますよ。先生がイジメを容認してただとか、佐々木を擁護してただとか、ぼくの言い分を無視してたってのは絶対言いません。全部ぼくの責任にします。その代わり、内申そのままにしてください」
その内容にもちろん!と食い気味に答えた教師へ、少年は最後に呟いた。
「ぼくは……絶対彩都に行きたい。勉強をしたい」
準備はできた、