二章 恋人達の上に太陽高く
彼女の言ったことは、本当だったのだと、シェラは思い知らされた。
翳りの女帝・ロミシュミルは、シェラに面と向かって偽りの花の姫と言った。
風の王と花の姫は、運命の番。リティルとシェラは、世界が定めた必然の夫婦だ。
ロミシュミルはシェラに、今回の仕事で、リティルは真の番に会えると告げた。
さらに、行かなくていいの?と。
シェラは知っていた。リティルも知っている。シェラが、本当は花の姫でないことを。
けれどもリティルが、15代目風の王・リティルが選んだのは、シェラだった。
シェラがリティルを愛するのは必然だった。それは、その血に連なる姫のすべてに言えることだった。シェラが特別だったわけではない。彼にだけ、そう、リティルだけが、花の姫となる証を持っていたグロウタースの水の国の姫を、その心で選ぶ権利があったのだ。ただそれだけだ。
こんな日が、いつか来るのではないかと、思っていた。
その時、リティルの手を離し、その背を押すことができるのか?シェラはずっと考えていた。
そしてその答えは、毎回違う。
手を離し、誠の魂を手に入れろと背中を押せる!そう確信する。
瞳を奪われるリティルの手を掴み続け、わたしを見て!と泣き叫ぶしかないと項垂れる。
反する愛の間で、シェラの心は揺れ続けていた。
わたしは、愛する風の王の為に、何ができるのか。今はまだ、わたしが花の姫。15代目風の王・リティルの、唯一無二!その矜持だけで、ここに立っていた。
シェラは、クローディアを肩に担いで走ってくるリティルを見据えていた。彼の背後に迫る、赤黒い血の臭いのする力。駆け抜ける風が、シェラの黒髪を揺らしながら、血の臭いを届けてくる。
スッとシェラは矢をつがえて引いた。
あの人と、あの人の大切な人に、指1本触れさせない!シェラは矢を放っていた。矢は2人を飛び越え、狙い通りに赤黒い球を破壊していた。続いて矢を放つ。矢は空中で2本に分かれ、追いかけてくる魔物を射貫く。
敵の姿を見据えるシェラの隣を、クローディアを担いだリティルが走り抜けた。
その刹那、リティルとシェラの視線が交錯する。
それだけで、すべてがわかり合える。大丈夫、あなたがその娘に何をしようと、どんな視線を向けようと、わたしはかまわない。
弓を下ろしたシェラの隣に、カザフサが音もなく戻ってきた。
「シェラ、凄いな。オレは必要なかったな」
「そんなことはないわ。あなたが暗躍してくれたおかげで、わたしもあまり力を使わずにすんだわ」
シェラの言葉に、カザフサは照れたようにはにかんだ。
本当に自信がないのね?とシェラは感じた。勿体ないわね。それがシェラの率直な感想だ。
カザフサの能力は高い。この鬱蒼として、昼間なのに薄暗い森の中で闇に紛れる彼は、おそらく他の騎士の誰よりも真価を発揮する。そして、そんなこの場所と相性のいい彼の相棒はシェラだ。
カザフサと2人なら、巫女がほぼ役に立たないリティル組よりも、現段階で1番神の祠が近いインファ組を抑えて、1番を取れる可能性が高い。シェラ達の目的は祠の精霊。3組の内どこがとってもいいのだ。
「ありがとう。闇魔法は、あまりいいふうには取られないんだ。犯罪者の多くが、闇魔法の使い手だってことが大きいんだけど、肩身が狭いんだ」
彼は紳士だ。ぎこちないながらも、丁寧にエスコートしてくれる。
そんな、初々しさもシェラの心を和ませた。
リティルはとても器用で、適切な距離を保ちながら、当時、クローディアと大して変わらない人間の小娘だったシェラを、すべてから守り、健全に愛させてくれた。
かつて、シェラがいた位置に、今クローディアがいる。
シェラはカザフサの隣を歩いた。背筋を伸ばし、泣いてリティルに抱きしめられるクローディアの隣を通り抜けた。
シェラとカザフサは、数日後に控えた吸血鬼退治の為に、お互いの力を確認しようと訓練場に出向いた。
そこで、ヘンリーに土下座されているリティルに出くわした。昨日の今日で、もうあんなに元気があるのかと、タイガ族の丈夫さにシェラは思った。
「――のな、礼はもう聞いたから、これ以上は勘弁してくれよ」
「いや、それじゃあオレの気がすまねぇ!リティル!オレを配下に、いや、下僕にしてくれ!」
リティルのタイガ族からしたら華奢な足に縋るようなヘンリーに、リティルはほとほと困っている様子だ。訓練場の管理人であるリオンは、面白い見世物だと言いたげに、回廊と訓練場との境の低い壁に腰を下ろしてニヤニヤしていた。
右の回廊の影には、エフラの民組のリュカとシャーナが様子を窺っている。
左の回廊には、こちらも面白がっているようなインファと、心配そうにしているセリアの姿が見えた。他にも多数、おそらく10組全員騒ぎを聞きつけて集まるだろう。
何をしているのかしら?こんなに注目を集めて……。シェラは心の中で呆れたため息を付き、リティルの出方を観察することにした。
「おまえみてーな暑苦しいヤツいらねーよ!落ち着けって、オレ的には大怪我したり、死ななかったらそれでいいんだよ」
「しかし!オレは、昨夜――」
昨夜の晩餐の時、リティルは食事中からヘンリーの不躾な視線を感じていた。おそらく、インファ達も気がついていたろう。だがリティルも含めて皆静観を選んだ。
サラがどこかハラハラした様子で、こちらとヘンリーをチラチラ見ていたことを考えると、もっと前から目を付けられていたらしいことはわかったが、そんな目立つことはやった記憶のないリティルは、内心首を傾げていた。
そして迎えた自己紹介。
リティルが名乗ったのは、1番最後だった。
名乗った途端にかけられた言葉「大層な名前だな」。リティルはそのとき、ヘンリーに攻撃の機会を与えてしまったことに気がついたが、遅かった。
「オレもそう思うぜ?けど、しかたねーよな。親がくれた名前なんだからな」リティルは喧嘩は買わないと笑顔で返して躱した。だが、ヘンリーの挑発は止まらなかった。
内心焦った。隣のセリアを挟んだ向こうにいたインファから、殺気が放たれたからだ。インファ達とは初対面だということにしてある。インファはおそらく、聞くに堪えないと表へ出ろと言うつもりだと察した。
彼のあの容姿なら、正義感の強い紳士という人格も様になる。貴族然とした所作で挑んでいるインファなら、タイガ族の特性を知っていても誰も不思議には思わないだろう。
実際に、インファを人間の国の貴族と皆は信じて疑っていない。気に入らなかったら戦う『決闘』という手段は、タイガ族の中でいざこざが起こったときにも使われる手段なのだ。
あの時シェラが、紅茶を零して、気分が悪いと青い顔で退出しなかったら、今頃ヘンリーは片腕を失う怪我を負わされていただろう。その直後、セリアがくっつけるだろうが。
シェラの演技は完璧だった。カザフサとお付きのメイドに付き添われて部屋を後にするシェラ達に続いて、エフラの民のリュカ達が席を立ち、柔和な顔ながら有無を言わさず、リティルは腕を取られると食堂を連れ出された。
青い顔をしていたクローディアは、リュカの巫女であるシャーナが面倒を見てくれた。部屋に戻る頃には、普段のクローディアに戻されていて助かった。
まったくタイガ族とは面倒くさい種族だ。リティルは、ヘンリーの言葉を遮った。
「ああ?別に気にしてねーよ。タイガ族からすれば、オレみてーなのが風の王と同じ名前なのは、気に食わねーだろうしな」
風の王だと名乗っても、この容姿のせいで侮られることが多々あるリティルは、そういう輩には容赦なく力を示すようにしている。しかし今回は、こちらに危害が加わらないなら放っておこうと思っていた。
タイガ族は力こそすべてだ。実践で力を示せば、もう絡まれないだろうと踏んでいたこともあった。嫌がらせも数日後の初吸血鬼退治で終わるだろうと思っていたのだ。その機会が、予定より少し早く訪れただけだ。
「何という慈悲深さだ!おまえ、いや!あなた様は本物の風の王だ!」
ガバッと顔を上げ、抱きついてきたヘンリーをヒョイッと避けながら、リティルは困惑した。クローディアの腰を抱き、ヘンリーの巨体に巻き込まれないように庇いながら。
「あ、あなた様?本物……?おまえ、人格崩壊してるぜ?サラ……何とかしてくれよ……」
ヘンリーの後ろで申し訳なさそうにしているサラに、リティルは助けを求めた。抱き寄せられたクローディアは、リティルから解放されても、ヘンリーのあまりの変貌に未だに固まっていた。
「わ、わたしも!」
「?」
リティルに視線を向けられたサラは、ビシッと居住まいを正した。
「わたしも、あなた様の下僕に!」
「あ、これ、ダメなヤツだな。面倒くせーなタイガ族。オレは、平和に1年間過ごしてーだけなんだけどな……」
リティルはどうすべきか困って、頭を掻いた。
この宮殿にも何か謎がありそうだと、リティルはコソコソするつもりだった。それを、こんな騒がしいヤツが付きまとっては、目立ってしまって仕事ができない。ただでさえ、クローディアのお守りで忙しいというのに……。
「何を騒いでいるの?」
さてどうするか。困っていたリティルの耳にシェラの声は冷たく響いた。彼女の声は、一瞬で場を支配するには十分だった。まるで、王女か若すぎる女王が出現したかのように、シェラは皆の視線を一瞬で奪った。
「ああ、ヘンリーが助けた礼に、オレの下僕になりてーって、わけのわからねーこと言うんだよ」
「あら、ヘンリー、あなたを助けたのはリティルだけではないわ?リオンも共にいたでしょう?リオンには礼を尽くさないの?」
シェラの瞳が冷ややかだった。こんな彼女は、戦場でしか見た事がない。
普段、風の城で一家といる彼女は、優しい笑みで皆の癒やしだ。しかしながら、彼女は精霊になる前、本物のお姫様だった。リティルは見た事がないが、毅然とした振る舞いも自然とできるのだろう。
「そ、それは……」
シェラの有無を言わせない気迫に、ヘンリーは狼狽えた。
「はは、そうだな。おまえを助けたのはオレとリオンだけじゃねーよ。オレのとこのメイドと、サラも、クローディアも、シェラも、それからカザフサ、おまえもいたよな?」
シェラの斜め後ろにいたカザフサは、驚いた顔をして顔を上げた。
ん?気がついてねーと思ってたのかよ?とリティルは思った。メイドのリリアナとカザフサが闇の中、コウモリ達を攪乱してくれたおかげで、退却戦の時あまり交戦せずにすんだのだ。正直助かった。
「オレから言えるのは、あんまりルール違反するなよ?ってことだけだぜ?それから、仲良くしようぜ」
リティルは笑うと、ヘンリーに右手を差し出した。
「そ、それを、あなた様が望むなら」
「あー……あとそれ、あなた様ってのやめろよ。鳥肌立つからな!」
「わ、わかった……」
ヘンリーはリティルの差し出してきた手を取った。
シェラは、リティルとヘンリーの和解劇を尻目に、彼等から離れた。広い訓練場の端に移動したシェラを、カザフサが小走りに追ってくる。
「シェラ、いいのか?リティルが見てるけど……」
「いいのよ。それよりも騒がしすぎて何もできないわね」
話すことなどない。そんな態度のシェラに、カザフサは引き下がってくれた。
シェラは小さくため息を付いた。何を大事にしているのか。注目を集めるのは、本意ではないはずなのに……。この空間は異様だ。皆が皆に興味がある。些細な失敗も成功もどこか筒抜けのような気がする。常に見張られている。目立てば、この視線の格好の餌食だ。逃れられない気がする。すべては、そう思うというだけで確証はない。リティルは風の王だ。上手くやるとは思うのだが……。
「鮮やかな手並みでしたね」
知った声に声をかけられ、シェラは顔を上げた。
インファだ。目が合うとインファは、ニッコリと微笑んだ。
「何のことかしら?わたしは事実を述べたまでよ」
トゲが混じってしまった。それに気がついて、インファは少し大袈裟に目を見張る。そして、次の瞬間諭すように微笑んだ。
「リティルと話してみてはいかがですか?気になっていますよね?」
「それは、あなたではないの?」
トゲが抜けない。今はインファとも話しをしていたくなかった。
リティルと別行動になることなど、これまでにもあったというのに、どんなときでもそばに感じていた夫が今は遠く感じる。今、どういう距離感でいたらいいのか、シェラは見失っていた。原因はわかっている。ロミシュミルの言葉だ。あんな信頼関係のない者からの言葉に心乱されるなんてとも思うが、シェラには捨て置けない言葉だったのだ。
「オレ達はもう少し傍観しますよ。彼はまだまだ何かしてくれそうですからね」
そう言ってインファはチラリと、視線をどこかへ投げた。シェラがつられて視線を向けると、ヘンリーと模擬戦を始めたリティルを見守るリオンと、巫女の2人を通り越した向こう側に誰かいることに気がついた。
あれは、リュカとシャーナ?彼等はヘンリーに絡まれたリティルを庇っている。
それだけで、覚えていたのではない。10組の中で、シェラもその秘めた力の高さに一目置いていた。事案の邪魔になるなら、妨害するように動かねばならなくなるからだ。
「エフラの民は争いを好まないと思いましたが、なかなか野心家のようですね」
「彼等ともトラブルになると思ってるのか?」
カザフサもリュカを一目置いているらしいことを、シェラは知った。インファにもわかっただろう。
インファが目を付けている者は、件のリュカと執事のセバス、そして彼、カザフサだ。これは、シェラの預かり知らないことだがもう1人いる。しかし、インファが彼女に抱いている感情は、個人的なモノが強くて冷静になりきれず、できれば関わりたくない人物だった。カザフサは、母の――シェラの騎士になっただけのことはある実力と、どこか高貴な雰囲気を持ち、リティルよりもシェラの隣にいることがシックリくる男だ。
リティルよりも似合いの男――インファは、そんな自分の評価に若干戸惑いを感じている。これがインファの評価だ。シェラには絶対に言えないが。
「目を付けられた事は確かです。ああ、今朝のことではありませんよ?彼等も昨夜の晩餐のときから、リティル組を見ていました」
「悪意だと思うの?」
さりげなくリュカ達から視線を外したシェラは、問うた。彼女の険しい表情にインファは首を横に振ったが、少し複雑そうだった。
「リティルに対しては好意的に見えますね。危害、もしくは排除の憂き目に遭うのはクローディアでしょうか?」
クローディアが?しかしそれは困る。クローディアは、リティルの大切な魂だ。リティルの態度から確信している。彼女こそが、本物の花の姫である事を。その彼女が危害を加えられれば、リティルは怒る。彼を怒らせてはならない。怒らせたら、風の王であることがバレてしまうかもしれない。自分達は部外者でも、ここに生きている者達にとっては大切な場所だ。壊してしまうわけにはいかない。
「なぜクローディアが?」
カザフサも、エフラの民が温厚な種族であることは知っているようだ。あからさまに困惑していた。
「無能だからです」
「ちょっとインファ、そんなハッキリ……」
控えていたセリアが、あんまりな言い方に窘めた。その仕草が気安い。シェラは、すでに関係していることを隠さないのだなと、思った。しかし、いつも冷静な息子の様子がおかしいとシェラは、インファを見つめた。
「彼女だけが、この中で異色だとは思いませんか?」
「え?どういう意味?」
インファの視線を受け、セリアは首を傾げた。
「クローディアだけが、騎士に釣り合わないんですよ」
シェラを前にして、インファは努めて冷静に言葉を紡ごうとしたが「無能」発言に続いて、言葉のトゲを抜くことができなかった。
リティルが男女構わずに気安いのはいつものことなのだが、なぜか、彼女だけはダメだと受け入れがたい。こんなことは初めてだ。庇護欲をそそり、導きを必要とするクローディアはリティル好みだ。リティルの態度はいつも通りなのに、なぜか今回は見ていてイライラする。リティルはいつも気安くて頼りがいがある態度だが、なぜか恋愛感情を相手に抱かせない。男から暑苦しい感情を向けられるほうが圧倒的に多いのだ。
なぜなのだろうか。普段通りのセリアがいてくれなかったら、インファはリティルにもっと感情的に接してしまっていると断言できるほど、冷静ではいられない。おかしいとは思うのだが、何もかもが漠然としていて捕まえられなかった。
「しかし、騎士は実戦経験を求められるけど、巫女にはそんな条件ないはずだ。経験がなければ、上手く立ち回れなくても当然だろう?」
カザフサはいやにクローディアを擁護する。それとも、一般的なことを口にしているだけだろうか。インファは、冷静な判断ができなかった。
「そうですね。しかし、あまりに他のペアと格差が激しいですね。気がついていませんか?騎士と巫女の実力は、大体同じですよ?それなのに、この中で1番強い力があると思われるリティルの巫女は、彼女です」
「妥当な組み合わせは、リティルとシェラか」
カザフサは頷いた。よかった、彼の目にもクローディアが、リティルに不釣り合いに見えていることが、インファをホッとさせた。
「この中で組み替えるならですね。しかし、彼女はあなたにも不釣り合いです。彼女は何者なんでしょうか?オレも気になりますね」
インファは、カザフサにニッコリと微笑んだ。
カザフサは「そうだろうか?」とわかっていることを滲ませながら、裏腹な言葉を呟いて俯いた。
「あなたは自信がないようですが、シェラ姫のパートナーとしてふさわしいですよ?どうにも闇魔法使いは、自己評価が低い者が多いですね」
「お邪魔しました」とインファは、優雅に一礼すると、セリアの腰に手を回して去って行った。
インファ達の背を見送り、カザフサがシェラの方を見た。どこか、納得しているような戸惑っているような表情だ。なんだろうか?
「……シェラ姫?」
カザフサったら、そこに食いつくの?とシェラは思わず苦笑してしまった。
「ここではただのシェラよ。家も、身分も、産まれもここでは意味をなさないわ」
そうでしょう?微笑んでみせれば、カザフサはそれもそうかとあっさりと引き下がってくれた。この人は、『シェラ』に興味があるのかないのか、よくわからない。
クローディアと特別な関係だったことは察しているが、彼はこんな態度では誤解させるのでは?と心配になるほどシェラに対して気を使ってくれ、献身的なのだ。
だが、カザフサが言ってくれた「妥当な組み合わせは、リティルとシェラか」と言う言葉には、感謝しかない。なんの意図もなかっただろうが、クローディアよりシェラの方が、リティルに似合いだと言われたようで、嬉しかった。
このまま彼女にリティルを盗られたら、わたしはどうなるのだろう。
そう頭をかすめて、シェラは微笑んだ。愛が終わった後のことなど、シェラは考える必要などない。シェラという、物語の結末まで、ひた走るだけ。
精霊でよかった。シェラはそう心から思った。
役目を終えれば消滅する運命を持つ精霊であるから、リティルと彼女とのこれからを、見なくて済むのだから。
図書室で本を読み漁るインファに、セリアは小声で声をかけた。
「ねえ、シェラ様、様子がおかしくない?」
インファは、本当に読んでいるのか、ペラペラとページを繰りながら答えた。
「それは、ここへ来る前からでしょう?翳りの女帝が狙ったのは、父さんかと思いましたが、母さんの方だったのかもしれませんね」
風の城の副官、雷帝・インファは、風の王夫妻の息子だ。心中穏やかではないだろう。セリアは、出立の直前に、リティルに追いすがったシェラの様子を思い出していた。
「シェラ様が強引だったのは、その人が何かしたからなの?」
「そうなんでしょうね」
インファは心ここにあらずのようだ。しかし、ページを繰る手が止まっていた。どうやら、目当ての箇所を見つけたようだ。
そこまでわかっていて、なぜシェラ様を問いたださないの?とセリアは疑問だった。それどころか、インファは、リティルにさえ接触しない。リティルはここへ来て、トラブルにばかり巻き込まれている。王が注意を引いてくれている隙に、調べるのだとそういうことだろうか。セリアはこれまで風の仕事に関わってきたが、出張は初めてだ。
宝石の精霊であるセリアは、見た目だけなら人間と変わらない。人間らしく、力には制限をかけたが、不自由は特に感じていなかった。
「セリア」
考え込んでいたセリアは、不意に声をかけられ視線を上げた。そんなセリアの目の前に、インファの顔があった。
あ、この距離は。セリアは反射的に瞳を閉じていた。思った通り、唇に触れられる感触がした。
「――何?」
瞳を開いたセリアは問うた。
「見られていたので、見せつけたんですよ」
セリアがニッコリ笑うインファの後ろを伺うと、図書室の出入り口の扉付近にあるカウンターに、女性が1人座っているのが見えた。司書のイリーナだ。
セリアが視線を向けたのがわかったのだろう。頭に太短い一対の角が生えたいやに背の高い彼女が、慌てたように視線を手にした本に向けたのがバッチリ見えた。
『見られていたので、見せつけたんですよ』?普段、誰かがいるところでは、自身の甘やかな雰囲気など、徹底して殺しにかかる風の城の化け物理性の言葉とは、到底思えなかった。そう言えばここへ来てから、正確には宛がわれた部屋の、共同の部屋にある本棚の本を確かめたときから、インファはセリアを自分のモノだというような態度を取るようになった。城を出るとき簡単にした打ち合わせでは、皆、選定の儀で初めて顔を合わせたという設定だったはずだが。
だのに、これでは恋人のようだ。しかも、色ボケた独占欲丸出しの恋人だ。
もう何百年も夫婦をやっているが、こんな甘いインファは寝室で以外見たことがない。合わせろというのなら、喜んで合わせる次第だが、せめて説明はしてほしい。
セリアはプウッと少し頬を膨らませた。
「なんですか?お気に召しませんでしたか?」
「ううん。でも、ちゃんとその気にさせてほしいわね」
セリアはインファに手を伸ばすと、ベストの中にきちんと収まった黒いネクタイを引っ張り出した。軽く引っ張ると、インファは抵抗なく顔を近づけてくれる。
「見せつけるなら、これくらいしなくちゃ」
さすがにセリアも深いキスまでは勇気が出なかったが、インファの少し触れるだけの口づけより長く、唇を合わせたのだった。
「――やりますね。しかし、呷りすぎてしまったかもしれません」
セリアの手からネクタイを取り戻して整えながら、インファは少し困って笑った。見れば、扉を開いたところで固まっている女の子が1人。彼女の後ろではリティルが苦笑いしていた。リティルとクローディだった。リティルの姿を見たセリアの顔が、見る間に赤くなる、そして悲鳴を上げる前にインファは、さりげなく抱きしめると本棚の影に連れ込んだ。
「部屋へ戻りましょうか。少し落ち着きましょう」
セリアは口を押さえて真っ赤になりながら、コクコクと頷いた。
リティルとシェラ以外になら見られても平気なのかと、いまいちセリアの照れの基準がわからないインファだった。
真夜中、インファは部屋を抜け出した。
先ほど情報交換したインジュが、リティルが通信に出ないと心配していたからだ。
夜の訓練場の真ん中に、リティルが立っていた。それを見つけて、インファはホッとした。一方的に、深夜訓練場でとメッセージを送ったものの、内心、避けられるかもしれないと危惧していたのだ。
「1人とは珍しいですね」
誰の気配もしなかったが、インファは皮肉を込めて言葉を放った。振り向いたリティルは、苦笑した。この宮殿は、真夜中であっても、人の気配を感知して自動的に魔法の火が灯るようになっていた。訓練場は、昼間からすれば薄暗いが、密会にはもってこいの暗さだった。
「インジュを無視してはいけませんよ?」
「悪い。クローディアがベッタリで、出られなかったんだよ」
通信を無視した理由が、クローディア?インジュは部屋に1人になる時間帯を狙って、通信したはずだが?とインファは不審そうに父王を伺った。
「参ったな。あいつにはとても言えねーよ」
苦笑するリティルに、インファは絶句しかけたが何とか言葉を紡いだ。
「まさか……同衾しているんですか?」
「潔白だぜ?けど、あいつに知られたら、どうするか……」
潔白は当たり前ですよ!インファは怒鳴りそうになって何とか耐えた。
リティルは離婚の2文字を恐れているようだが、それはあり得ない。リティルも同じように、例え、シェラが誰かに抱かれたとしても婚姻を解消するようなマネはしない。どんな手を使ってでも、リティルはシェラを隣に繋ぎ止めるだろう。
しかし、同じ部屋で寝ていることをシェラが人づてに知れば、例えばクローディアの口から知れば、シェラがどういう行動をするのか、恋愛に疎いインファにはわからなかった。
ただ、離婚などより恐ろしいことが起こりそうだ。
ここへ来て数日。
父は母の様子に気がついていないのだろうかと、インファは疑問に思っていた。
シェラは明らかにリティルを避けている。そればかりではない、どこか敵意にも似た感情を隠していないように見える。ここへ来て、明らかに母は変わった。
「リティル、結論から言いましょう。ロミシュミルは黒です。神の祠をインジュに探らせました。彼の見立てでは、その祠に精霊は囚われていません」
リティルは、静かにインファを見た。潜入中は、どう見ても年上のインファは、リティルを父とは呼ばない。精霊的年齢もインファの方が年上だからだ。
「そうか。けど、最後まで踊ってやるぜ?」
風の王としてのリティルの決断は正しい。それをインファはこれまで支えてきた。しかし、今回は「仰せのままに」とは言えなかった。インファは敢えて言った。父はどうするのだろうか。と思ったのだ。
「父さん、母さんが狙われていると言ってもですか?」
父と、あえて呼んだインファから、リティルは最大限の警告を感じた。
シェラ……。氷のような瞳でこちらを見ていた。まるで、知っているぞと言われているようで、居心地が悪い。
オレが、君を裏切った事なんて1度もないだろ?これからだって、絶対に!もうやめて城に帰ろう!そう言って抱きしめられたら、どんなにいいか。しかし、風の王であるリティルにはそれはできない。嵌められたとしても、結末を見届ける義務がある。
風の王は、魂を導き、輪廻の輪を回す者。風の王に茶番を仕掛けたロミシュミルの生き様を見守らなければならない。
そして、ロミシュミルに何かを吹き込まれた風の王妃・シェラの生き様も。
「オレ、ついにあいつに捨てられるのか?」
彼女を見初めて、彼女を娶ってから、いつか捨てられるんじゃないかと、不安を幾度となく感じてきた。容姿も中身も釣り合わないと、わかっていたからだ。
なのに、シェラはリティルを好きだという。そう言って、拒むリティルを落とした。落ちたリティルは愛され続ける自信がなくて、一定周期で迷ってしまう。花の姫と風の王は、運命だ、番だと言われても、すべては努力がモノを言うのだと、精霊でありながら、考え方がグロウタースの民的なリティルは永遠という時間の長さに翻弄されてしまう。それを見透かしたシェラは「わたしが心変わりすることなど、あり得ないわ」と言ってその都度優しく笑っていた。
シェラが、心変わりするなんてあり得ない。
オレが、シェラ以外を愛するなんてあり得ない。
なのに、何なんだ?選定の儀で、クローディアの手を取ってから感じる、この揺らめくような不安は。たかだかグロウタースの民の儀式だというのに、大切なモノを奪われるような感覚だ。
「オレの目からは、母さんがというより、父さんが裏切るように見えますよ」
インファの冷ややかな声に、リティルは言葉を失った。
まさかだ。インファに、息子にこんなに真っ直ぐ疑われるとは思わなかった。
「それでも母さんは、父さんのどんな裏切りでも受け入れるんでしょうね。リティル、共同部屋の本棚を調べてください。それから、図書室の蔵書のジャンルの割合もです」
インファはどこか怒ったように感情なく言うと、離れていった。リティルの決断がお気に召さなかったのは明白だ。だが、これは仕事だ。途中放棄することはあり得ない。それをインファもわかっているはずなのに、何だというのだろうか。
本?そう言えば、あいつ昼間図書室でイチャイチャしてたな。とリティルは、クローディアが面白いように固まっていたことを思い出した。
あいつが、イチャイチャ?
リティルはすでにいないインファの去った方を見た。
一家や来客の来る風の城の応接間で、リティルはインファとセリアが触れ合っている姿などほぼ見たことがない。せいぜい、仕事帰りのインファに「おかえりなさい」と労うセリアが抱きつくくらいだ。しかも未だにぎこちない。
息子夫婦のキスシーンなんて、初めて見たと思う。たぶん。
インファは、あえて見せつけているのだ。巫女と結ばれたと。そんなことをする意味はなんだ?甘い雰囲気を醸すことを嫌うインファが、こんな行動を取る理由。
「……わかったよ。何があっても踊る覚悟、示してやるよ」
インファが、敵の手の内だとわかっていても、中止を進言することはこれまでになかった。いつものインファなら「さて、どう踊ってやりましょうか?」と言って、悪い笑顔を浮かべるところだ。リティルと2人、もしくは巻き込まれたのがインジュだったなら、迷わず続行だっただろう。それなのに、副官のあいつが中断を決断しろと言ってくるなんて……。
何が何でも、シェラを置いてくるべきだった。子供とはいえ、別の女性といる姿など、見せていいはずはない。
だが、後悔しても遅い。歯車は回り始めてしまったのだから。リティルは、インファのくれたヒントを確認すべく、部屋に戻ったのだった。
シェラは1人の寝室で、インジュからの通信を受けていた。
『よかった。シェラ、心配してたんですよぉ?』
心底ホッとするインジュの微笑みに、シェラは和んで笑みを浮かべた。
「なぜ?インファやリティルとは連絡を取っているのでしょう?2人が何か言っていたの?」
初対面ということにしよう。と言ったリティルとは、ロミシュミルが言った通り騎士と巫女にはなれなかった。
リティルに捨てられる。
信じられない気持ちと、本物には敵わないという諦めの気持ちがせめぎ合っている。迷うシェラの心は、インジュと話している今は、これまでのリティルとの時間を信じたいというほうへ傾いていた。
『それが……リティルに無視されてですねぇ。お父さんから、リティルには会ったから心配するなってついさっき通信来たんですけど、シェラの事が心配で』
リティルが、通信を無視した?何があったの?とシェラは夫の身が心配になった。
インジュは、この部屋の間取りを知っている。寝室に鍵はかからないが、音を遮断することも一時的に部屋を閉じてしまうこともリティルになら可能だろう。
それができず、通信を取れない状況とは……とリティルの身を案じたシェラは、はたと気がついてしまった。
1人で寝室にいないのならどうか?と。
『シェラ?大丈夫です?』
いけない。インジュに不審がらせては。インジュは色恋に聡い。風の王夫妻の仲に横槍が入りそうだとしれば、この場を壊してでも止めにくるかもしれない。
「え?ええ。問題ないわ。ずっと肩肘張っているから、少し疲れてしまっただけよ」
『肩肘です?巫女に選ばれたとき、みんなの目が釘付けだったって聞きましたよぉ?綺麗で癒やしなシェラを、騎士のみんなが寄って集って狙ってるんです?ホントに大丈夫です?』
このシェラを惜しげもなく絶賛するインジュは、インファとセリアの息子だ。シェラとリティルにとっては孫ということになる。グロウタースふうには呼ばれたことがないが、インジュにとってシェラは紛れもなく血の繋がった家族なのだ。精霊的年齢がシェラよりも上である彼は、時に、シェラを過剰に心配してくれる。
「そんなに誰彼構わず魅了しないわ」
クスクスとシェラは、インジュの心配に笑った。
『そうです?あのですねぇ、今回の事案、黒です』
「黒?」
笑いを収めたインジュは、忌々しげに言った。
『その儀式も、神の祠も問題ないって事です。翳りの女帝は、意図的にリティルを嵌めたんですよぉ』
「!インファはなんと結論を出したの?」
『リティルと話して、続行が決まったって連絡受けました。リティル、何考えてるんですかねぇ?続行の意味ないじゃないですかぁ。だってこれ――』
インジュの口から語られた真実は、シェラにとっても衝撃的なものだった。
このことを知っていて、リティルが続行を決めたとしたら、本当にもう、シェラの王妃としての時間は残されていないのではないだろうか。
精霊同士で交わる為には、婚姻の証がいる。精霊にとって交わりは相手の霊力を得る儀式だ。婚姻の証なく交われば強い方が弱い方を吸い殺してしまう危険がある。しかし、異界の民とでは、婚姻の証は必要ない。それは単純に生命を作る営みになるだけだ。
リティルは、シェラと婚姻状態のまま、クローディアとそういうことができるのだ。
インジュの通信を受けられなかったのは、寝室にクローディアがいたからではないのか?
ただ、話しをするだけなら、共同の部屋を使えばいい。それなのに、寝室に2人でいる意味は?
19才にもなって、男女のことがわからないなんてそんな言い訳は通らない。
リティルもそれを許したのなら、それは、そういうことではないのか?
もしかすると、もうすでに?
リティルは、気がついたのだ。彼女が、クローディアが本当の花の姫であることを。
そうとしか、思えなかった。そうでなければ、リティルが、そんな軽率なことをするはずがない。するはずが、ない……
翌朝、食堂に集まった皆に交じり、席に着いたシェラはジッとリティルを盗み見ていた。
テーブルマナーに悪戦苦闘するクローディアを、笑いながら優しい眼差しで見ているリティル。その瞳に、男女の艶は見えないが、わからない。彼は、シェラと何百年も夫婦をしていても、少年のような無垢さを失わないから。
ふと、リティルがこちらに視線を投げた。見ている事に気がついたのかもしれない。シェラは咄嗟に視線をそらしていた。
「シェラ、具合でも悪いのか?」
あからさまだっただろうか。カザフサが気遣わしげに、声をかけてきた。
「いいえ。初任務の前に、少し緊張しているだけよ」
「そうか。でも、無理しないでくれ。あなたが強いことは知っているけど、その……命のやり取りだから」
「ありがとう、頼りにしているわ。カザフサ」
シェラが微笑むと、カザフサも微笑み返してくれた。背が低く、童顔が多いウルフ族。
カザフサは、そんなウルフ族の中でもいい男の部類だろう。落ち着いた灰色の瞳に安心する。こんな彼と、タッグを組んで1年も戦えば、シェラに想い人がいなければ、絆されてしまっただろう。いや、想い人がいても、絆すのが目的か。
それならそれでいいのではないか?
1年後、すべてが終わるなら、この、最後の命の煌めきを、運命も魔法もない真っ新な心で見つめるのもいいかもしれない。
そんな、開き直ったような、自暴自棄のようなことを思いながら、紅茶を飲むシェラを、複雑な顔でカザフサが見ている事を、シェラは気がつかなかった。
そして、そんな2人の姿を、平静を装って見ている視線があることも、気がついていなかった。
君だけだ。それを、信じてくれねーのか?
こっちを、氷のような瞳で見てたのに、オレが視線を合わせたら、意志を持って避けたくせに、何かを話しかけたカザフサには、短く答えて、2人は、想い合うような瞳で見つめ合って、そして笑った。
その位置にいたのは、いつもオレだった。
そうだっただろ?これからも、ずっと、じゃねーのかよ?
君を、オレの隣に選ばなかったのは、オレじゃねーだろ?
なのに、そんなに許せねーのかよ?そんなに、不安なのかよ?
シェラ!シェラ……君が遠い……
シェラの事ばかり考えていたら、初陣での吸血鬼討伐数が一位になっていた。
マズイ……これは非常にマズイ。戦えない巫女が相棒なのに、首位なんか取ったら、もの凄く注目を集めて調査どころではなくなってしまう。隣でうるさいくらいに褒め称えるヘンリーの言葉は、面白いようにリティルの耳を素通りしていた。
遠巻きな様々な思惑の交錯する視線を一身に受けながら、内心青ざめていたリティルは背後に冷ややかな気配が立つのを感じた。
「活躍でしたね。リティル」
彼の隠さない苛立ちに、ヘンリーが反応したが、リティルは「やめろ」と制した。
「はは……悪い、おまえらの得物まで、横取りしちまったか?」
「いいえ。オレ達は5番目ですから。それよりも、シェラ姫とカザフサ組、健闘しましたね」
インファが隣に立ち、張り出された順位表を見上げた。2位はカザフサ・シェラ組だった。
「どこにいたんだ?」
「あなたは、麗しの姫君に嫌われているようですね。かぶらないように立ち回っていたようですよ?」
「ああ?マジかよ!会わねーと思ったら、避けられてたのか?オレ!」
そんな気はしていた。だが、それを突きつけられると、胸に風穴を開けられたような気分になった。
「なんだ?リティルも王女様狙いだったのか?色恋にゃ興味ないと思ってたぞ?」
ヘンリーが意外だと言いたげに、リティルをしげしげと見下ろしてきた。
そりゃ、オレの奥さんだからな!とは言えないのが苦しいが、リティルもってなんだ?リティルもって!とリティルは背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「知らなかったんですか?あの美貌に高い魔力ですからね、騎士達の視線を集めて、騎士の瞳を奪われた巫女の恨みを買っていますね」
「ああ、その視線から王女様を健気に守ってるな、あのオオカミ。あの2人の間に入れると本気で思ってるヤツがいるとするなら、そいつは節穴だ。身の程わきまえろって、王女様が牽制してるのわからんのか?」
聞き捨てならない。もの凄く聞き捨てならない。シェラとカザフサができてるって聞こえるぜ?とリティルは何とも言えない焦りを感じた。しかし、そう見えてもおかしくない。ここが、インジュの憶測通りの場所なら、ここに関わっているのが心に作用する力を持つ闇の精霊なら、納得できる。できるが許すつもりはない!
「力の差とは、残酷ですね。そしてリティル、ご愁傷様です」
「はあ?それ、王女様の視界にも入れてもらえねーってことかよ?」
マズイ……シェラはたぶん、怒っているのだ。だが、こちらから接触することはできない。初対面だということにしようと言ってしまったし、これだけあからさまに避けられていては、関係を築きにくい。だが、彼女に誤解されたままではいたくなかった。
どうすれば?とリティルが頭を悩ませていた時だった。
「――入れてほしいの?」
ゾクッとした。
冷気を漂わせたその声は、リティルの心の奥底まで響いていた。
気がつけば、あれだけ周りにいた人々がいなくなっていた。シェラの為に、皆気を使ったようだ。どれだけ掌握してるんだ?リティルは振り向いた。そこにはカザフサを従えたシェラが立っていた。紅茶色の瞳が、表情なくリティルを見つめていた。
「シェラ……」
リティルが呟くと、シェラはあからさまに嫌そうな顔をした。
「あなたと、馴れ合う気はないわ。いったいどんな手を使ったの?1人でこれだけの数を討伐するなんて、信じられないわね」
「あなたはリティルがズルをしたと思ってるの?そんなことしてない!」
シェラの不正を決めつけるような言葉に反応したのは、クローディアだった。それにはリティルも驚いて、慌ててクローディアを引き戻した。シェラは皆の意見を代弁したにすぎないのだ。ここにいる騎士の全員が、初陣前の数日で、ペアの技量を鑑みて順位を予想していただろう。
上位に来るのは、カザフサ・シェラ組とインファ・セリア組だと思われていた。リティル・クローディア組はリティルが健闘しても真ん中ほどだろうと推測されていることは、リティルにはわかっていた。初陣だし様子を見ておこうと思っていたのだが……このざまだ。
リティルは1人で、2位にそこそこの差を付けて首位を取ってしまった。シェラがリティルに首位を取らせてはいけないと頑張ってくれたのに、その努力を水泡に帰してしまったのだ。シェラが呆れて、釘を刺しに来ても不思議ではない。
「いい気なモノね。騎士だけを戦わせて、1人高みの見物なんて」
引き戻されたクローディアに追い打ちをかけるシェラに、リティルはさらに驚いた。
「手厳しいですね。シェラ姫、こちらのお嬢さんは経験がありません。そんな娘に戦えと言うのは、いささか酷ですよ?」
インファは一見庇ったようだが、そうではない。暗に、クローディアを貶めていた。
なんだ、これ……?リティルは1番わかっている2人が、まるで知らない誰かのような気がして、心がスッと冷えるのを感じた。
シェラはなおも冷ややかに、クローディアを追撃する口を緩めなかった。
「騎士を守ることこそが巫女の役目よ?騎士を守る気がないのなら、ここから去るべきだわ。少なくともわたしは、カザフサを傷つけさせない。覚えておいて、リティル。わたしはカザフサと、神の祠へ行くわ」
踵を返すシェラの差し出された手をカザフサは取ると、チラリとクローディアに視線を1度だけ送り、去って行った。
やれやれ、クローディアを舞台に上げる為とはいえ、父さんには刺激が強すぎではないですか?とインファは、一言も言葉を発しなかったリティルの背中を見つめていた。
「――れた。オレ、シェラに名前呼ばれたぜ!」
リティルは急に叫んだ。嬉しそうに。それだけで、冷えた場の空気がいくらか暖まっていた。
「そこか?もの凄くライバル視されてたが、それはいいのか?」
呆気にとられたヘンリーが苦笑いした。
「へ?いいぜ?俄然燃えるだろ?オレ達ここに、吸血鬼退治に来てるんだからな!頑張ろうぜ?クローディア!」
「ええ?うん!」
本当にわかっているんですか?インファは、悪意をすべて笑顔で引き受けたリティルに、当然の様に守られたクローディアを冷ややかに見つめていた。ツンッと袖を引いたセリアに促され、インファは静かにその場を離れた。そして向かう先は、シェラとカザフサの部屋だ。
インファとセリアの前には、お付きのメイド・ユリアナが案内するかのように歩いていた。先触れは出してある。これは、正式な訪問だ。
ユリアナがノックをすると、程なくしてシェラ・カザフサ付きのメイドが扉を開いた。
「ようこそ、インファ、セリア」
ソファーに座っていたシェラが、立ち上がり2人を迎えてくれた。
インファの斜め後ろから彼女の姿を見ていたセリアが、息を飲んだのがわかった。その、冷気を漂わせ、光を受けてキラキラ輝く氷のような微笑みをシェラが浮かべられるなんて、セリアは知らなかったのだ。
歓談は、それでも和やかにスタートした。
シェラ・カザフサ付きのメイドも、給仕の腕は1級で、花の香りのする紅茶は、とても美味しかった。城でも、ラスが淹れる紅茶はとても美味しいが、目の前の王女――風の王妃・シェラの淹れる紅茶も絶品な上癒やしを伴い、戦いに明け暮れる風一家の心を和ませるという効果付きだ。セリアが、慣れない環境下で、シェラ様の紅茶が飲みたかったと思ってしまったのは、仕方のないことだ。
「セリア様、お気に召しませんでしたか?」
セリア達お付きのメイド・ユリアナがこそっと耳打ちした。
「いいえ!大丈夫よ、ユリアナ」
セリアは慌てて否定した。ユリアナは、セリアがシェラ・カザフサ付きのメイドに嫌がらせをされたと思ったようだ。
「すみません。セリアはあなたの淹れる紅茶の噂を知っているんです」
インファがすかさずフォローしてくれる。すぐに顔に出てしまうセリアは心の中で「ごめんね!」と謝っていた。
「まあ、そうなのね?けれどもごめんなさい。ここでは、ただのシェラなの。わたしが手ずから淹れることは憚られるわ」
「いいえ。申し訳――すみません」
セリアはシェラの他人行儀な微笑みに、内心傷つきながら俯いた。
「知り合いだったのか?」
気まずい沈黙が下りそうな雰囲気を、その空気が支配する前に声を発したのはカザフサだった。
「面識はありません。ですが、お互い名を知らない仲ではありません。煩わしいことですね」
「そうね。けれども、巫女に選ばれたことは、いい息抜きになったわね」
「しかし、本意ではないでしょう?」
インファの探るような視線を受けても、シェラの瞳は、無表情だった。本物の王女みたい……とセリアは思ってしまった。といっても、セリアの知識など本の中の創作にすぎないが。
「あの人のこと?噂は噂よ。もっとも、そちらは噂ではなかったようね?」
想い人がいますよね?と暗に言ったインファの言葉に、シェラが乗ってくれ、インファはホッとした。インファの目から見ても、カザフサとシェラは、想い合っているように見えて落ち着かないのだ。
「ずっと逃げられていたんですが、やっと捕まえました」
そう言ってニッコリ笑ったインファは、隣のセリアの腰を抱き体を密着させる。
ブレないわね。女嫌いのインファは、例え相手が最愛の妃・セリアであっても、人前で触れ合う事はしたがらない。それが、ここへ来た途端、付き合ってますアピールをしだした。
その姿に、シェラも驚いていた。うう……恥ずかしい……。演技なのか演技ではないのか、実際の間柄のこともあり境界が難しい。
「そ、そんなことはいいでしょう!シェラ様――」
「シェラ」
「え?」
セリアの言葉を遮ったシェラは、ニッコリと微笑んだ。その微笑みには温度があったが、有無を言わさない威圧感があった。
「ここでは身分は関係ないわ。敬称は不要よ」
「あ……はい……」
セリアは絶句して、俯いた。
「あなたもよ?インファ。あなたが不用意に姫などと呼ぶから、定着してしまったわ」
「それは失礼しました」
冷たい瞳を向けられても、インファはククッと笑って、悪びれなく答えた。
インジュからシェラに伝えたと聞いていたが、こちらも退く気はないようだとインファは思った。これでは、夫婦喧嘩だがまあしかたがない。とはいえ、不審な動きがあることも確かで、最後まで面倒を見ることもやぶさかではない。インファは気を取り直した。
「それでは、本題に入りましょう。今回の成績についてです」
「……あなたも、不正があったと思っているのか?」
押し殺した声で、カザフサが言った。インファは、カザフサがリティル組の肩を持つとは思っていなかった為に、おや?と顔には出さずに思った。
「リティル組が、不正をしたとは思っていませんよ?あの人の実力なら、できるでしょう。しかし、巫女があれではいらない疑いを招きますね。巫女を守る気があるのなら、軽率だったと言わざるを得ません」
カザフサも、リティルに向けられる視線と、その傍らにいたクローディアに向けられていた視線の違いを、感じていただろう。ヘンリーに五月蠅いくらいの賞賛を受けていたリティルの顔が、心なしか引きつっていた理由も、すでに察していた様子だ。
「おおかた、想い人のことでも考えて、頭がいっぱいだったんでしょうね。本人から聞きましたよ。想いを寄せる者がいるが、誤解されるような行動しか取れず困っていると」
想い人?カザフサは思わず反応してシェラを見た。
おや?一応牽制はしていましたか。とカザフサの反応から、シェラには想う人がいることを彼が知っていることを感じた。それに、カザフサにも想う人がいることは、セリアの勘で知っている。彼女のこういう勘は当たるのだ。
「ちなみに、リティルの想い人はクローディアではありません。あの人は、軽々しいですが、一途なんです。今更他の女性に目移りすることはあり得ません。クローディアに甲斐甲斐しいのは、義務感からでしょうね」
そうなのか……とカザフサが安堵したように視線を落とした。インファでも、誰を思っているのかわかる仕草だ。本当に彼女を?とセリアの話しを聞いても半信半疑だったが、今回もセリアの目は確かだった。しかし……なぜクローディアなのか、疑問だ。
「よかったですね」
とはいえ、シェラに惚れてはほしくない。インファの言葉に、バレていないとでも思っていたのか、カザフサは驚いた顔をしていた。
「しかし、クローディアの方はわかりかねますが」
その一言で、カザフサは奈落へ叩き落とされた顔をした。例え、リティルがそうでも、クローディアがリティルに惹かれているのは事実だ。そんなこと、誰の目にも明らかだ。
「あなた方も大変ですね」
インファは含みのある言い方をしてやると、シェラには珍しくムッとした顔をした。インファは内心ホッとする。心が乱されるということは、まだリティルに心があるということだからだ。
「大きなお世話よ。けれども、1年もこんな生活を続けていれば、絆されることもあるかもしれないわね?」
意味深な言葉で、シェラは冷ややかに笑った。
「シェラ、それは……」
カザフサが言い淀んだ。そこには、あなたは諦めるのか?と問うような色が浮かんでいた。
あなた?シェラだけが心変わりすると思っているんですか?インファは、面白いものを見るような目でカザフサを伺った。人の好みは千差万別だが、あのクローディアとシェラとでは月とすっぽんだ。今惑わずにいられるのは、シェラにその気がないからだ。母がその気になったら、あなたなどイチコロですよ。そう思った。
それに。インファは、内心の苛立ちを隠して微笑んだ。
「吊り橋効果という言葉を知っていますか?危険や恐怖により上がった心拍数の原因を、共に危険や恐怖を体験している目の前の異性に、恋しているからだと錯覚してしまう現象のことです」
「それが、今関係あるのか?」
カザフサは首を傾げた。おや、知らなかったんですか?それとなく聞き込みをしたところ、大半がこの儀式のことを知っていた。ある者は「知らないなんて、よっぽど異性に興味がないか、獅子王宮に興味がないんだな」と言っていた。獅子の瞳にある都ではニュースになるという。獅子王宮は、この大陸の中心だ。ここで行われることは、きちんと各国へ伝わる。そして、このゲームは平民でも獅子王宮に入れるとあって、若者が1度は憧れる行事だ。どんな行事なのか、平民でも調べることができるという。
「騎士と巫女の選定基準を、知っていますか?」
「騎士の招待基準は、一定以上の魔力と戦闘能力だと聞いたが、違うのか?」
「巫女の条件も、一定以上の魔力です。そして、同じくらいの力の者が引き合わされ、一つ屋根の下で1年もの間共同生活を送ります。吸血鬼退治を抜きにして、この状況をどう見ますか?」
「どうって……」
カザフサは見るからに困惑していた。吸血鬼退治以上の意味などないと、盲目的に信じていたようだった。彼の周りには、内容を知っている者がいなかったのかもしれない。知っている者の中にも、ここへきてパートナーに聞いたと言っていた者もいた。
「着飾った未婚の男女が引き合わされて、2人っきりでおしゃべりさせられて、なんとも思わなかったの?」
セリアの指摘に、カザフサは眉根を潜めた。思い至らないのも仕方がないかと、インファは思い、答えを突きつけることにした。
「これは、集団見合いです。しかも、既成事実混みの、逃れられない縁談です」
「まさか!そんなわけ……」
「嘘だと思いますか?そこの本棚を見たことはありますか?」
本棚?とカザフサは、ソファーの脇にあるガラス戸のはまった本棚を見た。ここへ来て、優雅に読書などという気分にはなれず、そんな趣味もなかったカザフサは、触ったこともなかったが、シェラはそこの本を読んでいる場面には何度か遭遇していた。
隣から、フウとため息が聞こえた。
「……いかがわしい内容のものばかりだったわね。まるで、やり方を教えようとしているようだったわ」
「な、なぜ……そんなこと……3国が共謀して?」
「理由は何となく察するわ」
絶句するカザフサに、シェラはスッと冷ややかに瞳を細めた。
「一定以上の魔力を持つ者は、なぜか恋愛を避ける傾向にあるのよ。奥手でヘタレで、誰かのものになった想い人を、一生想い続けながら未婚でという者も少なくないわね」
あなたもそうでしょう?シェラの瞳はそう言っていた。
「そこで、ある代の獅子王が考えたんですよ。エフラの民だったその王は、自分の民を見て思ったようです。エフラの民は、婚姻率が低く、子供の数も他の種族に比べて圧倒的に少ないことをです。この大陸は、グロウタースでも有数の人種が混在する地です。このままでは、エフラの民の混血化、引いては絶滅は免れないと」
「それとこれとどういう?」
「さすがはエフラの民ですね。他種族の婚姻事情も調べたんですよ。魔力量における婚姻率、出産率です。そして、他種族でも、一定以上の魔力を持つ者は婚姻を結びにくいことがわかったんですよ。獅子王は、各国の王と共謀し、この儀式を思い付いたと思われます。強い魔導士はどこにいても重宝される存在ですから、今後、一定以上の魔力を持つ人材が効率よく生まれるかも知れない可能性があれば、そんないいことはありませんからね」
「知っててあなたは……?」
「いいえ。オレもここへ来るまで知りませんでした。しかし、いろいろ不自然でしたから、調べたんです」
こんな閉鎖空間で、どうやって調べたのか。そんな疑問も湧かないくらい、カザフサは衝撃を受けている様子だった。もっとも、知っている者は知っていたのだ。インファがしたのはインジュのくれた情報の裏付けだけだったが。
「このまま、シェラ姫の騎士を、何もしないで続けていては、クローディアはリティルのモノになってしまうでしょうね」
「覆せるっていうのか?あなたはさっき、逃れられない縁談だと言ったのに?」
「不本意同士だからですよ。オレ達に協力してくれると言ってくれるなら、手を貸しますよ?」
「そんなこと!」と言いかけて、カザフサはリティルも不本意であることに気がついた。
彼にも、想い人がいるのだと、インファが明かしていた。それでは、まだ、彼女を諦めなくても希望はあるんじゃないのか?カザフサは縋るような目でインファを見た。
「ここまで言われて、自ら行動し、クローディアを得ようとは思わないのね。本当に、魔導士という人種は、精霊に近くなるのね」
「魔力が高いということは、精霊とより親密になれるということですからね。影響が、少なからずあるんでしょう」
呆れたようなシェラの言葉を、インファが擁護してくれたようにカザフサには感じられた。
精霊は、不老不死が故、子を残す必要のない種族だ。男女間の愛がない、もしくは恋愛感情が希薄だとも言われていた。しかし、そんな事実はない。インファもセリアに出会う前は恋愛感情が自分にはないと思っていたが、違った。想える相手に出会っていなかっただけだったのだ。恋愛感情とは、子を成すために必要な感情だと思っていたのだが、それ以外にも意味があるのだろうと今では思っている。
「カザフサ、シェラ姫の想い人は、リティルです」
シェラは、インファがこんな暴挙に出るとは思っていなかった。皆、知り合いではないと、ここで出会ったのだということにしようと言っていたのに!そんな事を、心の中で叫んでいた。
「インファ!」
机に手をつき、思わず声を荒げたシェラの様子に、隣でカザフサが驚いていた。
「ちなみに、リティルの想い人はシェラ姫です」
「イ、インファ……」
どうして?何百年も夫婦をしてきたのに、こんな言葉1つで顔の温度が上がってしまう。リティルがわたしを好きなのだと思うと、心が舞い上がってしまう。どうかしている……。シェラはストンッとソファーに腰を下ろして俯いた。
「えっ!シェラ、リティルは両思いだって知ってるのか?」
「……」
両思いどころか夫婦だ。知らないとも知っているとも言えなかったシェラは、温度の上がった顔をうつむけるしかなかった。その様子から、お互いに知らないのかとカザフサは思ったようだった。
「あんな、敵対するようなことしてはいけないよ。しかし、知り合いだったのか?」
シェラは俯いたまま首を横に振った。
「じゃあ、ここへ来てから?でも……」
それだと、辻褄が……カザフサは首を傾げた。そうだろう。カザフサは、ここへ向かう馬車の中で、シェラには想い人がいることを何となく察していたのだから。
「シェラとして、会ったわけではないの。身分を偽って、名さえも偽ったのよ」
なんとかシェラは、遙か昔リティルと出会った事のことを思い浮かべて取り繕った。嘘を重ねればボロが出る。リティルも、シェラと出会った時の事を訪ねられれば、当たり障りなく真実を述べるはずだ。これ以上、余計なことを言うべきではないとわかっていたが、どうにも抑えられなかった。
「選定の儀で、わたしが、リティルの巫女に選ばれない事はわかっていたの。それでも、選ばれるほうへ賭けたかった。行ってはいけないと止められても、行くしかなかったのよ」
「わかっていたって、この中でリティルの実力と釣り合っているのはあなただ。クローディアが選ばれたことのほうが、不自然だ。なのにどうして、あなたは自分を卑下するようなことを?」
シェラは、哀しそうに微笑んだ。
「きっと、偽ってはいけなかったのよ。わたしがどんなに欲しても、あの人が求めてくれたとしても、偽りは、本物には敵わない。これが、現実だっただけのことよ」
どういう意味だ?カザフサはなんと言っていいのかわからない様子で戸惑っていた。諦めたようなシェラに、苛立ちを抑えた声で言葉をかけたのは、インファだった。
「では、あなたは諦めるんですか?突然降って湧いたように現れた娘に、リティルをくれてやると言うんですか?」
「やめてインファ。あなたは知らないのよ。わたしとリティルのことを」
「選ばれたのは、あなたですよ?それなのに、よくわからないモノの言うことを聞くんですか?」
「どうしようもないわ。そういうものよ。わかるでしょう?」
「わかりたくもありません。父は、運命は切り開くモノだとオレに教えました。あなたも、最初からわかっていたでしょう?手を伸ばし続けなければ、失うということをです」
その通りだった。
リティルを追いかけて、追いかけて、捕まえて、でもその手が離れそうで、1度は共に生きることを諦めた。けれども、リティルは1度繋がったその手を、放そうとしなかった。
知っていたのに。15代目風の王の番となる花の姫は、シェラではなく、シェラの未来にリティルではない誰かとの間に産まれる娘であると、リティルも、プロポーズしてくれたときには知っていたのに。
だが、しかたがないではないか。偽りだとしても、あの時点でシェラは、花の姫だった。運命を歪め、シェラを選んだのは、リティルだ。
グロウタースに産まれ、風の王となるべく造られたリティルに、宛がわれるために命を繋いだ王家の姫。シェラには初めから、選択権はなかったのだ。
リティルと出会った姫が、彼の妻になることは決まっていたのだから。
人間として生を終えるか、目覚めた風の王に嫁ぐか、リティルは最後に、シェラに選択を委ねてくれた。花の姫という精霊として共に生きると、リティルを選んだのはシェラだ。
ほしかったから。リティルのすべてが。「オレのすべてを、君にやるよ」と笑ったリティルに、もらってほしかった。シェラのすべてを。
その為に、人間であること、生きてきた場所、家族――すべて失っても構わなかった。
揺れる。心が揺れる。ユラユラと。
何があっても放すまいと思った。オレは君にふさわしくないと落ち込む度、わたしがあなたを諦めないと言ってきた。
本当は離れてほしかった?
本物の魂を探して、この世界を飛びたかったあなたの、足枷にすぎなかったの?
あなたがいつまで経っても捜しに来ないから、本物の魂の方から、あなたを捜しにきたの?
わたしは、愛するあなたに、何をすべきなの?
あなたはわたしに、何を望むの?
決められない。決められないわ?リティル……
シェラは、深夜の共同部屋のバルコニーに立っていた。
あれからほどなくして、埒が明かないと思ったのだろう。「よくよく考えてください」と言い置いて、インファとセリアは帰っていった。
カザフサは「リティルと話した方がいい」と言ってくれたが、あの人が、例えカザフサとクローディアが両思いだったとしても、パートナーの交換を了承するとは思えない。すでに注目を集めてしまっている両ペアだ。この時点での交換は不自然だ。シェラはこのまま、2人が落ちるのを見ている事しかできないのだ。
カザフサは、とっくに諦めているのか、勝てないと思い込んでいるのか、シェラの様子を窺うばかりで、積極的に動く気はないようだ。
「リティル……」
シェラは歌っていた。
これまで、幾度となくリティルに請われた歌声。
風の精霊の力ある歌『風の奏でる歌』
風の精霊が特別に教えれば、他の精霊も歌うことができるが、その難易度は高い。
花の姫となる前、人間だったからこそ歌えるのだと、シェラは思っている。神樹の花という特殊な花の精霊とはいえ、風の精霊とは相性が最悪の花の精霊だ。人間のときに教えてもらっていなければ、きっとシェラも歌えなかっただろう。
――思い出してリティル。わたしのことを
未練がましい想いが消えない。
もう、手遅れだとわかっているのに。それでも、縋りたくなる。
一夜明け、事態はシェラの予期せぬ方へ動いていた。リティルの手で。
朝食を終え、今日はこれからダンスの練習だねと、カザフサと部屋へ引き返している途中だった。
後ろから来た者達とすれ違うため、カザフサを前にシェラが後ろに一列になった時だった。シェラは強い力で腕を引かれ、廊下の角を曲がらされていた。
「っ!」
その金色の瞳に射貫かれて、声を出すことはおろか、息さえも忘れていた。
彼の顔が一瞬で近づき、シェラは抵抗する間もなく唇を奪われていた。グッと背中に回された腕に、1度だけ力がこもり、そして放される。
「シェラ!よかった……どうしたんだ?」
カザフサが来てくれるまで、時間にして1分もなかったと思う。その時には、不埒な強襲者の姿は、跡形もなかった。
「大丈夫か?何があったんだ?」
取り繕えなかった。
本気になった彼に、敵うはずないのに、シェラはリティルが行動しない想定でしか物事を考えていなかった事に気づかされた。あの人が、行動しないことなどあり得ないのに、シェラはリティルを侮っていたことを思い知らされた。
『君を離さねーよ。君だけだ。シェラ』
唇が離れる刹那、リティルはそう呟いた。少し怒った、欲望を含んだ熱い眼差しと一瞬視線が交錯した。
昨日のインファとの会談を、報告されたのだろう。それで、シェラがリティルから離れる選択をするかもしれないことを、気づかれたのだ。
リティルは、君が望むならといいながら、1度だってシェラの手を放したことがない。
君は綺麗だからと、シェラの容姿と自分の容姿を比べて気後れしながら、シェラの容姿に見とれる者には、独占欲丸出しで容赦なく牽制していた。
運命なのよ?しかたないでしょう?リティルがまだ、シェラに固執するのは、クローディアが何者なのか気がついていないからだろうか。
教えてあげたら、彼はその手を放してくれるのだろうか。
「なんて人なの……?」
いつでも、リティルの一言で安心する。彼の腕の中で守られていていいのだと、庇護下にある子供のように抗えなくなる。
精霊としての心が、もう風の王の傍らにはいられないといい、どんなに困難でも自分の望む運命を切り開くことをいとわない、グロウタースの民のような心を持つリティルを、信じ続けたい『シェラ』としての心の狭間で、シェラは身動きが取れなくなった。
カザフサは、声を殺して泣き出したシェラが「リティル」と呟くのを聞いた。
そんなに恋い焦がれているのに、一方的に嫌っているような態度を貫こうとするシェラの心が、どこにあるのかわからなかった。
オレが奥手でヘタレだというのなら、あなたも大概じゃないか?とも思ったが、シェラが動けない理由を、カザフサは本当はわかっていた。
シェラがどんな身分の人なのかはぐらかされたが、カザフサもそんな身分の人なのだから。
いいのか?これで、本当にいいのか?
拒否権のないお見合いだとして、想い合う者同士が引き裂かれて、痛みを伴う恋愛を強いられて、それを受け入れるしかないのか。
シェラに、絆されている自分をカザフサは確かに感じている。
リティルにベッタリなクローディアの姿に勝手に傷ついて、同じような胸の痛みを感じているシェラで満たそうとしている自分の浅ましさを自覚している。クローディアへの想いが完全に消えたわけではないが、こんなふうに泣いている彼女を前に、心が動いてもしかたないじゃないか!
カザフサは、シェラを抱きしめていた。
もしもシェラが縋ってきていたら、カザフサはきっとキスしていたと思った。
薬草の生える中庭で、エフラの民の2人がせっせと、傷を癒やす効果のある薬草を摘んでいた。
これが薬草だとわからない者の目にも、素朴な花々の咲き乱れる庭園として映るだろう。
インファが中庭に足を踏み入れると、肩甲骨あたりまで伸ばした茶色の髪を緩く束ねた、細身の優しげな眼差しの青年と、太ってはいないが、ふっくらした頬の、おっとりした緑色の瞳の女性は同時に顔を上げた。
「インファさん、セリアさん。あなた方も薬草採りですかな?」
親しげに、リュカが採った薬草をシャーナにわたしながらインファに対した。
「いいえ。あなた方とお話したいと思って来たんですよ」
「わたし達と?何でしょう?」
リュカはその顔に笑みを浮かべてはいたが、目は笑っていなかった。
「初任務、なぜ手を抜いたんですか?」
「抜いていませんよ?あれがわたし達の実力です」
インファは自己紹介の時、めぼしい実力の者、邪魔をしてきそうな者に目を付けていた。
リュカは、実力ある者として、インファが目を付けた1人だったのだ。
しかし、リュカ組の初任務の討伐数は、10組中、最下位だった。しかも、9位と1匹差だった。故意にそうしたとしか思えない結果だ。皆、上位にしか目を向けないうえに、注意を引いてくれるペアがいてくれる。それを隠れ蓑に、暗躍しようとしているとしか思えなかった。
「謙遜しないでください。あなた方の実力なら、5本の指には入れましたよ」
見ていましたよ?インファが言うと、リュカは笑い出した。彼の雰囲気にはそぐわない、空を仰いで大笑いするという笑い方だった。
「あなた方だって、3位には入れたでしょう?本気だったなら、首位が取れたはずだ。そうでしょう?雷帝・インファ様?」
一頻り笑うとリュカは、優しげで知的な好青年の仮面を脱ぎ去っていた。
「ご安心を。あなた方の邪魔はしませんよ。こちらは、こちらの目的で動いているだけですので」
精霊ではないとはぐらかしても無駄かと、確信しているリュカの様子に、インファは早々に諦めた。力を抑えた今の状態では、リュカの真の実力を正確には測れない。彼の得意魔法すら把握できてはいなかった。
悔しいが、リュカの手の内だ。何かしらの駆け引きはあるとは思っていたが、それすらなく、直球で来るとは思ってはいなかった。これは、好意か悪意か、悩むところだ。
インファは僅かな逡巡の後、問いかけた。
「目的を聞いてもいいですか?」
「あなた様にならいいでしょう。ですが、口外しないでくださいね。こちらも仕事なので」
そう言うとリュカは中庭の奥へと足を進めた。
中庭の中央には、東屋が置かれている。リュカはインファ達を先に通すと、シャーナを伴って席に着いた。エフラの民には東屋のベンチは狭いのだろうが、2人の座る距離が近すぎないか?と心をよぎった。
「この儀式について、危険はないか調べているのですよ」
リュカは、おもむろに話始めた。
「あの魔物、2年単位で猛威を振るうんですがね、そんな魔物がありますか?しかも、この地に呪いなんかかかってやしませんよ。遙か昔に、風の王と青の獣王が浄化したでしょう?吸血鬼はね、人工の魔物なんですよ」
「そんなところまで、管理されてるの?」
セリアが思わず発言してしまい。ハッと、口を噤んだ。リュカは、そんなセリアに「へえ?」と感心したように大袈裟に目を見張ると、ニヤリとねちっこい笑みを浮かべた。セリアは、この人、今までと全然違う!とその無遠慮な視線を受け流しながら、嫌な汗をかいていた。
「ええ。管理されていますなぁ?なんせ、魔導士子作り計画のための儀式ですからねぇ。貴重は魔導士の血を、危険にさらすわけないじゃないですか。わたしがなぜ知ってるかですか?この儀式を作り出した、先代の獅子王と亜人の王に頼まれてここにいるからですよ」
インファは押し黙ったまま一言も喋らない。セリアは、ここはわたしの出番ねと、リュカを質問攻めにしてやろうと身構えた。
風の城はこの儀式についての知識が殆どない。こちらを精霊だと見抜いているリュカから聞き出すのが手っ取り早いが、インファは情報の整理がしたいだろう。セリアは口を開いた。
「危険はないんじゃないの?」
「ええ、今までは。しかし、数回前から吸血鬼に異変が起こっているんですなぁ。強力になってきてるというんですか?強力な個体が混じっているというんですか?今回は、王子が選ばれていますからね、王も慎重なんですよ」
幸い怪我人は出ても死者は出ていないがと、リュカはため息を付いた。獅子王を中心に、3国が関わっている儀式だ。大事故があってはならない。だが、吸血鬼と戦わせるという要素は必要か?とリュカはずっと疑問を感じている。リュカにとってもこの潜入は不具合を正すチャンスなのだ。
「王子?亜人の国の王子様ってことよね?」
「そうです。わたし、19は19なんですけど、119才なんですよね。この儀式の選定基準は、人間に合わせて19~25才くらいまでなんですな。それを、魔力操作して無理矢理ねじ込まれたわけなんですが、まあ、悪いことばかりじゃなかったですな」
リュカは、悪い笑みを納め、優しげな好青年の笑みに瞬時に切り替えてシャーナを見た。はにかんだシャーナがポッと頬を染めたところを見ると、思惑なくいい出会いに恵まれたらしい。
実は、リュカの潜入が決まったとき王から「おまえもそろそろ伴侶を得ろ」と言われた。そのときは何言ってんだ?この人。と、呆れたがわからないものだ。いや、精霊の魔法が故か?どちらにせよ、リュカも思いがけずいい出会いに恵まれてしまった。
「それはよかったわね。シャーナが幸せなら、それでいいわ。それで、誰なの?その王子様」
シャーナが幸せなら!と強調したセリアの言葉に「わたし、そんな悪い男ですか?」とリュカは苦笑いした。「腹黒そう!」と言ってやると「それは認めますけどね」と開き直った。セリアはリュカを、いい性格してるじゃない。嫌いじゃないわと思った。
そんなことより、王子らしい人なんて、いたかしら?とセリアは半信半疑だった。
注目を集めている人物の中で、亜人種と言えばカザフサだが、彼は人間の国と亜人の国の国境近くの村出身のクローディアのなじみだ。テーブルマナーは完璧だったが、儀式の事を知る兄の友人に、必要だからと急遽仕込まれたと言っていた。
王城とは無縁の生活をしていたように、聞こえたが……。
「第15王子のカザフサ様ですよ。カザフサ様は、やっと産まれたエフラの民バリに魔力のおありになるお方なんですなぁ。それで、王がわたしを遣わせたと、まあそういうことですな」
カザフサが王子?しかも15人目で、しかもウルフ族って……。セリアは、思わず、15代目風の王・リティルを思い出してしまった。
彼は、ウルフ族の体に、風の王の魂を融合して造られた異色の王なのだ。
風の王の力を完全にモノにしたとき、ウルフ族の特徴であるオオカミの耳と尾を失っている。当初の目覚めの予定が狂い、19という若さで風の王を継がねばならなくなった。リティルは「もう少し成長してから、王になりたかったよな。けど、シェラが手に入ったからいいんだけどな!」と、惚気ていた。
カザフサも、確か19だと言っていなかっただろうか。これは偶然だろうか。
カザフサの方が、リティルよりも大人びた顔立ちをしているが、皆から一目置かれる力の持ち主であったりと、何かとリティルとの共通点がある気がする。何だろう?胸騒ぎを感じる。
よくない。ここはよくない。薄ら寒さに襲われていたセリアは、インファの声で我に返った。
「リュカ、クローディアのことを、どう見ていますか?」
ああと、リュカはあからさまに嫌そうな顔をした。この表情だけで印象がよくないのは丸わかりだった。
「あの娘は、現人間の王のご落胤ですよ。人間の王は本気だったらしいですがね、相手はウルフ族の娘で、その娘は身籠もると途端に行方をくらまし、見つけた時には儚くなっていたとそういうことですな。王家はどこも、混血を嫌いますからね。家臣の反対に遭い、王は泣く泣く娘を手放したんですよ。娘は自分の出生を知らず、王の信頼厚かった騎士夫婦の娘として生きているってわけですな」
騎士もとんだとばっちりだ。隠す為に騎士職を辞し、王都から遠い国境に行かなければならなくなったのだから。と、リュカは言った。
「クローディアの出生はわかったけど、王子のカザフサは、どうして国境なんかにいたの?」
「カザフサ様を産んだお妃様は、魔力はそこそこある方なんですが、平民の出でして、しかも少々、いやもの凄くですかねぇ?自由なお方でしてな、カザフサ様を産むとサッサと実家に連れ帰ってしまったんですよ。まあ、王も同じくらい自由なお方でして、国中に王子と王女をばら撒いていらっしゃるんで、13番目と14番目がカザフサ様の面倒を見ておいででしたね」
「亜人の王は、クローディアを快くは思っていないんですね?」
え?クローディアをよく思っていないのはリュカでは?とセリアは首を傾げた。
「ああ、そう見えましたか?答えはその通りですな。混血は別にいいんですが、カザフサ様にはどうしても魔力重視で妃を宛がいたいんですよ。無理に別れさせようとはなさらなかったですがね。それが、選定の儀にいたんで、わたしも驚きましたとも!ここに選ばれるくらいなら、相手としていいんじゃないか?と思ってた矢先、巫女になるわ、あの、風の王・リティルの……あの人、風の王でいいんですよね?そうですよね?上手いですよね、正体隠すの。インファ様がいなければ、わたしでもわからなかったですねぇ。いやぁ、騙されましたよ。『リティル』って名は、この大陸に多いですからね」
ヘンリーが絡んだのは、牽制のつもりだったんでしょうねと、リュカは言った。
リティルが騎士の中で1番強いことは、騎士全員、自己紹介の時点で気がついていただろうとのことだった。インファもそう思う。
1番だと思っていたヘンリーはプライドを傷つけられ、リティルに当たったあげく、ルール違反を犯して自滅しかけたと、リュカは「相変わらずの脳筋」と嘲っていた。
「一ついいですか?なぜオレが精霊だとわかったんですか?」
そこは是非とも聞きたいだろうなと、セリアは思った。
リティルが精霊だと気がつかなかったというリュカの言葉に、副官として王に対抗意識が芽生えたのだ。尊敬している父でも、インファは抜いてやる勢いで精進している。精霊大師範の異名を持つインファが、隠蔽を見破られたことはプライドが傷つけられたろう。
リュカはニッコリ微笑んだ。
「そりゃ、あれだけコソコソしてたら目立つでしょうが。リティル様はあの混血娘とイチャイチャしてるだけで、そりゃ、他の候補に埋もれますよ。初任務は予想外の動きでしたんで、風の王だって核心しましたけどね。あれ、いいんですか?王妃、いましたよね?」
さすがに、風の王妃の事までは、グロウタースには出回っていない。シェラが風の王妃だと知れ渡っているのは、彼女とリティルの出身地である島だけだ。彼女は正真正銘、その島の王家の姫なのだから。姫と風の王の馴れ初めは書物となり出回っていて、未だに島民に広く知れ渡っている。
「ややこしいことになっていますね。それより、あからさまに動きすぎていましたか……」
セリアと恋人であることをアピールして、イチャイチャするためにコソコソしていると思わせようと思ったのだが、慣れないことはするものではないなと、インファは失敗を感じた。
「いやいや、わたしでなければ気がつきませんよ。わたしもコソコソしてたんでね、同じ動きしてる人がいるなぁと。はは、意地悪がすぎましたかね?1番大きかったのは、わたしとあなたの相性ですよ。わたし、雷魔法の使い手なんで。お世話になってます。インファ様。どうです?疑問は解けましたかな?」
リュカは、人の良さそうな顔で笑った。
「リュカ、あなたはここで切って捨てるか、すり潰すかした方がよさそうですが、やめておきます。神の祠にいるという精霊のことを知っていますか?」
「わたし、すり潰されないんですか?そりゃよかった。結婚前に死にたくないもので。神の祠を調べにきたんですか?それで、この儀式に潜入?ご苦労様ですね。あの祠に来るのは、花の精霊ですよ。牡丹の精霊・ペオニサです。軽いお方ですよね。先代獅子王の頼みを、二つ返事で引き受けたって聞いてますよ。風の精霊的には問題が?」
神の祠で行う儀式は、ただの祝福だとリュカは教えてくれた。そして、セバスは知っているはずだが、リティルが問うたときなぜに知らないと嘘をついたのか?と首を捻っていた。
生け贄になるとか、交わりを強要されるとか、命を脅かされたりだとか、不名誉なことは一切ないらしい。
それはそうだろう。花の精霊は、縁結びを行う精霊だ。花の王と風の城は懇意で、ペオニサは花の王の息子だ。インファもよく知っていて、問題ある精霊ではない。彼の事だ。気前よく祝福するだろう。それに、ペオニサとはここへ来る少し前に会っていた。ということは、神の祠に精霊が封じられていると言った翳りの女帝・ロミシュミルの言葉は真っ赤な嘘ということになる。
あの女……インファが腹の底から怒っているのを、セリアは感じた。
「いいえ、問題ありません。この儀式に、闇の精霊が関わっているという話しを、聞いたことはありませんか?」
「闇の精霊?そりゃあれですよ。吸血鬼。あれの製造に、手を貸してるのが闇の精霊ですよ。問題ありでしたか。先代獅子王も、警戒していましたね」
縁結びを司る花の精霊が関わっていて、吊り橋効果など必要ない。すでに、仕事一筋百年以上のリュカがシャーナに落ちていることを鑑みれば、ペオニサの力はこの空間に問題なく作用している。戦いなどさせなくても、協同で行う作業を1年間学校のごとく行えば、それだけで勝手に恋愛するだろう。彼の縁結びの力はそれだけ強いのだ。
「その精霊の名を、知っていますか?」
「影法師の精霊・ルッカサンです。まだ吸血鬼製造工場にいるのかまではわかりませんが……というのも、工場の場所がわからないんです。はい」
場所が、わからない?ルッカサンの独断なら、ロミシュミルの行方不明といった言葉、神の祠に封じられていると勘違いした可能性も捨てきれなくなってくるが……。インファの勘ではロミシュミルは黒だが、裏は取らねばならない。
「場所を探しているんですか?」
「はあ、まあ、そうなりますかね?わたしの危機回避アンテナがビンビンでしてね、調査が難航してるんですよ。シャーナを危険に晒したくないですからなぁ」
リュカのシャーナに対する表情があからさますぎて、セリアは思わず呟いていた。
「……100才差?」
永遠に姿形が変わらない精霊でも、精霊的年齢というものがある。あまりに年の差があれば、やはり考えてしまうものだ。それが、寿命を持つグロウタースの民ともなれば、精霊以上に考えてしまうだろう。
「はい。100才差ですな。あ、帰ったら何不自由ないですよ?わたし、宰相ですんで。忙しすぎるのが玉に瑕ですが」
亜人の国ナンバー2です。と、リュカは笑った。
15人目の王子に宰相をつけるなんて、父王の本気度が透けて見える。カザフサの父は、この場を妃選定の場としたのだ。リュカは、パートナーの巫女のことを見極めるように言われているだろう。
これはマズいですね。インファは危機感を覚えた。
リュカを通して、亜人の王にここでの内情が筒抜けだとすると、この1年が過ぎ、カザフサが国へ帰ると途端に、シェラとの婚姻という話しになりかねない。
「リュカ、契約しませんか?」
「そりゃまあ、やぶさかではないですが、わたしでいいんで?」
「あなたほどの適任はいないと判断しました」
それを聞いてリュカは、あからさまに嬉しそうな顔をした。
あら、これ本心だわ。セリアは意外な気がした。実は、彼がいつ、インファとの契約を持ちかけてくるか?と思っていたのだ。しかし、リュカは一向に言い出さない。それの機会を探っているようにも見えなかった。見せていないだけかもしれないが、それにしては。リュカは、契約を持ちかける気はなかったのかもしれないと、セリアは嬉しそうな彼の様子に思った。
「インファ様は王の参謀でしたよね?いや、嬉しいなぁ、そんな精霊に見初められるなんて。あ、契約者報酬出るんですよね。今言ってもいいですかね?」
風の精霊がグロウタースに潜入するとき、力を制限せねばならず動きづらくなる。そのとき、補佐してくれるのが精霊と契約を結んだ現地の民・契約者だ。精霊は、契約者の働きに感謝して、その精霊が叶える事のできる事に限り、報酬を与えるのだ。
前のめりなリュカの瞳には、邪な光は皆無だった。インファは身構えることなく問う。
「何ですか?」
「シャーナが死ぬまで生きていたいんですよね。ほら、100才差でしょう?わたし先に死ぬんで」
インファはシャーナを見た。出会ってまだ10日ほどだ。それで、もう相手として決めていいのか?インファの瞳は、そんなことを問いかけていた。この空間は、恋愛するように仕向けられている。それは魔法だ。嘘偽りないか?インファの瞳はそう問いかけていた。
「わたしからもお願いします。わたしの寿命が尽きるまで、リュカと、一緒にいたいのです」
そんな澄んだ瞳で……。騙してませんよね?インファは、リュカに視線を戻していた。
リュカはインファに何を思われているのかわかったようで、苦笑した。
「可愛いでしょう?愛情が枯れること、心配してます?そんなこと考えて結婚躊躇う者なんていやしませんよ。そんときゃそんときです。夢見させてくださいよ。わたし、シャーナが初恋なんで」
さすが、賢者の民!とセリアは自分達精霊のことを棚に上げて、影でグッと拳を握ってしまった。つい最近まで、精霊の恋愛婚は非常に珍しいことだった。今でも多いとはいえないが、ワンナイトラブが精霊の恋愛だ。それが、リティルとシェラのように、インファとセリアのように長くそう者が現れ、精霊達もそんな番のような運命のような相手に憧れるようになったのだ。冷静なインファなどは「花の王が代替わりして、恋する力が正常に機能している証拠でしょうね」と言っていた。花の精霊ではないが、魅了の力を持っているセリアも案外恋愛脳だ。幸せな恋愛話は大好物だ。
「わかりました。寿命を報酬としてわたします。エフラの民・リュカ、雷帝・インファルシアの契約者として、働いてください」
「はい。仰せのままに閣下」
跪いたリュカの下げた頭に、インファは手を触れた。パリッと金色の稲妻が走り、リュカの右の手の平にイヌワシの刻印が刻まれた。
インファはリュカを立たせると、席に座るように促した。
「さて、風の王にも伝えたいところですが、あの人、取り込み中なんですよね……」
「クローディアですか?あの娘、尻軽だったんですか?風の王を籠絡したとなると、相当な悪女――もとい、やり手ってことですかな?」
「リティル様があり得ないわ!カザフサはどうなのよ!クローディアがいながら、シェラ様と噂になったりして!」
二股なの?浮気なの?信じられない!とセリアは怒りだした。
わたしに言われても……と首を竦めたリュカだったが、ふと、記憶のどこかに何か引っかかった。
「……待ってくださいよ。シェラ……シェラ……シェラ?その名、どこかで……」
なんだったか?とリュカは気持ち悪そうに頭を抱えた。
「リュカ、あの小説だと思いますわ。ほら、ワイルドウインド。同じ名がありましたわ」
え?ここにもあるの!?とセリアはシャーナを注目した。
小説『ワイルドウインド』には、グロウタースの民時代のリティルとシェラの事が書かれた、2人の馴れ初めのかかれた本なのだ。作者は不明だという。
「あ!ということはもしや、風の王妃様!?カザフサ様やりますね。じゃなかった!なぜに王と王妃が別々の相手と一緒にいるんですか?夫婦喧嘩の延長ですかな?」
図星をつかれたが、インファは顔に出さなかった。凄い。あんなに悩んでるのに!とセリアは風の副官を何度目か惚れ直した。
「王と王妃は、闇の精霊に嵌められた可能性があります。シャーナ、クローディアに近づいてくれませんか?安全は保証します」
「セリア」とインファに声をかけられ、セリアは瞬時に細かな宝石を入れたボトルのペンダントトップの首飾りを作り出し、シャーナに渡した。
「思い付く限りの脅威を避けるように、霊力込めたわ。でも気をつけて、致命傷は1回しか防げないから」
それを聞いたリュカが、乱暴にシャーナの肩を掴んだ。
「シャーナ!死ぬような目は1回でも十分ですからね!1回もない方がいいんですからね!しかし、セリア様は何の精霊なんですかな?」
「宝石の精霊です。オレの妃ですよ。リュカ、シャーナ、これまで通り敬称は不要でお願いします。ここではオレもセリアも、人間ですから」
「了解しました。閣下」と言って、頭を下げたリュカは、悪そうな笑みを浮かべた。今だけだと、インファを閣下と呼んで遊んでいるらしい。本当にいい性格をしている。
リュカは、今度は何を思い当たったのか、大きなため息を付いた。
「はああ……しかし……インファさんに見初められてよかったですな……。わたし、カザフサ様の妃にシェラ姫を押す気満々でしたよ。凄いですねぇ。人間の国に照会したら、あのお方は、人間の国の第4王女じゃないですか。どうやってるんです?」
「仕事がしやすいように、世界が全力で辻褄を合わせてくれるんですが、こんなケースは初めてです」
いつもなら、地位のある有名人にはならない。インファもセリアも、今回は貴族子息と令嬢だが、新参の家で知名度は低い。あってもなくても誰も目に留めない家だ。それに、儀式の期間中は家名を名乗らなくてもいい。インファもセリアも、偽名を持っているが、ここでは名乗ったことはなかった。
精霊はグロウタースから引き上げたあと、人知れず人々の記憶から消えるため、知名度のある設定からは外れるはずだった。だのに、シェラは、なぜか人間の国の第4王女で、深窓の姫で名も出回ってはいないが、高い地位にありすぎる。
まるで、精霊をやめて、カザフサに嫁げと言われているかのようだ。
「嵌められたと言ってましたが、闇の精霊にですかな?」
「そうです。準備不足でこの儀式に潜入する羽目になり、今現在かなり危うい状況ですね。集団見合いと知っていたら、潜入などしませんでしたよ。どうやら、闇の精霊の目的は、風の王夫妻の離婚のようですね」
「番の精霊が、離婚なんてできるの?」
「ここへ来る前、闇の精霊がシェラに接触した可能性があります。何を吹き込まれたのか聞き出しましょう」
ロミシュミルの目的が風の王の離婚だとすると、これは風の城への宣戦布告だ。風の王は世界の刃。花の姫・シェラは風の王のアキレス腱だ。安定を求める精霊達は、花の姫を風の王から引き離してはならない。引き離せば災いが起こると恐れているほどだ。
「聞き出してないんですかな?」
そりゃまたなぜ?とリュカは言いたげだった。当然の疑問だ。かく言うセリアも、彼の同じ事を思っていたからだ。しかし、ただの夫婦喧嘩だったら?そんなところに介入できないわよね!?と言えずにいたのだ。
「口の硬い人なんですよ。あちらもカザフサがベッタリですからね。オレ達もなかなか接触できません」
風の城を出掛けるとき、シェラの必死な様子から、インファはリティルの身に何かが起こるのだと思っていた。
慎重で、風の王を愛情から決して裏切らないシェラが、根本を崩されているとは思いもよらなかったのだ。それが、インファが、シェラの様子がおかしいとわかっていても、彼女に対して行動を起こせなかった理由だった。
「では、わたしが聞き出してみましょうかね?事情のわからない者の方が、重要な事を思わず漏らしてしまうかもしれませんしねぇ」
「あんまりえげつないことしないでよ?」
「心外ですな。わたしはいついかなる時も紳士ですよ?」
人の良さそうな顔で笑うリュカを、セリアはうさんくさそうに見たが、そんな彼女の表情さえもリュカは面白がっていた。
「でも、騎士と巫女がバラバラになるのはマズいんじゃない?」
常時ではないが、騎士と巫女は行動を共にしている。それは、他の者達を牽制し、あるいは、自分のパートナーが浮気しないか見張っているのだ。
毎回数組は、寝取り寝取られが起こるが、不思議というか縁結びの精霊の力というのか、騎士と巫女はそれぞれ相手を得る。そのことを、関わっている精霊が友人のペオニサだと知らないままに、インジュが調べてくれた。
「今すぐ同時に動くことはないでしょ?お任せあれ。次の討伐任務までには結果を出しますからね」
リュカは策があるのか、余裕の笑顔を浮かべていた。
「お手並み拝見します。通信手段はこれで、お願いします」
インファは風の中から水晶球を取り出すと、リュカに手渡した。リュカは、精霊の魔導具だと、かなりはしゃいで興奮していた。
「終わったら返してください」とインファが笑いを堪えながら言うと、リュカはこの世の終わりのような顔をして「了解しました。閣下」と項垂れたのだった。
カザフサとシェラが抱き合っていたという噂は、瞬く間に宮殿中に広まった。
その噂を耳にしたリティルが、近づいただけで息の根を止められそうな瞳をしていたのを、クローディアは見てしまった。
「クローディア。はは、どうしたんだよ?」
遅れて部屋に帰ってきたクローディアが、扉を開いたまま、立ち止まっていることに気がついて、リティルが笑った。その顔は、いつも通りだった。
見間違いだったのだろうか?そう思えるほどの、変わり身の早さだった。でも、そんなはずはない。
「リティル……本当の事話して」
扉を閉めたクローディアは、ギュッと両手で太もものあたりの服を掴んでいた。
「シェラとリティルは、その……恋人、とかだったの?」
ドキドキしていた。リティルになんと答えてほしいのか、よくわからなかったが、彼の答えを聞けば、心が痛むのだろうなと、それだけはわかっていた。
リティルは、答えを迷ったようだった。彼には珍しく、その目が刹那泳いだ。
沈黙を破ったのは、リティルのため息だった。
「唯一、手に入れたいって思った人なんだ」
「そうなんだ……知り合い、なんだよね?」
この身分をひけらかせてはいけない儀式中であっても、シェラは皆から姫と呼ばれて一目置かれていた。
呼ばれている本人は、初めこそやめてくれとヤンワリ注意していたのだが、浸透してしまい、今ではあだ名と割り切って、呼ばせたい者にはそう呼ばせていた。貴族然としたインファが、彼女には努めて丁寧に接していることも、シェラを姫君と印象づけている要因なのだろう。
「すげー拒絶だったな。無理もねーけどな」
リティルは少しだけ哀しそうに、苦笑した。その笑みに、クローディアの心はズキリと痛んだ。
クローディアのリティルに対する行いが、シェラに、悪印象を与えている自覚は、これでもあったのだ。けれども、リティルの隣にいる安心感に、どうしても気安くなってしまう。
シェラの隣で、完璧な騎士でいるカザフサの姿からも逃げたくて、逃げ場のないこの場所では、許してくれるリティルに甘えるしかなかった。
「わたしの……せいだよね……?」
「違う。って言ってやりてーけどな、あいつには、完全に誤解されてるからな。絶対に離さねーから、信じろって言ったんだけどな」
信じてもらえなかったと、リティルは哀しそうに言った。
「そんな約束するくらいの、関係だったんだ……」
リティルは、貴族的な作法も完璧だったが、砕けた雰囲気と所作で、平民のようにも見えた。正体不明の最強騎士と認識され、シェラ同様皆に一目置かれていた。
1番力のあるシェラの騎士に、なぜ選ばれなかったのかと、なぜ、あの巫女の騎士なのかと言われていることを、クローディアも知っていた。
神の選んだ2人とはいっても、心は複雑だ。自分の巫女以外の巫女を、騎士以外の騎士に懸想してしまう者も毎回数人いるという。そんな時は、まずは2人で話し合い、決闘の申し込みを執事にするのだ。相手のペアがそれを受け入れれば、全員の立ち会いの下、試合が行われる。挑戦者が勝てば、口説く権利が与えられ、請われた方に受け入れるか断るかの選択を委ねられる。
ペアを解消された者同士がどうするかはまた別の話だが、過去には、使用人とくっついた者もいるらしい。集められた騎士と巫女で、1年後相手がいなかった者は皆無だと、小耳に挟んだ。なぜみんな恋仲になるのか疑問だが、このまま行けばクローディアはリティルとという流れになるのは察していた。それが、リティルにとって不本意であるということも。
「リティル、あ、あの――」
「君は?カザフサのこと悔しくねーのかよ?」
え?と言葉を遮られたクローディアは、驚いて顔を上げていた。
カザフサのこと?それは、哀しい。だが、お荷物でしかないクローディアは、望んではいけないと思っていた。
カザフサも、シェラを慈しみ大事にしているように見え、リティルとシェラ、カザフサとシェラで、カップリングの意見がわかれているとも聞いた。皆が、シェラを賭けて決闘をしてくれないか?と望んでいることは、何となくわかる。
まだ出会って20日だよ?とも思ったが、初陣でのリティルの戦い方は、戦いを知らないクローディアにもわかるほど洗練されて常人以上だった。カザフサの強さは皆も認めるところだが、闇の魔法使いだということがシェラの相手としての意見を分けているらしい。シェラは、白い弓。光魔法の使い手だからだ。
皆の関心はもっぱら、シェラを巡っての騎士2人の三角関係で、クローディアはいないも同然だ。
「わ、わたしは……」
カザフサは、父が彼を果樹園の収穫時期に臨時に雇った従業員だ。出会ったころはまだ、お互いに15才だった。
人間の国と亜人の国との境にある村であるだけに、亜人も国境を気軽に越えるが、人間の方も、気軽に国境を越える。両国に暗黙の了解があるらしく、互いに、国境の村を越えてはいかない。ウルフ族は小柄で、昔騎士をしていた父と比べると、その体躯は貧弱とさえ見えたが、そこはやはり戦闘民族と名高いウルフ族。腕力がない分、身軽さで仕事は人一倍できた。
クローディアは、両親の本当の子でない事を知っていた。
人間の両親から、ウルフ族との混血など産まれないからだ。見た目は人間のクローディアだが、ウルフ族にはわかるらしく、同情するような視線を幾度となく受けてきた。それ故、クローディアはあまりウルフ族が好きではなかった。
「ウルフ族にはない、瞳の色だな」
休憩時間、お茶を持ってきたクローディアに、カザフサはそう言った。彼の灰色の瞳には、同情する色はなく、ただ単純にクローディアの紅茶色の瞳に興味があるようだった。
「美味しそうな色だ」
「ちょっと!あなた、真面目そうな顔して!」
身の危険を感じて、クローディアは体を抱くと機敏に距離を取った。カザフサは意味がわからなかったのか、座ったまま首を傾げていた。
「ああ、昼にはまだ時間があるな。故郷にクローディアの瞳の色みたいな飴があるんだ。それを思い出してた」
カザフサは、昼ご飯前に食べ物のことを話したことで、サボって何かを食べていると思われたと思ったようだった。
「故郷って、すぐ隣でしょう?」
クローディアは、リンゴの木々の向こうを見やった。
カザフサは、小さく笑った。
「そうだな」
そう短く答えると、眩しそうに空を見上げた。
「あの鳥みたいに、空が飛べたら、気持ちがいいだろうな……」
同い年にしては、大人びて見える人だった。
それから4年、カザフサは収穫時期になるとやってきた。
ここへ来る羽目になる前の1年間、カザフサは収穫時期に限らず会いに来てくれるようになっていた。決定的な言葉を、お互い言ったことはなかったが、恋人だと思っていた。しかし、そう思っていたのは自分だけだったのだと、思い知った。
「決闘、してやろうか?」
自分はどんな顔をしているのだろうか。リティルが、同情するような瞳でこちらを伺っていた。
「オレがカザフサとやったほうが、勝算が高いだろ?あっちが受けるかどうかは、わからねーけどな」
リティルも自信なさげだった。確かに、シェラの態度は最悪だ。
リティルを見下すような凍れる瞳で見つめている。しかし、逆にそれが彼女の心を邪推させることになっていた。
なぜならシェラは、リティルがいないところでは、比較的接しやすい人であるらしい。
薬草の知識も豊富で、騎士のために傷薬を作ろうと悪戦苦闘していたとき教えてもらっただの、訓練場で怪我をした騎士を癒やしきれなかった巫女に助力してくれただの、噂が聞こえてくる。そして、リティルと常に一緒にいるクローディアは見た事がないが、シェラの笑顔はもの凄く『いい』らしい。どう『いい』のかはわからないが、その笑顔を見た者は男女問わず信奉者のようになっていた。
噂を総合すると、シェラが絶対零度ブリザードのような態度で接するのは、リティルにだけで、他の者には優しいらしい。リティルがシェラに何かした事実はなく、皆のリティルに対する評価も悪いモノはない。むしろ、リティルは気さくで話しやすくて面倒見がよく、訓練場に行けば稽古をつけてくれと騎士が殺到するし、その延長なのか、ダンスを教えてほしいとまで言われて困っていた。それでも無碍には断らない彼の評価は上がりこそすれ、下がらない。そんなリティルを毛嫌いしているようなシェラの態度は、好意の裏返しでは?とそんな事が囁かれているのだった。
「カ、カザフサが、受けてくれるか、わからない、じゃない……」
「クローディア、それ、オレでいいって事か?」
クローディアは瞳をこれでもかというくらい、見開いていた。
何を言っているの?「オレでいい」って、リティルはシェラが好きなのに?離さないって約束したのに?クローディアは混乱して言葉を紡げなかった。
「君の気持ち、聞いたことなかったからな」
「わたし……は……」
クローディアは、やっとリティルを見た。
灰色のカザフサとは対照的な、明るい金色の髪。
落ち着いていて、静かな灰色の瞳のカザフサと、生き生きと命が漲るような光り輝くような金色の瞳のリティル。
付き従うように、シェラの行く先を切り開くカザフサと、先陣を切り、進む道を作ってくれるリティル。
果樹園では、率先して動けたのに、ここでは何一つ満足にはできない自覚のあるクローディアは、「大丈夫だ、心配するなよ!」と言って引っ張ってくれるリティルに救われていた。カザフサが騎士だったら、きっとこうはいっていない。部屋から一歩も出られなくなっていたかもしれない。
今まで生きてきた世界と違いすぎて、右も左もわからず、ただただ気後れしてすべてに疲弊して、きっと今頃、潰れていただろう。
リティルが必要だ。カザフサが好きだ。
この1年だけを見るなら、クローディアが選ぶのはリティルだった。ここで生き残るには、リティルの引っ張ってくれる強さが必要だった。
「君も複雑だよな?まだ、時間はあるさ。でも、ちゃんと考えろよ?」
訓練場行ってくると言ったリティルに、クローディアはついていけなかった。
集団見合い。しかも、既成事実を促すえげつない仕様だ。
共同部屋の本棚、図書室の本、共に情事に関することが書かれた物が大半だった。
これは、インファが怒るわけだよなと思った。
魔法の力でも働いているのか、20日しかたっていないのに、もう結ばれたペアが出始めている。明日の2回目の吸血鬼退治後は、さらにこの空気は進むだろう。さすが縁結びの力を持つ花の精霊が関わっている事だけのことはある。
この儀式自体は白だ。魔導士の婚姻率の低さを懸念したエフラの民の王が作った、種族を繁栄させる為の行事。不具合を正すことは、この大陸の民に委ねればいいことだ。これは、風の仕事ではない。だが、ロミシュミルはなぜ、嘘をついてまでこの儀式に潜入させたのだろうか。
「ん?カザフサ?」
今、あんまり会いたくないヤツに会っちまったな。リティルは内心苦笑いした。
「リティル、1人なんて珍しいな」
カザフサも1人だった。足の向いている方向からして、彼も訓練場へ向かっているらしい。
仕方なしに連れだって歩いた。
「そりゃ嫌みかよ?」
「え?いや……すまない、他意はなかった。クローディアのことだけじゃなく、リティルは常に誰かと共にいるから」
「はは。おまえは?どうしたんだよ」
常に誰かといる。初吸血鬼退治で注目を集めてしまったリティルは、皆の目に常に監視されているような状態になってしまい、当初の目的である調査はまるでできなくなっていた。
その分、上手く立ち回っているインファ組が調べてくれているが、戦力外だと突きつけられ、精々皆の目を引き付けてくださいと、久々に副官の怒りを買ってしまった。
仕方ないだろう?と言ってみたが、彼はこの案件から手を引くことを提案してきている。それを蹴った上に、浮気と取られてもおかしくない状況に甘んじていてることも、彼としては大いに腹立たしいのだろう。
「……リティルに、決闘を申し込もうかと提案したら、怒らせたようで部屋を追い出されたんだ。あなたとシェラは、関係があるんじゃないのか?」
カザフサとリティルは背がほぼ同じだ。カザフサは、会話を聞かれないように小声で囁くようにリティルに告げてきた。リティルは風を巡らせ「会話、オレ達にしか聞こえないようにしたぜ?」とカザフサに言ってやった。カザフサは「風魔法はそんなこともできるのか?」と感心していた。彼は闇魔法しか使えないと言った。
「あいつ、なんて言ってたんだ?」
「よくわからないんだ。リティルのそばにはいられない。運命には逆らえないって言っていた。じゃあ、オレといることは運命なのか?クローディアに嫉妬してるのはあきらかなのに、何もしないなんて、あの人らしくない」
そばにいられない。運命には逆らえない?風の王と花の姫は番の精霊だ。2人は精霊になる前に恋人関係になったが、精霊となった今、その関係は必然となった。
オレ達が夫婦なのは、運命だろ?リティルは、シェラの言葉の意味がわからなかった。
「あいつ、嫉妬してるのか?」
「嬉しそうだな」
「ハハ!そりゃぁな。オレもクローディアに、決闘してやろうか?って言ってみたぜ?」
嬉しそうな顔のまま、リティルはカザフサに振った。眉間にシワを寄せていたカザフサは、途端に挙動不審になった。
「ディアは、クローディアは、その……」
「複雑そうな顔してたなー。おまえとシェラのこと、誤解してるぜ?」
それを聞いて、カザフサはあからさまに気落ちした。その様子に、リティルは内心ホッとした。カザフサがシェラに乗り換えていたら、クローディアの未来は潰える。何やら妙な考えに囚われているらしいシェラからは、彼等2人の仲を取り持つような自発的な動きは期待できず、リティルも離婚の危機だ。
「オレは、第15王子なんだ」
項垂れたままカザフサが呟くように告白した。
「王子様だったのかよ?そりゃ、シェラの相手に選ばれるわけだな」
王子だなんて、インファの報告にはなかった。リティルが素直に驚くと、カザフサはますます項垂れてしまった。
「オレに自由がないことは、わかっていたんだ。それなのに、クローディアに期待させてしまったのは悪かったと思っている。シェラがなぜ、あれだけ頑ななのかはわからないが、相手がリティルなら身分が違っても誰も文句は言わないだろう」
一度言葉を切ったカザフサは、ため息を付いた。シェラは第4王女。ここに選ばれるほどの魔力があり、きちんと守り切れる棋士なら、ここの誰とでも許されるだろう。ここでは平民のリティルであっても。
「しかし、巫女に選ばれたとはいえ、クローディアは……シェラを袖にして、彼女を選ぶことはできない」
苦しそうなカザフサの様子から、彼がクローディアのことを遊びではなかったことをリティルは察した。
「……だろうな。シェラに敵わなくても、根性見せねーと王族の伴侶は務まらねーよな」
リティルの巫女であることも大きいが、皆のクローディアに対する評価は最悪だ。
成績が張り出された日、シェラが悪者覚悟で指摘した通りだ。シェラのことで頭が1杯だったリティルが配慮を怠った結果だったが、クローディアは戦えないこと、初陣だったことを差し引いても、戦場での振る舞いは酷いものだった。あれは、戦えない以前の問題だ。普段の様子も問題だ。貴族出身者が多いが平民の出の者もいる。使用人達は気さくな者達も多い……メイドのリリアナは素っ気ないが。だというのに、クローディアはリティルの傍から離れず、誰とも交流を持とうとしない。戦えないにしても、高い社交性を見せればまだ道はあるだろうに。シェラだって、最初から戦えたわけではない。むしろ、出会った頃は戦闘能力皆無だった。ただ、恐ろしく行動的だったが。
「……リティルの立ち居振る舞いは完璧だな。それはシェラの為に?」
「まあな」
リティルは曖昧に答えた。
リティルのマナーが完璧なのは、風の王としてどんな場所が相手でも、上手く溶け込めるように動いてきた結果だ。容姿は子供と間違うほどに童顔だが、風の王として生きてきた時間が違うのだ。
しかし、しかしと思ってしまう。
もし、水の国のシェラ姫と、ただの風の王でないリティルが出会い、互いを求めたとしたら、オレはどう動いていたのだろうか?と。
リティルが風の王でなかったら、シェラは、あの島にはいなかったウルフ族の姿をしたリティルを、選んだのだろうか。平和なあの場所で、腕は立つが平民のリティルと、王位継承権第1位だったシェラとそもそも出会えたのだろうか。
リティルは、何か、体の芯が冷えるような気がした。その正体が何なのか、考えようとしたリティルの耳に、カザフサの言葉が滑り込んでくる。
「オレの監視のために、父王は誰かを送り込んできているはずだ。それは騎士なのか巫女なのか、使用人の誰かなのかはわからないが、クローディアが監視人の目に留まることはあり得ない」
「おまえの気持ちは、どうなんだよ?」
そう問うたリティルの言葉にカザフサは、自嘲気味に笑った。
「王子であるオレに、婚姻の自由はないんだ。クローディアが、変わってくれなければ、姫君として何かを守ろうとしているシェラを、オレは選ぶ」
頑なにリティルを拒絶するシェラが、ただ、へそを曲げてそんなことをしているのではないと、リティルも気がついていた。
シェラには、愛されていると思い込んでいた。だが、違ったのだろうか。
風の王に、宛がわれるためだけに命を繋いできた王家の姫。リティルとシェラが出会った場所の王家の姫の物語は、人間の身の上には重く、犠牲ともいえる末路だった。シェラは、リティルが目覚めたときたまたま自分が姫だったから、教え込まれた運命に従っただけだったのだろうか。「わたしを選んで!」と言ってくれたシェラは、幼少期からの刷り込みゆえにそんなことを言ったのだろうか。
そんなはずはない。シェラは、何度も命の危機にさらされながら、リティルをこれまで守ってくれた。
そして「愛しているわ」と惜しげもなく言葉をくれた。
彼女の、オレへの愛は、まやかしなんかじゃない。リティルは疑いそうになった心を打ち砕いた。予定よりも早く、風の王として目覚めたといっても、オレがシェラを選んだんだ!と、リティルは初心を思い出した。
「リティル、すまない。クローディアが今のままでは、決闘を受けられない。納得させるだけの強さがなければ、強引に手に入れても、ディアを幸せにはできないから」
リティルにも、彼が何を言いたいのかわかる。
どんなにカザフサが愛し守ろうとしても、今のクローディアでは、勝手に周囲の圧力に負けてしまうだろう。身分とは金や権力だけではない。ふさわしい振る舞い、知識、強さが必要なのだ。カザフサのために何もしないクローディアは、戦う前から負けている。
「……シェラを、おまえ、愛せるか?」
カザフサの、光のない瞳が対照的なリティルの瞳を見返した。
「愛せる。彼女は尊敬に値する人だ。王妃にすらなれる器の持ち主だ。彼女を得られるなら、オレは生涯守り抜くと誓う」
こいつならできるだろうな。15人目の王子だといいながら、王座を視野に入れているカザフサを、リティルは好ましく思った。
「わかった。けどな、シェラに何があっても絶対に離さねーって約束してるんだ。最終戦後オレ達が首位のままなら、クローディアがどうでも、おまえに決闘申し込むからな!」
リティルの宣戦布告を受けて、カザフサは笑った。暗い感情のない、眩しそうな笑みだった。
「ああ。その時は、シェラが何を言っても受けて立つ。それまで、シェラには指1本触れないから、信じてくれ」
「頼むぜ?あと、オレがシェラに告るの、目つぶれよ?」
「ハハハ。好きにしたらいい。オレの方が有利だから」
そうだ。実際そうなのだ。初戦は皆手探りだ。回を重ねるごとに、カザフサ組は連携が取れて討伐数を効率よく稼げるようになるだろう。
しかし、リティル組は?クローディアを庇いながらでは、さすがのリティルも分が悪い。
そして迎えた2回目の吸血鬼退治。
首位を取ったのは、カザフサ・シェラ組だった。