一章 吸血鬼の朝
クローディアは、ため息を付いた。
「さっきからため息ばっかりだな」
クローディアは顔を上げた。向かいの座席には、足を組んで、窓枠に肘をついて笑っているリティルがいる。
ここは、目的地へ向かう馬車の中だ。選定の儀で選ばれた、巫女と騎士は1組ずつ馬車に乗せられている。目的地に着くまでの間、親睦を深めろとそういうことだろう。
儀式の後、他の巫女と騎士とは話す機会がなかった。
自己紹介も、詳細も現地に着いてからだと、獅子王は言った。その日は、王宮に泊まり、支度もそこそこに馬車に乗せられてしまい、今朝もカザフサと話す機会はなかった。
「笑っていられるあなたが、信じられないよ……」
クローディアは、うつむきながら呟いた。見ず知らずの男性と2人きりで、密室に閉じ込められるなんて、気まずくて仕方がない。救いは、リティルが気さくで話しやすいことだけだ。
「ハハ、それもそうだな。よくしらねーけど、オレ達、魔物退治やらされるんだろ?」
クローディアは頷いた。
「わたしもよく知らないよ……。魔法は確かに使えるけど、そんなに大したものじゃないと思ってたし……。顔だって平凡だし……」
「ハハ、君、可愛いと思うぜ?最後に選ばれたウルフ族のあいつ、君に見とれてただろ?」
リティルがサラリと言った可愛いという言葉が、後に続けられた言葉でぶっ飛んでいた。
「ええ?違うよ!あの人は……その……」
騎士のリティルに、言ってもいいのだろうか。べつに恋人でもないこの人に遠慮するのも変な話しだが、カザフサとだって何かあった仲ではない。
「なんだよ、知り合いだったのかよ?そりゃ、オレが騎士で悪かったな」
「ううん!騎士がリティルで、よかったって思ってるよ?」
「まあ、命の保証はしてやるよ。オレ、強えーからな!」
人好きのする笑顔で笑うリティルにつられて笑いながら、クローディアはそっと窓から外を見た。
馬車は、獅子の瞳から真北に進んでいる。草原の向こうに、霞がかった岩山が見えた。
「……この先……大昔に一度崩壊したって……」
「ああ。それで、精霊が修復したんだろ?けど、あの谷、どうして呪われてるんだ?」
リティルは首を捻った。
「大昔の戦乱でたくさんの血が流れたからって……」
「それだったら、獅子王宮のあるあのあたりのが酷いはずだぜ?ここから北は、一度海の底に沈んでるんだ。それを、精霊達が修復した。その時に、血の呪いは浄化されたはずだぜ?」
クローディアは口を閉ざすしかなかった。リティルはどこの出身なのだろうか。田舎者で学のない自分よりも、多くのことを知っていそうだ。
「なあ、クローディア、神の祠にいる精霊、何の精霊だか知ってるか?」
それは、当然の疑問のような気がした。
なぜなら、選定の儀で選ばれた巫女と騎士は、その神の祠にいる精霊にお目通り願う為に、呪われた地にはびこる魔物と戦うのだ。
なぜ戦うのか。
その意味さえクローディアにはわからない。現地で詳細を説明してくれるというから、そこで明かされるのだろうと、楽観視していた。そもそも来たくて来た場所ではない。家に招待状が来てしまったから参加したにすぎないのだ。選ばれてしまったのだって、予想外だ。今頃は故郷に帰って、果樹園の手伝いをしているはずだった。
「ええ?知らないよ。うーんでも、大地の浄化の為にいてくれる精霊なら、大地の精霊なんじゃないの?」
精霊とは、イシュラースというこことは違う異世界に住む、様々な力を司る種族だ。クローディア達のいるこの世界は、グロウタースという。
魔法は、その異世界の民である精霊に呼びかけることで発動する力だ。それを扱える魔導士であるクローディア達にとっては、姿は見えなくとも身近な存在だった。
「大地か……」
リティルはなぜか険しい顔で考え込んだ。そんな彼を見ていたクローディアは、自分の意に反して言葉が零れ出ていた。
「リティル、何歳なの?」
リティルはぽかんと目を丸くした。
「え?あれ?ご、ごめん!」
童顔で年下なのかな?と思える彼が真面目な顔をすると、自分よりもずっと年上のような気がして、不思議な感じがしたのだ。まったく考えあっての発言ではなかった。
「ハハハ!19だぜ?」
「嘘!同い年!」
「ハハハ」
リティルは失礼なことを思われたと気がついたはずなのに、楽しそうに笑っていた。
彼と一緒なら、大丈夫。クローディアは明るい彼の笑顔に、つられて笑いながら核心なくそう思った。
ガタガタと馬車は北を目指していた。
カザフサは、ボンヤリと窓の外を見ていた。
「機嫌が、悪いのね?」
静かな声が向かいから聞こえて、カザフサはハッと気がついた。
「いや、すまない」
慌てて、向かいに座る女性に視線を向けると、彼女は花が綻ぶような優しげな笑みを浮かべて、首を横に振った。
なんて、綺麗な人なんだ……こんな綺麗な人は、初めて見たと、一目見たときカザフサは思った。いや、そう思ったのはカザフサだけではない。会場中の皆が思ったはずだ。
皆の羨望の的だった彼女――シェラは、今日はシンプルなワンピースを着ていた。
昨日の選定の儀でも付けていた、鳥の羽根の形をしたティアラのような金の髪飾りで、その黒髪を飾っていた。
高価な物なのだろう。その細工は本当に緻密で、昨夜のドレスにもよく似合っていた。今の服装にもよく似合っている。
「選定の儀で会った、黄色のドレスの人が、あなたの想い人だったのね?」
「いや」と否定の言葉を紡ごうとして、カザフサはハアとため息を付いた。
「クローディアと言うんだ……ウルフ族と人間の混血で、オレの――なじみだ。ディアまで、駆り出されてるなんて、知らなかった……」
言ってくれればよかったのに……とカザフサはふてくされているのか、落ち込んでいるのか俯いた。
『ディア』と愛称で呼んだこと、馴染みと言う前の間から、何でもない関係ではないことを、シェラは察した。彼女はそう、恋人だったのだろう。
これは、可哀想なことをしたわね。とシェラは僅かに罪悪感を持った。
「巫女になったということは、魔力が高いのね。それ以外にも、選定基準はあるのかしら?この組み合わせも」
シェラの言葉から、カザフサは余計に申し訳なくなった。
「オレがあなたの騎士で、すまない……」
「誰が騎士でも、わたしなら守れるわ」
サラリとシェラは言った。いや、言わせてしまった。カザフサは慌てた。
「っ!すまない!始まる前からこんな弱気で……」
シェラは優しく微笑むと、首を横に振った。
「謝らないで。申し訳ないのは、わたしも同じだから」
シェラはそう言うと、僅かな哀しみを滲ませた瞳で、窓の外に視線を送り、それっきり沈黙してしまった。
カザフサは、彼女にも誰か想いを寄せる人がいることを悟った。その人はどこにいるのか、選定された騎士の中にいたのか、それとも故郷にいるのか、どちらにしろ、巫女に選ばれたことは彼女にとって不本意だったということだ。
なんだ、恋人がいるのか。カザフサはホッと胸をなで下ろした。
そうだよな。こんなに綺麗な人なんだ。相手がいないわけない。カザフサは、憂いを帯びた瞳で、しかし外を睨むようなシェラに見とれながらそう思った。
まだオレは、彼女を諦めないですむかもしれない。
この戦いで、永遠に引き裂かれるわけじゃない。カザフサは、期限までシェラの騎士として彼女を守ろうと決意したのだった。
クローディアは、ビクビクしながら宮殿の扉を潜った。
「大袈裟だな。大丈夫だぜ?オレがついてるんだからな」
他意なく明るく笑うリティルは、左手に縋ることを許してくれていた。恋人でもないのに、申し訳ないが、この幽霊でも出そうな雰囲気に彼の手を放せそうにない。
最初は、見晴らしのいい平原を馬車は進んでいたが、丘を越えたあたりから、雰囲気は一変した。呪われた地とは言ったもので、霧が出てきたと思ったら、あっという間に戦いとは無縁だったクローディアにもわかるくらい、異様な気配に包まれた。
岩山の道を、つづら折りに進み、森に入ったところまでは外を見ていられたが、叫ぶような鳥の声を聞いてから、クローディアは縮み上がってしまった。
その顔は青く、体が震えて、見かねたリティルが隣に座って、頭を撫でて慰めてくれたほどだった。
そうして、石の門を抜け、この2階建ての宮殿についたのだが、豪華であるだけに余計に幽霊屋敷のようで、リティルにエスコートされて馬車を降りてから、彼のたぶん利き手でない左腕に抱きついたまま、離れられなくなっていた。
玄関ホールには、湾曲した2本の階段が2階へ駆け上がっていた。
最後に到着したシェラとカザフサが玄関ホールに入ってくると、シャンデリアに明るい火がパッと灯った。
「ようこそ、巫女の皆様。護衛騎士の皆様」
低くよく通る声に応えるように、ずらずらと、2階へ続く2本の階段に、この宮殿の使用人と思われる人々が現れた。声の主は、階段の真ん中にある、1階の通路から姿を現した。
人間の中年男性だ。
「私は、皆様のお世話をさせていただく、執事のセバスでございます」
お見知りおきを。と、セバスは丁寧な礼をした。
「執事?」
クローディアは、リティルに囁いた。
「主人の世話をする使用人だ。使用人全員を束ねるトップなんだぜ?」
視線を前に向けたまま、リティルは小声で説明してくれた。この人、いったい何者だろう。どうしてこんなに堂々としていられるのだろう。
クローディアは、可哀想なくらい気後れして、自分より背の低いリティルの背に、半分隠れるようにして立っているのが精一杯だった。
そんなクローディアをよそに、リティルは、階段に並んでいる使用人の顔を順番に見つめていた。
着ている制服から、だいたいの職業はわかる。に、しても、人種が多種多様だ。選ばれた巫女と騎士も人種が多種多様なのだ。当然と言えば、当然かとリティルは思った。
しかし、ここはそんなに危険なのか?と思わずにはいられない。執事のセバスだけでなく、メイドや料理人に至るまで、全員それなりに戦えそうだ。
「では、皆様お疲れのことと思いますので、お部屋へご案内いたします」
セバスの声で、メイド達が動き出す。
メイドは、1組につき1人つくようで、人種はこちらの種族に合わせているらしい。
「こちらでございます」
リティルとクローディアについたのは、灰色の髪の小柄な娘だった。リティル達の部屋は、1階の玄関ホールを左に出たすぐの部屋だった。
「あ、あのあの!」
扉を開いて、中へ通されたクローディアは、キョロキョロしたあと、青ざめてリリアナと名乗ったメイドに詰め寄った。
「相部屋なんですか?」
「はい。騎士様と共同でお使いください」
リティルは遠慮なく部屋の奥へ歩くと、扉を開いて回った。
「――心配しなくても、ベッドルーム2つあるぜ?オレは添い寝でもいいけどな」
ソファーと書き物デスク、本棚が置かれた部屋から、左右に1つずつ扉がある。両方の部屋の中を覗いたリティルは、悠々と戻ってきた。
「リティル!冗談でも笑えないよ!」
「ハハ。大丈夫かよ?怖いのは君のほうじゃねーのかよ?」
ニヤリと揶揄いの笑みを浮かべて、リティルが顔を覗き込んでやるとクローディアは真っ赤になって飛び退いた。
「で、でも、男の人となんて、寝られないよ!」
うん。それ聞いて安心したぜ?どうにもこの娘は警戒心がない。なぜにこんなに懐かれたのか、思い当たる節はないが、男女だぜ?という警戒心は持っておいてほしい。リティルには、誤解されるわけにはいかない相手がいるのだから。それに、クローディアにもいるんじゃねーのか?と思う。あの、腕が立ちそうなウルフ族だ。選定の儀のときも、ここへ来た時もクローディアを見ていた。
「ハハハハ!真に受けるなよな!で?リリアナ、ここでの仕事の詳細、いつ説明してくれるんだよ?」
リティルは思惑があってここへ来た。早く情報が欲しかった。
「1時間後に、食堂にて晩餐でございます。その時に、セバスから話しがあります」
リリアナは、まったく表情を動かさないまま、リティルに宮殿の地図を手渡した。
「君、魔導士だよな?」
リティルは魔力をあからさまに探ってやったが、リリアナは気がついたはずなのに何の感情も表さなかった。彼女が一般人ではないことだけはわかった。化け物退治なら、このリリアナや使用人達にやらせたほうが確実のような気がする。少なくとも、雰囲気だけでビビっているようなクローディアよりかは格段に正確だろう。
「魔導だけではございません。……お茶をお入れします」
リリアナは素っ気ない態度で、用意されていたワゴンに向かってしまった。その態度は、馴れ合う気はないというよりも、余計な事を言わないようにしているようだった。
彼女からは今のところ何の情報も得られそうにない。リティルは、座ろうぜ?とクローディアを誘って、ソファーに腰を下ろした。
「ね、ねえ?リティル、慣れてない?貴族の出なの?」
リティルは、クローディアに小声で問いかけられた。
「ん?まあ、そんなものかな?」
適当にはぐらかすが、貴族だと思われたよな?と感じた。まあいいやと思うことにした。ここでは、身分を口外することもない。
「さて、オレ、探検しに行くけど、クローディアどうする?」
「お、置いてかないで!」
「ハハ、じゃあ行こうぜ?」
リティルは地図を机の上に置いたまま部屋を出ようとすると、クローディアは焦ったように地図を指さした。
「ちょっと!地図!」
「いらねーよ?もう覚えたからな!」
笑うリティルに目を白黒させながら、クローディアは地図をひっつかむとリティルを追ってきたのだった。
リティル達と同じように部屋に通された美形ペアは、メイドが退出するのを待って、顔を見合わせ深くため息を付いた。
「フフ、新鮮ね。こういうの」
セリアは早々に立ち直って、インファに笑いかけた。この見慣れた笑顔が救いだと思いながら、インファは切れ長の目尻を情けなく下げた。
「そうですか?オレは落ち着きませんよ」
紅茶のカップを取りながら、超絶美形と称されて遠慮のない視線に晒された彼は、グッタリしていた。無理もない。彼は容姿に向けられる視線が苦手だ。普段は気配を魔法で弄って目立たなくしているが、こういう席だ。むしろ挑戦的に振る舞っていたのだ。
グッタリしていたインファが、気安い笑みを浮かべてセリアを見つめてきた。
「けれども、ドレス姿のあなたは美しかったですね。見惚れてしまいましたよ。セリア」
「あら、お上手ね。黒い服のインファも格好良かったわよ」
うふふと嬉しそうに笑うセリアに、インファは優しげな笑みを浮かべてさらに見つめた。見つめ合った2人は、スッと目を細めると、どちらともなく顔を相手へ近づける。
「――邪魔が入りましたね」
「あら、残念ね」
唇が触れるか触れないかというところで、インファは手の平に風を集めていた。金色の風が去ると、その手には水晶球が置かれていた。
2人は何事もなかったかのようにソファーに座り直すと、インファは水晶球に向かって話しかけた。一瞬で甘い雰囲気など欠片もなくなっていた。
「わかりましたか?インジュ」
『それなんですけど、変ですよぉ?』
水晶球の中には、キラキラ輝く金色の髪をした、女性の様な柔らかさの中性的な青年が映し出されていた。年は、25のインファとセリアと大して変わらないようだ。
「変とはなんですか?」
『その神の祠に、精霊は囚われてないっぽいです』
インジュは困惑君に答えた。
「え?じゃあ、ガセネタでリティル様は駆り出されたの?でも、どうして?」
『うーん。引き続き調べますけど、翳りの女帝の情報自体少ないんですよねぇ。リティルとシェラ、大丈夫です?引き離されたって聞きましたけど』
「リティルの方は大丈夫です。問題はシェラのほうですかね?」
『この事案に関わるって言って、聞かなかったですからねぇ。今回は急すぎて、情報収集もままならなかったですし、現地調達感が半端ないからダメだって、リティル言ってたんですけどねぇ』
インジュは、ため息交じりに言った。
「こちらも今から詳細の説明がなされますが、魔物退治如きに巫女と騎士が選定され、妙な屋敷に閉じ込められるとはいささか不可解です。この大陸の種族なら、素人を戦場に駆り出さなくとも、脅威に対抗する術はあるはずなんですけどね」
現に、この宮殿の使用人の方が戦えそうだった。騎士の方には実践経験はありそうだったが、といっても訓練を受けた者は少数だろうとインファは踏んでいる。巫女の中には実践経験はおろか、魔法もまともに使えない者も混じっている。いったいどういう集まりなのだろうか。
『着飾った男女を集めて会わせるなんて、血なまぐさいの抜きにしたら、なんだかお見合いみたいですねぇ。こっちは引き続き、闇の精霊を調べます。何かあったら遠慮なく言ってくださいよぉ?ボク、殴り込むんで』
「そうならないように頑張りますよ。では」
水晶球は光を失い、インジュの姿は消えた。インファは水晶球を風に返し、隣のセリアを見た。
「案外、簡単な事なのかもしれませんね」
「集団お見合いってこと?だったら、リティル様とシェラ様が引き離されたのはどうしてよ?」
「選定には基準があるんだと思いますよ?ただ、」
インファはセリアを抱き寄せた。
「あなたと相性がいいと言われたようで、オレとしては嬉しいですね」
「もお、こんな時に……ほ、ほら、もう食堂に行く時間よ!騎士様!」
顔を赤らめながらもセリアはインファに流されずに、彼の腕から逃れることができたのと、扉がノックされたのはほぼ同時だった。
晩餐は、一部を除いて比較的和やかに進められた。
ただ、クローディアにとっては、テーブルマナーのある食事は厳しかったらしい。
「はは、ほら、こうするんだぜ?」
言葉遣いはとても上流階級には思えないのに、リティルのテーブルマナーは完璧だった。クローディアは、彼に教えられるままに必死に実践しなんとか食事を食べきった。同じテーブルの斜め前に、カザフサがいることにさえ気を配れずに。
デザートが終わり、やっと執事のセバスが長テーブルの端に立った。
そして説明が始まる。
要約すると、巫女と騎士がこの地で行うことは、この地を呪っている元凶である吸血鬼の退治だ。
なんでも、吸血鬼は2年に1度、蘇ってきて悪さをするようで、巫女と共に祝福を受けた騎士だけが滅する力を持っているという。巫女と騎士は、吸血鬼を退治し、最も多くの功績を残したペアが、この地に奉られた神の祠に招かれるらしい。とは言っても、他の巫女と騎士にも同等の褒美が獅子王から与えられるようだ。
違いは、神の祠に入れるか入れないかくらいだ。
「神の祠には、何が奉られてるんだ?」
リティルは遠慮なくセバスに疑問をぶつけてみたが、返ってきた答えは知らないというものだった。リティルは、神の祠にやけに拘るなとクローディアは何となく思った。
リティルとクローディアは、早々に部屋に引き返していた。クローディアが、他の巫女と騎士の自己紹介を終えて、グッタリしてしまったからだ。
総勢10組。9組の男女と、サポートしてくれる者達の顔と名前も覚えようと必死だったらしい。
リティルは1度で覚えられるが、そんなもの、全員覚えなくてもいいと思う。真面目というか、不器用なヤツだなとクローディアを見て思った。
彼女の疲弊は、他の騎士とのトラブルも原因だろうが、そっちの標的はリティルだった。助けるように共に退出してくれたエフラの民のペアが、慰めてくれ、クローディアはそっちの衝撃からは立ち直っているらしかった。
「リティル、祠の精霊に興味があるんだね?」
リリアナにお風呂の用意をしてもらっている間、クローディアはソファーで紅茶を飲むリティルに問うてきた。
「ん?ああ、まあな。でもなクローディア、君が無理なら積極的に吸血鬼退治しなくてもいいんだぜ?」
気遣ってみたが、クローディアは意外にも首を横に振った。
「わたしも、せっかく巫女に選ばれたんだもん。頑張るよ!……その、教養はあんまりないけど……」
「ああ、壊滅的だったな」
「むう!ホントの事だけど、凹む……」
「ハハ、練習すればいいだろ?けど、そんな気にすることもねーんじゃねーか?ほら、ヘンリー、タイガ族の」
虎の獣人種・タイガ族ペアの、巫女・サラと騎士・ヘンリー。ヘンリーはとにかく豪快だった。彼のあの容姿で、テーブルマナーが完璧でもそれはそれで違和感しかないが、とにかく豪快だった。
クローディアは恨めしげにリティルを睨んだ。
「一緒にしないでよ!どうしてリティルはあんな完璧なの?」
「そりゃ、経験の差だな。けどな、オレだって普段からあんな堅苦しいことしてないぜ?」
それは本当だ。こういうとき、リティルは嘘をつかないようにしている。嘘をつけば、ボロが出てしまうかもしれないからだ。違和感から正体がバレることだけは避けなければならない。
「もしかして、ダンスも踊れるの?」
「へ?あーちょっとだけな」
そうだった。ダンスがあった。やったことはあるが正直苦手だ。
しかし、ダンスは避けて通れない。1年間の任期が明けると、巫女と騎士は獅子王宮に戻される。そして開かれる祝賀会で、巫女と騎士は踊らなければならないのだ。ということで、吸血鬼退治の他に、ダンスレッスンも義務づけられていた。まあ、教えてくれるのだ何とかなるだろう。
「オレの腕前は、明日にでも知れるぜ?」
別の誰かと踊ることになるとは思わなかった。戯れに、彼女が教えてくれていなければクローディアと同じだったなと思った。
「わたしはまた壊滅的だもの……あうう、どうしてわたし、選ばれたの?」
「まあまあ、そんなに落ち込むなよ!1年あるんだぜ?ダンスくらい上手くなるぜ。エフラの民なんか、苦手そうだしな。そういえば、リュカ、あいつホントに19か?落ち着きすぎじゃねーか?」
体の大きな角ある亜人種・エフラの民ペアの、巫女・シャーナと騎士・リュカ。食堂で絡まれたとき、連れ出してくれたのが彼等だ。
エフラの民は、賢者の民と名高い産まれながらの魔導士だ。確かに、おっとりして見える2人はダンスが得意には見えなかった。
「いつ、戦うんだろう……」
ダンスも気になるが、目の前の問題は吸血鬼退治だ。相容れない相手とはいえ生き物だ。クローディアは、やると言ったが、とても戦えるとは思えない。これは、適当に最下位になって、早々にリタイアするか?とも考えていた。こちらのことに、彼女を巻き込めない。
「さあな。でも、巫女は後方支援だろ?大丈夫だ。何が相手だろうと、オレが蹴散らしてやるよ」
「騎士はみんな実戦経験者なんだよね?」
「そうみてーだな。エフラの民のリュカ、魔法以外でどう戦うのか興味あるぜ。確か、騎士は、魔法以外の攻撃方法がねーとなれねーんだったよな?」
「怪我したり、死んじゃったりするんだよね?」
「怪我はまあ、しょうがねーよな。けど、死んだヤツはいねーってセバスが言ってたじゃねーか。大丈夫だ。退治の日は決まってるし、みんな一緒だぜ?」
それでも怖いモノは怖い。俯くクローディアの様子に、リティルはポリポリと頬を掻いた。こんなド素人と組むことになるとは予想外だった。普段ならこういう事態になっても、他に協力してくれる者がいたが、今回は難しそうだ。
リティルは、怯えている彼女の頭を撫でた。
「大丈夫だ。心配いらないぜ?な?」
慰めてやれば、彼女は気のせいかぽうっとした顔をしたような気がした。すぐに頷いて俯いてしまったため、あの表情の意味を探ることはできなかった。
程なくしてリリアナが、湯の用意ができたと言って戻ってきた。「じゃあ、おやすみ」とクローディアはリティルに笑顔を向け、右の寝室へ入っていった。
それを手を振って見送り、リティルも左の寝室へ入った。
部屋の中には、ベッドとクローゼットしかなく、更に奥には扉が1つあり、その中が脱衣所と浴室だ。
リティルはベッドの上に腰を下ろした。おそらく、クローディアはこの天蓋付きのベッドを見て、また固まっていることだろう。それを想像して、リティルは思わず苦笑した。
ホントどうしてあんな娘が選ばれたんだ?とリティルは疑問に思う。自己紹介で顔を合わせた他の巫女は、それなりに戦ったことがありそうな雰囲気だった。この大陸には、モンスターという凶暴な動物がいる。それらと多い少ないはあるが戦った経験があるのだろう。
しかし、クローディアはなさそうだ。これは、オレが騎士でよかったな。と、リティルは思った。リティルなら、どんな素人がパートナーでも、傷1つ負わせずに守り切れる自信があるのだから。
「1人で寝るには広いよな」
キングサイズとはいかないまでも、十分に2人寝られるほどに大きい。
リティルは、根拠なく、嵌められたかもな。と思った。
今回の依頼は、初めから怪しかった。どこがどう怪しいのか、説明はできないが、長年の勘が裏があると告げていた。
だからこそ、インファとセリアを巻き込んだのだ。あの2人は、リティルの優秀な駒だ。
インファはすでに、城と連絡を取っているだろう。
「翳りの女帝・ロミシュミル。このオレを謀ってただで済むと思うなよ?」
リティルはベッドからピョンと下りると、リリアナが用意してくれた浴室へ向かったのだった。
15代目風の王・リティル。
精霊達の住まう異世界・イシュラースで、リティルはそう呼ばれていた。
風の王は、世界の刃として、世界に仇なす者を狩る世界の守護者だ。
世界は、3つの異世界が、神樹と呼ばれる、次元を渡る力を持つ大樹によってゲートと呼ばれる力によって繋がっている。
リティルは不老不死の精霊という種族の中で、戦い続ける宿命のために短命な、風の王を務める精霊だ。
リティルは、風の城に住まう、風一家と呼ばれる精霊達を率い、日々戦っていた。風の城の仕事は、戦うばかりではない。行方不明の精霊探しや、均衡を失った力の安定など、世界を平和に保つことも仕事だ。業務内容は多岐にわたり、世界の壁をも飛び越す。
そんな風の城に、直接仕事を持ち込む精霊もいる。
それが、今回、翳りの女帝・ロミシュミルだっただけだ。
ロミシュミルは、濡羽色の髪を黒いレースのリボンでツインテールにした、十代の少女の姿をした精霊だった。レースやフリルをふんだんに使った艶のない黒いミニスカートに、白黒の縞模様のタイツ、厚底の靴と、全身黒一色の服装をしていた。
精霊は見た目がこの世に目覚めた時から変わらない。少女の姿をしていようが、老人の姿をしていようが、見た目からではその潜在能力を推し量ることはできない。
彼女は、侮ってはならない危険な精霊だとリティルは一目でわかった。
風四天王が執事、旋律の精霊・ラスが、突然訪問してきたロミシュミルに無言で紅茶を差し出した。ロミシュミルは当然と思っているのか、無反応だった。ラスは、長い前髪から覗く生真面目そうな右目に、何の感情も浮かべずにソファーに座るリティルの背後に影のように立った。
リティルの右側には、副官、雷帝・インファ。左側には、補佐官、煌帝・インジュが座っていた。そして、コの字に置かれたソファーの1人席に、風の王妃、花の姫・シェラが座っていた。
「で?引き籠もりの闇の王が、わざわざどうしたんだよ?」
イシュラースは、昼の国・セクルースと、夜の国・ルキルース、2つの国のある世界だが、ロミシュミルの治める闇の領域はそのどちらにも存在していない。
太陽王の治めるセクルースと、幻夢帝と呼ばれる月の力を持った王の治めるルキルースの間にある、すべての世界を行き来する権限を持つ、風の王さえも足を踏み入れたことのない領域を治める王。それが翳りの女帝・ロミシュミルだ。
15代目のリティルは、初めて会う精霊だった。
ロミシュミルはラスの入れた紅茶を「まあまあね」と言いながらも飲み干しながら、真っ黒なその大きめな瞳をリティルに向けた。
「グロウタースにいる影法師の精霊を、救出してほしいのよ」
闇に属する精霊に関しては、リティルは無知と言ってよかった。
「おじ様、発言を、許可してくださいませ」
補佐官、煌帝・インジュの背後に楚々と立っていた妖艶な女性が、身をかがめ、リティルに耳打ちした。
風の精霊は総じて、金色の翼を生やしているが、彼女にはそれがなかった。
風の王・リティルは、王の証であるオオタカの翼を、雷帝・インファはイヌワシの翼、煌帝・インジュはオウギワシの翼、そして旋律の精霊・ラスはハヤブサの翼を持っている。
この女性は、智の精霊・リャリス。風に属する精霊ではないのだ。
サファイアブルーの真っ直ぐな髪と同じ色の糸のような切れ長の瞳を持つ、男心をくすぐるような暗い魅力を持つ彼女の両頬の脇には、ティアドロップ型のガラスの飾りの付いたチョーカーを巻いた2匹の蛇が生えていた。
「ああ、どうしたんだ?リャリス」
智の精霊・リャリスは小さく頷いた。
「影法師の精霊は、翳りの女帝・ロミシュミルの右腕の精霊ですわ。闇は心に封じ込めた負の感情に作用する力でもあり、野放しにはできない力なのですのよ。そのナンバー2の精霊が、なぜ救出を必要としている事態となっているのですの?」
「だから焦ってここへ来たんでしょうが!場所はグロウタースよ!あの人の力が影響を及ぼしたら、大陸1個滅びるわよ」
ハアとロミシュミルは荒げた声を納め、ソファーに身を沈めると俯いた。演技か?何かを隠している?そんな違和感を彼女から感じた。初対面で疑いたくはないが、彼女からは信用ならない何かを感じていた。
しかし、そんな大変な精霊のグロウタース流出の情報を、リティルは把握していなかった。
この城には、世界中から有りと有らゆる新しい情報や噂が集まってくるのだ。チラッとラスを見上げると、ラスは小さく首を横に振った。ラスはそんな雑多な情報を、整理分類してくれているのだ。優先度の高い情報はすぐにリティルの耳に入れてくれるし、情報を集めている風や小鳥達が五月蠅いくらいに騒ぎ立てる。闇の精霊ナンバー2の失踪。しかもグロウタース流出だ。真偽のほどが定かでなくても、早急に調べねばならない案件だ。
解せないな。そう思ったのはリティルだけではなかった。両脇を固める副官と補佐官も同じだった。
「で?どこなんだよ?」
「青き翼の獅子よ」
ロミシュミルはふてくされるように短く言った。
「また厄介な場所じゃないですかぁ。あそこは人種のサラダボールですよぉ?獅子王と各国の3王が連携して、なんとか平和を保ってるんですよねぇ。どうしますぅ?リティル。ボクとリャリスが行って、気配探ってみましょうか?」
面倒くさそうにため息を付いたインジュが、そう提案した。その言葉に異論を唱えたのはロミシュミルだった。
「無理よ」
「と言いますと?」
インファが鋭い視線を向けた。
「連れ戻せるなら!わたしがやってるわよ!封印されてるのよ。あの人に会えるのは、2年に1回だけ。しかも、2人しか会えないの」
そして、神の祠に入れる可能性のある巫女と騎士の選定の儀は、明日だった。
リティルは、殆ど知識のないまま、下準備もできないまま、選定の儀に潜り込むことになってしまったのだった。
本当は、リティル、インファ、セリアの3人で、人間に身をやつして潜入するはずだった。出立するそのギリギリで、シェラが名乗りを上げてきたのだ。
「シェラ、今回は依頼者が信用できねーんだ。しかも殆どが、現地調達だ。さすがに危険すぎて許可できねーよ」
「自分の身は自分で守れるわ。お願いよ!リティル」
確かにシェラは、花の姫というか弱そうな名称の精霊で、その背には華奢なモルフォチョウの羽根が生えているが、十分自衛できる精霊だ。しかし、リティルにとって最愛の王妃で、何かあったら気が気ではない。
「お願い。あなたと共にいさせて」
手を取られ、彼女の危機迫るような眼差しに、リティルは気がつけば許可していた。
シェラに何があったのかわからない。だが、リティルの巫女に選ばれなかったことは確かだ。表面上は変わらない笑みを浮かべているようだが、リティルには、なんとなく心を偽っていることは感じていた。たぶん、ショックを受けているのだろう。
しかし、信用ならなくても、裏がありそうでも、仕事は仕事だ。
リティルは、ここの宮殿に来るまで、シェラとはまったく接触できてはいなかった。
だが、シェラを信頼している、誰よりも。
翌日、朝食を済ませたリティルとクローディアは、訓練場に来ていた。
訓練場には、指導者の戦士がいる。
オオカミの耳と尾を持つ亜人種・ウルフ族の男性。頬に傷のある彼は、リオンだ。
「……リティルだな?」
訓練場の床は、乾いて踏み固められた土だった。土の四角い広場をクリーム色の石で作られた回廊が囲み、回廊には様々な武具が置かれていた。リオンは気怠げに、長剣を抱えて回廊の柱との間にある、低い、座るのに適した塀に座っていた。
「名前、覚えてるのかよ?」
「義務だからな。……お相手しようか?」
立ち上がったリオンは、リティルより相当年上に見えた。だが、150センチしかないリティルと、そう変わらない身長をしている。ウルフ族は、小柄な種族なのだ。
獣人種と亜人種は人間の3倍は生きる。おそらく200才は超えているだろう。だが、人間で言うなれば30代くらいだ。長命種は、若い時期が長いのだ。
「ああ」と応じたリティルは、リオンと共に訓練場の真ん中へ立った。クローディアは、入り口近くの回廊から出てこない。怖いなら部屋で待ってろよと言ったのだが、怖いから一緒に行く!と言って聞かなかった。
……オレじゃなきゃ、喰われてるな。リティルはどうして相棒がオレだったのか、わかったような気がした。
シェラにしか心を動かされないリティルは、例え、裸の美女が隣に寝ていても勃たない自信がある。理性が化け物でなければ務まらないのだ。風の王は。誘惑も多ければ、敵も多い。それが風の王という精霊なのだから。
リティルは右手の平に風を集め、ショートソードを作り出した。
それを見たリオンは、隠さず賞賛するように「ほお?」と言った。
「無詠唱か」
「風魔法しか使えねーけどな」
グロウタースの民は、霊語と呼ばれる精霊に呼びかける言葉を唱え、精霊に呼びかけて助力してもらい、自身の魔力を対価に魔法を使う。精霊であるリティルには、その必要がないのだ。使うのは、精霊の力・霊力だけだ。
たまに、グロウタースの民でもその力とすこぶる相性のいい者は、霊語なしに魔法を使える者がいる。面倒くさがりのリティルは、そういうことにしたのだ。
器用なインファと違って、きっと呪文を唱えることを忘れる。無詠唱で魔法を使えることが後々バレるより、明かしてしまった方が隠していたワケを邪推されなくて済む。
「なあ、吸血鬼って、どんな相手なんだ?」
お互い、肩慣らしに軽く剣を合わせる。
「モンスターと変わらない。ただ、血を吸ってこようとするだけだ」
少しずつ相手を探るようにタイミングをずらせば、リオンは楽しそうに口角を上げた。ウルフ族は戦闘に長けた種族だ。リオンも戦いに楽しみを見いだすタイプのようだ。
「血を吸われるとどうなるんだ?」
「どうもしない。貧血と魔力枯渇のだるさに見舞われるだけだ」
キンッと音を立ててリティルは弾かれた。トンットンと後ろに飛び退くと、身を低くしてリオンに切り込む。
「命の危険はないって?」
「命のやり取りだ。こちらだけが死なない道理はない。が、」
切り込んだリティルの剣を鋭く躱すと、リオンの剣がリティルの背後に迫る。リティルは足を張ると身を翻してリオンの剣を受けた。
「メイドからベルをもらったろう?」
もらったが、戦場で鳴らせという意味合いには聞こえなかったと、リティルは首を傾げた。
「――ああ。そう言えば、何かあったら呼べって言ってたな。あの娘達、救助要員でもあるのか」
下から突き上げるようにリオンの剣を弾き返したリティルは、間髪入れず、風を竜巻状に放っていた。
リオンは風に乗るようにして大きく飛び退いた。
「こちらのルールに従っていればな」
「?……ルール違反したヤツは、助けにいかねーってそういうことか?」
「ベルの使い方は、オレが教えることになっている。必須ではないが、初任務前は暇だろう?」
リティルは剣を風に返した。それを見て、リオンも切っ先を下ろす。
「初対面のヤツと組んで、いきなり実践するヤツはいねーよな?お互い何ができるのか、確認しとかねーと、当てにできねーし、守りようがねーな」
なるほどそういうわけか。だが、皆が皆同じ行動を取るとは思えないけどな?とリティルは解せなかった。これはおそらく、助けを呼ばなくても救助できる体制にあるのだろう。これはどうやら、危険に見えて安全なゲームだ。リティルは確信した。
「おまえの巫女」
リオンは、演武に参加しなかったクローディアに、チラッと視線を送った。
「ああ?いいんだよ。オレなら何が相手でも守り切れるからな」
傲慢。そう取られると思ったが、意外にもリオンは薄ら笑って頷いた。そして、目の前に立った。
「おまえなら、可能だろう。風の王」
揶揄ってるのか?いい性格してるな。リティルは苦笑するに留めた。
「はは、昨日ヘンリーにも、名前のことで噛みつかれたぜ?」
昨夜食堂で、自己紹介したとき「リティル」と名を名乗ったら、嘲ると共に大笑いされた。
「大層な名前だな」と。
その後もリティルを標的にするヘンリーの態度に、インファが静かにキレていて、そっちの方が気が気じゃなかった。ああいうとき怒るのはセリアの方じゃねーのか?と、いつも冷静な副官の意外な態度を目の当たりにした。
この大陸で『風の王・リティル』の名は有名だ。
崩壊するはずだったこの大陸を救った、偉大な風の王・リティルと、民衆を導き争いを止めた空の色の翼を持ったライオンの伝説は、未だに人々に語り継がれている。
この大陸で「リティル」はまずかったな。ヘンリーに指摘されて、リティルは偽名を使えばよかったと後悔した。リティルは風の王として、グロウタースに関わることが多々あるが、名前については無頓着だった。魔導士ならどこの大陸や島でも、風の王の名くらい知っているが、そうあからさまに指摘されたことはなかったのだ。
「リティルさん!」
ん?誰だ?と名を呼んだ者を見れば、踝までの巫女のローブを羽織ったタイガ族の女性がいた。
巫女は、それと見てわかるように、丈の長さはまちまちだが、専用のローブを着ることを義務づけられていた。それは騎士も同じで、重装、軽装は問わないが鎧の着用は認められているが、戦わない時は、皆揃いの黒い制服を着なければならない。
「サラ?どうしたんだよ?」
どうしてオレが呼ばれてるんだ?ヘンリーどうした?と首を傾げた。息も絶え絶えな彼女を見て、リティルとリオンは彼女のもとへ小走りに駆け寄った。
「ヘンリーが!ヘンリーが、外へ!」
「はあ?1人でか?あいつ、そんなに強えーのか?」
思わずリオンを見たが、彼は首を竦めた。戦ってないからわからんと彼は嘯いた。リオンはサラを見やる。
「1人で行かせたのか?」
冷ややかな声に、サラは体を強ばらせて俯いた。夕食の時の態度から察するに、サラは平和的でなく置いていかれたのだろう。リティルは当然の様にサラを庇っていた。
「やめろよ。サラ、オレが行く!君、戦えるよな?一緒にきてくれよ!」
「リティル!」
驚いてクローディアが名を呼ぶ。縋るような目だった。
「君は部屋戻ってろ。オレが戻るまで、部屋から出るなよ?」
「だ、ダメ!わたしも行く!だって、リティルの巫女だから!」
――リティル、お願い!
青い顔で言い募るクローディアの姿が、一瞬シェラに見えた。
違うんだ……君を悲しませたいワケじゃねーんだ。リティルは、ここにはいないシェラに、言い訳めいた言葉を心の中でかけてしまった。
「リティル?」
苦渋の表情を浮かべてしまったかもしれない。クローディアが訝しげにリティルを伺っていた。ハッとリティルは我に返った。
くそ!どうして別の女の子に、シェラを重ねてるんだよ!リティルは一度頭を振ると、クローディアを見返した。
頑張ろうとしている彼女は、このまま部屋に帰しても、思い詰めて1人追ってきてしまうかもしれない。それなら、連れて行く以外にないよな?とリティルは頭を切り替えた。
「……じゃあ、オレ達が危なくなったら、ベル鳴らしてくれよ?」
「助けるのか?おまえは昨夜、ヘンリーに絡まれていたのに?いいだろう、オレも行く」
お守り役のくせに来る気なかったのかよ!と、もの凄く思ったが、彼が来てくれるのはありがたい。4人は玄関ホールを目指して走った。
サラは意外にも引っ込み思案な娘だった。
リティルを呼んだのは、昨夜食堂でヘンリーが絡んだことで、ヘンリー以外で唯一名前を覚えていた人だったからだった。
オレより目立つヤツがいるじゃねーか!と思ったが、獣人の彼女とでは、美的センスが違うのかもしれない。インファのことは眼中にないようだ。それとも近寄りがたかっただけかもしれないが。
「リティル、気配は近い」
クローディアを背負いながら走るリティルに、併走するリオンが告げた。なぜクローディアを背負っているかというと、走るのが遅かったのだ。
引っ込み思案でもサラは獣人。しかも、最強と言われるタイガ族だ。基本的な体の造りが違う。リオンは素早さ特化の戦闘民族ウルフ族。リティルは百戦錬磨の風の王だ。ウルフ族とのハーフとはいえ、人間の血の方が濃いクローディアには酷だった。
「ああ!クローディア、防御は得意なんだよな?防御結界の中にサラといろよ?サラ、結界の中から攻撃魔法頼むな!」
「う、うん!」「わかりました」
リティルは走るまま後ろに体勢を倒しながらクローディアを下ろすと、風の中からショートソードを両手に抜き、大きなコウモリに斬りかかった。
「お強いですね。わたしの出番はなさそう……」
倒れたヘンリーに群がる大きなコウモリ達を相手に、リティルとリオンはあっという間に倒していく。
「でも、何か変……」
倒しているのに、数が減っていないような?クローディアは、薄暗い森に目を凝らした。
「何かに惹かれて集まっている?」
サラが呟いた。
「もしかして……」
クローディアは、倒れているヘンリーを見た。魔物は吸血鬼だ。吸血鬼は、血を吸う魔物で、血の臭いに敏感なのではないか?
そう頭をよぎったクローディアは、自分でも驚くほど迷いなく決断していた。
「サラ、あそこへ一緒に走って!」
「え?え?はい」
サラは狼狽えたが、クローディアに気圧されて頷いていた。
クローディアは防御結界を解くと、ベルを鳴らしながら戦場の真っ只中へ走った。
「へ?おい!何やって――」
クローディアとサラの姿を認めて、リティルが咎めるように声を張ろうとするのをクローディアは遮った。
「リティル!これじゃきりがないよ!ヘンリーの血に、集まってきてるの!」
近くで見ると、コウモリは本当に大きかった。翼を広げた姿は、エフラの民よりも大きい。
襲いかかってきた吸血コウモリをリティルは1刀のもと斬り伏せた。
「相手は吸血鬼だからな」
軽々と斬り伏せるリオンの言葉に、リティルはジトッとした視線を送った。
「わかってるなら、早く言えよな」
「思いの外ヘンリーの図体が大きかった。運び出すのは無理だなと思っていたところだ」
サラの炎の魔法が、コウモリを焼く。「どうするんだよ?」と問おうとしたリティルに答えたのは、クローディアだった。
「ヘンリーを起こして、自分で歩いてもらいます!」
そう言うとクローディアは、うつ伏せに倒れて動かないヘンリーの脇に膝を折った。
うう、見たくない……ヘンリーの黄色に茶色の縞模様のある毛に、血がこびりついている。明らかに噛み痕だとわかるそれらからは、まだ血が滲んでいた。どうやら、吸血鬼の牙には、血を止めない毒のようなモノがあるらしい。
「フオール」
クローディアは、治癒を現す霊語を唱えた。白い光がクローディアのかざした両手の平に灯り、傷が癒え始める。血塗れだが傷はどれも深くない。これなら、癒やしきれる!
早く……早く起きて!傷は癒えても、流れた血はなくならない。早く逃げなければ、もっと大きな吸血鬼を呼び寄せてしまうかもしれない。治療するクローディアの周りでは、3人が守りながら戦っていた。
クローディアはチラリとリティルを見た。彼が相当強いことはわかったが、小柄なその体躯ではスタミナがきっと少ない。現に、僅かだが息が上がっているように感じる。故郷の果樹園で働いていた人達は、もっと体がガッシリしていた。それでも1日働けば疲れていたのだから間違いない!とクローディアは強く思った。
「う……」
まったく身動きしなかったヘンリーが反応したのを、クローディアは見逃さなかった。
「ヘンリー!起きて!」
虚ろに瞳を開いたヘンリーが、瞬きを数回繰り返した。次第にその緑の瞳に光が戻る。
「……おまえ……?」
「とにかく立って!走って!」
クローディアは泣きそうになりながら叫んだ。そして、ヘンリーの体を起こそうとその丸太のような腕を引っ張るが、ビクともしなかった。そんなヘンリーの腕をグイと引っ張り起こしたのは、サラだった。引っ込み思案でも女性でも、タイガ族だ。人間の細腕とは比べものにならない腕力を持っている。
「立ってください!ヘンリー!」
「サ、サラ?なんでここに……」
体をやっと起こしたヘンリーは、玄関ホールで怒鳴りつけて、置いてきたはずのサラがいることに驚いたようだった。助けにこないと思うほど怒鳴ったのだと、クローディアは一瞬怒りが湧いたが、すぐに怒りは鎮火した。周りにギャアギャアと鳴く吸血鬼が、飛んでいたからだ。
「はは、感謝しろよ?サラがオレ達を呼んだんだからな!」
「おまえ、似非風の王!」
「ああ?なんだよ?リティルって呼べよ、リティルって!」
呼びにくいだろ?と続けてリティルは笑った。その刃が閃き、噛みついてきたコウモリを切り裂く。その鮮やかな一閃に、ヘンリーは息を飲んでいた。
「立て」
リオンがサラの逆から体を支えてやり、ヘンリーはやっと立ち上がった。
「しんがりは任せろ!クローディア、前だけ向いて走れよ?」
「う、うん!」
リティルは風を放つと、群がるコウモリ達を引き剥がした。その隙をつき、一団は移動を開始する。
クローディアは必死だった。ヘンリーを抱えているとはいえ、徐々に差が開くほどに3人の足は速かった。速く走らなければ、一手に追いかけてくるコウモリ達を引き受けてくれているリティルの身が危ない。
ああ、どうしてこんなに足が遅いの?クローディアは、もっと走り込んでおくんだった!と後悔した。だが、果樹園の仕事に走り込みは必要ない故、どう足掻いてもそんな考えが過去に思いたてるはずがないと気がつかなかった。
息が苦しい。倒れそうになる体に、クローディアはむち打って走り続けた。だが、足がもつれてしまった。
「あっ!」
地面が近づく。クローディアは前面に走る衝撃に身構えていた。しかし、倒れる痛みは襲ってこなかった。
「――行くぜ!」
至近距離でリティルの声がしたかと思うと、傾いだ体がグイッと引き立てられた。そして、一瞬フワッと浮いた。気がつけば、クローディアは、リティルの肩に担ぎ上げられていた。
「ええ?ちょっとリティル!」
「口閉じてろよ!舌噛むぜ?」
リティルの背中に手をついて首を捻ると、顔はみえなかったが彼はどこか楽しそうにそう言った。そして、風のようなスピードで走り始めた。後ろを見れば、追いかけてきたコウモリ達が追いつけずに引き離されていく。
どうしてこんな速さで走れるの?と唖然としたが、そういえばリティルは風魔法の使い手だったと思い出した。
しかし、それにしても、こんなに長く魔法を使い続けて大丈夫なんだろうか。クローディアにも経験があるが、魔力が枯渇すると、とてつもなく怠くて、下手をするとベッドから起き上がれなくなる。起き上がれない時間は、度合いにもよるが、こんな無茶な使い方では、1日は寝込むのではないだろうか。
リティルを案じたクローディアは、引き離されるコウモリの1匹が、腹いせのように赤黒い球を口から放つのを見た。
防御しなくちゃ!と頭では理解しているのだが、咄嗟に魔法を紡げなかった。迫ってくる赤黒い球を見ている事しかできなかった。
目も閉じられなかったクローディアの目と鼻の先で、自分達を飛び越して飛来した光の矢が、赤黒い球を射貫いていた。赤黒い球は、その1撃で霧散していた。それから1本、2本と矢が飛び越していった。その狙いは確実で、球を放ったコウモリと、追従していたコウモリを1撃で屠っていた。
いったい誰が?リティルの肩で振り向くと、宮殿の門の前に誰か立っていた。
白い光でできた弓を構えたその人は、紅茶色の瞳で勇ましく睨み、遠くの敵を見据えていた。
戦姫――そんな言葉がクローディアの脳裏をかすめていた。
シェラは魔法の矢をつがえ、再び放った。リティルはそんな彼女の隣を走り抜け、屋敷前の庭園にドサッとクローディアを下ろすと、ゼエゼエと息を吐きながらその場に頽れた。
「リティル!大丈夫?」
「あ、ああ……心配、する、な、よ。大、丈夫だ」
途切れ途切れにリティルは告げると、ヘラッと笑った。その笑顔に、ズキッと胸が痛む。
もう少し、クローディアが役に立てば、いいや、ついていかなければ、リティルにこんな無茶をさせずにすんだのに……。唇を噛んで俯いた姿に、きっとリティルに考えが読まれたのだろう。四つん這いで、リティルに詰め寄っていたクローディアは、急に手を引っ張られ、前のめりに倒れていた。リティルの胸へ。
「大丈夫だ!そんな顔、するなよな!」
妙に明るいリティルの声が、頭越しに聞こえてきた。ヨシヨシと頭を撫でられて、張り詰めていた緊張の糸がプツンッと音を立てて切れるのを、クローディアは感じた。
「リティル……怖かったよぉ!」
安心したら、本音が零れていた。顔を上げたクローディアはリティルに抱きつくと、声を上げて泣いた。
リティルは、クローディアが泣き止むまでずっと、頭を撫でていてくれた。
やり過ぎたな。
リティルは、ため息を付いた。倒れそうなほど心配するクローディアを見ていたら、自然と抱きしめてしまっていた。
それくらいは、多々あるのだが……問題は、まったく接触できないシェラの前で、ということだ。
これ、立派な浮気じゃねーか?
クローディアは一生懸命で、素直で、庇護欲をそそられる。典型的に、リティル好みだ。それは認めるが、それは守る対象としてだ。
恋愛感情ではけしてない。……だが、この状況。どう言い訳したらいいんだ?
リティルは、隣で眠るクローディアを見下ろして、ため息を付いた。
ここは、リティルに宛がわれた、リティルの寝室だ。リティルのベッドで、クローディアは眠っていた。
リティルは、眠っているクローディアの隣に、ベッドの上に座っていた。
「なあ、君はオレのこと、どう思ってるんだよ?」
なじみのウルフ族が好きなんじゃねーのかよ?と、まるで警戒心のないクローディアが心配になる。
「オレじゃなきゃ、喰われてるぜ?お姫様」
そう言って笑ったリティルは、自分がどんな瞳で眠る彼女を見ているのか、気がついていなかった。