第142話 寄り添う心 ★カミル SIDE
目の前に現れたのは、赤い瞳に黒髪の血行が悪そうな青白い顔をした『吾輩』だった。
「吾輩くん、久しぶりね」
「あぁ、久しいな。魔物殺しの女子よ」
「私はリオよ。リオと呼んで欲しいわ」
「…………リオ」
「ええ、それで良いわ」
照れているのか、なんだかソワソワしている仕草でそっぽを向いた『吾輩』は、誰とも視線を合わせずに話しを続ける。
「なぁ、お前……リオは何故こんな所まで来たわけ?王国の人間なんだろ?」
「貴方こそ、何故教会の地下なんて所に居るの?」
質問を質問で返したリオを鋭い視線で睨む『吾輩』は大きな声で怒鳴った。
「何だって良いだろ!好きでここに居るんだから放っておいてくれ!」
吾輩の手から何かが飛んで来た。リオはスッと避けると、その場所にまたもや『狭間』が現れた。『狭間』から次々と魔物が現れる。
「私には無意味だと分かってるのに、まだ魔物を出して来るの?」
「ふん。こいつらが邪魔だから始末させてやってるんだ。黙って倒してろ」
「手に余ってるのね?自分では倒せないから?」
『吾輩』は地団駄を踏み、明らかに苛つく素振りを見せた。
「うるさいなぁ!吾輩は戦闘向きじゃないんだ!」
「ふーん。自ら戦えないなんて言っちゃって良いの?」
ギョッとした顔でリオを振り返る『吾輩』は、自分が倒される事を考えても居なかったらしい。
「お前は吾輩を襲う気なのか?」
「これ以上悪い事をするなら懲らしめるわよ」
「吾輩は悪い事をしてるのか?」
「魔物に人を襲わせるのは悪い事でしょう?」
考える仕草をした『吾輩』だったが、首を軽く傾けてから軽く横に振った。
「お前は倒せるじゃないか。何故悪い?」
まるで子供を相手にしている様だ。これまで人と関わる事が出来なかったから常識や物事を知らない……要は『無知』なのだろう。
「はぁ……あのね、最初に起こった王国でのスタンピードの時、私は女神様の予言で魔物が湧くと分かっていたから準備して対応したのよ。魔導士達や仲間に手伝って貰って、防御壁などを駆使して城下の民が魔物に襲われない様にしたわ」
「お前が倒せなければ弱い人間が死ぬからか?」
「そうよ」
「だが、お前ならこの程度は余裕で倒せるだろう?」
リオは顎に手を置き、少し考えてから言葉を紡ぐ。
「例えば、私が急にお腹が痛くなったとするわよ?何万匹もの魔物が目の前にいる状態で。いくら私でも、その状態で1匹も逃がさないで戦えるとは思えないわ。逃してしまう可能性がゼロでは無いから準備するのよ」
「お前が動けなくなった時のために?」
「そうよ。何か大変な事が起こる時に、私の体調が万全であるかなんて分からないじゃない。前日に訓練し過ぎて、体中筋肉痛かも知れないわ。世の中に絶対大丈夫な事なんて無いわよ。心持ちとしては大事だと思うけどね」
リオは幼子に教える様に、どんな小さな事でも細かく答えている。
「体中筋肉痛……あぁ、それはツラいな?そうしたら魔物を数匹、取り逃がす可能性は出て来るか……」
リオは随分と減った魔物の残りを倒しながら『吾輩』と話しを進める。
「カミルは王太子だから、民を守らなければならないのは分かるでしょう?」
「王太子……確か、次世代の王になる者、だったか?」
王太子という存在は知っているらしいね。リオは魔物を倒し終わり、『吾輩』に少し近付いて話しを続ける。
「ええ、そうよ。勉強したのね。誰に習ったの?」
「封印される前に……母上……」
「お母様に?」
「そんなの何だって良いだろ!」
ハッとした顔で『吾輩』は気持ち悪いモヤモヤを飛ばして来た。
「それが人間を魔物にする魔道具ね?」
リオは防御壁を上手に操り、上の蓋の部分が開いている箱を作って魔道具をキャッチし、開いている上の部分も防御壁で蓋をした。その箱をフワフワと浮かべ、師匠に向けて投げて寄越した。
デュークと師匠は箱の中をマジマジと眺めて溜め息を吐いたが、師匠が『古代魔法』と呟いた事で察した。これまでに得た情報の通りだったらしい。
「おい、その魔道具は気持ち良くなれるらしいから、お前にやろうと思ったのに、何故爺さんに寄越した?」
「え?分かって無いで使っていたの?」
「危ない物だと言いたいのか?それを使って最後に魔物になるのは『欲』が勝った者だけだ。普通に生活出来る人間や、精霊を持つ人間なら気持ち良いだけで呑まれることは無い」
魔道具に呑まれなかった人間も居たと言う事か。それにしても魔物になるかも知れないのに、一時の快楽に負けてしまうのか……まぁ、人間らしいのだろうけどね。
「ねぇ、分かっていて魔物を量産していたの?」
リオが少し苛ついている様だ。悪気の無い『吾輩』の主張を聞いて苛ついたのだろう。
「最初は気が付かなかったんだ。1000年前は気持ち良くなれるからと欲しがる人間の貴族に売ってやった。途中から魔物になる事も知ったが、その時に発生するエネルギーが人の命を繋ぐ物だと知ってからは『吾輩の大事な人』を生かす為に人間や精霊に持たせたんだ」
「え?誰か病気の方でもいらっしゃるの?私は治癒も出来るから、お手伝い出来るかも知れないわ」
『吾輩』はしょんぼりと肩を落とし、ボソボソと覇気のない声で呟いた。
「いや、もう無理だろうって……頭では分かっているんだ。今は息をしているだけで、生きる意思も無いだろうって……そう思うが……」
「吾輩殿、それでは一時的に回復させ、本人の意思を確認するのは如何だろうか?もしかしたら、生きるのが辛いと思っているかも知れない……」
デュークは1000年以上もただ生きているだけだと聞いて『可哀想』だと思った様だ。命を繋がれていた者の意思を聞いた後の『吾輩』の気持ちは考えて無さそうだね。きっと辛いと思うんだけどなぁ?
「黙れ!そしたら吾輩は1人になるだろうが!人でも精霊でも無い吾輩に、どうしろと言うのだ!うぉっ!?」
いきなりリオが彼に勢いよく抱きつき、ギュウギュウと抱き締め始めた。
「ごめんなさいね……私のご先祖様の存在が、貴方を苦しめたのね。1人になる辛さや怖さは、私もよく分かるわ……」
「「「「リオ!」」」」
リオは泣いていた。頬を流れる涙が『吾輩』の肩に落ちる。
「お前……吾輩のために泣いているのか?」
「たった1人で何年も……精霊の血が入っているのなら、きっと何千年も生きるのでしょう?誰も気が付かないでこれから先も、途方も無い時間を1人で暮らそうとしていたと思うと悲しくて苦しいわ……」
確かにそうだね。たった1人で生きる事は苦痛でしか無いだろう。永遠の命があっても、ただ生きているだけでは地獄でしかない。
「お前……り、リオは、吾輩の気持ちが分かるのか?」
「私は感情移入してしまっただけだけど……貴方の立場であったら、それはとても辛い事だと思うわ」
リオは涙を拭い、『吾輩』の両肩に手を置いて、しっかりと目線を合わせた。リオの瞳は、まだ少し潤んでいる様だ。
「でもね、人の命を奪ってエネルギーを集める事は、悪い事だと思わなかったの?」
「何故だ?吾輩が生かしたいから、吾輩の持っている力や魔道具を使って生かす事の何が悪い」
「魔物になった人達は、普通の人にはもう戻れないんでしょう?その人達の人生はどうなるの?魔物になった者達にも家族や恋人はいたでしょうに……」
ピクッと『吾輩』が肩を揺らした。リオの言葉を受け止め、しっかり考えているからだろう、『吾輩』にも怒り以外の感情が見えて来た。今は少し不安に思っているのかな。
「え?吾輩は悪い事をしていたのか?」
「1人の命の為に、沢山の命を犠牲にしているのよ。魔物になった人間は行方不明になってる人達でしょう?未だに探している家族や婚約者の方もいらっしゃると聞いているわ」
「そ、そうなのか?それでは生け贄と同じなのではないか……?」
「ええ。生け贄は知ってるのね?」
『生け贄』と言う言葉を知っている事には正直驚いた。もしかすると、自分がやってる事を振り返る事が出来るかも知れないね。
「『龍の花嫁シリーズ』を全巻読んだからな……」
『吾輩』は本を読める様だ。識字率がそこまで高くない我が国では、彼は賢い部類に入るはずなのだが。
「あぁ、絵本なのに子供が怖がりそうなあのシリーズね」
「お前……リオも読んだのか?」
「ええ、全シリーズ読んだわ。王国の図書館にある本は全部読んだから、古くても王国図書館にある本なら大体覚えているわよ」
「そうなのか!『魔王の花嫁シリーズ』も読んだか?」
「ええ、読んだけど……同じ作家の絵本で、龍と魔王を変えただけの、内容は一緒の絵本だったわよね?」
リオは絵本まで全て読んだのか?!うわぁ……僕は絵本以外は全部読んだけど……今度から図書館の本は全て読んだとは言わないでおこう。
「龍と魔王では全然違うだろ!ただ……吾輩は、花嫁は食べちゃ駄目だと思うぞ」
「貴方は『生け贄』反対派なのね?同じ事をやってるはずなのに?不思議ね」
『吾輩』は俯いて口を尖らせている。まるで5歳児だね。話が通じる分だけ、『吾輩』の方が扱いやすいけども。
「知らなかったんだ……吾輩は生け贄と同じ事をやってたんだよな?何故、こんな事になってるんだ」
「貴方はちょっと自己中心的過ぎるわね。自分勝手と言うか。1人で居た時間が長かったからなのかしら?お友達は?」
「友達?吾輩から直ぐに逃げてしまう精霊も、気持ち良い事にしか興味を持たない人間も、吾輩の話しなど聞いてくれないじゃないか!どうやって友達なんて作れるんだよ?!」
リオは『吾輩』の手を握って視線を合わせた。『吾輩』がビクッと肩を揺らして驚いている。
「そう……それじゃ仕方ないわよね。じゃあ、私を今日から貴方の友達にしてくれない?貴方の話しも聞きたいし、友達だから話せる事もあるでしょ?」
「お前が吾輩の友達になってくれるのか?」
驚いた顔でズイッとリオに顔を近付ける『吾輩』の手を軽く上下に揺さぶって、頷きながらリオは催促した。
「ちゃんとリオって呼んでくれたらね?」
ふふっ、と花の咲いた様な笑顔はやはり可愛い。これからもう少し深く『吾輩』の事を知って行き、分かってあげたいというリオの気持ちに、僕も寄り添えたらと思うよ。
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