77:マリア・カーガ
――その日、良く晴れた空の元、壁も天井も崩れ落ちたポルタリア魔法学院で、私とギルバートの“卒業式”が行われた。
「本学院を卒業したことを証する」
セオドリク先生から卒業証書を受け取る。どうやら彼も、私たちと一緒に学院を“卒業”するらしい。本当の先生ではなく、レジスタンスの動きを見張る捜査員だったのだから当然なのかもしれないが。
――それでも、私にとってはセオドリク先生がこの世界で唯一の“担任の先生”だ。
「……なんて、形だけだけど」
おどけたように肩を竦めるセオドリク先生。私も合わせるように曖昧に微笑んだけれど、形だけの卒業証書でも嬉しかった。
背後から拍手が上がる。振り返って私たちの卒業を祝福してくれる人たちをゆっくりと見回した。
ルシアンくん、ノアくん、セシリー、リオノーラさん、ウィルフレッド先輩、ブレンダさん、カルヴァン学院長――
とても質素で少ない人数での卒業式になってしまったけれど、私たちのためだけに彼らが集まってくれたのだと思うと幸せだった。この世界でも、一年未満という短い期間でも、私は確かに縁を築いてこられたのだと実感することができた。
「卒業おめでとうございます! ……僕はもう一年あるんですよね」
ノアくんが私の手元の卒業証書を覗き込みながらぼやくように言う。彼は私とギルバートが卒業して、捜査員で年齢を偽っていたルシアンくんもいなくなってしまうから、一人でもう一年頑張らなくてはいけない。
不安に思う私をよそに、ノアくん自身は冷静に真正面から私たちの“真実”を受け止めてくれた。今の彼に心配の言葉をかけるのは失礼な気がして、「ありがとう」とお礼を言うにとどめる。
「世界を救ってくれたんだ。それに比べたら、一年なんて誤差みたいなもんだろ」
ルシアンくんがいつものように軽口を叩く。こうして四人で固まっていると、あの苦難に満ちた学院生活を思い出して懐かしさがこみあげてきた。
――楽しかったと、今なら笑顔で振り返ることができる。大変なことばかりだったけれど、幾度となくエリート様たちに腹を立てたけれど、彼らと一緒だったから、彼らが助けてくれたから、こうして今楽しい思い出になっている。
それにしても、入学は大魔術師に口利きしてもらい、二年制の学院を一年で卒業することになるなんて、
「裏口入学して、裏口卒業した気分」
「その通りだな」
「ギルバート!」
私の呟きに頷くギルバートに、すかさず彼の肩を叩くルシアンくん。この二人の掛け合いもなんだか懐かしい。
「あはは、でも、本当にその通りだから」
裏口入学。そして、裏口卒業。
決して褒められたことではないけれど、それでも私は確かにこの一年、ポルタリア魔法学院の生徒だったのだ。異世界から召喚され家も家族もない私にとって、この卒業証書が唯一の身分証明書になる。
「ポルタリア魔法学院を卒業した肩書が、この先君たちの人生をどれだけ助けてくれるかは分からないけれど……」
「そもそもこの学院が残っているかどうかって話だな」
いつの間にかすぐ後ろに立っていたセオドリク先生と、彼の肩に肘を置いて気安げに体重をかけるルシアンくん。
正直なところ、未だに彼らが同い年の同僚だという事実がしっくりこない。セオドリク先生が成熟した雰囲気なのに対し、ルシアンくんが若々しいからだろうか。
「僕たちも一年後、無事に卒業できるか分かりませんしね」
「少なくとも今いる生徒は、きちんと卒業できるように掛け合っているよ。授業再開の目途は立っていないけれど……」
ポルタリア魔法学院がこれからどうなるのか、セオドリク先生にも分からないらしい。今回の騒動で多くの魔術師――学院関係者――が命を落としただろうし、校舎はこの有様だし、無理もないだろう。
ポルタリア王が亡くなって、世界の常識が大きく変わって、このまま学院がなくなってしまう未来もあるのかもしれない。そこまでいかずとも、“世界中から優秀な魔術師が集まる絶対的なエリート学院”から、“他の魔法学校と肩を並べる平凡な学院”に変わっていくかもしれない。
それはすなわち、私が手にした“ポルタリア魔法学院卒業生”という肩書の力もなくなってしまうわけだが――
「早くこの肩書の効力がなくなる日が来ることを祈っている」
不意に今まで黙っていたギルバートが口を開いた。
「そちらの世界の方が、きっと、ずっといい」
噛みしめるようにギルバートは言う。彼の言葉に、私は心から同意した。
ポルタリア魔法学院が、至って普通の、平々凡々な魔法学院になる未来の方が、私が望んだ未来に近い。そんな未来なら、きっとイルマも笑ってくれるはず――
「マリアちゃん!」
束の間落ちた沈黙を破ったのは、セシリーの震える声だった。
声の方へ視線をやれば、セシリーとリオノーラさんがこちらに駆け寄ってくるところだった。
「セシリー、リオノーラさん!」
「卒業おめでとう!」
勢いよくセシリーに抱き着かれる。感極まっているのか、彼女の華奢な肩は微かに震えていて、私はその震えを止めるようにぎゅっと強く抱きしめ返した。
「ありがとう。まさか、落ちこぼれの私が一番早くに卒業するなんて」
「それだけのことをしたのですから、胸を張るべきですわ」
気高いリオノーラさんにそう言ってもらえると、なんだか自信が湧いてくる。私は彼女の言葉通り気持ち胸を張って、「ありがとうございます」と微笑んだ。
彼女たちはこの世界での数少ない友人だ。どうかこれからも交友を続けていけたら、と口には出さないものの秘かに願っていた。
不意にセシリーが抱擁を解く。どうしたのかと顔を覗き込めば、彼女は美しい瞳を潤ませていた。
「……本当に、旅に出るの?」
セシリーは最後まで私がギルバートと一緒に旅に出ることを反対していた。魔力を持たない二人での旅は危ないと、涙ながらに訴えてくれたのだ。
その気持ちは嬉しかった。心配してくれる友人の存在は心強かった。しかしそれでも、私は頷かなかった。
「うん。あてのない旅だけど、これからの人生を送る世界を、変わっていく世界を、見てこようと思って」
下唇を噛みしめるセシリーに申し訳なく思う。喉元まで出かかった「ごめんね」という謝罪は飲み込んで、「心配してくれてありがとう」とお礼を送った。
不意にリオノーラさんが私の背後を見上げる。そこにはまるで私の影のようにギルバートが立っていた。
「ギルバートさん、マリアさんのこと、頼みましたわ。私たちの大切な友人ですから」
「あぁ。もちろんだ」
私のことを友人と言ってくれたリオノーラさん。そして迷うことなく頷いてくれたギルバート。彼らのやり取りを聞きながら、周りの人たちにはつくづく恵まれたと、自分の人生を振り返っていた。――とことん運はないけれど。
俯いていたセシリーが顔を上げる。先ほどまでの儚げな表情とは打って変わって、凛々しい表情で私の両手を握った。
「何か困ったことがあったら、私たちで力になれることがあったら、いつでも戻ってきてね。待ってるから」
「ありがとう、セシリー」
これ以上なく心強い言葉だった。困ったときに頼れる相手がいると思うだけで、未来への不安は軽くなる。
「大丈夫だよ、セシリアさん。媒介石で俺たちは繋がってるからさ。切っても切れない縁だ」
「変な言い方をするな」
横から会話に入ってきたのはルシアンくんだ。彼は先ほどセオドリク先生にしたようにギルバートの肩に肘を乗せたが、すぐさま振り払われていた。結局ここの二人は最後まで“合わない”二人だったなと思いつつ、その縁が完全に切れることはないのではないかとも思う。
実際、ルシアンくんはこれからも媒介石を通してギルバートに魔力を送り続けてくれるようだった。ルシアンくんだけじゃない、セシリーやリオノーラさん、ウィルフレッド先輩も協力してくれるとの話だった。
「魔力、いつでもいっぱい送りますから! 遠慮なく吸い上げてください!」
力強く体の前で拳を作って見せるセシリー。その気合の入りようにギルバートは薄く笑みを浮かべて「恩に着る」と小さく頭を下げた。
その横顔を見ながら、ギルバートの纏う空気が随分と柔らかくなったと改めて思う。きっとレジスタンスから抜けたことで、精神的に余裕が出てきたのだろう。これからどんどん、本来のギルバートが表に出てくるのかもしれないと想像すると楽しみだった。
――そしてその姿を、誰よりも近く、隣で見ていたいと思う。
「はーい、そこのみんな、並んで!」
突然元気な声が呼びかけてきた。皆一斉に振り返ると、そこにはカメラを持ったブレンダさんがこちらに向かって大きく手を振っていた。
「卒業式といったら、記念撮影でしょ?」
そう笑ってカメラを構えるブレンダさん。彼女の狙いを察した私たちは、誰が言うでもなく二列に並び始めた。
卒業生である私とギルバートを、他の皆で囲むような形だ。
「ギルバート、その仏頂面どうにかしなさい! セシリアちゃんももっと自然に笑って!」
カメラを覗くブレンダさんから指示が飛ぶ。
ギルバートはほんの僅かに目元を緩めて、セシリーは困ったように眉尻を下げた。
「マリアちゃん! もっと救世主らしく! 将来この写真が教科書に使われるかもしれないんだから!」
「なんですか、それ!」
無茶な要求に声を上げて笑う。それでもどうにか応えようと、堂々とした立ち姿に映るように背筋を伸ばして胸を張った。
胸の前に卒業証書を掲げる。その瞬間、この学院での出来事が走馬灯のように脳裏に蘇ってきた。
「……本当に、ありがとうございます」
自分でも気づかない内に、感謝の言葉が口からこぼれ落ちていた。
一人では今日という未来を向かえることは絶対にできなかった。今ここにいてくれる人たちが支えてくれたから、助けてくれたから、私はこうして今、笑顔で青空の下に立っている。
「たくさんのことがあったし、たくさんのものを喪ったけど……でも、私が今こうして笑っていられるのは、紛れもなくみんなのおかげです」
失ったものは数えきれない。得られたものは片手で数えられるほどだけ。
他の人から見れば私の人生はとことん運がなくて、不幸な人生かもしれない。未来は不明瞭で、何の保証もない。――しかし、それでも。
大切な人たちに囲まれて、今こうして心から笑えている。それだけでもう、十分だった。
「撮るよー!」
「本当に、ありがとうございました」
――カシャリ。
シャッター音が鳴る。この幸せな時間が、確かに切り取られ、保存される。
果たしてこの写真が遠い将来、教科書に載るかは分からない。綺麗に微笑んでいるのはセオドリク先生とリオノーラさんぐらいで、ノアくんは目元を拭っているし、ルシアンくんは大口を開けて笑っているし、セシリーは涙で顔がぐしゃぐしゃだ。ギルバートの口元はぴくりとも上がっておらず、真ん中の私は胸を張りすぎている。
もし教科書にこの写真が載ったなら、きっと学生たちはへんてこな写真だと指を指して笑うだろう。髭や眼鏡を書き足されたりと、変な落書きをされるかもしれない。
落書きをされた私たちの顔を想像して――いいな、と思った。
青空を見上げる。遠い未来に想いを馳せる。
(絶好の旅立ち日和だ)
私はこの空の下で生きていく。そして、この土に還るのだ。
そのための第一歩を、果てない未来への第一歩を、今日私は踏み出す。
――加賀まりあは、マリア・カーガは、本日をもってポルタリア魔法学院を卒業しました!
***
――拝啓、お母さん、お父さん。
あなたの娘は今、異世界で暮らしています。
あなたたちが見上げる空と、こちらの空は繋がっていないけれど。
あなたたちはもう、私の名前も顔も、声も覚えていないだろうけれど。
そして私もいつか、あなたたちの声を忘れてしまうだろうけれど。
それでも、私は確かにあなたたちと同じ世界に生まれて、生きていたから。
どうか、私を知らないあなたたちが、幸せでありますように。
***
書いた手紙を封筒に入れ、封を閉じる。丁度そのとき背後で扉が開く音がした。
「マリア、ここにいたのか。そろそろ馬車が来る。行くぞ」
ギルバートの呼びかけに頷いて、私は荷物を持った。そしてそのまま宿屋をチェックアウトして馬車乗り場へと向かう。
小さな村だったが、その分心のこもったもてなしを受けて大満足の一泊だった。宿屋の主人にもまた寄ってくれと声をかけてもらったし、近くに寄った際にはぜひとも再訪したい。
――ギルバートと旅に出てから早数か月。あてもなく町から町へと移動をし、ときにトラブルに巻き込まれ、ときに人々の温かさに触れ、充実した毎日を過ごしていた。
数日前、とうとうポルタリア王の逝去が発表された。しかし世界はそこまで混乱に陥っておらず、小さな村ではおばさまたちの井戸端会議の話題に上がる程度だ。
きっと今は各国の偉い人たちが対応に追われているのだろう。その“波”が小さな町や村に届くのはこれからだ。きっと多くの人たちにとっての踏ん張りどころは、もう少し先になる。
共に旅をする中で、ギルバートに大きな変化はない。私の前では気軽に笑顔を見せるようになったなんてこともなく、人当たりがよくなったわけでもない。――ただ、一緒に歩くとき、歩幅を合わせてくれるようになった。
私は隣を歩くギルバートに、封筒を差し出した。
「ね、ギルバート。この手紙、燃やしてくれない?」
「いいのか?」
「うん。燃やしてくれた方が……届くかもしれないから」
ギルバートは私の言葉で手紙の宛先をなんとなく悟ったのかもしれない、それ以上は何も聞かず、私の希望通り手紙を燃やしてくれた。
細い煙が空へ上って行く様を見上げる。この空と私が生まれた世界の空は繋がっていないけれど、それでも晴れやかな気分だった。
「行こう」
「うん」
ギルバートがこちらに手を差し伸べてくる。その手を握り返す。指先からゆっくりと、互いのぬくもりが広がっていく。
今日も、明日も、明後日も、そしてその先も。このぬくもりがあれば、きっと大丈夫。
マリア・カーガとして、大切な人たちと一緒に、この世界を生きていく。




