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73:王と化物



 暗闇に閉ざされた視界の隅でぼうっと明かりが灯った。それがフォイセの炎魔法によるものだと気が付いたときには、彼は私の腕を掴んでゆっくりと繭に向かって歩き出していた。



「弱者を虐げ、強者を取り立てる。弱者は逃げる力すらなく、強者は彼らを助けようとはしない。世界の王は腐った体で生きながらえ、そのために世界の人々に奉仕すべき強者を独り占めする」



 感情を感じさせない淡々とした口調。しかし私の腕を掴んでいる手の力は強く、ギリギリと音が聞こえてきそうなほどだった。



「ポルタリア魔法学院の生徒は年々減っている。強い魔力を持つ子どもが生まれなくなってきている。今や五十年前の半分以下だ」



 独り言なのか私への投げかけなのか分からない。

 ただ私は腕を引かれるまま、繭――ポルタリア王の許へ近づいていった。



「これからもどんどん数は減っていくだろう。そうなれば少数の強者が更に重宝され、弱者は搾取され、格差が広がる一方だ」



 フォイセはただポルタリア王を憎んでいるのではなく、この世界の未来を憂いているのだろうか。切り捨てられる弱者を救いたいのだろうか。

 いったいその過去に何があったのだろう。高名な魔術師であり、周りから慕われていたフォイセを、何がここまで追い詰めてしまったのだろう。



「この世界は、行き詰まっている。ゆっくりと確実に破滅に向かっている。すべてを壊し、全てを破壊し、一からやり直すしかない」



 不意にフォイセは足を止めた。そしてこちらを振り返る。



「元々魔力は創造神から授けられた加護だった。その加護が薄まりつつある今……神もこの世界を見捨てられたのです」



 にっこりと笑ったフォイセの瞳には光がなかった。

 ぞくり、と悪寒がする。思わず数歩後退すれば、咎めるようにぐいと腕を乱暴に引かれた。

 その勢いで前に倒れこみそうになって、気が付く。――フォイセが足を止めた先、彼の鼻先に細い無数の糸が張り巡らされていることに。

 彼はその糸の一本を指さして、



「さぁ、“触れて”ください」



 もう片方の手で、私の背を勢いよく押した。

 咄嗟に両手を前に突き出す。手のひらに柔らかい糸の感触があたったと思った瞬間、バチン! と些か大袈裟な音をたてて糸が“弾けた”。

 一本弾けると、共鳴するように他の糸も弾けていく。バチン、バチン、と絶え間なく音があたりに反響し、そして――大きな繭に、ぴしりと亀裂が走った。

 そのとき理解した。先ほど私が触れた糸は、切ってしまった糸は、ポルタリア王の身を守るためのものだったのだと。きっとあの糸にはこの世界の人間は触れることができなくて――この糸を、そして繭を切るためだけに、元々私はこの世界に召喚されたのだ。

 理解したときにはもう遅かった。繭の亀裂はどんどん大きく、深くなっていき、唖然と座り込む私の前で――繭が、弾けた。

 どさりと何かが地面に落ちる。私の横を通り抜けて、足早にフォイセが“それ”に近づく。

 彼は“何か”の前で足を止めると、突然大きな笑い声をあげた。



「は、ははは……! あの鎧の中は、こんなにも哀れな姿だったのか!」



 体を大きく折り曲げて、足元をふらつかせながらフォイセは体全身を使って笑う。いったい何がそんなにおかしいのかと目を凝らし――彼の足元に、“それ”を見つけた。

 “それ”はかつて保険の授業で見た、胎児の姿によく似ていた。粘着質な液体を全身に身に纏い、しわしわの薄茶色い体を丸くして、床の上で蠢いている。



(まさか……これが、ポルタリア王?)



 世界を統べる王が、こんなにも不気味で不可解な姿をしていたなんて。人語を解せる生物なのかどうかすら怪しい。

 私が言葉を失っていると、ポルタリア王は丸めていた体をぐっと伸ばし、



「ギャア――!」



 鼓膜を劈く声を上げた。

 それは人の悲鳴というより、獣の鳴き声に近かった。



「な、なに!?」



 両耳を手で塞ぎながらポルタリア王の動向を見守っていると、どうやら王は自分を見下ろすフォイセを威嚇しているようだった。人の言葉を当てはめるなら無礼者め、などと罵っているのかもしれない。

 しかしポルタリア王は一人では立ち上がることすらできないようで、フォイセは悠然と笑みを浮かべて王を見下ろしていた。

 その足元に、紫色の魔方陣が浮かぶ。――嫌な予感がした。



「何十年と私の魔力を食らったあなたを、今度は私が食らって差し上げますよ」



 魔方陣が発する光がどんどん強くなっていく。それに伴いポルタリア王の声がどんどん甲高く、悲鳴のように変化する。

 何が起きているのか、何をしようとしているのかまるで分からないけれど、ただこのまま見ていることはできなくて立ち上がったときだった。



「マリア!」



 背後で勢いよく扉が開いた。私が振り返るより早く、肩に誰かの手が添えられる。私の両脇を二つの人影が通り過ぎて、



「クソッ」


「よせ!」



 彼ら――ギルバートとルシアンくんは見えない何かに阻まれ、フォイセの許まで駆けつけることができなかった。

 フォイセの足元の魔方陣はどんどん大きく、発する光も強くなっていく。ポルタリア王の悲鳴も絶え間なくあたりに響き、近づけない以上私たちはただ見守ることしかできなかった。

 どれほどの時間が経過しただろう。一秒、十秒、あるいは永遠。不意にポルタリア王の体が風船のように大きく膨らんだかと思いきや、小さかったはずの口が裂けた。そして血走った大きな瞳でぎょろりとフォイセを睨みつける。

 その姿は王ではなく、もはや――



「来い!」



 フォイセがそう叫び、両腕を広げた瞬間、ポルタリア王は裂けた口でそのまま彼を“飲み込んだ”。

 一瞬の静寂。次いで――爆発。

 立っていられないほどの強風と、目を開けていられないほどの閃光に晒されて、私は自分の形が分からなくなってしまった。それでもどうにか人の形を保っていられたのは、誰かに体全身で守ってもらったからだと思う。

 ――やがて人間の形を取り戻した私の鼓膜を揺らしたのは、到底形容できない鳴き声だった。

 獣のような、人の悲鳴のような、轟く稲妻のような、この世界の終わりのような。聞いただけで全身の毛穴が粟立ち、恐怖に腰を抜かしてしまう、そんな鳴き声。

 臥せっていた私の体を誰かの腕が力強く起こしてくれる。床にお尻をつけて座り込む体勢で、両肩を力強く掴まれる。そのぬくもりにようやく意識がはっきりとし、ゆっくりと目を開けた。

 ――そこにいたのは、果たして何だったのだろう。



「これは……?」


「分からない。だが、これは……ただの、化け物だ」



 答えてくれたのはセオドリク先生の声。私を守ってくれたのはどうやら彼だったらしいのだが、今の私にはお礼を言う余裕すら残っていなかった。私の頭は、目の前の存在を認識するので精一杯だったからだ。

 ――そこにいたのは、化け物だった。

 肥大した体。ぶよぶよの皮膚。全身を覆う粘着質な液体。大きなナメクジのような体を持っているのに、そこについている顔は、まるで人間のようで。

 ぎょろりとした瞳がこちらを見下ろす。大きな口が歪な笑みを描く。



「フォイセが、ポルタリア王を取り込んだ……? それともポルタリア王が、フォイセを食らった……?」



 唖然と呟く。しかしそんなことはもう、どうでもよかった。この場にいる誰にも分かるはずもないのだから。

 ただ一つ確かなのは――この世界に化け物が誕生してしまったということだけだった。



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