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71:友達



 一瞬、気を失っていた。

 浮上しかけた意識を強引に引き上げる。重い瞼をこじ開けてあたりを見渡せば、すぐ横にイルマの顔があった。

 ――彼女は私の上に倒れこんでいた。

 手足を動かす。右手、左手、右足、左足。全部動く。全部くっついている!

 とりあえず自分に覆いかぶさっているイルマの体を横に寝かせようと、その肩に触れる。つるりとした人肌とは全く違う感触に気を取られながらも、下手に刺激をしないようにゆっくりと動かそうとして、違和感を覚えた。

 体が軽い。軽すぎる。それに上半身にはイルマの体の重みを感じていたものの、下半身には何も重みが――

 嫌な予感がして、それでも確かめずにはいられずに、私はゆっくりと視線を下に降ろした。そして、見てしまった。腰から下がない、上半身だけのイルマの体を。

 血は出ていなかった。なぜなら彼女の体は、黒く淀んだ石でできていたから。



「ううん……」



 仰向けに寝かせた上半身だけのイルマが小さく唸る。

 ――生きてる。

 私は慌ててその顔を覗き込んだ。寄せられた眉根の皺がピクリと動いて、ゆっくりと瞼が開く。



「なによ、その顔」



 眉を潜めるイルマ。怪訝な表情を浮かべてはいるけれど、痛みを感じている様子はまったくない。



「だ、だって、イルマ、体……」



 すべてを口にするのは憚られて、言葉に詰まってしまう。煮え切らない私にイルマはますます眉間の皺を濃くして――ようやく自身の違和感に気が付いたらしい。頭だけぐっと持ち上げて、“そこ”を見た。

 数秒じっと見つめて、イルマは「あーあ」とため息を吐く。



「痛みとかもう感じないから分からなかった。これは駄目かも」



 語尾には微かな笑いが滲んでいた。

 イルマは持ち上げていた頭を瓦礫の上に戻して、楽な体勢で私を見上げる。そしてゆっくりと語り始めた。



「あたしの両親、魔力が強いわけじゃなかった。けど誰よりも、フォイセのことを信仰してた。だから自分の娘がフォイセの役に立つようにって、あれこれ実験してたの。それでとうとう、娘の体を魔石に変えちゃった」


「そんな……」



 イルマの右腕が自身の腰のあたり――魔石に変えられてしまった体を労わるように撫でる。

 彼女の人生は両親に支配されていた。彼女はギルバートよりも更に深く、レジスタンスの中核に組み込まれてしまっていたのだ。

 イルマの両親はそれほどこの世界を恨んでいたのだろうか。この世界に何を奪われたのだろうか。それは大切な娘を犠牲にしてまで成し遂げなければならなかったのだろうか。

 何も分からない。分かるはずがない。だから、何も言えない。

 言葉を失う私とは対照的に、イルマは歯を見せて笑った。清々しい笑顔だった。



「でも案外、この体も悪くなかった。魔法は強くなるからちやほやしてもらえるし、お腹減らないし、体真っ二つになっても痛くないし」



 それは彼女なりの強がりだったのだと思う。今にも終わりそうな自分の命を自覚して、少しでも安らかな幕引きをできるように、と。

 ふとイルマの顔から笑顔が消える。まあるい無垢な瞳がこちらをじっと見上げてきた。



「ねぇ、この世界って、本当に変わる? あんたが変えてくれるの?」



 あどけない表情。囁く声。あれだけ生命力にあふれていた朱の瞳はぼんやりとしており、眠る前、親に寝物語を強請る小さな子どもようだった。



「そんな力、私にはないよ」


「やっぱり偽物の救世主サマかぁ」



 偽物の救世主。その通りだ。だって今目の前で尽きようとしている一つの命すら、救うことができないのだから。

 私は救世主なんかじゃない。ただの道具として異世界に連れてこられた無力な小娘だ。しかし、でも、もしかしたら、きっと、だからこそ――



「でも、一緒にいることはできるよ」



 救世主ではなく、ただの、同年代の女子同士として。



「……なに、それ」



 閉じかけていたイルマの瞳が再びこちらを向く。すぐ目の前にいるのに視点が定まりきらないのか、いくらか泳いだ彼女の瞳に、もしかするともう目があまり見えていないのかもしれないと思った。

 だから、瓦礫の上に投げ出されたイルマの右手を取った。冷たい指先にひやりとしたけれど、振り払われることはなかった。



「イルマの悩みもしがらみも、何も私には分からないけれど、話を聞くことならできる。一緒に笑うことも」



 それはイルマにとって不要なものだったのかもしれない。私のような能天気な性格では、イルマを苛立たせてばかりになるかもしれない。けれど私の脳裏には一つの光景が浮かんでいた。カフェのテラスで、あーだこーだと言い合いながら、決して和やかな雰囲気ではないけれど、それでも私の隣に座ってくれているイルマの姿が――

 拒絶されなかったのをいいことに、イルマの右手を自分の頬にあてる。冷たい指先を温めようと頬ずりをした。



「友達になろう、イルマ」



 ――ぴくりと、頬にあてていたイルマの右手が動いた。

 こんなことを言ったのは小学生以来かもしれない。けれど何の抵抗もなく、するりと口からこぼれ落ちた。



「そんなこと言われたの、初めて。あんた、よっぽど友達が少ないのね」



 イルマにハッと鼻で笑われてしまった。それでも腹が立たなかったのは、彼女の眦に涙が浮かんでいたからだ。

 鼻がつんとする。目頭が熱くなって、あ、と思ったときにはイルマの頬に涙が一粒零れ落ちた。



「うん、そうなの。みんなに忘れられちゃった。だから、ね、イルマ」



 ゆっくり、ゆっくりとイルマの瞼が下りていく。彼女の視界に最後まで残っていられるように顔をぐっと近づけて、



「お断りしまぁす」



 ――断られてしまった。

 口元には不適な笑みを浮かべて、鼻にかかった甘い声で。



「だって、やっと自由になれるので」



 掴んでいたイルマの右手が滑り落ちる。慌てて掴みなおそうとしたら、今度は手を跳ね除けられてしまった。

 ――どうやらイルマは、私と友達になる気はないらしい。

 そのことにショックを受けるよりも、なぜだろう、彼女らしいと私の口元には笑みが浮かんでいた。

 一度閉じられた瞼が再び開く。鮮やかな朱が私を捉えて、美しく細められた。



「せいぜいこのくそみたいな世界で足掻いてくださぁい、救世主サマ」



 イルマは笑った。美しく、気高く、誇り高く。

 ――それが彼女の最期だった。



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